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七月 その二

-前回-

母からの手紙を受け取った照。鼻の効くつむぎがその手紙を嗅いでみると、匂いが違うと言った。それに怪しんだ照は病院へ向かったのだが、看護師の月華に追い返されてしまう。


  三匹は事務所に帰った。


 「どうしたんですか姐さん」命はつむぎを床に降ろすと尋ねた。


 「うわぁ。命さんって本当に力持ちなんですね」運ばれたのが嬉しかったのか呑気につむぎが言う。


 「あの看護師は嘘をついている」照は部屋の真ん中にある椅子に座った。


 「嘘?」


 「あぁ。彼女は口が固そうだったから、しつこく問い詰めて怒らせたら何か言ってくれるかと思ってね。君たちの協力もあって案の定ポロリと言ってくれたよ。


『手紙を辞めたいと書いたでしょう』とな。母さんが書いた手紙を読んだ可能性もあるが、あれは自分で書いた口調だった。


つまり彼女は代筆などしていないと嘘をついている。つむぎくんが言うように、月華げっかさんの匂いがべったりついているなら、やはり彼女が代筆しているんだ」


情報はもんより重し。照はいつもこうした些細な情報から問題を解決していた。


 「なぜそんな嘘を?」命は首を傾げる。「代筆すること自体は悪いことではありませんよね?奥さんの容体が悪いから代筆しているとなっても、看護師はそれを隠す必要がない」


 「そうだね。理由は解らないが、これは何か匂いぞ」照は聞かない鼻をひくひくさせた。


 「ですよねぇ。まだあの病院の匂いが鼻の奥にこびりついてる気がします」子犬はくしゃみをするように鼻をフンと鳴らした。


「あそこ薬草の匂いが強くないですか?酔いそうでしたよ」と鼻をつまむ。


 「犬向けの病院ではないからでは?」命が言う。「確かに薬草の匂いはしましたが、俺は酔うほどではなかったので、犬種にはきつかったのでは」


 「受付は犬だったぞ」と照。


 「あ…」と命。「あの方は慣れているとか」


 「僕の鼻が良過ぎるんですよぉ!」つむぎは再びフンと息を吐いた。「良くてもいいことばかりじゃありません」


 「天才ゆえの悩みだな」天才的な聴力を持つ探偵は共感した。


 「姐さん」命は黒猫に言う。「もう手紙を出さないなんて本気ですか?俺には信じられません。奥さんが手紙を出すのを嫌がるなんてあり得ませんよ」


 「私だって信じたくないよ」照は長い尾をくゆらせた。「あの場はとりあえずああ言ったんだ。やはり何かおかしい。調べてみよう」


 「どうするんですか?」


 「義賊の腕の見せ所だ」青い目を怪しげに光らせる。「今夜忍び込む」


 「病院に?」命は驚いた。「無茶ですよ。危険です」


 「危険なことあるか。ゴロツキ共がいる場所へ行くわけじゃないんだぞ。簡単だ」


 「では俺も行きます」


 「来なくていい」


 「行きます」助手は言い張った。「簡単なのでしょう?なら俺も行きます。足手まといにはなりません。姐さんを一匹で行かせるわけにはいきませんよ」


 「僕も行きます!」つむぎも短い手を挙げた。


 「駄目だ」探偵はキッパリと断った。「数が多いとバレやすくなるだろう。私一匹で十分だ。母さんがどうしているのか確認するだけだから」


 「姐さん。お願いします。俺にも何かさせてください」命は切望して照に詰め寄る。あの時のように、自分がいないところでこの小さな黒猫が傷つくことになるのは避けたい。


 「僕の鼻は頼りになりますよ!」つむぎは鼻を照に押し付けて主張する。


 命は子犬の首根っこを掴んで下がらせた。


 「うーん…」探偵は肉球を口に当てて考える。「じゃあ、つむぎくんは母さんからの手紙を全て分析してくれ。いつから代筆になったのか、他に何か匂いがするか調べて欲しい」


 「分かりました!」つむぎは喜んで丸まった尾を振った。


 「命は私と一緒に来い。見張り役だ」


 「はい」三毛猫は安堵した。


 「よし。数時間後に出発しよう。それまではつむぎくんに頑張ってもらう」


 「まかせてください!」子犬は大声で返事した。


  照は母親が入院してから受け取った手紙を自室から取ってきて、つむぎに渡した。つむぎは最初の手紙を広げて目を閉じ、隅から隅まで匂いを探った。


 「うむぅ…」鼻の利く子犬は目と目の間にシワを作った。「紙と墨の匂い…。あとは照さんの匂いだけです」


 「さすがに一年近く前の手紙ともなると匂わないか」照も唸った。


 つむぎは二枚目を広げて嗅ぐ。「これも。なんの匂いもしません」


 「そうか…」照は一枚目の手紙を手にし、鼻を近づけて匂いを嗅いだ。「何も匂わない。空気が入ってくるだけ。私も匂いを感じてみたいものだ」とぼやく。


 生まれてすぐに嗅覚を失った照は、ほとんどのなんの匂いも知らずに育った。最愛の両親も、命や暮夜ぼや、自分の匂いすらも知らない。


嗅覚がないことで食べる楽しさは減り、匂いを嗅いで何かを懐かしむという経験もなく、匂いに関する話もできない。日常生活で困る場面はいくつかあり、仕事にも影響が出ている。


しかしその代わりに聴覚を鍛え上げた。遠くの音から壁を隔てた音まで聞こえる。一度耳にした足音や声であれば聞き分けられ、日々身近にいる者であればその精度は上がる。両親と命にいたっては呼吸や心音の調子まで把握していた。


