Phase
第2回電撃hp短編賞(2001年度)応募、2次選考通過作です。
Phase
さて、今日は何を聴こうか。
利用し始めて一年と三ヶ月、通いなれた銀色の電車の扉が開き、人という粒子群が吐き出される。それを見ながら、俺――大宮幸雄――は朝の退屈な通学電車で聞く曲を考えた。
後ろから押されるように車内に押し込まれ、車両の奥、連結部に近い側に移動した――いや、させられた。
潰されることは無いが、かといって座ることもできない、おそらく定員二十パーセントオーバーくらいの車内には、通勤途中の会社員が五割、四割が俺と同じように通学の連中だ。と言ってもこの四割は高校生で、俺は大学生なのだが。
で、残りの一割は何だろうな。フリーターかも知れないし、平日が休暇の自由業者がどっか遊びに行くのか。
下車まで約二十分、本を読むには少し短いし、なにより俺はあんまり本は読まない。寝るにしてもこの先、座席が空く事はめったに無い。
とすれば、後は好きな曲でも聴きながら代わり映えのしない外の景色を眺めることぐらいだ。
連結部の扉に少し背をもたれかけるようにして、俺は車内を何気なく見渡しながらディスクの入っていないMDウォークマンのヘッドフォンを装着した。
隣のスーツを着たハゲのおっさん……こいつはだめだ。新聞を小さく折りたたんで熱心に読んでやがる。その隣のポロシャツのオヤジ……こいつは自由業かな? 小脇に競馬新聞を挟んで外の景色を眺めている。これもだめだ。何も聴いてない。
じゃ、席に座っているのは……と。お、高校生が三人。うち二人は女子、残りは男子。女子高生のほうは友達同士だろうか、俺が乗る前からいるが二入ともしゃべりっぱなしだ。パス。残るは席の端にいる男子……短めの髪の毛をつんつんに立てて、右手で頬杖ついてうつらうつらしている。で、頭、いや耳にはアームレスのヘッドフォン。
よし、こいつでOKだろう。
どれ、何を聴いているのか――
両耳に神経を集中する。
電車の車輪がレールの継ぎ目を通過するときの規則的な衝撃音。むりやり温度を下げようとする空調本体の音と空気の流れる音。女子高生の喋り声。
徐々に音が小さく――そう、深夜に壁を挟んで聞こえてくるテレビの音のように――遠ざかる。
そして代わりにヘッドフォンから漏れるシャカシャカ音が大きくなる。耳障りなあれだ。だが最初のうちだけだ。徐々に音が明瞭になる。
女性シンガーの声。少しスローなバラード調。聞こえ始めたときは語りかけるような口調だったのが、すぐに音程が高くなり、訴えかけるかのような、いや、自分自身に言い聞かせているかのような――離れて会えない恋人のことを信じ続けるようにと――調べに一変する。このサビの部分、このシンガーのデビュー曲だ。シングルで二百万枚ヒットしたとかいう。
正直、俺の好みはもっとノリの良い激しい奴なんだが、この曲も悪くない。それに贅沢言ってられねえぜ。
なんせ、無料で聴かせてもらってるんだからな。
正直、三ヶ月前は驚いたぜ。自分にこんな能力があるなんてな。
あの時も電車の中だったな。大学からの帰りだ。その日最後の講義が長引いて、駅に着く頃には完全に日は落ちていた。
あのただでさえ拷問のような退屈で単調な講義が、そのうえ長引いたこともあって、俺は電車に駆け込んで空いた席に座るなりうとうとし始めた。
時間にして五分だったか、妙に耳に聞いたことのあるメロディが微かに聞こえてきた。そう、あれはビジュアル系のバンド、俺はあまり好きじゃないが結構有名なやつだ。そう思って目を閉じたまま意識を集中するとはっきり聞こえてきた。そいつはまるで、耳の中に感触の無いイヤフォンでも入ってるのかというような奇妙な感覚。
俺は少しづつ目を開けた。そして目だけで辺りをうかがった。
そりゃそうだ、こんなにはっきり聞こえるんだ。誰かがヘッドフォン通さずに直接スピーカーから流しているに違いない。
迷惑な奴も居るもんだ、と思って周囲を見渡したが、空いた席が歯抜けのようになっている車内には、どこにもそんな奴は居ない。
だが確かに音は聞こえてくる。
幻聴?
そこまで疲れてないだろう、そう思ってふと左隣を見ると、ヘッドフォンをかけたOL風のロングヘアーの女性。
同じ車両には他にウォークマンを聞いている奴は居ない。全部確認したわけではないが、少なくとも見える範囲にはいない。
とすると、ここから音が?
しかし、他の乗客は何も無いかのようにしている。確かに、今のご時世で音が漏れているからといって注意する奴がいるとは思わないが、何らかの反応があっても良いはずだ。
だが――俺の耳にははっきりと聞こえる。
曲が止まった。
左横に目だけを向けると、さっきのヘッドフォンをしたOLが、MDのコントローラを操作している。ペン型のそれのヘッドを数回廻し、端部のスイッチを押した。
途端に、俺の耳にまた曲が流れてきた。今度は同じアーティストの別の曲だ。
隣のOLは操作を終えると、胸ポケットにコントローラをしまった。
やっぱり、このMDの音楽が聞こえているのか?
その疑問は次の一分間で完全に確信へと変わった。
電車がスピードを落とした。
車内に次の駅を告げるアナウンスが流れた。
それを聞いたOLは、ポケットのコントローラに手を伸ばした。
スイッチを切り、席を立った。
途端に、先ほどまで俺の耳に流れていた音楽が止まった。
音とMDの操作が完全に連動している。
開いたドアから先ほどのOLを含む数人が降り、その約半分の乗客が電車になだれ込んできた。
他人が聞いている音が聞こえる。
その事に気付いた時には、既に電車は次の駅へと向かっていた。
そしてもう一つ気がついた。
俺もここで降りるんだってことを。
あれから一週間、色々と試したが次のことが分かった。
①音が聞けるのはヘッドフォンやイヤホンであれば、MD・CD・テープのウォークマンだけでなく、ラジオでもいい。
②有効範囲は半径十メートル以内。この範囲内であれば意識を集中することにより、聞く対象を限定することができる。
③聞こえるのは一つのみ。同時に二人以上が聞いている音は聞こえない。
④この能力を使用している間でも、他の音を聞くことができる。
⑤決して聴覚が優れているわけではなく、あくまでもスピーカーから通した音しか聞こえない。
まあ、こんなところか。
正直、この能力にはビビったが、自分が特別な人間――たとえば超能力者――という自覚は無かった。物を触れずに動かす、なんて能力だったらそう感じたかもしれないが、俺の能力ははっきり言って地味だ。
派手な能力なら、テレビにでも出て大もうけ、って手もあるんだろうが、こんな能力じゃあね。
そんなわけで、こんな特殊能力を持っていても、得することと言えばタダで音楽を聞けるってことだけだ。特殊な能力に気付き、それを狙って裏の組織が俺を狙う。それでもって、派手なアクション混じりの逃走劇が始まる――なんて映画みたいな話にもなる訳がない。
平凡な日常となんら変わりない生活が、これからも続くだろう。
そんな事を考えながら、今朝もタダ無料で音楽を聴いている。
男子高校生が聴くMDは自分で編集して入れたものだろうか、二回曲が替わったが全て別のアーティストだ。
そして次の曲に入って数秒後。
……ズ
ん?
