一月 その八
-前回-
特異混血や混血が集まる桜組の事務所を訪れた照と命はようやく久司を見つけることができた。家に帰るよう説得するが久司は拒否。照たちは桜組の一員で知り合いの八葺から話を聞き、ひとまず依頼主の家に戻るのであった。
照と命は桜組の事務所をあとにするとうだつと藍真の家に行った。
「うだつさん。藍真さん。久司くんに会ってきました。彼は確かに桜組にいましたよ。無傷でとても元気でした」奥の部屋に円居すると照は告げた。
「本当ですか」うだつは息子が無事だったことに心底ほっとした様子を見せた。
妻の藍真も同じように安堵していたが、夫よりも悲嘆に暮れていた。
「どうでしたか?久司はどうなったんですか?」とうだつ。
探偵は八葺と久司が出会った経緯から今までのことを全て説明した。
「久司がそんなことを言ったんですか…?」母猫はまだ信じられないようでシクシクと泣き出した。「もう帰らない?探すな?どうして、どうしてそんなこと…。嘘よ。久司はそんなこと言う子じゃないのに…」
うだつは頭が床に付きそうなほど俯いて黙っていた。
そのとき、家の戸を叩く音がした。照が見に行ってみると、真剣な表情をした彩里と落ち込んだ顔の架町親子がいた。
「あ、照さん。戻っていらしたんですね。姉さんは?」彩里は尋ねた。
「中へどうぞ。お話しますから」照は促す。
「はい」
狭い部屋に六匹の動物が集まった。照は先ほどの出来事を親子にも説明する。うだつと藍真夫妻はずっと黙っていた。
「久司くんが無事でよかった…」彩里は胸を撫でおろしたあと深々と頭を下げた。「本当に申し訳ございませんでした。うちの子が黙って久司くんを匿って、おまけに結婚の約束まで…。なんとお詫びすればいいか…。あなたもちゃんと謝りなさい」と娘に言う。
「ごめんなさい…」架町も頭を下げて謝った。
「いいのよ」姉の藍真が応える。「久司はきっと…。桜組の、その特異の方に影響を受けたのよ。まだ若いからそういう方々が良く見えてしまったのよ…」己に暗示をかけるように話す。
「失礼ですが、」照が言った。「八葺さんたちは信頼のおける方々です。私が保証します。久司くんの苦しみを理解できると思います」
「私たちが分かってあげられないとでも?」藍真は怒りのこもった目で小さな探偵を見た。「久司が生きやすいようにと生まれたときから大事に大事に育てて、何年も一緒に過ごして来たのに、最近出会ったあの方々のほうがあの子を理解できると言うのですか?」
「えぇ。そういう部分もあるでしょう」
「あり得ないわ。久司がそんな、どこの誰だか分からない動物と付き合うなんて、」
「姉さん。それは違うと思うわ」妹の彩里が静かに言った。
「え?」藍真は妹を見る。
「子供はいつか成長して親の手を離れるものよ。それからいろんな動物に出会うんだわ。そこで自分の生き方を見つけるのよ。自分を理解してくれる方を見つけるの。それは親が決めることじゃない。子供が自分で経験しなくちゃいけない事なの。だから姉さんが否定するのは違うと思うわ」
藍真はヒゲをぴくぴくせさせた。「でも…。でもそれで久司が傷ついたらどうするの?私そんなの嫌よ!」
「誰だって自分の子が傷つくのは嫌よ。けど無傷で生きていくことなんてできないわ。傷ついたり悲しんだりすることで学ぶこともある。誰かの気持ちがわかるようになったりするの」
「じゃあ傷ついても放っておけって言うの?」
「そんなこと言ってないでしょ。私たち親は糧になるだけ。転んだ我が子を引っ張り上げるんじゃなくて、自分の力で立ちなさいと手摺になってあげるの。疲れた時に休める椅子になってあげるの。傷ついたときに守ってあげられる家になるの」
「そんなの…」藍真は緑色の目に涙を溜めた。「そんなのとっくにやってるわ。だから久司は間違えることなんてしなかったのよ。親の私たちが正しく生きていけるように教えたんだから」
「子供は絶対に間違える生き物だわ」彩里は毅然と言った。
「確かに彼はいい子よ。でも抜けているところがある。姉さんは気付いていないかもしれないけど、久司くんは昔っから子供っぽくなかったというか、異様に物分かりがいいというか…。同年齢の子と比べると少し捻くれてるのよ」
「何を言うの!」藍真は妹に向かって牙をむいた。「あの子はそんな子じゃないわ!賢くて優しい子よ!」
「えぇ、そうね。努力もできて才能もある。誰かのために行動を起こせる子よ。それでも間違えることはあるわ。ただの子供なんだから」
「いいえ!久司は特別な子よ!だから特別な扱いをするの!それの何が悪いの?」
