【4.幼馴染】
さて、ヴォルカーと出会って3日ほどたった日、イベリナ妃は王都から少し南にあるカフマン侯爵領を訪れていた。
ジェイデン・カフマン侯爵はイベリナ妃の幼馴染で、先日病気で妻を亡くし葬式をあげたばかりだった。
イベリナ妃は幼馴染とはいえ葬式に参列する立場ではなかったため、こうして日を改めてお悔やみを述べに来たのだった。
「奥様が亡くなられたと聞いて……どうしても挨拶に」
挨拶といいつつ、イベリナ妃はジェイデンの様子が気になっていた。ぶっきらぼうに振舞ってはいるが、性根は真面目なジェイデンは、きっとだいぶ気落ちしていると思ったからだ。
案の定ジェイデンは無精ひげを伸ばし、淡い金髪をぐしゃぐしゃにしたまま、少しやつれた表情でイベリナ妃を出迎えたが、
「なんだ。わざわざうちまで来て。後釜でも狙ってるのか?」
と乱暴な言い方をした。
イベリナ妃はムッとした。
「後釜? 奥様の? まさか! 私は王妃よ」
イベリナ妃のきっぱりとした言葉を聞くとジェイデンは少しほっとしたような表情になって、
「そうだったな」
とぼそっと頷いた。
イベリナ妃の方もジェイデンの表情が落ち着いたので少しほっとして、
「つらいんでしょう? 奥様も気の毒だけど、あなたの方も心配だわ」
とそっと寄り添うように言った。
「ふん、色々あっという間で、つらいのか、つらくないのかもよく分からん」
「後妻は取るの?」
「たぶんな。子がいないから。跡継ぎがいる。安心しろ、仮令おまえが王妃じゃなかったとしても、おまえは娶らん」
ジェイデンは投げやりな言い方をした。
それを聞いてイベリナ妃は少し悲しくなりながら、
「ばかね。そんな宣言、今の私たちには必要ないのに」
と小さな声で言い返した。
それを聞いてジェイデンは片目をあげた。
「はっきり言っておいてやらないとと思ってな。つまらん期待を持たせても駄目だと」
イベリナ妃は寂しそうにため息をついた。
「それ、優しいのか優しくないのか分からないわね」
「優しいだろ。俺はいつも」
「そうね。私が王妃じゃなかったとしても、私じゃダメだわ。だって跡継ぎが欲しいんでしょう? 私には子はできないもの、きっと」
イベリナ妃が自嘲気味に言うと、ジェイデンは忌々しそうに舌打ちして、
「ふん。それで王宮が荒れているようだな」
と国王への不満を吐き捨てるように言った。
「ええ。まったく、お恥ずかしい話よ」
イベリナ妃はもう一つため息をついた。本当はジェイデンにはこんな弱いところは見せたくなかったけれど、国中が知っている話だ、いまさら取り繕うわけにもいかなかった。
イベリナ妃は王宮の話はしたくなかったので、少しだけ明るい柔らかなトーンで、
「奥様はどんな方だった? 何度かお見かけしたことがあるだけだったわ」
と話題を変えた。
「普通の女房」
ジェイデンはぶっきらぼうに言った。
「普通じゃ分かんないわよ」
とイベリナ妃が苦笑すると、
「そんなに気になるか? フツーだよ。親が決めた縁談で、文句も言わずに嫁に来てくれて、まあ細々と家のことをやってくれていた」
とジェイデンはうっすら言葉の裏に感謝を込めて言い直す。
「奥様の趣味は?」
「乗馬だ。たまに一緒に郊外へ出かけた」
とジェイデンが遠い目をして昔を懐かしむように言うので、イベリナ妃は労わるように微笑んだ。
「そう。仲良かったのね」
「普通だ。ただカフマン家を守るという使命が二人ともにあっただけだ」
「十分だわ。一緒にその使命を担ってくれていたんでしょう」
イベリナ妃が優しく言うと、ジェイデンは間髪入れずに、
「まあそうだ」
と答えた。
「ありがたいわね」
