一月 その六
-前回-
依頼主の妹の家に一夜潜んだ探偵の照。いなくなった久司の行方を突き止め、それを助手の命に告げたあと依頼主の家へ向かった。
夜になり、十分な睡眠を摂った二匹は依頼者の家へ行った。
「こんばんは」照は戸を叩いて呼びかける。
「照さん。こんばんは」うだつが出てきた。心労と仕事終わりで疲れているのか顔には疲労が現れ、ひと回り細くなったように見える。
「うだつさん。藍真さんもご在宅で?」照は尋ねる。
「えぇ。いますよ」うだつは部屋の奥を見る。
「お揃いで良かった。久司くんを見つけたかもしれませんのでご同行いただけますか?」
「本当ですか!?」うだつは驚いて目を剥いた。「倅は、久司は無事なんですか!?」どこからそんな声が出るのかと思うほどの大声だった。
「はい。無事です」照は耳がキーンとなった。
「良かった…」痩せた犬は安堵で涙目になる。「藍真!藍真!」と妻を呼びに行った。
照と命、うだつと藍真はぞろぞろと彩里家へ向かった。
「ここって…。妹の家?」姉の藍真は驚いた。「ここに久司がいるんですか?」
「えぇ。恐らく…」照は目を細める。
「どうしました?」命は探偵の異変に気付いた。
「いやな予感がする…」小さな黒猫は小さな口をほとんど開けずに言った。彩里家の戸を叩く。「ごめんください」
すぐに彩里が出てきた。「あら?皆さん揃ってどうなさったんですか?」と驚く。
「突然来て申し訳ありません。ここに久司くんがいると思うのですが…」照は表情を歪めた。
「えぇ!?」彩里は素っ頓狂な声をあげた。驚きでヒゲと耳を反らせる。「いきなり何ですか?そんなことあるはずないですよ!」
「あの、説明は後でしますので、よろしければ今すぐお宅の屋根裏を見せていただけませんか」と急かす。「お願いします」ヒゲ袋を真ん中に寄せる。
「や、屋根裏ですか?構いませんけど…。久司くんがうちに?」何を言ってるのか分からない、と彩里は混乱しながらも訪問者たちを家に上げた。
階段を上って二階へ行くと廊下の突き当りに梯子があった。梯子は二階の天井から伸びている。一行はその前に集った。梯子は細く幅が狭いため、うだつだけが昇って屋根裏を確認する。
「照さん。久司はいないようですが…」うだつは梯子に足をかけたまま屋根裏を見回すと言った。
屋根裏は木の骨組みが屋根を支えている空間があるだけで何もない。
「あいつの匂いすらしませんよ。……ん?これはなんの匂いですか?甘い匂いがしますよ」と鼻をひくつかせる。
「え?まさか…。うだつさん、変わってください」妹の彩里がうだつを梯子から引き下ろした。
「おおっと!」うだつはよろめきながら下に降りる。
「あなた、大丈夫?」藍真が心配した。
「あぁ」うだつは苦笑い。
彩里は義兄に目もくれず梯子を上った。屋根裏の匂いを嗅ぐ。「この匂い…。架町の匂い袋です」
「架町ちゃんの?」うだつが言う。
「どうして…」彩里は愕然とした。「あの子、屋根裏にはほとんど行かないのに…」
「架町ちゃんの匂い袋で久司くんの匂いを誤魔化していたんですよ」照は苛立たしげに唸った。「彩里さん、娘さんはどこに?」
「下の部屋で寝ています」彩里は猫の力でひらりと梯子を降りた。
「呼んできてください」
「はい」彩里は駆け足で下の階へ降りて行った。すぐに娘を連れて戻ってくる。
「な、なんなのお母さん?え?なんでみんながいるの?」寝起きの架町は目を瞬かせながら動揺していた。
「架町ちゃん。久司くんがここにいたよね?」照は屋根裏を指して尋ねる。
「え?…いいえ。あたし、何も知りません。なんのことですか?」キョロキョロと周りを見る。
「架町!本当のことを言いなさい!」母親の彩里は厳しい視線で娘をピシャリと叱りつけた。「何か隠してるんでしょう!嘘や隠し事はしちゃいけないっていつも言ってるよね!?」
「そんなに怒らなくてもいいじゃない」姉の藍真が止める。「架町ちゃんが可哀想よ。話し辛くなっちゃうわ」
