六月 その二
-前回-
猫の国から帰って来た照と命。つむぎの手によって片付けられた事務所に照は不満気。命は旅から帰ってことを父に報告しに行った。
翌日、三階の部屋で目を覚ました命は一階に降りた。
「おはようございます!」元気なつむぎは塵ひとつない床の掃き掃除をしていた。
「おはようございます」命は喉の奥が見えるほど大きな欠伸をした。「つむぎさんは綺麗好きなんですね」
「はい!お父さんから、身の回りは綺麗にしていろといつも言われています!それにここをお借りしている身ですので、綺麗にしないと!」
黒い目をキラキラさせる。物が無くなり明るくなったせいか余計にその目が輝いて見えた。
「ところで猫種の方って本当によく寝るんですね!」
「そうですか?」命は窓の外を見た。もうすぐお昼になろうかというところ。
「そうですよ!照さんだってまだ起きてないんですよ?」
「確かに姐さん遅いですね」首を傾げる。昨日は夕刻ごろ事務所に帰ってきたので、照はかなり長く寝ていることになる。「起こしてきます」
助手は階段を上がって照の部屋の戸を叩いた。応答はない。
「姐さん。失礼します」と声をかけてから中に入る。
照は四角い寝床で黒い満月のように丸まって寝ていた。
「起きてください姐さん。お昼ですよ」
小さな黒猫は微動だにせず寝ている。
「姐さん?」命は軽く彼女の肩を揺さぶった。
反応はない。寝ているというよりも意識を失っているように見える。
「姐さん!」大きな声で呼び、照の頭を持ち上げて揺さぶる。
「……ん?」三角の耳がピクリと動く。「なんだ…?」薄目が開いた。
「起きてください」助手は安堵のため息をつく。
「うむぅ…」照は球体になった。「あとちょっとだけ…」
「駄目です。起きてください」
「……んもぅ」照はモゾモゾ動くと、手足を床に着けたまま山なりになって背中を伸ばした。そのあと背を凹ませて手足もびよんと伸ばす。長い尾は小刻みに震えるほどまっすぐに伸びた。
「熟睡されていましたね」
「うん。よく寝た」大欠伸する黒猫。
つられて命も欠伸が出そうになった。
二匹は階下に降りる。
「照さん!おはようございます!こんにちは!新聞が来ていますよ!お茶を入れますね!」つむぎは探偵の手に新聞を押し付けると、小さな台所へ向かった。
床に物が無くなり走り回れるようになったので、犬の爪が床を掻く音がよく聞こえる。
「元気だな」照は事務所の奥にあるふかふかの椅子に座ると新聞を読み始めた。
「俺の役目が無くなってしまいました」助手は欠けた耳を下げる。
「じゃあクビ」
「え?」
「嘘」照はシレッと新聞を読み続ける。
「勘弁してくださいよ姐さん」またいつもの揶揄いだ。今回は熟睡を邪魔され不機嫌なうえに、綺麗になった事務所がまだ気に入らないせいで刺々しい。三行半を突き付けられたのは初めてだった。
「ふん」新聞を閉じると、照は机の引き出しから紙を一枚取り出した。「ういさまに手紙を書くから出してきてくれ」
「分かりました」まだ役目があってよかったとひと息つく。猫の眠りを邪魔してはいけない。
探偵はサラサラと文字を認め、紙を折りたたんで封をすると宛名を書いて助手に渡した。
「行ってきます」命は言った。
「あぁ。頼む」照は再び新聞を読み始めた。
命が事務所を出て行くと、入れ替わるようにして一匹の動物が入ってきた。
「探偵はいるか?」その動物は齢を取った犬種だった。
「あ!こんにちは!」つむぎがお茶を入れて持ってきた。照の机にお茶を置く。「照さん。あの方が照さんたちが留守のあいだに来てくださった方ですよ!」
「あぁ」探偵は新聞を机に置くと、お茶を持って部屋の真ん中にある椅子に移った。「どうぞこちらへ」向かいの席を老犬に勧める。「つむぎくん、この方にもお茶を」
「はい!」子犬は再び台所へ行った。
「失礼する」老犬は照の勧めた椅子に座った。
「再度足を運んでいただき恐縮です。私は探偵の照と申します」
「非才はハチと申す」老犬は厳めしい顔で言った。
