九月 その五
-前回-
年に一度のお祭り、光石祭。今年は選挙があるため街の至る所で演説が行われていた。命とつむぎがその演説を聞いていると突然、白組のお頭である猫又の護衛が話しかけてきて、命は滅多に面前に出てこない猫又と面会することになった。
「どうでしたか!?」つむぎは早く話を聞かせろとウズウズした。
「猫又さまとお話してきました。他言はできないので詳しいことは言えません」命は夢を見たかのような気分になっていた。
「えぇ~」小犬はむくれる。
「悪い話ではありませんでしたから」猫又と話して胸の重みが幾分か軽くなり、命は微笑みが零れた。
「そうですかぁ」つむぎはそんな命を見て機嫌を直した。「桜組の演説を聞きに行きましょうよ~」
「えぇ」
二匹は桜組が演説をしている場所へ行った。そこは大通りの一番端、小さな水飲み場がある公園だった。白組と同じように舞台が組まれ、三匹の動物がそこに立っていた。
「この街の未来のために、ぜひこの桜組に投札をお願いします!この久司、必ずや皆様の期待に応えてみせます!」
「あの方が久司さんですか?」つむぎが聞いた。
「はい。そうです」
久司はこの一年で顔つきに成獣の鋭さが現れ、体も大きくなっていた。
久司の両隣には熊種と犬種の特異である八葺と、狐種と鼬種の特異であるいらかが控えていた。他にも舞台の周りには犬猫の他に、特異と見られる動物が何匹もいた。
「皆さんはどのような方にお頭になって欲しいですか?」久司は問うた。
「他者を貶めるような発言ばかりしている者に頭株になってもらいたいですか?誰かの容姿を貶すことばかりの者にこの街を任せたいですか?
今一度、頭株という言葉の意味を考えてみてください。僕ら桜組は出来たばかりの若い組合です。特異や混血の多い集団です。奇妙に思われるかもしれません。
しかし誰よりも生き辛さというものを味わってきました。だからこそあなたの傷にも寄り添うことができます!この街をどこよりも住みやすく居心地のいい場所に出来ます!なのでぜひ!桜組に投札を!」
「うわぁ。立派な方ですねぇ」つむぎは演説を聞きながら言った。
「そうですね」命も久司の変貌っぷりに感心した。
「僕、びっくりしました」小犬は辺りを見回す。「この街ってこんなにも特異や混血の方がいるんですね」
「普段は隠れて生活している方が多いですから」命も見回す。「次に行きましょうか」
「はい!」
二匹は紅組が演説している場所へ移動した。紅組は大通りの中でも一番度動物通りの多い場所に、派手な舞台を組んでいた。舞台の周りには犬種が多く集まっている。
「大黒!大黒!この大黒に投札を!」黒と茶の毛色、大きな体で三角のたれ耳、鋭い牙を剥き出しにしながら紅組のお頭、大黒が吼えていた。
「素性の知らぬ猫や歪な特異どもの好き勝手にさせてはならん!この街はもっと規律正しく!そして強くあるべきだ!」
「あれが大黒さんですか?」つむぎは少し怯えながら聞いた。「強そうな方ですねぇ」
「えぇ」命は頷く。「大黒さまは数々の快挙を成し遂げられたそうです。複数の犬と戦って勝ったとか、塾で成績優秀だったとか。医療を学んだり、闘技場に出たという話もあります。まさに頭株といった方ですね」
「へぇ~」
二匹は少しだけ大黒の演説に耳を傾けたあと帰ろうとした。演説を聞いている動物たちの間を抜けて帰路に就こうとすると、黒い外套を纏い、深々と頭巾をかぶって顔を隠している背の低い動物とすれ違った。
「え?」命は振り返った。
「どうしました?」つむぎも立ち止まる。
「……姐さん?」命は匂いを嗅いだ。辺りには強い炭の匂いが漂っている。「姐さんのような方が…」と呟く。
「え?」つむぎは首を傾げたあと鼻を使った。
「今の方...。姐さんと似ていました…」すれ違ったあの動物を思い返す。「いえ、間違いありません!あれは姐さんです!お顔が少しだけ見えたんです!あの鼻先!あれは絶対に姐さんですよ!」
「命さん?何を言ってるんですか」小犬は戸惑った。
「確認してきます!」命はもう周りが見えなくなっていた。つむぎの手を離し、外套の動物を追う。
「あ!ちょっと!」小さな体のつむぎは大きな体の三毛猫を止めようとしたが、行き交う動物の群れに揉まれて追えなかった。「命さん!待ってください!違いますよ!」と叫ぶが雑音と化してしまう。
命は無我夢中で外套のたなびきを追った。風に運ばれてくる強い炭の匂いはどうやら外套の中から香っているようで、自分の匂いを消すために使っているのだろうと命は考えた。そうなると増々あの動物が照ではないかと思えた。