「姉さんは黙ってて!」彩里は姉に注意したあと娘に向き直る。「どうなの架町!」
「し、知らないってば!」架町は耳を折りながらがぶりを振った。
「大変失礼ながら、」照が間に入る。「昨夜、一晩中この家の裏に潜ませてもらいました。そうしましたら、夜中に架町ちゃんが誰かと話す声が聞こえまして。久司くんかと思われます」
「本当ですか?」彩里は瞳孔を広げて驚く。「架町!ハッキリ言いなさい!」娘への怒りで探偵が家の裏に潜んでいたことは咎めなかった。
灰色の毛をした小さな猫はぶるぶると震えながら周りにいる犬猫を見回した。四面楚歌になってしまい涙を浮かべる。
「どうなの!」母は再度尋ねた。
「い、いたよ!」娘は耐えきれずに白状した。
「なんですって!」照と命以外の犬猫たちは驚いた。
「でも、もういない。どこかへ行っちゃったの!」架町は涙を流しながらグズグズと言う。
「どこへ?」照が聞いた。
「分からない。昨日の夜、久司くんとちょっと話をしたあと探偵さんと伯母さんが来たって伝えたの。そしたら久司くん考え込んじゃって。
それで今朝、お母さんと葉風が出かけたあとに久司くんの様子を見に行ったら、『そろそろ出て行くよ』って言って。そのままどこかへ行っちゃったの」
「くそぅ」探偵は悔しがった。「久司くんがいなくなった日から彼はずっとここに?」
「そう。ゾエナで呼び出されて」
ゾエナとは栗鼠種や鳥種に似ている生き物である。その形は小さくて丸い。全身真っ白の毛で鳥のような翼と栗鼠のようなふわふわした尾が生えている。角のような尖った耳、丸く黒い目、ひし形の嘴、数本の短いヒゲ、三又の細い足を持つ。
モグ・モグのように犬猫に飼われている生き物で、軽やかに素早く飛ぶことができることから風の妖精の子孫といわれている。
知能も高いので地理の把握ができ、迷子になることなく飼い主や巣の元へ帰れる。
さらに伝達の能力も持っており単語なら一つ二つ覚えられ、話した相手の声色も真似ることができる。誰かに短い伝言をするときはこのゾエナが活躍していた。
文字の読めない動物が多いので、この街でも手紙よりゾエナに手伝ってもらう機会が頻繁にある。郵便屋に行けばそこで飼われているゾエナを借り事もできた。
「五日くらい前、私の部屋にゾエナが来たの」架町は言った。「そのゾエナは久司くんの声を真似て、外に来てくれって言った。だから外に出てみたら久司くんがいたの」
「どうして言わなかったの?」母親の彩里は娘を問い詰めた。
「彩里」姉の藍真が再び止める。「お願いだから怒らないであげて」
「だから姉さんは黙っててよ」妹は姉を睨む。
照は気まずい思いで姉妹を交互に見たあと架町に促した。「それで、どうしたの?」
「久司くん、もう家には居たくないって」か細い声で言う。「伯父さんと伯母さんには会いたくないって」とうだつと藍真を見た。
「なんですって!」藍真は魂消た。「久司がそんなことを!?」
父親のうだつも愕然として固まった。
「だからあたしはしばらくうちにいるといいよって言ったの」架町は恐れと恥ずかしさを滲ませた。「お母さんに知られたら伯母さんにも伝わっちゃうから秘密にしてた。誰も屋根裏なんかに上がらないし、匂いもバレないようにあたしの匂い袋をあげた」
「そんな…」娘の発言を聞いて彩里は呆然となる。「久司くんがずっとうちにいたなんて…」
「久司くんが生きそうな場所に心当たりはある?」照が尋ねた。
「分からない」架町は首を振る。
「本当のことを言いなさい!架町!」彩里は怒鳴りつける。
「ほ、本当に知らないの!」娘は泣いて怯えながら答えた。
「やめなさい」藍真が言う。「叱らないであげて」
「架町ちゃん」また姉妹喧嘩が始まる前に照が素早く口を出した。「久司くんがここにいる間、彼と話したんだよね?なんて言ってたの?」
「それは…」あふれる涙を拭う。「久司くん…。桜組に入るって」
「桜組だって?」この発言には照も度肝を抜いた。「そうか。その手があったか…」とブツブツ。
他の成獣たちもざわついた。