イベリナ妃はしみじみと言った。自分と国王との殺伐とした関係を思いながら話しているようだった。
「まあな。死んでしまったがな」
「うん、だから来た。あなたの戦友に手を合わせに」
イベリナ妃は亡くなった人の早すぎる死を悼みながら言った。
しかし、ジェイデンは胡散臭そうにイベリナ妃をまじまじと見た。
「戦友? ライバルの間違いじゃねーのか。本当はおまえがここに嫁に来たかったんだろう」
「ううん、嫁に来たかったのは本当だけど。でも今はそんなこと思ってないわよ。王妃だし。いい人があなたのところにお嫁に来てくれてよかったと思ってる」
イベリナ妃が人の死に触れて少しだけ正直な気持ちを吐露したことで、ジェイデンも自分の心配を隠しておけない気がした。
「シャンデリアの件は聞いたぞ」
「まあ、誰から?」
思わずイベリナ妃が目を上げる。あの式典にはジェイデンは呼ばれていなかったはず……。
「ヘンリックが飛んできた。まあ、そうじゃなくても、式典中の出来事だ、大勢の目撃者がいただろ」
ジェイデンは心配そうに言った。
「……」
イベリナ妃はジェイデンにそんな顔をさせることが恥ずかしかった。
イベリナ妃が黙っているので、ジェイデンは確認するように聞いた。
「大丈夫なのか」
「大丈夫よ」
イベリナ妃は強がって答える。
「犯人はあの愛人か」
「そうよ。でも気にしなくてもいいわ。もうすぐ全部片付くから」
イベリナ妃は強気で答えた。全部片付く――先日のヴォルカーのことを言っている。
しかし、ヴォルカーのことなど何も知らないジェイデンは怪訝そうな顔でイベリナ妃を見るばかりだった。
「片付くって――」
それをイベリナ妃は遮った。
「あの日、言われたとおりにあなたを誘惑できてたら、今こんな生活しなくて済んだのかな」
ジェイデンは苛立ちの目をイベリナ妃に向けた。
「妻が死んだばっかりのときにそんな不謹慎なことを言うな。そもそもおまえは誘惑とかできる女じゃないだろ。分かってたから言ったんだ。おまえが男を誘惑できる女だったら、お飾り妃なんかになってない」
イベリナ妃はまたしても自嘲気味に笑った。
「そうね。お飾り妃かあ。そうだよね。お飾り妃なんかに落ちぶれてるから、私はあなたへの気持ちを更新できずにいるんだわ!」
「バカ。俺のことはもう忘れろよ」
「でもあなたもずるいわ。自分は何もしないんだもの。私の気持ちばっかり試して」
イベリナ妃はジェイデンの目を真っすぐに見て詰るように言った。
するとジェイデンは悲しそうに首を横に振った。
「試したわけじゃない。許されなかったんだ。かなり早い段階でおまえの両親に釘を刺されていたよ。娘は王家に嫁にやるからおまえは指一本触れるなとね」
イベリナ妃は驚き目を見張った。
「そんなこと言われていたの?」
「そうだよ、約束させられたんだ。だから俺からおまえに触れるわけにはいかないじゃないか」
イベリナ妃は呆けたようにポカンと口を開けた。
「……だからあなたは私に誘惑してみろって言ったのね。なんでそれを先に言わないのかしら。それを言ってくれたら、あの日大恥忍んで頑張ったのに!」
「そういうもんかね。まあ、今更言っても始まらない。――おまえはおまえの務めを果たせよ」
ジェイデンは寂しそうに笑った。
私の務め……。
イベリナ妃は思った。
王妃としての最大の務めは国王の後継者を作ることだ。問題は私が授かるか、ジャスミンが授かるか。
自分が授かるには国王を酔い潰す? あの日、ジェイデンにできなかったことを国王に?
それは何? 王妃としての責務? それとも女の意地?
しかし、イベリナ妃は願わずにはいられなかった。
自分はただ、静かに愛されたいだけなのだということを。