「姐さん!待ってください!」と叫ぶ。周りにいる群衆は突進してくる大きな三毛猫に驚いて道を譲った。
外套の動物はチラリと後ろを振り返り、命に追われていることに気付いた。驚いて小さく体を跳ねさせたあと、命と距離を取るため足を速める。この群れの中でもスルスルと風のように身を翻していた。
あれは間違いなく猫種の動き。そしてあの柔軟で伸びやかな身のこなしは只者ではない。
「姐さん!」命は確信をさらに強めた。
外套の動物は止まることなく走り続け、混み合った大通りを脱するべく素早く裏路地へと飛び込んだ。
命も裏路地へ入る。絶対にここで逃してはいけない。なぜ逃げるのですか。なぜ何も言わずに出て行ったのですか。この一年、何をしていたのですか。疑問を頭の中で叫びながら追いかける。
外套の動物はくねくねと路地を曲がり、巧みに命から逃げていたが、徐々にその足さばきが重くなっていった。体が小さいためそこまで体力がない。恐らくメスだろう。
対する命は体力が十分にあるため、外套との距離を詰めるのにさほど苦労しなかった。
「姐さん!」命は手を伸ばし、はためく外套の裾に爪を引っかけて掴まえた。
外套の動物は一瞬前につんのめったあと、反動で命のほうへ倒れてきた。命がその身を支えると同時に頭巾が脱げる。
「え?」月明りにさらされたその顔を見て、命は魂消た。
それは猫で、淡い黒色の毛をしたメスだった。顔は照とよく似ているが少し違う。命を見上げるその目は月のような黄色をしていて、耳は丸みのある三角形。ヒゲは短く、強烈な炭の匂いが鼻を突いた。
「奥さん…?」命は言った。脳裏には照の母であるひなたの姿が浮かんでいる。しなやかな体躯に、雪を欺くような白い毛。
「離してちょうだい」メス猫はもがいた。その透明な水のような声は紛れもなくひなたと同じだった。
「え?奥さんですよね?一体何を…」と混乱する。「俺です。命です」相手の目に移ろうと外套を引っ張る。
「やめなさい」メス猫は小さな牙を見せ、命を睨みつけた。「あなたと話してる時間なんてないの。離して」
「いやです」外套を強く握る。「ひなたさんですよね?なぜここに?どうして?亡くなったんじゃ?」
「だったらなんだというの?」メス猫はなおも体を捩って逃げようとする。
「やっぱり。奥さんなんですね」命は確信した。そしてひなたが生きているという事実を受け入れると、恐怖で身がブルリと震えた。
「なぜこのような真似を?お体は大丈夫なのですか?どうして逃げたのですか?どうしてお帰りにならないのですか?今まで何を?どうして…」と溢れる疑問を矢継ぎ早にぶつける。
ひなたは外套の留め具に手をかけると、サッと外套を脱いだ。命と距離を取って対峙する。その体は炭を擦りつけたせいで全身淡い黒毛となっていた。
「生きているわ。この通り」ひなたは静かに言った。いつでも逃げられるようにチラチラと周辺を伺っている。「久しぶりね命」
「あ…」約二年ぶりにその声に名前を呼ばれ、命は言葉に詰まった。「そんな…。なぜ…。なぜ生きているのですか…?ご病気は…?」
「とっくに治っているわ」ひなたは冷たく言った。
「ならなぜ…」命は改めて己の目を疑った。「どうやって…」
「紅組の病院に移ったのよ。治療法がそっちにあったから。移るときに私は死んだことにしてもらったの」
「え?」耳も疑う。「どういうことですか?奥さんが…。ご自分でそう望んだということですか?」
「そうよ」ひなたは月のような目を命に向けた。
「なぜそんな真似を?」
「...自分のために」彼女は自信のある面持ちで告げた。「私はとても弱かったわ。だから誰かに守ってもらいたかったの」
「仰っている意味がよく…」別世界の言葉を聞いている気分になった。
「私は今、大黒のもとで働いているわ」
「大黒さまの!?」思わぬ名が出てきて命はつい大声で叫んだ。
「そう。私が入院しているとき、たまたま白組の病院に大黒が来てね。彼には医療の知識が少しあったから、紅組の病院に来れば治してやると言ってきたの。だから移った。そこからは何から何まで彼のお世話になったわ」
「そんな…。しかし…。だとしても、なぜ死んだことなんかに?どうして姐さんに移ることを伝えなかったのですか?姐さんはずっと奥さんが白組の病院にいるものだと思っていたのに…」
「……どういうこと?」ひなたは認識に齟齬が生じたのか首を傾げて怪しんだ。「照には私の死亡伝達が送られたはずよ」
