誰もいない(ただし、隣ん家の幼馴染はいる)
——目が覚めた瞬間、違和感に気づいた。
大沢若菜16歳は布団の中で耳を澄ます。
家のどこからも生活音がしない。
いつもなら、母が台所で食器を並べる音や、弟のゲーム機の電子音が聞こえてくるはずだ。
それが今朝に限っては、しんと静まり返っている。
「……寝坊?」
布団から飛び起きて制服に着替え、階下に降りる。
リビングも、ダイニングも、誰もいない。
テーブルには皿も並んでいない。
玄関の靴箱には父の革靴も、母のパンプスも残っていた。
「お母さん?お父さん?雄大?」
呼んでも応えは返ってこなかった。
慌てて自転車に飛び乗る。
学校に行けば誰かいるかもしれない。
通学路を駆け抜けるが、見慣れた朝の光景はそこになかった。
商店街も、横断歩道も、人影はゼロ。
車も走っていない。
ただ蝉の声だけがけたたましく響いている。
校門をくぐり、教室に駆け込んだ。
そこも同じだった。
机と椅子だけが整然と並び、黒板には昨日の授業の板書が残っている。
人間の気配が、まるで世界ごと消えたみたいにどこにもなかった。
「……うそ」
背筋に冷たいものが走り、思わず駆け出した。
どこにもいない。誰もいない。
——怖い。
自転車をこぎ、家に戻る途中。
「若菜!」
突然、後ろから呼ばれて振り返る。
見知った顔がかけてくるのが目に入った。
「勇輝……!」
隣に住む幼馴染、武井勇輝。
幼稚園、小学校、中学校……高校まで同じで、今はふたりとも近所の公立高校の一年生だ。
サッカー一筋で脳筋なところがあるけれど、子どものころからずっと一緒に遊んできた存在だ。
その勇輝が、汗だくで息を切らしながら駆け寄ってきた。
「やっぱり……!お前もか!」
「え?」
「朝起きたら家に誰もいなくて……街も空っぽで……!俺、どうすりゃいいか分かんなくて!」
その必死な声に、若葉の胸が少し軽くなった。
——自分ひとりじゃなかった。
ふたりで並んで街を歩く。
コンビニに入ると、電気はついていて冷蔵庫も稼働している。
商品も棚にぎっしり詰まっているのに、店員も客もいない。
スーパーも、交番も同じだった。
電気も水道も動いているのに、人間だけがごっそり消えたようだった。
「……なあ、俺たち以外、誰もいないってことか?」
「そんな、バカな……でも」
勇輝がこちらを見て、無理に笑ってみせる。
「大丈夫。俺が守るから」
「は?」
「なんだよ、こういうときは男がしっかりしねーと!」
唐突な頼もしさに、思わず吹き出してしまう。
「……勇輝って、ほんと単純」
「うるせー!でも笑ったな。元気でたろ?」
確かにそうだった。
怖さは完全には消えないけど、幼馴染が隣にいるだけで、だいぶちがう。
夕日が沈むころ、若菜の家に戻った。
冷蔵庫にはまだ食材があったけど、ふたりで作る余裕はなく、コンビニで持ち帰った(ちゃんとレジにお金は置いてきた)パンやカップ麺を並べて夕食にした。
「……なあ」
食べ終えてから、勇輝が当たり前の顔で言った。
「今日、俺、泊ってくからな」
「えっ?」
「だって若菜ひとりにするわけにいかねーだろ。絶対怖いって」
口ごもりつつも、否定できなかった。
実際、夜になったらもっと不安になるのは分かっていたから。
時計は、すでに夜の12時をまわっていた。
布団に入っても、やっぱり眠れなかった。
窓の外からは、虫の声と風の音しか聞こえない。
街灯が照らす道は誰も歩いていない。
世界に取り残されたような孤独が胸に広がる。
気づけば、勇輝のいる隣の部屋の襖をそっと開けていた。
「……眠れないのか?」
「……うん」
勇輝は少し驚いたように目を丸くして、それから照れくさそうに布団をめくった。
「入ってこいよ。ほら」
同じ布団に入ると、肩と肩が触れ合って心臓に悪い。
「明日も……このままなのかな」
小さな声で呟くと、勇輝はしっかりと答える。
「分かんねえ。でも大丈夫。俺がいる」
その一言に、涙がにじみそうになった。
気づけばふたりは自然に抱き合っていて、唇が触れる。
少しカサついた勇輝の唇の感触。軽い口づけはすぐに深くなった。
何度も重ねるうちに、勇輝の呼吸が熱を帯びていく。
頬に、首筋に、震える指先が触れるたび、背中がそくそくと熱くなる。
「若菜……嫌ならはっきりと、そう言えよ」
「……やだ、なんて言うわけないよ」
囁きに応えるように、さらに唇を重ねた。
布団の中で重なり合う体温。
互いに触れる場所が増えるたびに境界が曖昧になっていく。
初めての感覚に戸惑いながらも、勇輝の優しい手が導いてくれる。
少しの痛みと、胸の奥からこみ上げる甘さ。
涙と笑みが混ざり合う瞬間、若菜は世界にふたりきりであることを強く実感した。
体を預けるたび、孤独は遠のき、勇輝の存在だけが鮮やかに迫ってくる。
求めあう熱の中で、若菜は「ひとりじゃない」とはっきり分かった。
夜が明けた。
やはり、世界には人は戻っていなかった。
でも若菜の心は不思議と落ち着いていた。
布団の中で眠る勇輝の寝顔を見つめ、そっと微笑む。
「……大丈夫。だって、勇輝がいるから」
彼が目を覚ますと、いつもの調子で笑った。
「よし、今日もサバイバルだな!俺たちが新しい世界を作るんだ!」
呆れて肩をすくめながらも、心は温かかった。
誰もいない世界。
けれど隣には、幼馴染の彼がいる。
それだけで、生きていけると思えた。
読んでいただき、ありがとうございました。