……ズ……ズ……
これは……雑音?
ボーカルが放つシャウト交じりの歌詞の合間に、マイクの表面を引っ掻きでもしたような雑音が混じってきた。最初は気にも留めないくらいだったが、二コーラス目からは文節の合間合間に聞こえるくらいに頻度が高くなった。
おいおい、安物のMDつかってんじゃねえぜ、と思ったが、タダで聴いている自分にそんな突込みを入れる資格は無い。
俺は気取られ無い様にその高校生の様子をうかがった。こんなに雑音が入るんだ。故障かと思ってMDを調べるはずだ。
「?」
だが、その高校生は特に気にする様子も無く、いつの間にやら目を覚まして、取出したコミックを読みながら音楽を聴いている。
MDの調子が悪いのに気付かないくらい読むのに夢中になってるのか?
「……たい?……」
「!?」
聞こえる――ノイズ以外の音が。
「……殺されたい?……」
今度ははっきりと聞き取れた。
歌詞の一部なんかじゃない。今流れている曲のボーカルは男で、聞こえてきたのは女の声だ。
ピッ。
音楽が止まった。スイッチを切るBEEP音に続けて、停車駅を知らせる車内アナウンスが流れる。
あのノイズ混じりの――そして最後に謎の声を残した――MDを聴いていた高校生は、席を立つとドアに向かった。
その途中、立っている俺の横を通りすぎる際に一瞬視線が合った。
別にどうって事無い、普通の高校生だった。
ちょっと来ちゃってて、自分であんな音を入れてる、なんてことはなさそうだ。
だとすればあの音に気がつかなかったのか?
「あ」
ドアが閉まってから気がついた。俺もここで降りるんだった。まるで、最初にこの能力に気付いた時みたいに。
それからしばらくは、この時の事を忘れていた。
そう、あの事件が起こるまでは。
「……おはようございます」
頭まで被った布団越しに、俺の眠った脳細胞を揺り動かす女性のやさしい声。
この声で毎日起こされる俺は幸せモンだ。
もっとも、この声を聞いているのは全国に何万人もいるだろうがな。
「それでは今日最初のニュースです」
目を覚ました俺の視界に、ブラウン管の向うからその声の主が俺を含めた不特定多数の視聴者に語りかける。
まあ、無機質な目覚ましよりは、テレビのオン・タイマーの方がよっぽどましだがな。
Tシャツにトランクスの格好で万年布団から這い出て、かたわらのちゃぶ台の上のコップ&歯磨きセットに手を伸ばす。
コップに手を触れた途端に、ちゃぶ台の上に密集してていた雑誌や空缶が雪崩状に崩れるのはいつものことだ。
「今日未明、……の河川敷で学生服姿の少年の変死体が発見されました」
朝っぱらから嫌な話題をさらっと言うねえ。さすが人気ナンバーワンキャスター。
俺は半ば感心しながら、水はつけずに歯磨き粉だけを歯ブラシにてんこ盛りにして咥えた。
「……持っていた生徒手帳から、少年は近くに住む○○高校の二年生……」
河川敷をバックに、生徒手帳からそのまま抜き出したと思われる写真がブラウン管の半分を占めた。
って、おい――
最初の半秒を過ぎた途端、俺の脳に鮮明に記憶が甦ってきた。
――殺されたい?
声と高校生の顔が被った。
約一週間前。
電車の中、ノイズと不可解が混じった音楽。
それを何事も無いかのように聞く高校生。
すれ違った時の視線は――写真と同じくノーマルだった。
俺は歯磨き粉ごと唾を飲みこんだ。
珍しくスポーツ新聞の夕刊を買った。
本来の目的や風俗情報目当てじゃない。俺は駅のキオスクで買ったそれを、そこから数メートルと離れていないベンチに座って広げた。
数枚めくって止めた。
思った通りだ。ネタに餓えた記者がこんな猟奇事件、見逃すはずがねぇ。
朝のニュースじゃ『変死』とか『暴行を受けた跡』とかしか言わねえが、この手の事件はスポーツ新聞と週刊誌がお得意だ。真偽は別にしてな。
あの事件が結構な紙面を使って掲載されている。
いらん言葉を抜かして俺なりに要約するとこうだ。
この男子高校生は一週間前、そう、あの声が入ったMDを聞いた夜、突然自宅から姿を消した。
成績は普通、陸上部に所属する普通の高校生で、いじめられていた形跡もない。
書置きも何も無かったが、財布だけは無くなってたので両親は家出と判断、警察に届出を出した。
とはいえ、家出の理由に全く心当たりが無く、友人・知人の他、立ち寄りそうな場所を当たったが(記事では『警察が珍しくまじめに』とか書いてあった)、手がかりはゼロ。
煮詰まった矢先に、それは発見された。
堤防沿いの早朝ジョギングを日課としている近くの会社員が、河川敷の雑草が生い茂る中に、黒いモノが埋まっているのが見えた――大の字状で。
その時点で会社員もピンと来たのか、最悪の状況も想定して用心しながら堤防を降りて近づいた。
だが――それはある意味期待以上だった。
大の字状のもの、それは本体ではなく学生服だけだった。
長袖の学生服から除く四肢に、原型をとどめている部分は無かった。
掌はどちら側が上を向いているのかさえ分からない位に押し潰されていた。
足はつま先からかかと方向に圧縮され、骨だけがきれいにもとの状態を保って肉隗から突き出していた。
そして頭部は――
それを見た会社員は、声を上げることも出来ずにその場に尻をついたという。
顔の中心線を頭頂から喉元まできれいに皮膚だけが切断され、それが左右に広がって地べたにへばりついていた。
頭蓋骨は理科室の標本よろしく綺麗に剥いた状態で、その眼窩に虚ろな眼球だけが残っていたという。
俺は新聞を開いたまま硬直していた。
それに気がついたのは、目の前を急行が二回も通り過ぎた後だった。
おいおい、ウソだろ?
