九月 その三
-前回-
警察犬である禅の家を訪れた命とつむぎ。禅は弟分のつむぎに警察採用試験を受けるべきではないと告げる。つむぎはそれに怒って家を飛び出した。その後、禅は命に警察の捜索に協力して欲しいと頼む。
「うぇ~~~ん!!」道場ではつむぎが床に突っ伏してびえびえと泣いていた。
「禅さんのバカぁ!阿保ぉ!あんぽんたん!朴念仁!はぐれ狼!すっとこどっこい!御為尽!」
「つむぎさん。駄目ですよ。慕っている方にそんなこと言ってはいけません」命は注意してつむぎの側に膝をついた。「そんな言葉どこで覚えてきたんですか」
「だってぇ!だってぇ!禅さん意地悪なんですもん!僕のこと応援してくれてたのにぃ!」黒い目から大粒の涙が零れ落ち、床に潦を作っていた。
「禅さんはつむぎさんのことを想ってああ言ったんですよ。つむぎさんの身を案じて」命は取り持った。
「そんなこと分かってますよぉ!だから腹が立つんじゃないですかぁ!僕だって生半可な気持ちでここに来たわけじゃありません!そりゃ一年前の僕は軽々しく見えたのかもしれませんけどねぇ!でも!でもねぇ!今は違います!僕はここで死ぬつもりで!骨を埋める覚悟で来てるんです!」
「騒がしいな」暮夜が来た。「まだ泣いてんのか?」
「だってぇ!」つむぎは道場に響き渡る大音声で吠えた。
暮夜はやれやれと首を振る。「兄貴ってのは弟を心配する生き物なんだよ。それを突っぱねて進むのが弟ってもんだ」
「親父…」
「……ですよね!」つむぎは鼻水を垂らしながら急に元気になった。「その通りですよ!禅さんが何と言おうと僕は突き進みます!試験を受けます!」
「おう。頑張れよ」暮夜は小さな犬の頭を撫でた。「きっとその禅ってやつも本当はお前のことを応援してるさ。それが兄貴ってもんだからな。だがな、無理はすんなよ。退くも勇気だ。自分の力量を見誤っちゃいけねえ」道場の主らしく助言する。
「はい!!」つむぎは尊敬の眼差しで暮夜を見上げると、鼻水を拭って尾を振った。
「よしよし。じゃあこの水たまりをどうにかしてくれ」床に溜まったつむぎの涙を指す。
「はい!」小犬はサッと立ち上がると雑巾を取りに行った。
道場内が一瞬静かになる。
「あの、親父」命は躊躇いがちに話しかけた。
「なんだ?」暮夜は息子を見る。
「少し頼みたいことが」
「おう」
「できれば誰にも聞かれたくないのですが」命は道場を見回した。今日も複数匹の動物が稽古をしに来ている。
「分かった。こっちへ来い」暮夜は命を連れて道場の裏へ行った。
「で、なんだ?」
「先ほど禅さんに情報を頂きました。骰狗が動いていると。萩の一派も復活したようで」
「はぁ?」暮夜は大声を出さないようにして面食らった。
「禅さんは姐さんが奴らに攫われたのではないかと推測していました」
「照を?」短い尾がピンと立つ。
「はい」命は狼犬に頼まれたことを父に話した。「親父、なんとかして可惜夜一族の方に確認が取れませんか?」
暮夜は低く唸ったあと小声で何やらブツブツと言い始めた。
「親父?」
「分かってる」手を挙げて息子を止める。「少し待ってくれ」と言ってしばらく勘案した。
「……いや。俺には一族から情報を聞き出せるほどの力がない。あいつらは秘密主義の集まりだ。たとえそんな取引があったとしても、俺に話すわけがない。秘密裏に処理するだろう」一匹言のように言う。
「暈陰雲さまにお願いできませんか?」
「ういさまに?」暮夜は目と目の間にシワを作った。「無理だろう。ういさまがどのような立場におられるか、お前も分かってるだろ」
