十月 その三
-前回-
猫の国へ赴いた暮夜一家と命。年に一度の集会に参加した暮夜はお頭からの提案に悩み、暈陰雲も姉からの悪態に耐えるのであった。
暮夜のことを心配した命は、暈陰雲と廊下で会ったあと大広間へ向かった。集会が終わったので大広間への入室はできる。
大広間に近づくと、ちょうど誘夜が出てくるところが見えたので、命は慌てて物陰に身を潜めた。隠れる必要はないのだが、なぜか咄嗟に体が動いてしまった。
誘夜は何か用事があるのかそそくさと廊下を歩いて行く。
他に大広間から出てくる者がいなかったので、命はどこかで暮夜とすれ違ってしまったのだと勘違いした。もう親父は暈陰雲の家に向かっているはずと考える。
ならばお頭の行動が気になり、命は距離をとってこっそりと彼のあとを追うことにした。
お頭は自室へ向かうのかと思いきや、階段を降りて別の部屋へと入って行った。そこは一年前、照と命と誘夜の三匹で話をした客間だった。
命は客間の側にある曲がり角に潜み、これでもかと耳を欹てた。なにやらボソボソと話をする二つの声が聞こえてくる。
「……と思われます」誘夜が言った。「まだ判別はできないかと」
命は静かに驚いた。誘夜はこの国のお頭だ。あのように畏まった口調で話す相手などこの国には存在しないはず。
「…………」話し相手が何か言った。小声で不明瞭なので聞き取れない。しかしどことなく聞いたことのある声だった。こんなとき照ならすぐ聞き取れただろうにと思う。
「承知しました。貴殿にいずれ芳しいご報告ができるかと存じます」誘夜が言う。
「…………」
「いいえ。そちらは問題ありません。必ずや乗ってくるかと」
「……。よろしい」話し相手はふぇふぇと笑った。
命は腰を抜かすほど仰天した。あの笑い方、あの独特な声。なぜここに?
「失礼します」誘夜が客間から出てくる音がした。
大きな三毛猫はハッとなり、慌ててどこかに隠れようとした。しかし廊下には何もない。他の部屋へ飛び込もうか考えたが今からでは確実に暴露る。
仕方なく、誘夜がこちらへ来ないよう願いながらその場で身を小さくした。
だが願いは虚しく誘夜は命がいる方へ歩いてきた。そしてすぐそばを通り過ぎる。
「ん?」お頭は鼻をひくつかせた。「誰だ?」
そこの声を聞きつけ、どこからともなく二匹の真っ黒な影猫が現れ、誘夜の前後を守った。
影猫たちはヒゲをピンと立てて鼻を使い、辺りの様子を伺う。だんだんと命がいる場所へ近づいてきた。
「曲者!」とつぜん影猫の一匹が命の緊張感を感じ取り、鋭利な何かを素早く命のほうへ投げた。
命は飛躍でそれを避けると同時に、誘夜と影猫の前に身を晒してしまう。
影猫は命の姿を認めると鋭い牙と爪を剥き出しにし、瞬時に命の喉めがけて飛びかかった。
「待て」お頭が止めた。
影猫はピタリと動きを止め、一飛びでお頭の側へ戻る。
「お前。なにをしている」誘夜は目を細めて三毛猫に尋ねた。
「申し訳ありません」命の心臓は早鐘を打った。身を低くして敵意がないことを示す。
「小生をつけてきたのか?」
「いいえ」うつむいたまま答える。
「このような真似、許されるとでも?」誘夜の声は命がどう答えようとも許す気がないほど無慈悲だった。影猫からも爛々とした殺気を感じられる。
「いいえ」このままでは確実に消されてしまう。本能が逃げろと警告を発し、どうにかしてこの場から離れられないかと密かに方々に目をやるが、ここは誘夜の城。誘夜の国。自分のような猫が逃げられるわけがない。
「誰の差し金だ?暮夜か?」
「いいえ」下手に喋らないよう簡素に答える。
お頭は低く唸る。「繰り言を。命乞いもなしか」
「申し訳ありません」
「…もうよい」誘夜は影猫に向かって合図を出した。
影猫の爪が床を引っ掻く音が聞こえ、命は攻撃されるのだと覚悟し、頭を上げて身構えた。
「吾輩が呼んだのよ。誘夜殿」客間から声が聞こえた。
影猫も誘夜も命も、その声に身を固める。