「桜組って、選挙に出るかもしれないって噂されてるあの桜組?」彩里が問う。
「うん」架町は小さく頷いた。
「そんな、まさか…。うちの子が…」久司の母は譫言のように言った。「嘘よね?久司に限ってそんなこと…。そんな意味の分からないところへ…?」
「この街のために働きたいってずっと言ってたの」と架町。「それができるのが桜組だからって。桜組に入るなんて言ったら絶対に反対するから伯母さんたちには黙ってたって」
「どうしてだ久司…。どうして…」うだつも困惑していた。
「他には何か言ってなかった?」照は何かを考えながら尋ねた。
「あの…。あ、あたし…」架町は躊躇う。
「架町。皆さんにご迷惑をかけているんだから、全て正直に話しなさい」彩里は怒鳴るのを諦め、落ち着いた声で促した。
「……久司くん、桜組に入ってお仕事をして…。それで選挙が終わったら…。あたしと結婚するって」
「なんですって!?」姉妹は揃って全身の毛を逆立てた。
「結婚の約束をしたの?」と彩里。
「そうよ!」架町は恥ずかしさと苛立ちで叫ぶ。「あたし、久司くんと結婚する!」
「結婚なんてあなたにはまだ早いわ」母親は止めた。
「早くなんてない!選挙のあとなんだからまだ一年以上あるもん!」
「落ち着いてください。皆さん」照が冷静に場を宥める。「とりあえず今は久司くんを見つけるのが先です」
「そ、そうですね…」彩里は動揺を隠しきれていなかったが同意した。
「本当に久司くんがどこへ行ったか知らないんだね?」照は再度架町に確認を取る。
「はい」小さな猫は頷いた。
「だとすると、」肉球をペロリ。「久司くんはその桜組の事務所へ行った可能性が高いですね。他に当てはなさそうです」
「桜組の事務所?そんなところがあるんですか?」彩里が尋ねる。「そもそも桜組って実在する組合なんですか?一体、なんなのです?」
「桜組は存在しますよ。私の知り合いがいますから」照は説明した。「桜組というのは特異混血が集まった組合です」
「特異の?」全員が驚く。
照はそうだと頷いた。「最近その名が表に出てくるようになりましたが、実はもっと前から存在していいました。ここは光と異種の街。そのような集まりが出来てもおかしくはありません。でもまさか久司くんが桜組のことを知っていて、そこに入るとは予測できませんでした」探偵は悔しさを滲ませる。
「その、」久司の母、藍真が堰を切ったように話し始めた。「その集まりで何をするのですか?どこにあるのですか?久司は何か危ないことを?悪い集団なのですか?」
「いいえ。ただの集まりです。しかし噂されているように、選挙には出るようです」
「そんな…」藍真は肩を落とした。
「照さん」黙っていたうだつが口を開いた。「その事務所をご存知なのですか?」
「はい」
「では連れて行ってくれませんか?久司がいるかもしれないんでしょう?」犬は前のめりになる。
「駄目です」照は拒否した。「彼らは特異。身を隠して生きている者がほとんどです。事務所の場所も安易に知られたくはないでしょう」
「でも、」
「なのでまずは、」照はうだつを止めた。「私たちが様子を見に行ってきます。私たちは彼らの知り合いですし、警戒もされていないので。うだつさんと藍真さんは家で待っていてください」
「しかし…」うだつは迷った。「……いや。分かりました。帰ろう藍真」と妻を見る。
「え?」藍真は夫を見つめた。「どうして?このまま帰るの?」
「照さんたちにお任せしよう。こうなったらあっしらだけではどうにもならん」細身のうだつはその身が消えてしまいそうなほどの萎れた声で妻を説得した。
藍真は俯いて少し考え込んだあと照を見た。「……えぇ。えぇ。そうね…。お願いします」
「お任せください」照は安心させるように微笑んだ。
「架町」彩里は娘を見る。「このことはお父さんも含めてちゃんと話をしましょう」
「はい…」若く小さな猫はシュンとなった。
「では私たちはここで。行くぞ命」照は静かに成り行きを見守っていた助手を連れて彩里家を出た。