「そんなものは来ていません」命の腹の中で沸々と怒りが湧いてきた。「奥さんが出されたのですか?」
「いいえ。医者に出すよう頼んだわ」
命は拳を握り締める。「姐さんは奥さんが亡くなったことを知らずに、半年も余計に治療費を払っていたんですよ。ずっと奥さんが生きているものだと思って」
「え?」ひなたは本当に何も知らないようだった。
「奥さんを担当していた医者と看護師が姐さんを騙していたんです」命は詳しく説明した。「あの二匹は可惜夜の分家でした。本家に恨みがあったから姐さんにあのようなことを」
「なんてこと…」ひなたは丸い目を見開いて驚いた。「私の死も利用されてたってことね…。どうりであの二匹、やたらと私を目の敵のように扱うと思ったわ。そういうことだったの」
「なぜ死んだことにしたのですか!」命はひなたに対する怒りで叫んだ。
「奥さんが死んでいると知ったとき、姐さんがどれだけ落ち込んだか!どれだけ悲しんだか!酷いですよ!今すぐに戻ってきてください!」
「嫌よ」ひなたの美しい声は冷たい氷のように路地裏に張りつめた。
「なぜ!?」熱く野太い声を彼女に叩きつける。
「もう嫌だったの」ひなたは落ち着いていた。「あの子の母親でいることが。照から逃げたかったの」
「は?」意味が分からないと唖然とする。「逃げる?何を言っているんですか?あなたの娘さんでしょう?」命の目には、ひなたがいつも娘を大事にして可愛がっているように映っていた。
「私には分かるの。あの子の母親だから」黄色の目に憂鬱の陰りが現れた。「あの子を産んで、この手に抱いた瞬間に分かったの。この子は弱いんだって。とても、とても弱い子だって」と自分の肉球を見る。
「姐さんは弱くなどありません」強く否定する助手。
「弱いじゃない。すぐに大病をしたわ」
「でも完治なさった!」
「そうね。奇跡的に」ひなたは遠くに目をやった。「でも鼻は使えなくなってしまった。私たち動物にとって致命的よ。腐ったものを食べようとしたり、知らない動物に付いて行こうとしたり…。
それに、他の子と比べてあの子は変わっていたわ。書物ばかり読んで、不思議なことをよく言って、普通の子が欲しがらないものを欲しがったり。父親の真似ばかりして…。育てるのに手がかかったわ」
「子育てとはそういうものではありませんか?姐さんは確かに鼻が使えませんが、今では立派に、」
「あの子は成長しても、いつまでも弱いままだったわ」ひなたは命の言葉に割り込んだ。
「違います!!」必死に否定する。
「あの子に入れ込むのはやめなさい!」ひなたは親らしい強い声で鋭く言った。「もっと客観的に見たらどう?あなただって本当は気付いているんでしょう?あの子が弱くて何もできない子だって。家族に依存する子なんだって!」
「いいえ…。いいえ!姐さんは強くて自立した素晴らしい方です!俺はずっと一緒にいたから分かります」ほんのつかの間、命の胸に戸惑いが生じた。あの言葉を思い出したからだ。
『可惜夜一族は血の繋がりをとても大切になさる方々です』
「ならあの子は今どこにいるの?」ひなたは命の周りを見た。「風の噂じゃ行方不明だと聞いたけど?私のことを照だと思って追いかけたんでしょ?じゃあやっぱりそうなの?」
「姐さんは…。分かりません」命は首に掛けている拡大ガラスを握った。「奥さんが亡くなっていると知った次の日から、どこかへ行かれました」
「どうしてあなたがそれを持っているの?」ひなたは拡大ガラスを指す。
「落ちていたんです。北の沼地に」
「北の沼地…」と小声で言う。「そう…。やっぱりそうなのね」
「なんですか?」
「やっぱりあの子は弱かったということよ。北の沼地にそれがあったのなら、考えられるのはただ一つ。あの子はそこに沈んでいるということよ。心も体も弱いから、私が死んだと聞いて、自らそこへ行ったのよ。親がいなければ生きていけないような子なのよ」
命は愕然とした。「それが親の言うことですか!?」
「あなたに親の何が分かるの?」淡い炭色の猫は目を細める。「親に捨てられた子がよく言うわ。あなたは子供も持てないのに」
「それは…」狼狽える。「俺には、親父がいます。親父ならそんなことは言いません」
「えぇ。そうね」ひなたは急に穏やかながらも悲しみを含んだ表情をした。「継しい親子なのにね。でも私たちはそうじゃない」
「なぜそこまで姐さんを嫌うのですか?あなたはお子さん思いの優しい奥さんだったじゃないですか」命は未だにひなたが娘を嫌っているなど信じられなかった。