「ご苦労だった。そやつはこちらで預かるゆえ、行っていいぞ」
誘夜は声の主がいるほうを見たあと、命を睨みつけた。「下がれ」と影猫に言う。
影猫たちはどこかへ姿を消した。そして誘夜も何事も起きなかったかのようにその場を去って行った。
「中には入れ。命殿」静かになった廊下に独特の声が届く。
「は、はい」命は戸惑いながらも声の主にしたがって客間に入った。
そこにはやはり、メディウの街で白組のお頭をしている猫又がいた。部屋の中央に座している。
「座れ」猫又は指示した。
命は入り口の側に座る。
「盗み聞きとはよろしくないな」猫又は微笑んでいるような表情で言う。彼からは殺気を感じない。
「申し訳ありませんでした」頭を下げる。
猫又はふぇふぇと笑う。「まぁよい。吾輩はたいへん寛恕であるから許そう。面を上げい」
「ありがとうございます」顔を上げる。「聞き耳を立ててしまい、申し訳ありませんでした。暮夜の親父の様子を見に来たら、誘夜さまのお姿が見えたのでつい…」と白状する。
「ふむ」猫又は薄目を開けた。目の色は翳っていてハッキリとしない。「どこまで聞いておった?」
「ほとんど何も」
「ほぅ…」命をじっと見つめる。「嘘はついておらんようだの」
「はい」
「素直でよろしい」ふぇふぇと笑った。目を閉じる。「危なかったの。誘夜殿に殺られるところだった」
「はい…。あの…」
「ん?なんだ?」
「なぜ猫又さまがこちらに…?」おずおずと尋ねる。
ふぇふぇ。「吾輩、これでも一応お主と同じ猫種ゆえ、この国には入れるのよ」
「それはそうですが…。まさかこのお城に来られているとは…」
「お頭同士の交流は必要じゃろう」猫又は丸いお腹をポリポリと掻いた。
「はい…。しかしその、猫又さまと誘夜さまは、その…。不仲だと耳にしていましたので…」不快に思われるかと恐る恐る口にする。
「巷ではそのような噂が流れているらしいな」彼は気にしていなかった。
「違うのですね?」
「いや、あながち間違いでもない。誘夜殿は吾輩に敬意を払ってくれるが、吾輩はあやつを気に入ってるわけではないからの」
「そうですか…」命は返事に困った。
「して、お主はあの娘の代わりにここへ来たのか?」
「はい。何か情報が得られないかと思いまして…」
「進展はあったか?」
「いいえ。何も」命は首を振った。拡大ガラスが揺れる。
「そうか。ご苦労よの」猫又は先の分かれている尾を立たせた。「ところで突飛な話だが、ひとつお主に聞きたいことがある」
「なんでしょうか?」
「お主は生まれ変わりというものを知っておるか?」
「う、生まれ変わりですか?」本当に突拍子もない質問に命は思わず声が上ずった。「言葉は分かりますが…。意味はよく分かりません」
「生まれ変わりとは、命を落したものが新たな身となって次の世を生きることだ。新たな生命としてその魂を受け継ぐ」
「魂を受け継ぐ…?」命は理解しようとした。
「左様。この世に生きるものは全て誰かの生まれ変わりなのだ。生まれ変わったものは自分がそうだとは気付かずに生きる」
「はい…?」彼の思想についていけなかった。
猫又はそれを察してふぇふぇと笑う。「とある書物に書いてあったのだ。吾輩たち猫種には九つの命があるのじゃと。すなわち九回生まれ変わるということだ」
「九回も?」
「あくまで書物の中の話だがな」尾をゆらゆらさせる。「お主はこの生まれ変わりが本当にあると思うか?」
「お、俺には分かりません」首を傾げる。「今その生まれ変わりのお話を知りましたし、そのようなお話は、俺にはその...。難しいといいますか、信じにくいといいますか…。あの、書物の中の話ですよね?なぜそのようなことを?」
「吾輩はそれがあると信じておるからだ」自信満々に豊かなヒゲ袋を膨らませ、楽しそうに語った。