っていうか、いくらスポーツ新聞でも書き過ぎじゃないか?
やっとこさ新聞を畳みながら、俺は努めて冷静に考えた。
スポーツ新聞で書かれている凄まじい死に方が限りなくフィクションに近い誇張だとしよう。
それでも、テレビで流していた様に『変死』であり『暴行を受けた』事はまず間違いないだろう。
つまり、自殺ではなく誰かに殺された、だ。
誰かに――
――殺されたい?
殺したのか、声の主が?
殺されたかったのか、あの高校生は?
だからあの声が入った音楽を聞いていたのか?
しかし、聞こえていた様子は無かった。
じゃあ、俺だけが聞こえていたのか?
だったら、なんで俺は死なずに、あの高校生が死ぬんだ?
あ~、訳がわからない。
やはり空耳か。でなければ辻褄が合わない。あの高校生が殺されたのは何かの猟奇事件に巻き込まれたせいで、俺が聞こえたと感じたあの声は間違い。
そうだ、きっとそうだ。
第一、俺一人が気にして何になる。
目の前を各駅停車の電車が止まった。
夏だといっても、いつまでもここにいたら日が落ちてしまう。
席を立って、最後に降りる乗客とすれ違う様に乗り込む。
――殺されたい?――
「!?」
俺は思わず足を止めた。ドア近くなものだから、続いて乗りこんで来たスーツの会社員が、以下にも邪魔だという表情を俺に向けるのにそう時間はかからなかった。
慌てて奥に進みながらも、俺の視線は車内をさまよった。
この中だ。
この中に、あの声を聞いている奴がいる。
席は全部埋まっている。立っているのはこの車内で十人程度。俺を入れて。
ヘッドフォンをしているのは――
席に座っているのが七人。男四人、女三人。
立っている奴では、男二人。
一番近い立っている二人をサーチ。
頭がさびしくなったスーツ姿のおっさん。こいつは音楽ではなく短波ラジオで株価情報を聞いている。ノイズは無し。
茶髪のにーちゃん。ラップでも聞いてそうな雰囲気だが、意外なことにクラシック。曲名は分からないが、そんな俺にでも心に来る重厚な響きだ。いい趣味してるねえ。
そんな事はどうでもいい。とにかく、このにーちゃんもノイズは無し。
立っている二人はクリア。
じゃあ、残りは座っている七人か。
にしても、二人調べるだけでも疲れる。さっきは別に意識を集中しなくても急に鼓膜に飛び込んできたくせに。
まずは俺の前のシートに座っている男二人、女一人。
共に大学生風の男二人は、まるで申し合わせたかのように同じ女性シンガーのベストアルバムを聞いている。ノイズは無し。
茶髪のヤンママ風、というか二歳くらいの女の子を抱えたもろヤンママが、親子仲良くうつらうつらしている。聞いているのは……デスメタルってやつか。これ自体俺には半分ノイズだが――あの声は無し。
なんだよ、さっきのは本当に空耳か? それとも、耳よりも頭のほうがどうかしちまったのか?
焦りで額に汗が浮かぶ。
――殺されたい?
聞こえた。
背中を、額のとは異質の汗が流れた。
その声を感じた方向に視線を向ける。
女子高生だ。
眼鏡をかけたストレートのロングヘアー。それに加えて、ヘッドフォンをしながら手にしてるのは英会話のテキスト。
いかにも『マジメ女子高生』『生徒会長か委員長』って感じで澄ましている。
だが、それは表向きだろうな。
手にしたテキストから英語のMDでも聞いているかと思えば、聞いているのは人気のあるアニメのヒットソング集。まあ、最近は普通のアーティストの曲がアニメのオープニングに使われたりするから垣根なんてないだろうがな。むしろ、あまり有名じゃないのがアニメの主題歌に採用されてメジャーになる、ってパターンも多いらしい。
何て事言ってる場合じゃねぇ。
その曲の合間合間に聞こえるのは、間違い無くあの『女の声』だ。しかも――
「……殺されたい? そう、殺されたいのよね。でも、どうせ殺されるなら、普通の死に方じゃつまらないんじゃない? そう、例えばこんなのどう? あなたは実は某国の凄腕エージェントで、暗殺者に命を狙われてるの。どう、スリリングじゃない? どうせ死ぬなら最後に派手に行くのもいいんじゃない? それとも……」
曲の合間にしか聞こえていなかったそれは、今では完全にヘッドフォンから流れる音の全てを支配していた。
それでも、それを聞いているはずの女子高生に変わった様子は見られない。
俺にしか聞こえないのか。
じゃあ、この前死んだあの高校生はどうなる?
『次は……』
制動をかけ始めた車内にアナウンスが流れる。それを聞いたあの女子高生が、テキストをカバンに入れた。
ここで降りる気だ。
俺は後をつける事にした。途中下車になるがな。
尾行して五分も過ぎてから気がついた。
尾行して、その後はどうすりゃいい?
まさか正直に『変な声聞こえませんか?』って聞くわけにもいかねえし。
女子高生は駅を出ると、そのまま商店街方向に向かって足を進めた。
くっそう、どうすりゃいいんだ。
俺は煮詰まりながらも、ふとある事に気がついた。
商店街を歩くあの女子高生。それを尾行する俺。その距離約二十メートル。
その中間地点に、さっきからいる奴。
身長は俺より少し低いだろうから一六〇ってところか。丸い銀縁の眼鏡をかけたスーツ姿の男。この真夏にビシっとダークグレーのスーツ上下にブルー系のネクタイを締めて見ているこっちが暑くなってくる。
年の頃二十代後半から三十代ってところか。
その男は明らかに女子高生の後をつけていた。
しかし、素人の俺が言うのもなんだが、いかにも『尾行してます』って感じだ。俺のように何食わぬ顔で少し離れていれば、この人通りの多い商店街では目立つことも無いのに、少し歩いては店の立て看板や自販機の陰に隠れてコソコソと前方の様子を窺っている。
なんだあ、ありゃあ?
いわゆる『ストーカー』って奴か? そんな風に見えなくもないが。
それとも――
――殺されたい?
