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八月 その一

-前回-

病院に忍び込み、母の担当をしている風見と月華の話を盗み聞いた照はその内容に打ちひしがれ、自分の部屋に閉じこもってしまった。


  照は翌日の昼になっても起きてこなかった。さすがに心配になった命は、起こすなという指示を無視して彼女の部屋を覗いた。


 「姐さん?」


 返事はない。


 「失礼します」中に入って寝床を見てみたが、そこに黒猫の姿はなかった。


 命は他の部屋をくまなく探してみたが、どこにもその小さな体は見つからない。


 「どうしたんですかぁ?」お使いに出掛けていたつむぎが帰ってきた。


 「姐さんがいないんです」


 「え!」子犬はピンと耳を立てる。「どこに行ったんでしょうか?」


 「分かりません」助手は狼狽うろたえた。「病院かどこか…。いつもどこかへ行くときは声をかけてくださっていたのに」


 「こんな時こそ僕の鼻ですね!」つむぎは胸を張る。


 命はハッとなった。「お願いします」

 

 「任せてください!まずは照さんの部屋から匂いを辿りましょう」


 二匹は照の部屋へ行った。


 「ふんふん」つむぎは匂いを嗅ぐ。


 「どうですか?」


 「照さんの匂いで溢れていますねぇ。ここを出たのはそんなに前じゃなさそうです」


 「午前中ということですか?」


 「そうですね」つむぎは鼻を床に近づけて何かを辿るように動いた。照の部屋を出て階段を降りる。二階の資料室の前で止まった。


 「ここに入ったようです」資料室の戸を指す。


 「資料室に?何か調べものでしょうか?」命は考えた。


 「下の階には行ってませんね」鼻を階段のほうへ向ける。「ふんふん…。あ、この窓から匂いがしますよ」と資料室の側にある小さな窓を指した。


 「窓に?」


 「はい」窓の匂いを嗅ぐ。「間違いありません」


 「下には行っておらず、窓に匂い…。ということは窓から外へ出たと?」命は驚いた。「なぜそのようなことを…」


 「今日、下の階にはずっと命さんがいましたからね。外に出るには窓から出ないと」つむぎは言う。「外へ出てみましょうよ!」


 「はい」


 二匹は階段を降りて事務所の戸から外へ出た。建物を回り込んで照が外へ出たと思われる窓の下に着く。


 「ほう?ここには匂いがないですね」つむぎは地面の匂いを嗅いだ。


 「下に着地していないということは、」命は上を見た。「きっと屋根の上に登ったんですよ」


 「えぇ!?」小さなつむぎは後ろへ倒れそうになりながら建物を見上げる。「僕、屋根の上なんて行けませんよぉ!」短い手をバタバタさせた。


 「俺が連れて行きます」命は小さな犬を抱えた。「しっかり掴まっていてください」


 つむぎを抱えたまま事務所の中を通って三階まで階段を上る。三階の窓から身を乗り出すと、足の力を使ってピョンと屋根の上に飛び乗った。平たい陸屋根につむぎを降ろす。


 「うわぁ!猫さんの跳躍力ってすごいんですねぇ」つむぎは恐る恐る下を見ると小刻みに震え始めた。「ひょえ…。僕こんな高いところ初めてです…!」


 「大丈夫ですか?」命はへっちゃらだった。


 「はい…!怖いですけどなんとかぁ」黒い目を点にさせる。


 「俺がちゃんと掴まえていますから」三毛猫は子犬の小さな手を握った。


 「助かりますぅ」つむぎは足を震わせながら辺りの匂いを嗅いだ。「ふんすふんす…。う~ん。なんとなぁく照さんの匂いがするような…。いやぁ…?う~ん…」とブツブツ。


 「どうですか?」


 「微かに照さんの匂いがします。でもそれよりも強い土の匂いがしますよぉ」屋根をしきりに嗅ぐ。「この屋根の材質の匂いじゃなくて、森から採って来たような、畑にあるような土の匂いです」


 「土?」命も鼻を動かす。


 「はい…。あ!」つむぎが何かを見つけた。「見てくださいあそこ!」と屋根の端を指す。


 命はそちらを見た。そこには少量の茶色い土が落ちていた。


 「なぜこんなところに土が…」三毛猫は近づいて土を手に取る。


 「ふんふん」子犬は土の匂いを嗅ぐ。「あ、照さんの匂いが混ざっています!」


 命はハッとなった。「まさか姐さん、ここで土の匂いを着けたのでは?」


 「えぇえ?」


 「資料室には匂い消しの土がありますから。その土はその辺にある土よりも匂いが強いんです」近所の切妻屋根を見回す。「ここで匂いを着けたあと、どこかの屋根へ飛んだはずです」


