九月 その一
事務所の戸は開かれず、冴夜も照も姿を見せないまま一年という月日が経った。
命は相変わらず照を探し続けながら暮夜の家で起き伏しをし、道場で手伝いと鍛錬を積んだ。それにより彼はさらに強くさらに大きくなった。戦いの技術を磨き、大型犬にも負けないほどの力を持つようにまでなった。
猫の国にいる暈陰雲は出産を終え、元気な子が生まれたと知らせてきた。
彼女は妊娠中、最初こそ元気でいたが、段々と体調が安定しなくなり寝込むことが増えた。
そのことを樋成からの手紙で知った命は、彼女が出産を終えるまで照がいなくなったことは伏せておこうと考えたが、ある時どこからか話が漏れてしまった。
ただでさえ安定しない体調の中で暈陰雲は動揺し、酷く落ち込んでしまったという。
しかし樋成や使い猫の萌零陽の懸命な献身のおかげで持ち直し、無事に子も生まれ、現在は母子ともに体調は安定していた。
命は猫の国のお頭であり、照の祖父である誘夜にも知らせなかった。だがなぜだか彼にはお見通しであった。
暮夜の元に続けて二通ほど誘夜からの手紙が届いていたが、暮夜はそれを気にも留めずに捨てていた。
「頼もう!」
ある日、暮夜の道場に明るく大きな声が響き渡った。
「つむぎさん!」稽古をしていた命は驚いた。
「お久しぶりです命さん!僕、戻ってきました!」つむぎは最後に会ったときよりも少し背が伸びていた。相変わらず元気で溌剌としている。
「お久しぶりです。お元気でしたか?」命は尋ねた。つむぎが犬の国に帰ってから彼とは二、三度手紙を交わしている。
「もちろん元気ですとも!元気いっぱいです!それが僕ですから!」大音声で答える。
「それは良かったです。今日はどうなさいました?」
「やだなぁ。命さん。お忘れですか?警察の試験を受けにきたんですよぉ!」と丸まっている尾を振る。
「あぁ…。もうその時期なのですね」命は欠けた耳を下げて落ち込んだ。照がいなくなって一年もの時間が流れてしまったのだと気付く。
この一年はあっという間でもあり、長すぎる時間でもあった。どれだけ齢を取ろうと、周りが変わろうと命の心だけはまだあの首飾りを見つけた日に留まっている。
「今年は必ず合格しますとも!」つむぎは気合を入れた。
「応援しています。頑張ってくださいね」前へと進むつむぎを見て命はまた悄気た。
「はい!あの、それで…。照さんは…?」小さな犬は遠慮がちに尋ねる。
三毛猫は静かに首を振った。
「そうですか…。もし僕が警察に合格したら、照さんを探せないか聞いてみますね」
「お心遣いありがとうございます。ですがつむぎさんはご自身の事に集中なさってくださいね」
「分かりました…!」つむぎは躊躇いがちに頷いた。
「今回はどちらにお泊りで?」
「禅さんの所です!禅さんは宿舎を出てタン通りにあるおうちに住んでいます!」
「そうなのですか。タン通りならここからそんなに遠くありませんね」
「はい!このあと会いに行きます!よければ命さんも一緒にどうですか?」軽く首を傾げる。
「分かりました。お供します」
「やった!行きましょう!」
命とつむぎは暮夜に声をかけてから禅の家に向かった。道場から歩いて数分、タン通りにある長屋の一室が禅の住まいとなっていた。
「こんにちは!禅さん!つむぎが来ましたよ!」つむぎは禅の家の戸に向かって大声で呼びかけた。
戸が開く。「つむぎ…。おや、命さん。これはこれは、お久しぶりです」禅が出てきた。
狼犬の彼は警察での訓練を積み、以前よりも逞しくなっていた。警察犬としての威厳と誇りが凛々しい顔に磨きをかけている。
「お久しぶりです禅さん。突然お邪魔して申し訳ありません」命は挨拶した。
「構いませんよ。どうぞ、あばら家ですが」と二匹を暖かく迎え入れる。
「お邪魔します!」
禅の家は入ってすぐに小さな土間があり、引き戸もあった。その戸を開くと一つの部屋が間仕切りでふたつに分けられていて、片方を居間、片方を寝間にしていた。