あの声は女だったが、そいつの仲間かも知れない。それにしては素人臭いが。
しばらく様子見か、と考えた矢先に、女子高生は商店街を抜ける直前で路地裏に向かう脇道に入った。
スーツの男も脇道の角に立って向うの様子を窺っている。
すると、急に驚いた表情をして慌てて脇道に入って行った。
続けて俺も駆け出す。
角の所で深呼吸をした。何があっても、何かがあっても大丈夫な様に。
三、二、一……
心で三つ数えてから脇道に入った。
「へっ?……」
感情が口に出た。
二つの雑居ビルに挟まれたその脇道は、軽自動車でも通るのがやっとの幅しかなかった。そして、その先には路地裏へと続いているはず――だったが、途中をビール箱とゴミバケツが行く手を塞いでいた。
半分行き止まりだ。
山積みのビール箱はともかく、ゴミバケツならばそれを乗り越えて向うに行けなくは無い。が、近寄って調べたが、動かしたり、その上に乗った後も無い。ビール箱の向うに続く道を見ても人っ子一人居ない。
見失った――いや、消えた?
確かにこの道で間違い無いはずだ。それに、もう一人尾行していたあの男もこの道に入っていったじゃねえか。
まるで神隠しにでも遭ったように。
最初は女子高生、次は尾行していた男。
その次は――
俺は震える足で後ずさりした。動く度に膝がガクガクしやがる。
三歩進んで、いや後退して振り向こうとした。
「残念でした」
「!?」
体が固まった。男の声だ。
ゆっくりと振り向いた俺の目の前には、あのスーツの男が居た。
「一足遅れでしたね」
半分にやけながら、まるで時間制限の特売品の最後の一つを取り逃した時の店員のような口調でさらりと言った。
「……あんたがやったのか?」
「いえ」
「一足遅かった、って言ったじゃねえか」
「ええ、彼女を助けるのに一足遅かった、ってね……私が」
「あの声の仲間じゃねえのか?」
「へえ……聞こえるんですか」
「あんたも聞こえたから……あのコのMDから別の声が聞こえたから後をつけたんだろう? 違うか?」
「残念ながら、私には聞こえません。ただ、感じたのでね。あなたが普通と違うことに」
「お、俺が?」
「ええ。他人がヘッドフォンで聴いている音が聞こえる。面白い能力です。それだけだと思ったんですが、今日のあなたはいつもと違っていた。何か別の目的があるかのように車内でヘッドフォンをしている人をチェックし始めた」
こいつ、車内に居たっけ?
俺の考えをよそに、男は左手で右肘を支え、右手の人差し指で顎を指すようなポーズを取った。まるでどっかの彫刻だ。
「で、血相を変えてあの女子高生の後を追い始めた」
「なぜ、俺の後じゃなくて前に出た?」
「危険だと感じたのでね。直感ですが。女子高生に何かあった場合、続けてあなたも巻き込まれる可能性がある、とね。ま、その直感はビンゴでしたが」
「俺を助けたって事か?」
「まあ、そうなりますね。そういう面白い能力をこの世から埋もれさせるのは面白くないですから」
「で、あのコはどこに行った? まさか、あんたが……」
「別に私がやったわけじゃありません。彼女は呑み込まれてしまった。助けるには一足遅かった」
「呑み込まれる?」
「説明しても理解できないでしょうから訊かないで下さい。その代わり、あなたは呑み込まれずに済んだのだから」
「あんたは何故大丈夫なんだ? そういや、いつの間に俺の後ろに……」
「それも説明しません。世の中には知らないほうが幸せなこともありますから」
男が意味有り気に口を歪めた。笑っている様にも威嚇している様にも見えた。
背筋を悪寒が走った。
俺は一気に突っ走った。男の横をすり抜ける時には何かが来るのも覚悟したが、幸い何も無かった――この一言を除いては。
「いずれお会いしましょう」
知らないほうが幸せなこともある、か。
じゃあ、中途半端に知ってる俺はどうなるんだ。
あれから三日後。
またニュースに出た。
今度のも不可解極まりない。
昨日の夕方、つまりは女子高生が消えてから二日後のこと。
今は使用されていない廃病院から、数発の銃声が聞こえた。
住宅地からさほど離れていないこともあり、銃声を聞いた住人の通報が警察に届くのにそう時間はかからなかった。
現場に駆けつけた警察官は、元集中治療室だったところでそれを発見した。
血まみれで死んでいる女子高生を。その血の量はかつてこの部屋で行われていた手術で流れた量よりも多かったという。
もちろん、あの電車に乗っていた眼鏡をかけた女子高生だ。
予想通り、学校では生徒会の副会長を務めており、成績は上から数えて数番目、それでいて決して生真面目のガリ勉ではないため、生徒や先生からの信望も厚かったという。
ま、アニメファンだってのは一部の友人しか知らなかったらしいがな。
家庭環境も悪くなく、両親と弟の四人家族で家庭内でもなんら問題は無かった。
そう、極普通の家庭だ。
だから余計に死因が不可解だった。
死因は――体に無数に穿たれた銃創による出血多量。
発見された時、女子高生はボディアーマーにBDUパンツ、コンバットブーツ――生前、身に着けるどころか全く縁の無かったような格好で発見された。
そして、右手には弾を撃ち尽くした自動拳銃が握られていたという。
まるで女コマンドーの壮絶な最後といった形で。
ボディアーマーのような格好は、都心でサープライスショップにでも行けば手に入る。が、本物の銃が手に入るルートは日本では限られている。もちろん、違法しかないからだ。
彼女の家族・親戚に暴力団関係者は存在せず、彼女の友人・知人、さらに知人の知人まで範囲を広げてもそのような人物はいない。
いや、例えいたとしてもこの銃を手に入れることが出来るのか。
彼女が手にしていたのは、南アフリカのベクター・モデルCP1という自動拳銃だった。通常、暴力団関係者で出まわるのは旧ソ連経由のトカレフ系列の銃が多い。後は銃大国アメリカのベレッタなどだ。が、このような最新式の銃が日本の裏ルートで出まわったためしは無い。
不可解な点はまだ残っていた。
彼女が死んだのは無数の銃創、それも複数の銃弾によるものだった。
拳銃に多く使われる9ミリ弾だけでなく、日本では狩猟で使われる散弾、さらには自衛隊を含む世界各国の軍隊で使用されている5・56ミリのライフル弾。
それだけでも日本ではありえないことだが、さらにはそれらの薬莢が現場に一つも落ちていないということだ。
正確には、彼女が持っていた拳銃の薬莢は落ちていた。しかし、それも住民が聞いたのと同じ数発分しか残っていなかった。
状況からすると、現場となった廃病院で激しい銃撃戦があったはずなのに、彼女以外の痕跡は無し。
警察も背後関係を含めて懸命に捜査を進めているが――
俺はパソコンにこれまで得たデータをテキストファイルで整理した。新聞・雑誌・テレビだけでなく、インターネットで出まわってた信憑性の疑わしいものも含めて、だ。
二回続けて起きた変死事件。
それに共通するもの――あの声。
――殺されたい?