 「屋根伝いに移動したということですかぁ?」

 

 「そうです。姐さんの跳躍力なら簡単ですし、以前にもそうして移動したことがあります」


 「隣の屋根になんか行けませんよぉ!」つむぎは両手で命の腕にしがみ付いた。「僕には無理ですぅ!」


 命は自分一匹なら隣近所の屋根に飛び移ることができるが、この震えている子犬を抱えて斜めになっている切妻屋根に乗るのはさすがに危険だと判断し、照の追跡を断念した。


 「降りましょうか」体の大きな三毛猫は再び子犬を抱え、屋根から降りた。


 二匹は一階に移って部屋の真ん中にある椅子に座る。


 「あぁ。地上」つむぎは安堵のひと息をついた。「まだ足がガクガクしてますよぉ」全身を一度ぶるりと震わせる。


 「お手伝いいただきありがとうございます」命は言った。


 「これくらいなんてことないです!」つむぎは笑顔を見せた。「それにしても照さん、どこへ行ったんでしょうねぇ」


 「分かりません。姐さんは土で匂いを消しているので、恐らく俺にもつむぎさんにも後を追ってほしくないということになるかと…」命は悩んだ。「一体どうしてそんなことを?どこへ?」


 「心当たりはありませんか?」子犬は首を傾げる。


 「病院くらいしか…。でも匂いを消す必要が?」


 「もしかして照さん、お医者さんや看護師さんに会いに行ったんじゃないですか?それかお母さんを探しに行ったとか!一昨日、お二匹は薬草の匂いを着けて病院に忍び込みましたよね?」


 「はい。資料室にある薬草は一昨日使い切りましたから、もうありません。代わりに土を使ったのだとしたら…」助手は悩む。


「いえ、しかし、午前中に出て行ったのですよね?奥さんを探すなら夜中に忍び込むはずですし…。医者や看護師に会いに行くなら土を付ける必要がありません」


 「どうしましょう?」つむぎも不安になった。


 「とりあえず俺は病院へ行ってきます。姐さんが帰ってくるかもしれないので、つむぎさんはここで待っていてもらえますか?」


 「分かりました!」


  命は白組の病院へ向かった。受付にいた犬に照が来たか尋ねてみたが、見かけていないと首を振られる。受診しに来ていた他の動物にも照の特徴を伝えて見ていないか聞き込んだが、結果は同じだった。つむぎを真似て辺りの匂いを嗅いでみるも薬草の匂いしかせず分からなかった。


 困りは果てた三毛猫は育ての父、暮夜ぼやの道場へ行った。


 「親父…」萎れた声で命は生徒に技を教えていた父に声をかけた。


 「おう?どうした命。照は一緒じゃねえのか?」暮夜ぼやは息子に向き直る。


 「実は…」と照がいなくなった経緯を重く説明した。


 「なんだって?」暮夜ぼやはしかめ面をして驚いた。「ちょっと待て。ちょっと待て」と混乱する。


「ひなたさんが半年前に亡くなっていて?照が行方不明?何を言ってんだお前は」


 「本当なんです」命は悲しげに言った。「俺も信じられません。もう何がどうなっているのか…」


 暮夜ぼやは低く唸った。息子が嘘を言うはずがない。ならばこれは本当に起きた事態だ。実感と恐怖がじわじわと沸いてくる。


 「どうしたらいいのでしょう?姐さんは医者と看護師に会ったのでしょうか?それとも別のどこかへ?」


 「分からねえ」暮夜ぼやは元から厳めしい顔をさらに険しくさせた。「もう少し探してみよう。俺も探す。かすみとほのにも手伝ってもらおう」


 「はい」


 命と暮夜ぼや一家はひとまず近所のありとあらゆる場所を探した。暮夜ぼやと子供たちは表通り、命は裏通りを中心に誰か照を見かけていないか尋ねて回る。念のため紅組の病院にも行ってみたが照らしき猫は来ていないようだった。


