【7.子ができた】
気づいたらイベリナ妃は王立公園の東屋に横になっていた。
すぐ横にはヴォルカーが腰かけて、心配そうにイベリナ妃を覗き込んでいた。
「ごめんね、溺れると思った? 言うの忘れてました」
ヴォルカーは申し訳なさそうに謝った。
イベリナ妃は飛び起きると、すっとヴォルカーの手を取った。
「ううん、驚いただけ。それより、ありがとう、あなたのおかげで女神ズワンにお願いできたわ。これで私の人生が動き出す気がする」
ヴォルカーは無防備に手に触れられたので少し頬を赤らめて、慌てて手を引っ込めた。そして、
「お力になれて光栄ですよ」
と少し背筋を伸ばしてカッコつけて言った。
そのときイベリナ妃ははっとした。
「あ、時間大丈夫かしら、もう公園、私限定の時間過ぎてるかも」
「あ、そうかもしれませんね。じゃあ、俺もこれでお暇しますよ」
ヴォルカーは先に立ちあがると、イベリナ妃に手を貸して立たせた。
イベリナ妃はすっきりとした顔でヴォルカーが去っていくのを見送ってから、気持ち足取り軽く自分も王宮に戻った。
すると、王宮に戻った瞬間、ずいぶんと待ち構えていたと思われるジャスミンが立ちふさがった。
「あら、ずいぶんと遅いご帰宅ね」
自然な言い方を装っていたが、ジャスミンはイベリナ妃の帰りを今か今かと待ち、すっかりくたびれ果てていた。
こんな風に待ち構えられていたのは初めてで、イベリナ妃は怪訝そうな顔をした。
「ジャスミンさん?」
するとジャスミンは勝ち誇った顔をした。
「あなたには教えといてあげようと思って。私、ついに陛下のお子を身籠ったわ。これで私は側妃ね」
イベリナ妃は素直に驚いた。
「あ、あら、それは本当に良かったわ。おめでとう……」
イベリナ妃はおめでたいと思う反面、正直戸惑っていた。めでたいことだけれど、このタイミング? 女神ズワンもいったいどんな神力を使ったというの。これからの行為でできるのかと思うじゃない。そりゃ早い方がいいけどさ……。
しかし、ジャスミンは、イベリナ妃がちゃんと聞いているのか分からない様子なので不満そうな顔をした。
「あら、『良かったわ、おめでとう』だけ? もっと褒めてくれてもいいんじゃない? 私はちゃんとお役目を果たしたんですからね」
「え、ええ、お役目を果たしてくださったこと、感謝しているわ」
ジャスミンの不満そうな声にイベリナ妃は気を取り直して、にっこりした。
するとジャスミンは分かりやすく機嫌をよくして、
「まあ、まだ私も子供はいいかなって思ってたんだけどね? だって、別に私もまだ若いし、お子が生まれたらプロポーションが崩れるっていうし? でも、できたらできたで嬉しいわね。あなたも産んでみたらどう? 子供いるといいものよ」
とこれまでの悩みは何だったのかというくらい自分に都合よく自慢して見せた。
思わずイベリナ妃が、
「まだ産んでないでしょ……」
とぼそっと突っ込むと、
「何か言った? さては羨ましいのね?」
とジャスミンはふふんと笑った。
「え? ああ、とても喜ばしいことだと思いますよ」
「それだけ?」
ジャスミンはイベリナ妃が羨ましそうにしないので、また不満そうな顔になった。
それは気にせず、イベリナ妃は急に口調を変えた。
「あと、このことはもう国王陛下はご存じ? あなたにお子ができたら、私王妃を辞めることになってるのよ。あなたが王妃よ、その辺の段取りについて話してこなくちゃ」
いきなりイベリナ妃が『王妃を辞める、あなたが王妃よ』と言い出したので、ジャスミンはぴたりと止まった。
「え、あなた王妃辞めちゃうの?」
「なによ、そんな不安そうな顔しないで。王位継承者の母なんだから、あなたが王妃の方がいろいろスムーズでしょ」
イベリナ妃は苦笑する。
イベリナ妃が本気だということが分かって、ジャスミンは急に取り乱した。
「でも、そんな急に……だ、第一私は妊婦よ。妊婦に無理させちゃいけないってあなた知らないの?」
「妊婦に配慮するのはもちろん当然ですけど、王妃の仕事は妊婦にとって無理なものじゃないし。そもそも『妊婦に無理させちゃいけないのよ』って自分で言っちゃうような態度は少し改めた方がいいわ」