「本当にお久しいですね。再びお会いできて嬉しい限りです」居間に落ち着くと、禅は相変わらずの折り目正しさで言った。
「よろしければこの一年のことをお聞かせ願えますか?」
「はい」命は詳しく話した。
「そうでしたか。照さんが…」禅は大きな耳を下げた。「大変でしたね。命さん」色が違う左右の目は労うように優しく命を見据える。
「いいえ」命は俯く。「俺は何もできていません。姐さんを見つけることも、事務所を続けることもできず、何も変わっていないのです」と禅の前で弱音を吐いた。
「お力落としなさらないでください。命さんは頑張っていますよ。あなたは何も悪くない」禅の低い声は柔らかく命を励ました。
「ありがとうございます」三毛猫は弱々しく微笑む。
「当時お助けできず、申し訳ない。なにせ宿舎で訓練中だった故、自由に出歩くこともできずにいましたから」
「いいのです。お気になさらず」
「忝い」禅は軽く頭を下げると、つむぎを見た。「あなたはこの一年、何をしていたのですか?」
「はい!」つむぎは意気揚々と話した。「犬の国に帰ってからは警察犬になるべく訓練を重ねながら、勉強もしたんですよ!今は少しですが文字が読めます!」
「それはすごい。頑張りましたね」禅は弟分を褒めた。
「へへへ」つむぎは喜ぶ。「今年こそは!絶対に!必ず!受かってみせます!もう子供だから駄目だなんて言わせませんよ!僕と禅さんが組めばどんな事件も解決です!」
命は張り切っている小さな犬を見て、自分もいつまでも立ち止まってはいられないなと感じた。
「禅さんはどうしていましたか?」つむぎは首を傾げて狼犬に尋ねる。
「我は試験に受かったあと数か月は毎日毎日訓練ばかりでした。その後は正式に警察犬となりまして。組織の中ではまだまだ下っ端ですが、なんとか仕事はできています。最近になって宿舎を出てここに越してきました」と家を見回す。
「風の噂で、禅さんはとても優秀な仕事ぶりだと聞きました!」つむぎは興奮した。「なんでもメディウのお頭たちとお会いしたとか」
「大袈裟ですよ」弟分をたしなめる禅。
「警察犬になる時、お頭の方々とお目通りする機会を頂けるのです。いわば警察就任式典ですね。我だけでなく、他にも警察に入った動物が数匹いましたし、お目通りと言ってもほんの一時、同じ場に居られるだけ。一言お声がけいただいただけです。あなたも受かれば出席できますよ」
「うわぁ!楽しみだなぁ!」小犬は胸を躍らせた。「お頭はどんな方々でした?」
「紅組のお頭は大型犬で、それはそれは自信家な方でしたよ。頭株らしい強靭な精神の持ち主でした。
白組のお頭である猫種の方とは滅多なことがないとお目にかかれないと言われ、式典にも出席していませんでした。しかし代理の猫さんとお会いしましたよ」
「なぜお目にかかれないのですか?」つむぎは尋ねる。
「噂では混血だからとか、特異だからとか聞きますが、真相は分かりません」禅は長い腕を組む。
「そうですかぁ」つむぎは命を見る。「命さんは見たことありますか?」
「いいえ。ありません」三毛猫は首を振った。この街で生まれ育った照でさえもその姿を見たことがない。
「わぁ。どんな方なのかなぁ」小犬は呑気に言う。
「禅さんはどのような内容のお仕事を任されているのですか?」命が聞いた。
「日によって変わります。我はまだ下っ端ですので、行方不明の方を探したり、見回りの警備をしたり。色々試して、今後は適正のある所に配属される予定です」
「禅さんならどこに行ってもおかしくありませんねぇ!」つむぎは目をキラキラさせて兄貴分を誇りに思った。
「そうですね」命は同意した。「次のお仕事はどのような?」
「二日後に光石祭がありますよね。その警備です。今年は選挙がありますから、街の全員が集まる光石祭でお頭の方々が演説する時間が設けられるのです」
「そうか!選挙があるんでしたね!」つむぎは耳を立てる。
「はい。ついにこのメディウの街もお頭が一匹になります」禅は頷く。「住民の間では白組が有利と言われていますが、紅組にも根強い支援者がいるのでどうなることやら」