「自分は誰かの生まれ変わりだと考えるとワクワクせんか?一体、前世の吾輩はどのようにして生きていたのか。どこで、誰と、何をしていたのか。そして吾輩のこの命は何度目の生まれ変わりなのか…。想像するだけで気持ちが昂る。夢があるのぉ」
命は不思議な気分で猫又を見ていた。
「お主も一度考えてみるといい。己の思考が豊かになるぞ」同柄に勧める。
「は、はい」なんとなく頷いておく。「しかし、なぜそこまで信じ切れるのですか?実際にそれが起こっているという証拠はありませんよね?目になされたのですか?」久しぶりに探偵の助手としての脳が働き、冷静に質問した。
「証拠もないものを信じるのは悪いことか?」猫又はのんびりと言った。「お主は愛や友情など目に見えないものを信じないのか?」
「いいえ。信じています」
「なればそれと同じだ。吾輩はただ信じておる」客間が独特の笑い声に包まれた。
「お主は吾輩が何かトチ狂ったことを言っていると思っとるじゃろうが、理想や信念を持っておる者は進むべき道を分かっておるのだ。たとえそれが目に見えぬともな」
「え、えぇ」
「吾輩は己の道を貫いている者に重きを置きたい。お主もそうだろう?あの娘が帰ってくると信じておる。なんの確証もないのに」
「あっ」助手は合点がいった。「はい。それはもちろん信じております」
「吾輩はそんなお主を頼り、応援したいのよ。しかし、今のお主には迷いが見える」猫又はヒゲを撫でた。
「え?」
「本当は信じたいのに、そうできない気持ちもある。やり切れないのだろう。どこか諦めもある」
「それは…」命の中で不穏な感情がうごめいた。
「己を信じることができぬ者は何もなし得はしない」
お頭である猫又の言葉は命に重く突き刺さった。
「俺は…」うつむく。「……猫又さまの仰る通りです。俺は守りたい方を守れず、己を貫き通すこともできない弱小。まだまだ未熟です」
「まぁまぁ」猫又は急に微笑みを深めた。「それが生きるということなのかもしれん。だがどれほどの未熟者でも、何かしら特化した能力を持っているものだ。誰しもな」
「能力?」
「そう」確信するようにゆっくりと頷く。「それを見つけ、磨き、信じて進むのみ。さすれば結果は必ず付いてくるものよ」
「けれど俺は…。俺は一匹では何もできません」
「吾輩もそうじゃ。一匹では何もできん。加えてこの老体。息子や周りの者に頼ってばかりいる。それでも吾輩は己を信じておるのだ。掲げた信念を貫くことができると。それに賛同してくれる者たちが吾輩の支えとなっている。有難いことだの。お主も、一匹では何もできないなどという思い込みは捨てるべきだな」
命は猫又の考え方に、どことなく照と通ずるものがあると感じた。
「吾輩は皆の期待に応えたい。メディウを良くしたい。お主や吾輩のような稀な猫、混血や特異、他の動物たちがいがみ合わず、虐げられず、安全で生きやすい場所を作りたいのだ」猫又は熱く語った。
「冴夜殿のようにメディウの治安を荒らす輩を成敗してくれる者に、なんの恩恵もないなど惨すぎるだろう?吾輩はあやつの努力に応えたい。協力したい。恩返しをしてやりたい。きっとお主の相方も街のために尽くしてくれているのだろう。そんな者を吾輩は無下にはせん。必ず報ってやる」
「猫又さま…」命は感銘を受けた。照が全ての動物が安全に暮らせる街にしたいと言っていたように、彼もまたメディウのために身を尽くしている。そして照が今も街のために尽力していると信じている。
それなのに自分はウジウジと悩んでいる。諦めようという気持ちが出てくる。こんなことでは何も達成は出来ず、照を見つけることもできはしない。誰よりもまず自分が照のことを信じなくては。照が掲げた信念を守らなくては。
「ありがとうございます」不安だった心に自信が湧いてくる。
「構わん」猫又は満足そうに微笑む。「話は以上だ。もう下がってよいぞ。吾輩がここにいること、吾輩と話したことは他言無用だ」
「はい。失礼します」命は立ち上がって客間を出た。