俺にしか聞こえない声。
だからといって、俺に何ができる?
聞こえる度に、そいつのところへ行って注意するのか? 変人扱いされるの覚悟で? 第一、俺にしか聞こえないんだぜ、どうやって説明すりゃいい?
「あ~、くそっ!!」
俺は当てつけるようにダブルクリックしてウィンドウを閉じた。
ガリガリガリ……とハードディスクの耳障りな音が流れる。
良く考えたら、俺が気にする義理なんてないじゃねえか。別に俺があんな事件を起こしてるわけじゃないし。
それに、俺が動いたってどうなるものでもないし。
そうそう、この件は俺には無関係。あの声だって聞かないようにすればいいし、聞こえたって無視すりゃいいんだ、空耳だと思って。
俺は座椅子の背もたれに持たれかかって伸びをした。
コンコン。
「ユキ~、はいんぞっ」
「えっ、わあっ!?」
いきなりの侵入者に、俺はバランスを崩して仰向けに畳に倒れこんだ。
「……ユキ、何してんの?」
「……驚いて倒れたの」
仰向けの俺の視界に、上下逆さまの状態で覗き込む顔。
天パの入った茶髪ショートヘアが揺れる――俺の幼馴染、和久井かなめだ。
まあ、顔を見なくても分かるがな。いくらアパートの大家の娘とはいえ、ノックと同時に確認もせずに開けたり、俺の事を『ユキ』なんて女みたいに呼ぶのはこいつくらいしかいない。
「おまえなあ、ノックぐらいしろよ」
俺が起きあがると、かなめはパンツルックのスタイルであぐらをかく。
「したじゃん、聞こえたでしょう?」
「ノックするだけじゃなくて、ちゃんと確認しろっての」
「まあまあ、いいじゃん」
俺は深いため息をついた。
客観的に見ると、かなめは結構美形の域に入るかもしれない。それを言ったらうぬぼれるから言わないが、スポーティな感じにくらっと来る野郎も結構いるはずだ。
しかし、よりによってアパートの大家の娘が、五年ぶりに会う幼馴染とはな。大学で学生向けの下宿やアパートを紹介してもらった時、値段の割には結構安くて競争率が高かったこのアパートに入れたのは幸運といえよう――こいつが居なければ。
男と女の幼馴染、っていえばコミックみたいで聞こえがいいが、現実はそんないいもんじゃねえ。俺は小さい頃、こいつにさんざんいじめられた覚えがある。
「な~に~、ユキってば昼間からインターネット? エロエロサイトみて興奮してんじゃないの、このオタク」
「あほ」
「じゃあさ、何見てたのよ?」
「なんでもいいだろう」
「ふ~ん……ま、いいけどさ」
「それより、かな、何しに来た?」
「そうそう、ちょぴっとお願い事があってねぇ」
やな予感がする。
「お、俺、今日忙しいから」
「何言ってるのよ、世界一ヒマな日本の大学生してるくせに」
「講義があるんだよ、講義が」
「見え透いたウソつかない。今日はユキの学科、講義は午前中だけでしょう? もうお昼よ」
「……何でお前が知ってるんだよ」
「そんなもん、大学と提携しているアパートの大家なら情報くらい入るわよ」
「そ、そんな事より、お前は講義無いのかよ」
「私はちゃんと行ったよ。今日は午前だけ。あんたと違って、理系のガッコは厳しいんだから」
「でも……」
「デモもストも無いでしょう。何、逆らう気? あら、そう言えば先月の家賃、払ってない人が居たわよね~。うちも家計厳しいから、そういう人には出てってもらおうかなぁ?」
「こ、こいつ、人の足元見やがって……」
「あら、反抗的な目ねぇ……」
やおら立ち上がって指をポキポキ鳴らし……うわっ、首までパキって鳴らしやがる。
「わ、わかった、で、何だよ」
「あら~ん、素直ねぇ」
こいつには小さい頃から泣かされた。小学生くらいになって、俺のほうが体格がでかくなって形勢逆転と思い始めたら、こいつ、空手なんか始めやがった。それがまた強いらしく、県大会で準優勝とかしたらしい。
このままじゃ永遠に不利な立場じゃねえか。
「でぇ、今日のお願いって言うのは……」
「かなの奴、おせえな」
俺は携帯電話のディスプレイを見た。
三時十五分。
おいおい、向うから約束しておいて、もう十五分も経ってるじゃねえか。
俺は改札近くの柱に寄りかかった。
かなの『お願い』ってのは何てことはない、『買い物に付き合え』だった。
要は『荷物持ち』だが、かななら並の男より荷物持てそうだが、それを口にしたら半殺しだ。
そのまま普通に買い物に付き合わされるのかと思ったら、そうじゃなかった。別の用事で先に出るから、三時に駅の改札で待ち合わせ、そこから買い物に行くとかいうスケジュールだ。
まあ、あいつは俺と違って活発だからな。付き合いも多いだろうし、彼氏が居るかどうかは聞いてないが多分――
ピリリリリ。
携帯の着信音だ。
取ろうと思ったら、一コールで切れた。ディスプレイを見たらメールが一件入っていた。
『ごめーん。遅くなるから時間四時に変更して。byかなめ』
あいつめ……時間過ぎてからメールをいれるなっての。
しょうがねえ、適当にぶらついて時間を潰すか。
「……っと」
背中越しに聞こえる『駆け込み乗車は危険です』のアナウンスに心の中で謝りながら、俺は閉じかけた電車のドアに滑り込んだ。
何とか間に合いそうだ。
新しい待ち合わせの時刻まで四十分以上あるからと、定期券を利用して移動したのが良くなかった。
本屋やゲーセンを巡って気がついたら後十分しかない。
で、焦って飛び乗ったのが、待ち合わせの駅にジャスト四時に着くこの電車というわけだ。
運動不足で息切れするのを落ちつけてからつり革につかまる。
何気なく左に向けた視線に、昼に見た顔が飛びこんできた。
かなめだ。
七人掛けのシートを挟んだもう一つのドアのところで、手すりを握りウォークマンを聴きながら外を眺めている。
何だ、本当に時間ぎりぎりに来るつもりだったのか。
まあ、これで奴のサンドバッグにならずに済む。
――殺されたい?
