一月 その三
-前回-
探偵の助手である命は依頼主であるうだつと藍真夫妻からいなくなった息子の話を聞き、得た情報を探偵である照に伝えた。照は思案を巡らせ息子探しを続けるのであった。
翌朝、照と命の二匹はうだつと藍真の家を訪れた。
「初めまして。私は探偵の照と申します!」家にいた藍真に照は元気よく挨拶した。
「まぁ。初めまして。藍真といいます」彼女は小さな黒猫に母親の表情を見せたあと少し頭を下げた。「ごめんなさい。せっかく来てくださったのに、今から仕事に行かなくちゃいけなくて」
「お仕事というのは用品店の?」
「えぇ」
「おぉ!それは都合がいい。お伴してもよろしいですか?」照はコテンと首を傾げる。
「構いませんよ」藍真は微笑しながら頷いた。
「ありがとうございます」
猫三匹は藍真が働いている用品店へ向かった。
「どんな探偵さんがくるのかと思っていましたが、」道すがら藍真は言った。「とても若くて可愛らしいお嬢さんだこと」と小さな黒猫を見る。
「えへへ。そんなぁ」照はヒゲ袋を膨らませ、長い尾をピンと伸ばして喜んだ。
「探偵になってどのくらいなんです?」藍真は親しげに尋ねる。
「私は生まれながらの探偵です!父さんが探偵でよく手伝っていましたから」
「まぁ。すごい」
照と藍真は四方山話をしながら歩いた。そのうち夫婦の家からだいぶ離れたところにある用品店に辿り着く。
「ここです」灰毛猫は店を指した。「店の奥が作業場になっています」
「なるほど」照は店を眺めた。平屋建ての広い店。中には採掘者が使うような衣類や手袋、道具を入れるための袋などがずらりと並べられている。
「ここは採掘の山から近いですね」照は南に見える大きな山を指した。
「えぇ。この用品店で働いている動物は私のような採掘者の妻や子供が多いです」藍真も山を見上げる。
「久司くんもよくここに?」
「はい…」藍真はキョロキョロと辺りを見回してから照に近づき、声を潜めた。
「ここでは私、子供はいない事になっているんです。猫種と結婚していて、久司のことはお隣に住んでいる犬種のうだつさんの息子ということにして、よく彼の面倒を見ていると説明してます」
「あぁ!」照は三角形の耳を反らせる。「そうですよね。秘密ですよね。失礼しました。ではここで彼の話をするのはよしましょう。お仕事が終わるのはいつですか?」
「三時ごろになります」
「分かりました。では後程お宅でお会いしましょう」
「はい」藍真は頷くと用品店へ入って行った。
「さて。私たちはお昼を過ぎたら久司くんが通っている塾へ行こうか」探偵は助手を見上げる。「それまでは事務所でひと眠りだ」
「聞き込みはしなくていいのですか?」命は用品店を見る。「お店の方にも話を聞いておいた方がいいのでは」
「しない」黒猫は大きく口を開け、小さな牙を見せながら欠伸をした。
「この用品店で働いている動物は久司くんと藍真さんの本当の関係を知らない。彼が特別な動物だということにも気付いていないだろう。ということはここで働いている動物に誘拐されたわけじゃなさそうだ。誰に尋ねてもいい情報が手に入るとは思えない」
「…確かにそうですね」助手は納得した。
久司の外見は犬種に見えると言っているうえ、犬種のうだつの息子ということで通っているならば誰も普通の犬である彼を誘拐しようとは思わない。
それにこの用品店で働いている者ならば採掘者の給料がどのくらいか知っているはずだ。例え久司を誘拐しても満足な身代文は手に入らないと分かるだろう。
「それに、」照はもう一度欠伸をした。「塾へ行って久司くんの友達に話を聞いて、そのあとは藍真さんたちの家に行って話を聞くだろう?それから恐らく彼女の妹さんとも会うことになる。夜はモグ・モグ探しにも行くし、今のうちに寝ておきたい」
「分かりました」助手は探偵の欠伸が移り、大きく口を開けた。
事務所での昼寝を済ませたあと照と命は久司が通っている塾へ向かった。塾はうだつたちの家からさほど遠くない場所にあり、平屋建てで横に長く造られた形状の建物だった。壁にはたくさんの窓。広めの庭もある。