 一同は道場へ戻る。


 「照ちゃん、どこへ行っちゃったのかしら」幼子と留守番していた暮夜ぼやの妻、うららが心配そうに言った。


 「警察に行くしかねえか?」暮夜ぼやが呟く。


 「無駄かと」命は首を振った。「姐さんは自ら姿を消したのです。警察がそんな方を探すとは思えません」


 「…そうだな」大きな黒猫はため息をつく。


 「でも一応は行っておいたほうがいいんじゃない?」夫を励ますようにうららが言った。


「照ちゃんが自ら出て行ったとしても、何かの事件に巻き込まれていたら大変よ。それこそその医者と看護師に捕まってたりしたら…」


 「確かにな」と暮夜ぼや


 「先ほど白組の病院へ行ってきました」命が説明する。「しかし誰も姐さんを見ていないと」


 「隠してるのかもしれねえぞ」道場の主は低い声で言った。「お前はその医者と看護師に会ったのか?」


 「いいえ。話を聞きたいと受付の方にお願いしたのですが、忙しいからと取り合ってくれませんでした」


 「くっそ。だったら俺たちだけじゃ分からねえよ」


 「つむぎさんに頼んでみます。病院に行って匂いを嗅いでもらえれば、姐さんが来たかどうか分かるはず。つむぎさんはいま、事務所で姐さんが帰ってきた時のために留守番をお願いしています」


 「よし。じゃあかすみを連れて戻れ」暮夜ぼやはみんなに指示を出した。「命とつむぎで白組の病院、かすみは事務所で留守番、うららは子供たちとここにいてくれ。俺は警察に行ってくる」


 「はい」


 猫たちはそれぞれの行動を取った。


  暮夜ぼやは大通りに居を構える警察所へ行って姪が行方不明になったと伝えたが、事情を説明するにつれ、対応していた警察犬の顔が曇っていった。


 「そんな猫、探せませんよ」警察犬は言った。


 「なんでだよ」暮夜ぼやは噛みつくように吠えた。


 「自分から出て行ったわけでしょ?それで事件に巻き込まれていても自業自得なのでは?」


 「はぁ?それが警察の言うことかよ!」暮夜ぼやは荒れた毛を逆立てた。


 「話を聞くにその猫、探偵なわけでしょ?」警察犬は白々しく言った。


「探偵をしてるってことは事件に巻き込まれることも時にはあるんでしょ?それを承知で探偵をやってるんじゃないの?警察がそれを探すわけないでしょ。探偵は警察を嫌ってるって聞きますし、関われませんね」


 帰れと等閑なおざりに手払いされ、暮夜ぼやは悔しさで唸りながら警察署を出た。力づくで言うことを聞かせようかとも思ったがここは警察所。それなりの強さの犬猫が多くいるうえ、自分が捕まってしまったら元も子もない。


 暮夜ぼやは拳を握って考えた。こんな時に冴夜さよがいてくれたら…。いや、あいつがいれば照は行方不明にはならなかっただろう。


照はなんでも父親の真似をしていた。何も行方不明になるところまで真似しなくてもいいだろうに。彼女は一体どこへ?父親が消え、母親もいなかったと知った彼女の心情を想像するとこっちの身にも堪えるものがある。


 もしこのまま見つからなければ父親である猫の国のお頭、誘夜いざよいに頼むしかないという考えが暮夜ぼやの頭に浮かんだ。お頭は孫娘のことをいたく気に入っているので探してくれるかもしれない。


猫の国には特別な訓練を受けた影猫という集団が存在する。彼らは可惜夜あたらよ一族の守護者というだけでなく、お頭から与えられた任務はどんなことがあっても遂行、完遂する。まるで影のようにひっそりと。煙のようになんの跡形もなく静かに事を済ませる。


先代の終夜よもすがらや現お頭の誘夜いざよいは既に冴夜さよを探せと言う命令を影猫たちに出しているだろう。


それでも一年も見つかっていないのは、冴夜さよがそれだけ隠密行動に長けているからだ。お頭になる教育を受けていたなら、影猫がどんな行動を取るか熟知しているはず。


冴夜さよのほうが上手うわてだったとしても影猫たちが優秀なことに変わりない。若く経験も浅い照なら見つけられるのでは…?


 暮夜ぼやは自分の思考に嫌悪感を抱き、激しく首を振った。こんな時だけ実家を頼るなんて。あの家を嫌い、自らあそこを出て行ったというのに今さらお頭の権力に縋るなんて。


しかしこれは緊急事態だ。可愛い姪っ子が帰ってくるなら何でもやる覚悟はある。どんな辱めや罰を受けようとも構わない。ただ妻と子供たちだけには迷惑をかけたくない。


一体どうすればいい?自分には何ができる?そんな葛藤を抱えながら暮夜ぼやは道場へ帰った。


 


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