ハチは犬種のオスである。背は高くないが幅のある体をしていた。灰色の毛で、折れた両耳にとても短い鼻。まぶたが重く目にかかっており、頬や顎にもタフタフとした皮が垂れていた。
「どうぞ!」つむぎがお茶を持ってきて照の横に立った。
「初めましてハチさん。どのようなご依頼でしょうか?」照は尋ねた。
ハチはゆっくりとお茶を味わったあと、低く乾燥した声で話し始めた。「非才には雅楽という孫息子がおる。その雅楽の結婚相手を探してほしい」
「え?」探偵は驚いた。「結婚相手ですか?」
「そう。雅楽はもう青二才も抜けた齢だというのに一向に番を見つけようとせん。だから非才が相手を見つけてやろうとしておる」
「それはその…」若い黒猫は困った。「申し訳ございませんが、そのようなご依頼は難しいですね」
「なぜだ?そこの小僧がなんでもやると言っておったぞ」つむぎを指す。
照は子犬を見た。
つむぎは何が悪いのか分かっておらず、丸まった尾を振りながら顔に疑問を浮かべた。
「あの、確かにうちはなんでもやります」探偵は老犬に向き直った。
「ですがそれは何か生き物を探したり事件を解決したり…。そういった類のものであって、結婚相手を探すというのは専門外ですし、孫息子さん次第なので…」気まずくなって耳の後ろを掻く。
「文ならいくらでも出す」翁は照の辞退などお構いなしだった。
「そういう問題ではありません」探偵は矜持を見せる。
「なにが問題なのだ?」犬はまぶたの向こうで黒い目を鋭く光らせた。
「ですから…」どうしようかと迷う。「そうだな…。ご自分の身に置き換えてみてください。突然自分のおじいさんから見ず知らずの方を紹介されて、お前の結婚相手だと言われたら困りますよね?」
「いいや」ハチは首を振る。皮が幾重にも折り重なった。「非才はそうだった。親が決めた相手と結婚したのだ。妻は琴という」
「そうですか」これは厄介だと照は頭を抱えた。
「非才は長年、新聞屋で働いておってな。ずっと書いておったんだ」ハチは油紙に火がついたように喋り始めた。
「東方西走。あちこち走り回ってネタを見つけてきたものよ。それはもうたくさんの記事を書いた。危険な場に身を置いたこともあったな。あれは今考えてもヒヤリとする。いま生きているのが不思議なくらいだ。しかしそのおかげで非才は貴重な経験を経て良い記事が書けるようになったのだ。メディウのことも犬の国のことも隅々まで知り尽くしておるぞ。今は齢を重ねて、目も悪くなってきての。もう引退して日が経つが、未だに新聞屋の奴らとは付き合いがあるんだ。非才には現役時代から培ってきた伝手というものが沢山あるから、みなそれを頼りに来るのだ。紅組のお頭とも犬の国のお頭とも繋がりがあるんだぞ。どちらも非才が目をかけて育ててやったようなもんだ。今では立派にお頭など勤めおって。非才の鼻も高いわい。それで、なんだったか?あ、そうそう。新聞屋で働き始めてすぐの頃、親の紹介で今の妻と出会ったのだ。非才と妻はよく気が合った。なのでトントン拍子で話が進んで結婚した。そしてすぐに双子が生まれたのだ。名はカネとショウという。その次にビワという子も生まれた。この子らはよくできた犬っころでの。双子の一匹は塾の先生をしておる。先生などなかなかなれる職ではない。文字を覚えるだけでなく、それを他者に教える技術が必要になるからな。だがあいつは器用なんだ。なんだってすぐにこなしてしまう。本当によくできた犬だ。もう一匹は非才に憧れて新聞屋で働いておる。非才の背を見てその仕事を継いでくれるなど、親としてこれ以上嬉しいことはない。書く力量はそこそこだがな。まぁ、貪欲に取材をするその心意気は認めてもいい。いずれは非才のように伝手の多い犬になるだろう。して、末の子は店を出しておる。この店が面白いほど繁盛していてな。売っている物としては不十分で、決して良質とは言えないが、あいつは自分の性格で客を集めているんだ。話術に長けていて、口の立つオスなんだ。一度会ってみるといい。いつの間にかあいつの店の商品を手にしておるから。さて、問題は孫息子のことだ。孫息子の雅楽は長子カネの子だ。