「私はあの子を嫌ってなんかいないわ。確かにあの子を愛していた。自分の子だもの。大事な我が子よ。でもどうしても…。どうしても無理だったのよ!」感情が溢れ、小さな牙を見せる。
「あの子を見捨ててしまいたい気持ちがいつもあった。心の片隅ではあの子を拒絶していたのよ。弱いから!」
あまりにも言っていることが違い過ぎて、命はいま目の前にいる淡い炭色の猫がひなたではなく、別の猫なのではと考え始めた。ただそっくりな別の猫。しかしいくら違いを探してみても、その姿かたち、声、話し方は照の母親だった。
「それでも家族としてやってきた。母として時に厳しく、時に優しくあの子に接してきた。楽しかった思い出だってある。母親になれて、家族を持ててうれしかった。
でも…。でもね、それでもいつもいつも、どんな時でも、煩わしい気持ちが頭を掠めるのよ。この子が私の子じゃなかったらって。もし別の子が私の子だったら、こんな気持ち持たなかったのかしらって」ひなたは長年の苦悩を吐露した。
「奥さん…」
「冴夜さんはとても強い猫だったわ。一族の出なんか関係なく、彼には生まれ持った才能がある。だから彼と一緒になったの。守ってもらいたかった。家族が欲しかった。彼との子供を望んだ。でも照が生まれて、それが叶わないと悟ったの」
ひなたは現状を指すように尾を一度大きく払った。
「案の定、壊れてしまった。照は弱くて、冴夜さんは消えた。私は病気になってしまって…。先行きが不安だった。あんな小さくて頼りない子と一緒に、この先どうやって生きていけって言うの?あの子一匹で何ができるの?誰が私を守ってくれるの?
病気が良くなってもこのままじゃやっていけない。そう思っていた時に大黒と知り合ったのよ。彼は強く逞しく生きていた。私の悩みにも共感してくれた。
紅組の病院に移るとき、死んだことにすればいいって助言してくれたのは大黒よ。彼は私の面倒を見ると約束してくれたし、私としてもそのほうが都合がいいと思ったからそうした。
治療と生活の面倒を見てもらっている恩を返すために、私は紅組で働いているのよ」
「不安だから姐さんを捨てたというのですか?旦那のこともどうでもいいというのですか!?そんなことが罷り通るとでも!?」命は毛を逆立てた。
「違うわ。自分の子を愛しているのに、愛せない気持ちも湧いてくるのよ。自分でもどうしてか分からない。こんなことを考える自分が嫌になったわ。何度も何度も悩んだ。良くしようと努力した。
それでも変わらない。何も解決しない。だったら私にどうしろっていうの?他に手はなかったわ。逃げるしかなかった!今までのことは全部真似事よ。家族ごっこだったのよ!」
「姐さんと旦那が聞いたらなんと言うか!」命は鋭く吠えて非難した。
「姐さんはあなたの帰りをずっと待っていらした!あなたの手紙を待っていらした!あなたの帰る場所を守っていたのに!あなたのことを愛していたのに!ずっと!!それなのにこの仕打ちですか!!」
照の直向きな努力を思い返すと、命の怒りはさらに燃え上がった。短いヒゲが細かく震える。
「あの子は私たちのことを愛していたんじゃない。依存していただけよ」
「違います!」
「あの子はもういないのよ命!現実を受け入れなさい」ひなたは厳しく告げる。
「いいえ!生きています!」三毛猫はぶんぶんと首を振った。「冴夜の旦那のように、どこかで探偵として生きています!」
「...えぇ。冴夜さんは生きているわ」ひなたは天を仰いだ。「今でもどこかで。私には分かる。彼には生き抜く力がある。でも照は違う」
「そんなことありません」助手はキッパリと断言した。「必ず生きています」
「いい加減にしなさい。あの子はもういない」ひなたはゆっくりと命に近づいた。炭の香りが強くなる。「いい?命。私はもうあの事務所にも、冴夜さんの元にも戻らないわ」
「え...?」
「冴夜さんから最後にもらったゾエナが言っていたのよ。『帰れない』。それと、『逃げろ』ってね。それでもう彼は帰ってこないのだと悟ったわ。
だから私はもうあそこには戻らない。私は今、とても安全な場所にいるのよ。守られている。穏やかでいられる場所があるの」
「紅組が安全だとでも?」
「そうよ」ひなたは命の手にある外套を奪った。「本当に嫌だわ。可惜夜一族になんて関わるんじゃなかった。時間を無駄にした」
外套を纏う。
「白組の連中もよ。自己中心的なやつらばかりで気味が悪いわ」と独り言のように呟く。
「なにを言って...」
「さようなら。命」ひなたは月夜の美しい闇に颯爽と溶けていった。