イベリナ妃はジャスミンの態度をそっと窘めた。
するとジャスミンは狼狽えた。
「あなた、そんな人じゃなかったじゃない! 我慢強くて。王妃の仕事は私がやるからあなたは子どもを産んでって……」
「まあ、確かにちょっと前はそんな風にも思っていたけれど」
「あなたは王妃の仕事をやるべきよ。子どもいないんだし、それくらいやって当然よ」
ジャスミンは一生懸命イベリナ妃を説得しようとした。
しかし、イベリナ妃はきっぱりと首を横に振った。
「私の務めはもう果たしたの」
そう、この国に跡継ぎを用意したのだから。この国の跡継ぎは男女関係ない、とにかく一人でも子どもがいれば、その子どもが王位を継ぐ。ジャスミンの子がちゃんと生まれればもう安泰なのだ。
「果たした? まだまだこれからよ! 子を身籠っている私のサポートがあなたの仕事よ。お腹の子は国王陛下のお子なんですからね! わかる? 私は陛下のお子を産むという社会貢献をしているの、あなたには子どもがいないんだからね!」
ジャスミンは髪を振り乱して怒った。
イベリナ妃は困った顔をした。
「そんなこと言われても。契約で私は王妃を辞めなくちゃいけないのよ」
「辞めなくちゃいけない? 誰が決めたの? そんな急に困るわよ! 子を産め、でも王妃の仕事もちゃんとやれだなんて!」
「でも普通の王妃はそれをするわけだし……」
「だから、そこで『普通』とか言っちゃうところがハラスメントなのよ!」
「あなたの発言だって多少は逆ハラスメントだと思いますけどね? っていうか、あなた王妃になりたいものだと思っていたわ。こんなに拒否されるとは思っていなかった。だって王妃と言ったら国の一番の女性よ?」
イベリナ妃が少し想定外だったといったニュアンスで言うと、ジャスミンは憮然とした態度で言い返した。
「だって、あなたを見ていたら、王妃なんて大変そうなんだもの! 国王陛下ったら真面目に政務に取り組んでいらっしゃらないし、絶対サポートが必要だわ。それをあなたは全部先回りして、関係者への根回しも全部あなた、王宮内を取り仕切るのもあなた……。忙しそうなんだもの!」
聞いていてイベリナ妃はなんだかイライラしてきた。
「それをまだ私にやってもらおうって魂胆?」
「そうよ! 適材適所じゃない。あなたは王妃として威張ってたらいいわ。そこは私は文句言わないし。私は陛下の寵愛を受けて少しばかりの贅沢をさせてもらう。私は側妃くらいがちょうどいいのよ」
ジャスミンは堂々と言ってのけた。
イベリナ妃はもう今度こそ我慢の限界を超えたと思った。
最初は王妃の地位を失うことを恐れたりもしたけれど、それで自分の価値が下がる気がしたけれど、今はそんなこと全然思わない。
何、この王妃の地位の押し付け合いは!
イベリナ妃は低い声で言った。
「とにかく、私は王妃を辞めることになっているの。陛下にも話し済みです。というか、あなた都合が良すぎるわ! あなた、私の命を狙ってたくらいなんだから、王妃になることくらい想定済みでしょ!」
それを聞くとジャスミンが一気に顔色を変えた。
「え、あ……」
「命、狙ってたでしょ? いくら私だってまだ死にたくないわよ」
イベリナ妃は質問を繰り返した。
ジャスミンはすっかり土気色の顔で、ぱくぱくと口を動かしている。
「そ、それは謝るわ、だから……」
しかし、イベリナ妃はジャスミンの謝罪をぴしゃりと遮った。
「シャンデリアの値段はいくらか知ってて? たかがシャンデリア1つって思うかもしれないけど、一般市民からしたらかなりな値段なのよ」
「一般市民と比べなくてもいいじゃない……。王族なんだもの、お金はいっぱいあるでしょ」
ジャスミンは精一杯反論するが、その言い草にもイベリナ妃はカチンときた。
「でもそれは税金よ。なんなら犯人を突き止めて、犯人に賠償させましょうか」
「やめて!」
犯人の自覚があるジャスミンは耳を塞いだ。
そして、これ以上イベリナ妃と話したら墓穴を掘るとばかりに、くるりと向きを変えるとそそくさと逃げ出して行った。
その様子をイベリナ妃は虚しい気持ちで見守っていた。
何だったの、自分の今までの人生は……。