塾の先生の子だから雅楽もまことに頭のいい子での。塾での成績はいつも一番だった。書物をよく読み、色んなものに精通しておる。そのせいと言っては何だが、他の犬に興味がなくてな。頑固で凝り性な性格だから、一度気に入ってしまうとずっとそればかりに集中しているんだ。塾を卒業したあとは光の石を扱う研究所で働くようになったが、ずっとそこに籠って研究ばかりしておる。光の石などただ光るだけの石なのに、何か別の事に使えないかと探っておるのだ。一体あんな石が何の役に立つ?何が面白いんだか全く分からん。雅楽はそんな固くて冷たい石ばかりに熱中しすぎて、もういい齢だというのにいつまで経っても番を見つけようとせん。非才だってもう長くはない。死に目に会うより先にひ孫の目に会いたい。非才から続く優秀な犬を見たい。なれば猫の国のお頭一族のように権力のある大きな一族となれるだろう。非才は昔からこうしたいと思ったことは何としても叶えてきた性分だ。常に目標高く生きてきた。そのための努力も欠かさずしてきた。朝は誰よりも早く起き、身を粉にして夜中まで働いた。辛かったことがないと言えば嘘になるが、己の願望を叶えたい一心でどんなことも乗り越えてきたのだ。それに妻と子供がいる手前、簡単に諦めるなど許される事ではない。さらに非才がここまで功績を積むことができたのはメディウだからというのもあるだろう。昔のメディウは今よりももっと犬と猫ばかりでな。話が通じる奴も多かった。それはそれは良い街だったよ。それなのに今はどうだ?意味の分からん動物が増えて、あちこち犯罪だらけじゃないか。異種の街などと謳っているから変な奴らが集まってくるのだ。奴らは平然とこの街の平和と秩序を乱しておる。そのせいで混血や特異などという可笑しな奴らまで増えて、今や無秩序の極み。まさに乱雑無章。あんたら若造もどうせその影響を受けているのだろう?こうして非才がわざわざ足を運んで、しかも二度も、来たというのに話を聞くや否や断るなど、至極失礼というもの。もっと非才たちのような功労者、高齢者を敬うべきだ。非才たちがこの街の基盤を作って、この街を守ってきたというのに、齢を取って動きが鈍くなった途端、邪魔者扱いか?あんたらは何の苦労もせず我が物顔でこの町に住んで、それを作り上げてきた者たちに感謝もせずに生きておるだろ。さも当たり前かのようにおこぼれを貰っておる。今は若さに胡坐をかいておるが、あんたらもいずれはヨボヨボになるんだ。それなのに若いだけでつけあがりおって。教育がなっとらんぞ。今の親は子供を甘やかしすぎているんだ。非才たちが子供の頃は成獣の言うことは絶対だった。厳しかったんだ。今となってはそれが功を奏しておる。少々のことが起きても動揺はせんし、肝が据わってしっかりと自分の意見も述べることができておる。あんたらは打たれ弱すぎるんだ。もっと非才たちを見習うべきだろう」
ハチは大演説を終えるとお茶を一気に飲んだ。照は犬の長話に何度も欠伸が出そうになり、つむぎは立ったまま寝ていた。
「お気は済みましたか?」照は眠い目を擦りながら尋ねた。
「なんだって?」ハチはしゃがれた声に角を立てて苛立った。「聞いてなかったのか?」
「聞いていましたよ。あなたがとても素晴らしい方だということはよく分かりました」うんうんと頷く。
「ご苦労されてきたのですね。感謝されて当然ですし、私はあなたを敬います。しかしご自分の意見を他者に押し付けるのは間違っていますよ。それは家族であろうと同じです」
「非才の努力を無駄だと言っているのか?ここまで頑張ってきたことを全て台無しにしろと?」
「そんなことは言っていません。あなたは他者に期待を抱きすぎです。自分と同じようにしろ、自分と同じ苦しみを味わえ、自分の言う通りにしろ。
それでは筋が通りませんよ。相手はあなたとは違う生き物、違う生き方をしてきたのですから。言うことを聞かなくて当たり前です。上手くいかなくて当然。あなただって今の私のような生き方をしろと強要されたら嫌でしょう?」