何……!?
――殺されたいんでしょう?
やっぱり聞こえる。聞くつもりが無いのに、ヘッドフォンの盗み聴きなんてしてないのに、先にこの声が聞こえる。
遅れて、音楽が聞こえてきた。
ジャニーズ系の女の子には人気がある六人組のグループの曲だ。その明るい声をバックに、あの女の声が聞こえる。
誰のヘッドフォンからだ?
俺はもはや覚悟を決めた。どうせ聞こえるんだったら、それを聞いている人物の顔だけ拝んでおこうとした。殺されるのを止めることは出来ないが、代わりにテレビの前で黙祷ぐらいはできる。逆にいえば、それしか俺には出来ない。
だが――
車内を見渡したが、シートは満席、つり革も殆ど空きが無いくらいの乗車率だというのに、俺が盗み聴き出来る半径約十メートル以内にヘッドフォンをした奴がいない。
一人を除いては。
かなめを除いては。
額に嫌な汗が浮き出る。
意識を集中する。
目を閉じ、音と声が聞こえる方向を探る。
ここだ。
その方向に顔を向け、ゆっくりと目を開ける。
「なあんだ、駅で待ってるかと思ったのに」
「どわっ!?」
目の前に、いつの間にかかなめが立っていた。
「何、そんなにびっくりしなくてもいいじゃない」
「お、お前、向うに居たんじゃ……」
「あ~、いるのに気付いたんだったら、声かけてくれてもいいじゃない」
音楽とあの声がまだバックに流れている。かなめはヘッドフォンをしたままだ。
――死にたいのね? じゃあ、こんな死に方はどうかしら。あなたは剣と魔法が支配する世界に住んでいる、王国のお姫様。在る日、世界を股に駆ける盗賊団がお忍びで町にでた姫をさらって王国に身代金を要求するの。王は秘密裏に救出するために――
「ユキ、どうしたの?」
「えっ?」
声の内容に聞き入っていた俺を、ユキが現実に呼び戻した。
「なんかぼ~っとしてたけど」
「何でもないって。それより……」
「ん?」
「そのMD、新品か?」
「ああ、これ? いいでしょ、バイト代はたいて買い換えたの」
「そっか。その……調子が悪いってことねえか? その、例えば、ノイズが入るとか、変な声が聞こえるとか?」
「ええ、何それ? 新品だって言ったでしょう? 音質もクリアで電池ももつし、性能抜群よ」
「そ、そうか……」
やっぱり、あの声は俺にしか聞こえない。
――密命を受けた戦士は、実は姫に恋焦がれていてね。身を呈して姫を助け様とするの。でも重傷を負って絶体絶命のところを、やはり戦士の事を気にかけていた姫がかばって命を落としてしまうの。息を引き取る間際に、姫はその戦士と互いの気持ちを確かめ合うの。どう、いい話だと思わない?
「……思うわけねえだろ」
「えっ、ユキ、何? 急に黙ったと思ったら、ぼそっと独り言言うし。変ねぇ」
「な、何でもねえよ。ほら、駅についたぜ。買い物行くんだろ?」
「あ、待ちなさいよ~」
しかし、俺はかなめの買い物に付き合わされている間、ほとんど上の空だった。
あの声が聞こえる。かなめのMDから。
だとすると、かなめもあの二人と同じように殺されるのか?
「あ、ユキ、ちょっと待ってて」
「え、ど、どこへ」
「もう、女の子にそゆこときかないっ」
デパートの中、我に帰った俺に、かなめが荷物を預けてどこかに行った。
待てよ……そのまま消えちまうなんて事は……
「別に心配しなくてもいいですよ……今のところはね」
「!?」
俺の背後に、あいつが立っていた。
この前あったのと同じように、ダークグレーのスーツをぴっちりと着こんでいた。ネクタイは前と違ってチェックの入った薄いグレー。
そして、僅かににやけた口元。
「いつの間に……」
「駅で待ち合わせをしていたところから。なかなか可愛いコですね、彼女ですか?」
「ち、違う、ただの幼馴染だ」
「ふぅん。まあ、いいでしょう。まだしばらくは、彼女が呑み込まれることはありません」
「呑み込まれるって、どう言うことだ?」
「呑み込まれてみればわかるかと思いますよ」
「教えろ、かなは殺されちまうのか!?」
「お静かに……公衆の面前ですよ。その手も離してもらえますか」
興奮した俺は男の襟を掴んでいた。デパートに設けられた休息所で掴みかかれば、確かに何事かと騒がれる。
「……助かる方法は?」
「正直、分かりません」
「……」
「ですが、可能性はまだあります」
「!? 本当か、それは?」
「あなたも呑み込まれることです。彼女と一緒にね」
男が前とったのと同じポーズをした。左手で右肘を支え、右手の人差し指を顎に添える仕草を。
「とにかく、彼女から眼を離さないことですね。そうすれば、一緒に呑み込まれる可能性は高い」
「ちょっと待てよ、呑み込まれるってのはどういうことなんだ? それがわからないと……」
「文字通りの意味ですよ。体験すれば分かります。おや、彼女が戻ってきた様ですね」
「えっ!?」
男が俺の後方に眼をやったので、振り帰ってみたが……そこには誰もいない。
「てめっ……!?」
振り返った視界の先に、男の姿は無かった。
「どうしたのよ、ユキ、ぼ~っとしちゃって」
「いや、別に」
「何かあったの?」
「いや、別に」
「……ご飯とパン、どっちが好き?」
「いや、別に」
「こら、ユキっ!!」
「いや、別に……って、こら何だその振り上げた拳は?」
ついでにその拳、中指だけ折り曲げた部分を突き出している。こら、こんな歩道の真中で俺をボコにする気か。
「あんた、私の話、上の空で聞いてたでしょう」
「す、すまねえ」
「ねえ、どうしたのよ?」
「いや、別に」
「それじゃさっきと同じでしょ」
かといって、俺が考え事していた内容を言えるわけがねえ。
ノイズ。
女の声。
――殺されたい?
変死した二人の高校生。
謎の男。
呑み込まれる――
「ユキ、本当に大丈夫?」
かなめが俺の顔を覗き込む。
眼が――本当に真剣だ。
そういや、こいつの眼をこんなに間近に見るなんて、何年ぶりだ?