二匹は塾の入り口で久司の友達であるふすまが出てくるのを待った。
「久司くんがどこにいるのか目途はついているのですか?」命は尋ねる。
「いいや。まったく。もっと情報が欲しいものだ」照は塾から出てくる動物をつぶさに観察していた。
「どこへ行ったんでしょうね」
「あぁ…。あ!」照は鈴を鳴らすように声をあげた。「ねぇ!そこの君!」と一匹の犬に話しかける。
「え?なんですか?」黒と茶の毛をした小柄な犬は猫たちを見て驚いた。
「やぁ。こんにちは。突然声をかけてすまないね」黒猫は明るく言う。「私は探偵をやっている照と申す。こっちは助手の命。実は久司くんの親御さんから依頼を受けてね。久司くんを捜しているんだよ。君はふすまくんかな?」
「え、そうですけど…」ふすまは奇妙な猫たちを怪しみ身構えた。「なんですか?久司の親が?」
「そう。うだつさんと藍真さんから。息子を探してくれと頼まれたんだ」
「あぁ…」友達の親の名を聞きふすまは少し警戒を解いた。
「君が久司くんと仲がいいと伺ってね。よければ話を聞かせてくれないかな?」照は柔らかくお願いする。
「いいですけど…。僕から話を聞いてなんになるんですか?」ふすまは小生意気さを醸し出しながら目を細めた。「久司がどこへ行ったかなんて全く分かりませんよ。僕だってあいつを心配してるんだから」
「それは友達として当然だ」探偵はうんうんと首を振る。「君が知っている範囲でいいから放してほしい」
「…わかりました」仕方ないなと諦め気味に了承する。
「ではまず初めに、この塾について教えて欲しい。私たちは塾に通ったことがないからどういう仕組みなのかいまいちよく分かってないんだ。説明してくれないかな?」照は好奇心から尋ねた。
「はい。塾というのは文字や言葉、計算を習う場所です。年の初めに入塾して、二年ほどで卒業です。僕も久司も同じ年に入塾して、もうすぐ卒業します。ずっと同じ部屋で勉強していました」
「ふむふむ。塾の先生というのは?」
「僕らに指導してくれる方のことです。この塾には先生が二匹います。入塾から卒業までずっと同じ先生が教えてくれるんですよ」
「ここには何匹くらいの動物が通っているんだい?」
「僕らの部屋は十匹くらいです。別の部屋は確か七匹くらい。他の塾がどのくらいかは知りませんが、多い方じゃないですか」
照は喉の奥で低く唸ってから質問を続けた。「久司くんのことについて質問するね。うだつさんから聞いた話によると四日前、久司くんが塾から出て行くところをここの先生が見たとか。君が最後に久司くんを見たのはいつ?」
「僕も四日前です。勉強が終わったあと先生と話をするために部屋に残りました。久司は何か用があったらしく先に帰りましたよ」
「ということは、君はその先生と一緒に久司くんが出て行くところを見たということかい?」
「そうです」小柄な犬は頷く。
「うむぅ…」照は再び唸った。「久司くんの用というのは?」
「知りません」首を振る。垂れた耳も揺れた。
「そうか…」探偵は肉球をペロッと舐めた。「君は久司くんが特別な子だと知っている?」
「特別?…あぁ。特異のことですか?はい。もちろん。初めて会ったときはただの犬かと思ってましたけど、ある日あいつのほうから教えてくれたんです」
「他に彼が特異だと知っている者は?」
「うーん…。いないと思いますよ。先生くらいじゃないかな?久司から特異のことは秘密にしてほしいと言われたので、僕は誰にも話していません」
照は大きな青い目を鋭くさせた。「久司くんは君以外でこの塾に友達はいる?」
「いやぁ、他にはいないんじゃないかなぁ」ふすまは塾を見た。「久司は誰にでも優しくて平等だけど、僕ほど仲のいい子はいないはず」誇らしげに細い尾を振る。
「分かった。じゃあ君から見た彼の印象とか性格を教えてくれる?」
「え?なんでそんなことを?」小さな犬は不思議がった。「あいつは誘拐されたんじゃないんですか?その…。特異だから」と密かに言う。