「それが駄目だって言ってるの!」妹も厳しく言い返した。
「この世に生きている子はみんな特別よ。私だって自分の子が特別で一番かわいいと思ってるわ。でもそれは親の中だけ。一歩外へ出れば違うの。みんな誰かの子供。同じ命。同じ時間を生きているの。その中で生活を成り立たせなきゃいけないのよ。自分の子供だけ特別扱いして欲しいなんて我儘がまかり通るわけない。久司くんは特異だけど、普通の子よ」
藍真は衝撃を受けた。「ち…。違うわ…。久司は、久司は…。あの子はいい子よ。悪いことなんてするはずないの。よくできた子だから、一度も叱ったことがないくらいなのに…」
「叱ったらいいじゃない。現にいま、こうして困ってるでしょ?」
「それは…。私たちはいいのよ。親だから」
「違うでしょ?姉さんたちがよくても久司くん自身が困ってるんじゃないの?だから何も言わずに出て行ったんでしょ?それにこの状況を見てよ」
彩里はこの場に居る全員を見回した。
「私や架町、探偵さんたちまでいるじゃない。久司くんを捜すためにこれだけ手がかかってる。他者を巻き込んでる。それなのになんとも思わないの?姉さんはいつもそうよね。久司くんのことになると周りなんて何も見えてないみたい」
「い、いいえ…。そんなこと…」藍真は小刻みに震え始めた。「私は…。そんな、叱るなんて…」
「どうして叱ることを恐れるの?姉さんもうだつさんも怒っていいのよ。説明しなさいって叱っていいの。久司くんはそれを知る必要があるわ」
彩里はそっと娘を見てから話を続ける。
「もちろん私だって完璧な親じゃないわ。至らないところが沢山あるし、毎日のように反省してる。子供たちから教えてもらうこともたくさんある。
だからこそ子供たちには理解してもらいたいの。親にもちゃんと喜怒哀楽があるんだって。誰も完璧じゃないんだって。そうやってお互いの気持ちを伝えあえば親子として成長していけると思うの」
藍真はハラハラと大粒の涙をその緑の目からこぼす。
「すごく頼りない親のように聞こえるかもしれないけど、それでもね、姉さん。私には決めていることがあるの」彩里も瞳を潤ませた。
「決めていること…?」
「えぇ。言ってはいけないこと、やってはいけないこと、他の方への敬意や配慮、周りへの感謝。そういうことを教えるのは親の役目。先生でもお友達でも近所の方でもない。
大事な我が子だからこそ、一番近い存在だからこそ、私たちがしっかりお手本を見せるべきだと思ってる。子供は親を見て育つんだから、そこはちゃんとしようって決めてるの。幼いうちから教えておかないと、大きくなったときその子は駄目になってしまうわ」
彩里は娘の頭を愛おしそうに撫でた。
「ごめんなさい、架町。お母さん怒ってばかりで言い辛いこともあったよね。ごめんね」
「お母さん…」架町は母を見上げる。「ううん。あたしのほうこそごめんなさい」と涙声で言う。
そのとき急にうだつがガバリと立ち上がった。「あの、照さん。久司に会いたいのですが、どこにいますか?」
「あなた…?」藍真は夫を見る。
「彩里さんの言う通りだ。久司に会って、帰って来いと言おう」うだつは妻を見つめる。
「あっしらが間違っていたよ。確かにあいつは特別な子だ。特別に育ててきた。でもそれだけじゃあ何も知らない子になってしまうよ。そんなのはあいつが苦しむだけだ。あいつはただの子供なんだよ、藍真」
「そ、そうだけど…」夫の言葉に藍真は動揺した。
「あっしらが強くならないと。強くなってあいつを支えてやるんだ」
「そんな…」母猫は目をフラフラと彷徨わせたが「……え、えぇ。そうね…。そうよね…」と呟いた。
「照さん。お願いします」うだつは黒猫に頼んだ。「久司のところへ案内していただけませんか?」
「あの…」照は申し訳なさげに耳を下げた。「話の腰を折って悪いのですが、今夜はもう休みませんか?皆さんお疲れで困惑なさっているでしょうし、各々で話したいこともあるでしょう。それに一日に何度も桜組の事務所を訪ねるのは向こうにも悪いです」
「あ…。そうですね。じゃあ明日にでも…」うだつは座った。
「はい。明日お連れします。前にも言いましたが、桜組は居場所を知られるのを好ましく思っていません。
事務所はとても分かり辛い場所にあるので道順などは覚えられないと思いますが、一応明日行くのはうだつさんと藍真さんだけにしてください。そしてお二匹とも事務所の場所を他言しないこと。訪問するのは明日の一度のみとすることを約束してください」
「わかりました」うだつは頷いた。藍真も静かに首を縦に振る。
「では今夜はこれでお開きにしましょう」