「すまない。本当に、大丈夫だから」
「そう……」
眼が曇った様に映った。
「まあ、男だし、女の私に言えないような悩みあるのかも知れないけど、さ」
「……」
「それでも、私には……言って欲しいな」
「かな……」
「ま、今すぐでなくてもいいからさ」
「すまねえな」
「あ、まさか私に隠してるってことは、その歳でいじめに遭ってるんじゃないでしょうね? だったら私にいいなさいよ、私がサンドバッグにしてやるからさ、昔の様に」
「かな……お前なぁ、いつの話だよ」
「あはははは……」
かなめは俺に荷物を全部渡すと、さっさと走って行った。
「ほら、いじめられっ子のユキちゃん、鍛えてやるから走ってついて来なさいよっ」
「こら、かなっ!!」
俺は両手一杯の荷物を落とさない様に後を追った。
それでも、大して嫌な感じはしなかった。
「ユキ、近道するよ、こっちこっち」
かなめは駅と俺のアパートかつ大家の直線距離上にある路地裏に入っていった。
俺も慌てて後を追った。ここらへん、治安が悪いんだよな。まあ、かなめなら返り討ちにしそうだが――
そう気楽に角を曲がった俺が馬鹿だった。
「なに……これ……」
「!?」
両側を店舗で挟まれた細い道。
その真中の空間に、縦に亀裂が入っていた。
かなめの目前、頂点がちょうどかなめと同じ高さのそれは、黒い縦長の染みのようにも見えた。
かなめがそいつにおそるおそる手を伸ばした。
――呑み込まれる
男の言葉が脳裏をよぎった時、俺は荷物を捨ててかなめに駆け寄った。
「ユキ!?」
かなめが振り返った瞬間、目の前の亀裂が面積を増した。
亀裂、というより霧状の黒いそれがかなめを覆い尽くそうとした。
それがかなめの全身を覆う直前に、俺の両手がその表面に触れた。
こいつを引っぺがせば……
何!?
既にかなめの全身を覆った染みの一部が、触手のように伸びたかと思うと今度は俺の体を覆いはじめた。
「ちっ……」
出そうとした声が、口の中にまで入ってきた霧に塞がれた。
いや、口だけじゃない。目に、鼻に、口に、耳に、全身の毛穴に、それこそありとあらゆる個所からそいつが染みこんでくるのが分かる。
こ、こいつは……
俺達を呑み込んでいる?
不快感と悪寒が俺の全身を這い回り――記憶が途切れた。
背中がごつごつする。
体が重い。
起きなければ――何のために?
――ユキ
「!?」
かなめの声が聞こえた気がして、俺は跳び起きた。
何だここは?
背中のごつごつした感触は、石畳だった。いや、壁も石を積んで造られており、天井より少し下がったところを等間隔で松明が掲げられている。
どうやら、俺は石造りの廊下の真中に寝そべっていたらしかった。
あの黒い霧に呑み込まれた後、どうやってこんなところまで移動させられたのか分からないが、どっかにかなめも居るはずだ。
――可能性はまだあります
あの男の言ったことが繋がってきた。
とにかく、かなめを探しに――
「なっ!?」
俺は起きあがろうとして、自分の体が異様に重い理由が理解できた。いつの間にやら、服の上にがしゃがしゃ音を立てる薄い鉄で出来たものと、左の腰にぶら下がる長い物。
鎧と長剣。
これは――まるでRPGゲームの戦士じゃねえか。
何だってこんなものが――
――剣と魔法の世界
――さらわれた王国の姫
――密命を受けた戦士
かなめのMDから聞こえた女の声の作るイメージ。
そして、その前に聞いた、女子高生のMDに入っていた声。
――某国のエージェント
――暗殺者に命を狙われる
女子高生は、着た事も無いボディアーマーに身を包み、触ったことも無い最新式の拳銃を握り、体中に無数の弾痕を穿たれて死んだ。
そうか……あの声が、あの声が聴いた者の死に方を表していたのだ。
ちょっと待て、かなめが聴いていたMDの声は……
――姫様が戦士をかばって死ぬ
あいつが姫様ってタマか――何て言ってる場合かよ。
俺はがしゃがしゃうるさい鎧を脱ぎ捨てて、役に立ちそうな剣だけを持って走り出した。
「こら~、かなっ、行くまで死ぬんじゃねえぞっ!!」
走って三分もしないうちに行き止まりにぶち当たった。目の前には木製の観音開きの扉が在る。いかにもって感じの。
何かあっけないな。途中でそれこそモンスターでも出るかと思ったが。
正直、あんな変な黒い霧に包まれた時から、何があっても信じる気になったからな。
どれ、扉を開けて――
扉についている仰々しい細工が施されたリングを引こうと手を伸ばした途端、扉が中から勢い良く開いた。
「なっ!?」
「ぐはっ!?」
開いた扉の奥から飛び出して来たのは、皮鎧に身をまとった男だった。まんまファンタジーに出てくる盗賊といった感じの。
「ほらぁ、こっちは素手よ。さっきの勢いはどうしたの、このコスプレオタク」
この勢いのいいタンカを切るのは、かなめ、だな。
「おい、かな……」
「あ、ユキ、ちょっとこの変態達はったおすの手伝ってくれる?」
二十メートル四方はありそうな部屋の中、さっきのと同じような盗賊団の男達が数人、かなめを取り囲んでいた。
で、かなめの方はというと、ふりふりドレスのお姫様の格好、だったのだろうが、立ちまわりをしてるうちになったのか自分でそうしたのか、スカートの横を裂いて動かしやすくしていた。ま、多分後者だな。
「黒い催涙ガスで眠らせたかと思ったら、こんなところに連れこんでこんな格好させて。何プレイって言うの、これ? 自分達まで変な格好してさぁ。全員まとめて警察に突き出してやるから、かかって来なさい!!」
何か変に勘違いしてるようだが、そのほうが都合がいい。しかし、剣やナイフ持った相手にここまでタンカ切るとはかなめらしいというのか何というのか。
その声に呼応するかのように、男達がかなめに向かう――半数を除いて。
「お、俺?」
残りの奴等、俺に向かってきやがった!!