「死んでも嫌だな。探偵などやりたくもない」ハチはふいっと横を向いた。
「そうでしょう。あなたは孫息子さんに同じことをしているのですよ」
「だが他者に期待して何が悪い?」探偵を見る犬。
「期待することによって上手くいくことだってあるだろう。誰からも期待されなければ、なんの意味もない。非才は子供にも孫にも幸せになって欲しいから、こうして言っているのだ。結婚して子が生まれれば、非才のように幸せになれる」
「それは決めつけですね。自分が上手くいったからといって、相手も上手くいくとは限りません。結婚したからといって必ずしも幸せになるという保証もない」
照は堂々としていた。
「自分の幸せくらい自分で決めさせてください。青リンゴが好きな者がいれば、嫌いな者もいる。それと同じで結婚したい者もいればしたくない者もいる。どうしてそれをお認めにならないのですか?」
「そんな理屈は分かりきっておる。非才は孫のために、」
「お孫さんのためではなく、あなたのためでしょう」探偵は老犬を遮った。
「確かにあなたの言う通りなっていない若者は多いです。今後はあなたより齢の若い者ばかりが生まれ、他所から来るものも増えるでしょう。そのうえ道徳を知らない者や規則を守らないものもいる。犯罪も増えている。
しかしそれは私たち若者がどうにかする問題です。誰かにばかり責任を押し付けて知らん顔するのではなく、私たちもしっかり動くべきだと思っています。
だから私はこの仕事をしているのです。私は悪事を許しませんし、失礼な方は嫌いです。それでもこの街を良くしたいと思っています。頑張ってます。
あなたのお孫さんだってそう。光の石が何かの役に立つと信じて研究を頑張っていらっしゃるのでしょう?あなただって若い頃は頑張ったのでしょう?ならなぜ同じように頑張っている者に一言、頑張れよと言ってやれないのですか?」
ハチは口をもぐもぐさせて何を言おうか迷っていた。
照は話を続ける。「あなたは立派な方です。色々と経験され、とても大変な思いをされて来た。若者から見れば命の先輩です。だからどうか、その経験や知識を活かして若者を助けてやってください。
ただ忘れて欲しくないのは、その若者はあなたではないということです。相手は家族であっても全く別の生き物。まったく違う時間、違う時代を生きています。
お互いに知っていることもあれば、知らないこともある。だからお互いに思いやりを持ちましょうよ」
「しかし…」老犬は納得いかないのか口の中で文句を言った。
「お孫さんのことを応援してあげてください」照は再度頼んだ。
「お孫さんはきっと大きなことを成し遂げると思いますよ。あなたのような方から応援されれば、自信がついてさらに飛躍するでしょう。ひ孫は大事かもしれませんが今は、今を生きているお孫さんの心や体を心配してあげてください」
「うむ…」ハチは顔に沢山のシワを寄せて唸った。「……ふん。もういい。今日のところはこれで失礼する」
「承知しました」照は丁寧に頭を下げた。「お越しいただきありがとうございました」
ハチはのっそりと椅子から立ち上がると、ゆっくりと歩いて事務所を出て行った。
「ふぅ」戸が閉まってから照はため息をついて椅子にもたれた。「あんな依頼は初めてだ。……つむぎくん」小さな犬を起こす。
「え?」つむぎはハッとなった。「あれ?あのおじいさんは?」鼻をひくひくさせる。
「もう帰ったよ」照は長い尾を揺らした。
「そうなんですか?僕、なんだか眠たくなっちゃって」と欠伸。
「つむぎくん。次からお客さんが来たときは、なんでもできるなんて言って安請け合いしないでくれよ」
「はい!」つむぎは背を正す。「次から気を付けます!」
「うん。素直で飲み込みがいいのは君の良いところだ」照は立ち上がった。「さてと。新聞の続きを読むかな」
「なにか僕にできる事はありませんか?」子犬は期待の眼差しを探偵に向ける。
「そうだなぁ。何かあるかなぁ。事務所はもうピカピカだし、お使いは命に行かせたし、モグ・モグは夜に探しに行くし…」と考えていると事務所の戸が開いた。