 この聴力が仕事の役に立つことは多々あったが、初対面の他者の場合、その者の呼吸や心音が速くなっているのを耳にしても、それが緊張から来るのか苛立ちから来るのか、はたまた興奮しているのか嘘をついているのかは慣れていないため判別ができない。


 こうした利点や欠点が己にあろうと、これが自分の体なのだと照は早々に受け入れていた。気に病む場面はもちろんある。だがそれで何かが変わるわけでもないと憂いを納得の域に落とし込み、半ば諦め半ば前向きに捉えるようにして、(じぶん)という存在を形成していた。


 「なぜつむぎくんはそんなに鼻がいいんだ?」照は好奇心から尋ねた。


 「生まれ持ったものなので分かりません!僕は特別鼻が長いわけでもありませんし、僕の両親は普通の鼻ですよ!」つむぎは三枚目の手紙を手にして答えた。


 「ご両親から受け継いだものではないのか。ふむ。どうなっているんだろうね」一枚目の手紙を見つめる。


「それにしても警察の連中、逃した鼻は大きいな。今年はさぞ多くの犯罪者を逃すんだろう」探偵はやれやれと首を振った。


 「うへへ」褒められてつむぎは喜んだ。


 「つむぎさん。次の手紙をお願いします」命が促す。


 「はい!」つむぎは三枚目を嗅いだ。「…あ!これは!」


 「どうした?」照は長い尾をピンと立てる。


 「とっっっっっっても微かですが薬草の匂いが!ふんふん。近づいて来たぞぉ!」四枚目を手に取る。「おお!これも薬草の匂いが…。ん?」


 「なんだ?」


 「わずかに照さんと似た匂いが…。非常によく似ていますが少し違う」


 「前に話していた皮膚の匂いというやつか?」


 「そうです!」子犬は頷く。


 「では入院して四カ月目までは母さんが書いていたということになるのか?」探偵は考え込んだ。


 「そのようですね」つむぎは五枚目も嗅いだ。「これも少し匂いがします」


 次の月。「これも」


 次の月。「……う~ん?」つむぎは鼻を手紙に着け何度もスンスンした。


 「どんな感じだ?」


 「薬草の匂いが…。照さんのような匂いが消えました」


 「ほう?」


 つむぎは次の月の手紙を嗅いだ。「…これは!あの方の匂いがしますよ!あの病院にいた看護師の猫さんの!」


 「なんだって!」照は驚いた。「では六か月目辺りから代筆は始まっていたということか?」


 「はい」次の手紙を嗅ぎながらつむぎは頷いた。「これもです。あの猫さんんの匂いが強くなってます」


 「そんな…」愕然とする照。「まったく気づかなかった」一枚目と六枚目を見比べる。「字はそっくりだな…」


 「だったら気付かなくて当然ですよ」つむぎは耳を下げる。「僕ほどの鼻がないと。他に変な匂いはしません」


 「分かった。ご苦労さま。助かったよ」深いため息をつく。


「私は…。なんで気付かなかったんだ…。こんなことに…。母さん。今どうしているのですか。具合が悪いのであればせめてひと目でも…」と心悲しく嘆く。


 「姐さん…」命も悲しくなった。




  深夜になると照と命は事務所の二階、資料室に入った。この資料室には冴夜さよが集めていた書物や今までの事件の記録が揃っているだけでなく、義賊をするにあたって必要な道具も置いてある。


自分の匂いを消すための薬草や泥、炭、土。姿を誤魔化すための外套や頭巾。手足の跡が付かないための手袋やくつ。戦闘に使える小刀や煙玉、まきびし、紐や鉄棒などなどが保管してあった。


 「これだ」照は資料室に置いてある棚の中から小箱を取り出した。その中には薬草が入っている。薬草をひと掴みすると小箱を命に渡した。薬草を体の至る所に擦り付ける。


 命も真似して薬草の匂いを擦りつけた。


 「私の匂いがするか?」探偵は尋ねる。


 助手は匂いを嗅いだ。相棒からは強い薬草の匂いしかしない。「しません」


 「よし。なら君もしないだろう。病院に行くぞ」


 「はい」


  二匹は事務所を出た。つむぎには留守番を頼んだが、帰りがいつになるか分からないので寝ても構わないと伝えてある。


 なるべく他の動物に見られないよう路地裏を巧みに忍びながら進んだ。表通りを行くよりも時間をかけて白組の病院に辿り着く。


病院には大した警備がいなかったので、二匹は看護師に教えてもらったひなたが入室している棟の下まで容易に近づくことができた。


 「いいか命」近くの茂みに身を隠すと照は小声で言った。


 「はい」三毛猫は茂みからはみ出ないよう体を小さく畳む。


 「君はあの木に登れ」棟の横に植わっている一本の大きな木を指す。「木の中腹辺りに太い枝が見えるか?あそこなら外からでも窓越しに中の様子が見えると思う。建物の構造的に廊下が見えるはずだ」


 「分かりました」


 「木の棒か何か持って登れ。もし見回りの看護師か警備が来たらその棒で木を二回叩くんだ」ご自慢の耳を指ではじく。「足音でわかると思うが、念のため君の合図も欲しい」


 「はい」命は近くに落ちていた木の棒を手にした。


 「もし何か起きたり、誰かに見つかったり、私が三十分で戻らなかったら事務所に帰れ」


 「そんな、」


 「いいな」照は有無を言わせなかった。


 「…分かりました」助手は渋々頷く。「ゆるがせにしません」


 「あぁ。頼む。では行ってくるよ」


 「お気をつけて」


 「そっちもな」



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