俺は長剣を青眼に構えた――が、剣の心得なんてあるわけがねぇ。
先頭の奴が湾曲した剣を上段から振りかぶった。何とかそれを剣で払いのけたが、別の奴がナイフを振りかぶって来た。
こいつら、本気だ。このままじゃ、俺のほうがやられちまう。
こんなところで死んでたまるか。
俺はこいつらを相手にせずに、かなめの方に駆け寄った。
「かな、逃げるぞ」
「なんでよぉ、あとちょっとで警察から表彰モノなのに~」
こいつ、どういう神経してやがる、と思ったら、本当に自分切りかかってきた奴等全員を倒してやがる。地面にうつ伏せになってる奴等、死んじゃあいねえだろうがすげぇ痛そうだ。
「ユキ、どいて!!」
「え?」
俺が答えるより早く、残りの盗賊達に切りこんで行くかなめ。その強いことといったら半端じゃない。剣を持った相手に、攻撃する隙も与えずに懐に入って鳩尾や金的に加減無しに突きや蹴りを叩き込む。
「ふ~っ……」
両手で構えを解きながら呼吸を整えるかなめ。こりゃ、県大会どころか、世界大会でも出れるぞ。
感心してかなめを見つめる俺の視界の端に、黒い影が起きあがった。
倒れていた盗賊に一人が、両手に何か構えた。
それがクロスボウだと認識した瞬間、俺の足と声がかなめに向かった。
「かな、あぶねえっ!!」
「え!?」
びゅん、と空気が唸る音。
そして、俺は背中に熱いものを感じた。痛みは後からやってきた。
「ユキ、しっかり!!」
「う……」
倒れる俺を膝枕で支えるかなめ。
――傷ついた戦士をかばって命を落とす姫
薄れ行きそうな俺の意識を、あの時の声が目覚めさせた。
そうか、姫=かなめってだけでなく、戦士=俺かよ。
「かな、に、逃げろ」
「何言ってるのよ、すぐ病院につれていってあげるから、しっかりしなさい!!」
本当に逃げろよ、このままじゃお前が死んで――
「やっと辿りつきましたよ」
「え?」
「!?」
声と共に、さっきのクロスボウの男が倒れた。良く見ると、その手には次の矢が。かなめを狙うつもりだったのだろう。そして声の主は――
「また会いましたね、幸雄君」
倒れた男の後ろに、あのスーツの男が立っていた。
「あんた……良くここに……」
「『来れたな』って言いたいんでしょう。傷が深いんですから、しゃべらないことです、私の仕事が終わるまでは」
「ちょっと、何よあんた? こいつらの仲間……ってことは無いみたいだけど」
「そうですねえ、詳しくは面倒くさいので省きますが、彼等の親玉、いや、彼等とこの世界を創造した方をちょいと懲らしめに来たんですよ」
「その、親玉とやらが……前の二人も殺したのか?」
「正解。一度や二度なら無数の相の一つとして捉えたのですが……調子に乗りすぎたのでね。他の相に影響が出る前に手を打ちます」
「何を訳のわかんないこと話してるのよ、このおっさん?」
「おっさん、はないでしょう? まあ、あなた達はそこで見物してなさい」
男は振り返ると、部屋の奥に移動した。そして、俺達に見えない誰かに語り始めた。
「さあ、あなたは終りです。あなたの夢の世界は、あなただけの世界でクローズしてください。自分で創造した世界が、自分は体験できない。その空しさを紛らわすために、普通の人間には聞こえないあの声で呼び寄せて、この創造した世界に呑み込ませる」
男が、左手で右肘をささえ、右手の人差し指を顎に添えた。
「楽しい。実に楽しい。ですが――他の相に干渉しすぎた。度が過ぎれば世界の破滅です。それを防ぐのが私の役目。さあ、姿をあらわしなさい」
その声に応える様に、黒い霧が男の背後に現れた。そして、男を包み込もうと――
「ぎゃっ!?」
「ほうら、捕まえた」
男はやおら振り向いて右手を霧に突っ込んだ。すると、霧のなかから呻き声が聞こえ、霧が徐々に何かの形に成っていった。
足をばたつかせ、自分の頭を掴む男の右手を払いのけようとするその姿は――人間の胎児であった。
「可哀想に……ずっとこの姿で精神だけ成長したために、こんな事を起こした、というわけですか。ですが……同情はできません」
「ちょっと、その子を殺す気? その赤ちゃんが、こいつらの親玉っていうか何ていうか……ああ、もう訳わかんない、説明してよ!!」
男がかなめに、いや俺にも聞かせる様に言った。
「君達の体験は、世の中にある無限に近い奇妙な出来事のほんの断片に過ぎない。それを全て知り、理解するのには時間が無限に必要だ。大切なことは、自分の生きている範囲でどれだけ有意義に生きるかだ――君たちの世界での言い方なら」
男が胎児に向き直った。
男の袖口から鈍く光るものが二本伸びてきた。
それが巨大なハサミだと俺達が気付いた時、開いた刃の間にはあの胎児の首があった。
「さあ、夢の続きは別の世界で見なさい」
刃が閉じた。
「……ここは?」
刃が閉じた瞬間、俺の視界は闇に包まれた。創造者が消えたからか?
しばらくして視界に光が入って来た時、最初に目に付いたのは夕焼けに染まるあの路地裏だった。
「う……ん」
横でかなめが眼を覚ました。二人とも、買い物に出掛けた時の格好に戻っていた。荷物も元のままだ。
二人して地べたに座っているのも何なので、とりあえず立ちあがった。
「ユキさ……」
「え?」
先に口を開いたのはかなめだった。
「ユキの悩みって、さっきの事に関係してたんだ」
「ああ、まあな」
「じゃあ、これ以上訊かないでおくから。確かに、あんな事、誰にも話せないしね」
「さんきゅ」
「あ、そうそう、後で渡そうと思ってたけど、今にしとくね」
「へ?」
おもむろに買い物袋をごそごそやって、俺の手にラッピングされた箱を乗せる。
「これ……」
「誕生日プレゼント。今日、誕生日でしょう?」
「良く覚えてたな」
「あんたと違ってね」
「ありがと……」
「おっと、お礼言われる前に、もう一つ追加」
「えっ?」
かなめの口が、俺の口を塞いだ。
「か、かな……」
「勘違いしないでよ、さっき助けてくれたじゃない。命の恩人だしね。特別臨時サービス。のぼせ上がるんじゃないわよ」
「特別臨時サービスねえ……」
「あらぁ、不服?」
「こら、指を鳴らすな、指を」
「へへ~、冗談よぉ。でもね」
「ん?」
「カッコ良かったぞ」
「……はいはい。行くぞ」
「ああ、待ちなさいよぉ」
先に道を行く俺の顔が赤かったのは間違い無い。夕日のせいか別の原因かは――言わないけどな。
終
2001年度の応募ですので、MDなど古い表記が登場しますがご容赦ください。この後2回電撃hp短編賞に応募したのですが、一番自分的には納得のいかなかったこの作品が2次選考を通過(残りは予選落ち)とは、分からないものですね。