「はい…。しかし暈陰雲さまなら何か手を打ってくださると思うのです。きっと姐さんのために動きたいと暈陰雲さまも思っていらっしゃるはず」命は必死に頼み込んだ。
「お願いします、親父。俺は姐さんを見つけたいんです。どんな小さな情報にも価値がある。だから可能性があるならどんなことでも調べつくしたいんです」
暮夜は真剣な眼差しをしている息子を見つめる。「…よし。分かった。ういさまに聞いてみよう。ゾエナか手紙を送って…」口をつぐむ。
「なんです?」
「ゾエナじゃ十分な伝達はできねえな。あいつらはひと言二言しか覚えられねえ」
「では手紙を」
「手紙を書くとなると代筆になる。だが郵便局の奴らにこの話を聞かれたくない。余計な噂が立つと面倒だし、骰狗がどこに潜んでるか分からねえからな。郵便屋かその周りに内通者がいたら終わりだ。他の奴には頼めない」
「どうしましょうか?」命は悩んだ。「文字が書ける方がどこかに…」
「俺が直接猫の国に行ったほうが早いだろう。だが城に入れてくれるかどうか…」暮夜も悩む。
「僕がお手紙を書きますとも!」つむぎが二匹の間にひょこっと現れた。
暮夜と命は驚いてその場で高く飛び上がる。
「おい!」音もなく着地した暮夜は荒れた毛を逆立てた。
「つむぎさん!」命もヒゲを立ててつむぎを見降ろした。
「なんですか?」小犬はなんの悪気もなく首を傾ける。
「今の話、どこから聞いてた?」暮夜が尋ねる。
「え?最初から聞いてましたよ?」ニコッと笑う。その手には雑巾が握られていた。「雑巾を取って戻ったらお二匹が道場から出て行くところが見えて」
暮夜はため息をついた。命も呆れ顔でつむぎを見る。
「なんですか!僕だけ仲間外れなんて嫌です!僕だって役に立ちたいのに!」と主張する。
「わかったわかった」暮夜は頭を掻いた。「しょうがねえな。お前、文字が書けるのか?」
「はい!少しなら!」期待を込めた目で黒猫を見上げる。
「じゃあ書いてもらおうじゃねえか。紙と墨を用意するから、さっさと拭いて来い」と雑巾を指す。
「やった!お任せください!」つむぎは道場へ飛んで行った。
暮夜と命の二匹は道場の隣に立っている暮夜の家へ入った。紙と墨を用意し、掃除を終えて家に来たつむぎに渡す。つむぎは机の前で筆を握った。
「いいか?しっかり書けよ」暮夜はひとつ咳をした。「暈陰雲さまへ。取り急ぎでお願いしたいことがあります。照のことについてです。最近メディウで骰狗が動き出したそうで、一族の者が誰か、」
「ちょ、ちょっと待ってください!」つむぎは叫んだ。「そんなに難しいこと書けません!」
「はぁ?文字が書けるって言ったじゃねえか」暮夜は小さな犬を見降ろす。
「少しなら書けるって言ったんです!」つむぎは黒く丸い目をウルウルさせた。「もう少し簡単な言葉で言ってくれませんか?僕、頑張って書きますから!お願いします!」
「わかったわかった」仕方ないなと大きな黒猫は泣きそうになっている小犬を慰めると、子供でも分かるような簡単な言葉を使って話した。
つむぎは懸命にそれを認める。
「書けました!できた!」つむぎは手を墨まみれにして誇らしそうに書いた手紙を掲げた。
「よくやったな」暮夜は褒める。「あとは封をして送るだけだ」
「俺が持って行きます」命が言った。
「ああ。頼んだ」
命は手紙を持って郵便屋に行き、猫の国の暈陰雲宛に出して道場へ帰った。この日、つむぎは禅の家に泊まる予定だったが、小さな犬はまだ兄貴分にご立腹だったため暮夜の家に泊まることになった。
翌日になると、反省した顔の禅が訪ねてきて、つむぎに平身低頭で謝罪をしていた。つむぎは後を引くような性格ではなかったため、あっさりと兄貴分を許し、狼犬と小犬は無事に仲直りができた。