「まだ私たちにも分かってないんだ。だからどんな些細なことでも調べておきたいんだよ。解決の糸口になるかもしれないからね」探偵は説明する。
「そうですか…。分かりました。さっきも言いましたけど、久司は基本的に誰にでも優しくて良い奴です。塾でも一番の成績だし、真面目な優等生です」
「うんうん」照は首を縦に振る。「最近、彼とどんな話をした?」
「えーっと、」ふすまはどこか遠くを見た。「大抵は塾のことです。あの問題が難しかったとか、あの言葉の意味が分からないとか…。あとは家族とか他の子の話とか」少し気まずそうに言って尾を下げる。
「家族とか他の子?どういった内容なんだい?」照はふすまの反応を気にした。
「うーんと…」彼は言い辛そうに耳も下げる。
「言える範囲でいいよ。……もしかして悪口とか?」探偵は察して助け舟を出した。
「えぇ。まぁ、そういう時もあります。僕には兄弟がいるので喧嘩した話とか、悪口とか…」犬は気恥ずかしそうに吐露した。
「悪口くらい生きていれば言いたくなる時もあるさ」と共感する。「相手を傷つけるのは駄目だがね。久司くんもそんな話を?」
「はい。あいつはよく親の話をしてました。あとたまにイトコのことも」
「ご両親のことはなんと?」
「感謝してるとよく言ってます。塾に通ってるせいで苦労を掛けてるって。でもたまにうんざりしている様子もありました」
「ほぅ?うんざり?」照は声を高くした。「どういうことだい?」
「僕も両親のことは好きですけど、嫌だなぁと思うときがあります。勉強しろとか手伝えとか口うるさく言われると。久司もそうなんじゃないかな?親が過剰に心配してくるみたいなことを言ってた気がします」
「ふーん」猫は不思議がった。「誰でもそう思うものなの?」
「さぁ…?」ふすまはめんどくさそうに答えた。
「そうか。じゃあイトコのほうは?」
「母親の妹の子供だと言ってました。最近はあんまり会えてないから会いたいって。昔からよく一緒に遊んでたようですよ」
「なるほど」照は勘案してから口を開いた。「ところでもうすぐ卒業するんだって?そのあとはどうするんだい?」
「僕は両親が店をやっているので継ぐつもりです」
「久司くんは?」
「誰かの役に立つ仕事がしたいって言ってました。具体的な職業は分かりませんけど」
「ほうほう。それは彼らしいね。どこかへ行きたいとか、そんな話はしてなかった?」
「いいえ。居場所がないみたいなことはぼやいていましたけど」
「ふむ。それはどういう意味だろうね」照は敢えてとぼけた。
「あいつは特異ですから苦しい思いをしてるんでしょう」ふすまは同情を示した。
「そのようだね」青い目を輝かせる。「話は以上だよ。ありがとう。とても助かった。私たちはこれで失礼するね」
「あの、」照たちが去ろうとするとふすまが止めた。
「なんだい?」黒猫は振り返る。
「僕が色々話したことは秘密にしてくださいね。その…。悪口を言ってるとか…」と気まずそうにする。
「あぁ」照は微笑んだ。「分かってるよ。心配しないで」
「ありがとうございます」ふすまはホッとした。「絶対に久司のことを見つけてくださいね」黒い目に期待を表す。
「お任せあれ」探偵は胸を張った。首に掛けている拡大ガラスがキラリと光る。「ではまた」
「なにか分かりましたか?」帰り道、ずっと黙っていた命が聞いた。
「ふーむ」照はポリポリと片耳を掻く。「よく分からないなぁ。親のことが好きなのに嫌いとは」
「あの齢の子はそう思うものでは?親離れする時期でしょう」命は塾のほうを振り返った。
「そうなのか?私は父さんも母さんも大好きだから分からんな。嫌いだと思ったことは一度もないぞ」
命は小さな黒猫を見降ろしてそっと微笑んだ。
「なんだ?」照は目を細める。
「いえ。姐さんらしいなと思いまして」
「ふざけたことを言うな」照は長い尾を鞭のようにしならせる。「さっさとうだつさんの家に行くぞ。九時までには終わらせたい」
「はい」