命は照と選挙の話をしたことを思い出した。この街で生まれ育った照は、多種多様な動物がこの街で自由に生きることを望んでいたので、白組に投札すると言っていた。
命も照と共にこの街のために働けるならと白組に投札しようと考えていたが、照がいなくなった今、この街でお頭に望むことなど無いに等しい。
「僕も選挙に参加できますかね?」つむぎが聞く。
「あなたは参加できませんよ。我もまだ出来ません」禅が説明した。
「選挙で投札できるのはこの街で生まれた方と、この街に四年以上住んでいる方のみです。成獣である必要もあります」
「なんだぁ。僕はできないのかぁ。残念」小犬は少しむくれた。「その選挙ってどうやって行われるんですか?」
「まずこの街に住んでいる有志の方々で、選挙を実行する組合が作られます」引き続き禅が説明する。
「その方々が札と呼ばれる小さな木の板を住民に撒きます。その札には不正が成されないよう数字が振られ、組合の方しか分からない特殊な匂いも着けられます。
受け取った住民は選挙の日に、大通りに設置されるそれぞれの組の箱にその札を入れに行きます。これを投札と言います。札を受け取った方は必ず投札しなければなりません。札の枚数が多い方がこの街のお頭となります」
「なるほどですね」つむぎは納得した。「禅さんは選挙の日も警備をするのですか?」
「それは当日にならないと分かりませんが、恐らく。紅と白だけでなく、桜組も立候補していますから、警備の匹数が必要になるでしょう」
「桜組?なんですかそれ?」
「桜組というのは、」命が言った。「特異や混血ばかりの集まりです」
「その通り」禅がうなずく。
「以前から桜組という集団ができたとの噂があったそうです。あくまで噂程度の集団だと思われていたのですが、選挙の日が近づくにつれ、その集団の存在は如実に顕著になりました。そしてついに選挙の実行組合が作られた日、名乗りを上げたのです」
「へぇ!」小犬は驚く。「それじゃあ三つ巴ってやつですか!」
「はい」と禅。「いずれは分かる事なので言ってしまいますが、桜組のお頭はとても若い、犬のような見た目の方が立候補するそうです」
「え?」命は驚く。「もしかして久司くんのことですか?」
命は桜組が立候補したことは知っていたが、誰がそのお頭を務めるのかまでは知らなかった。
「ご存知なのですか?」禅は三毛猫を見る。
「はい。以前依頼を受けて…」久司の件を説明した。
一年と少し前、犬種のうだつから息子を探して欲しいと依頼があり、特異混血である久司を桜組の事務所で見つけた。
「まさか久司くんが…。八葺さんかいらかさんかと…」
「そんなことがあったのですね」禅は感心した。やはりこの街を知り尽くしている探偵の助手だけあって、命はその辺の警察よりも経験が豊富にあり、裏事情もよく知っている。
「すごいですねぇ。そんな若い方が立候補するなんて」つむぎは憧れの眼差しを見せた。「かっこいい…!」
「あなたも大概ですけどね」禅は弟分の若さを指摘した。
「紅組のお頭は中年齢、白組のお頭は高年齢と聞きましたから、桜組は若い方をお頭にして若者の札を集めやすいようにしたのではないでしょうか?」と考える。
「確かに選ぶ側としては色々な方がいたほうが良いですね」この中で唯一投札権を持つ命は頷いた。「久司くんはこの街を混血や特異が生きやすい街にしたいと仰っていました」
「それって白組とあんまり変わらなくないですか?」とつむぎ。
「違いはありますよ」禅が言う。
「白組はこの街を国にしたがっています。それに混血や特異だけでなく、他の動物も受け入れたいと言っています。もし白組が勝てば、今後は他の種が増えるということですね。
一方で桜組は混血や特異のための街と言っています。彼らが勝てば純血種の肩身が狭くなるということが起こるかもしれません。しかしまだ出来たばかりの組ですから、不明瞭な部分もありますよ」
「なるほどぉ」つむぎは理解した。「あ、もう一ついいですか?」と手を挙げる。




