一月 その二
-前回-
犬種のうだつはいなくなった息子を探して欲しいと、探偵をやっている猫種の照と、その助手の命の元を訪れた。そののち妻からも話を聞くため、うだつは助手を連れて自宅へ向かうのであった。
「ただいま」うだつは事務所から幾分か歩いた先にある住宅街の一角、古びた長屋の一室に入った。
「あなた、遅かったじゃない!」部屋の奥から現れたのは猫種のメスだった。青みがかった灰色の毛。顔が小さく鼻が黒い。短いヒゲ。鮮やかな緑色の目をしていた。
「心配したのよ!あなたにまで何かあったんじゃないかって…」灰毛猫は涙目になった。
「すまない。飲み屋に行ったあと少し寄り道をしたんだ」うだつは後ろにいた命を指した。
「え?」うだつの妻は三毛猫の姿を認めると短いヒゲを立てて驚いた。「お客さま…?」
「あぁ。東通りに探偵事務所があるだろう?そこの助手さんだ」
「探偵…?」不安げに夫を見つめる。
青色吐息でうだつは経緯を説明した。「あっしらだけで久司を探すのは難しいだろう?警察は探してくれないし、どこにも当てはない。だからもうこうするしかないと思ったんだ」
「え、えぇ…。そうね。そうよね…」灰毛猫はヒゲを下げ、夫と同じように落ち込んだ。
「初めまして。突然お邪魔して申し訳ありません」命は軽く頭を下げる。「命と申します」
「あっ。ご丁寧にどうも…。うだつの妻で藍真といいます。初めまして」藍真は伏し目がちに挨拶した。
「よろしくお願いします。早速なのですが、お話を聞かせていただけますか?」命は普段の照が行っているやり方を真似て情報を集めることにした。
「分かりました。狭いですけど、立ち話もなんですので奥へどうぞ」藍真は促した。
「はい。失礼します」
うだつの家は戸をくぐるとすぐに土間と台所があり、一段上がったところに小部屋がある。小部屋の先に仕切戸があり、その奥にも部屋がひとつあった。三匹で暮らすには若干狭さを感じる間取りだった。
「まずは三日前のことを教えてください」奥にある部屋に座ると命は切り出した。
「はい。三日前の朝、久司はいつもの時間に塾へ行きました」藍真が説明した。「塾はお昼過ぎに終わるのですが、夕方になっても帰って来なくて…。あちこち探したのですが見つからなくて…」
「帰りが遅れることは今までにもあったのですか?」
「たまにありました。塾のお友達と話していたとか塾の先生と話していたとかで。でも絶対に夕方には帰ってくるんです」
「なるほど…。最近、久司くんに何か変わった様子はありませんでしたか?」
「いいえ。何も」母親は涙ぐむ。
「ほんの少しも?息子さんとの会話で変だなと感じることはひとつもなかったのですか?」命は問い詰めた。
藍真は考え込む。「……いいえ。本当に何も変わりはありませんでした。あの…。なぜそのような質問を?息子は誘拐されたんですよね?」
三毛猫は小さく首を振る。「いえ。そうではないかと」
「え?どうしてそう言えるんです?あの子は特異ですよ?きっと身売りに捕まってしまったんです。なんの罪もない子がどうして…」藍真の鮮やかな緑の目から大粒の涙が流れた。「あの子が家出したと仰りたいんですか?」
「まだ断言はできませんが…。もう少し息子さんの情報を頂けませんか?ほんの些細なことでもいいので」命は照のように上手くこなせないなと戸惑いながらも丁寧に頼んだ。
藍真は溢れる涙を抑えてから話した。
「久司は本当に、本当に良い子なんです。私たち夫婦はあの子を大切に、それはもう何にも変えられない宝物のように育ててきました。私たちは異種同士ですから子供なんてできないと思っていたんです。
けれど久司がお腹にいると分かったとき、とても驚いて…。戸惑いましたが喜びで満ち溢れたのを覚えています。まさに奇跡。あの子は奇跡の子なんです」
だから息子は他の誰よりも特別な存在なのだとその口調から伺えた。
「特異混血が貴重な存在だと分かっていましたから、私たちは慎重に日々を過ごしていました。久司にも小さなころから幾度となく気を付けるようにと言い聞かせて。
幸いにもあの子は犬種に見えるので危ない目に遭ったことはないのですが、やはりどこか他の子とは馴染めない部分があっていじめられてしまうこともありました。
しかしあの子自身は心の強い子で、どんな動物にも分け隔てなく接していました。怒るような性格ではなく常に穏やかで誰かと喧嘩したこともないですし、私たちもあの子を叱ったことがありません。
真面目で好奇心があって素直で…。だから何も言わずにいなくなるような子じゃないんです」
「そうですか」命は相槌を打った。
「あの子が塾へ行きたいと言い出した時は驚きました。正直、普段からひもじい思いをさせてしまっていて塾へやる余裕はありませんでしたが、それでも絶対に行かせてあげたい一心でなんとかやり繰りをして久司を塾へ入れました。
あの子は私たちを気遣って一度も休むことなく通い、楽しそうに勉強していましたよ。成績も優秀でお友達もできて…。本当によくできたいい子でしょう?」
「そうですね」同意する。
「私たちはあの子が少しでも嫌な思いをしないよう常に最善を尽くしてきました。ただでさえ特異として生まれて生き辛く、困難なことが沢山ありますから。これからだって目一杯あの子の力になろうと思っているんです」
「大変によく分かりました」藍真がどれほど息子を大切にし誇りに思っているかが理解できた。「では次に普段の生活行動について教えてください」
「はい。塾に通う前は夫の仕事に付いて行ったり、近所の子と遊んだりして過ごしていました。塾に通い出してからは朝、塾へ行ってお昼過ぎに帰ってきます。そこから夜までは勉強をしたり私や夫の仕事を手伝ってくれます」
三毛猫は静かに妻の話を聞いていたうだつを見た。「うだつさんは採掘者ですよね?どのあたりでお仕事を?」
「あっしは街の南にある山で働いてます。少し前までは山の中腹辺りへ潜って光の石を採っとりましたが、最近は体力が落ちて失敗も多く…。採れた石の選別作業に変わっちまいました。あとは皿洗いや配達の仕事もやってます」細身の犬は疲労を見せた。
「藍真さんは普段は何を?」助手は灰毛猫のほうを向く。
「私は用品店で針仕事をしています。採掘者のための保護服やひざ当て、巾着などを繕っています。お声がかかれば近所のお店の掃除をしたり子守をしたり…。他にも色々と。できる仕事があればやってます」
「お二匹とも働き者ですね」命は労った。
「そうしないと生きていけませんから…」藍真は俯き加減で軽く首を振った。
命は申し訳なくなって短いヒゲを下げる。「あの、では、久司くんが最後にあなた方の仕事場に行ったのはいつですか?」
「あっしのほうはかなり前です」とうだつ。「昔はよく一緒に行ってましたが塾に通うようになってからは全く採掘場には来ていません。
けどあいつはよく配達の仕事を手伝ってくれるんです。あっしが郵便屋から荷物や手紙を受け取って、それを久司と二匹で街のあちこちに配達しとりました」
「私のほうは、久司がいなくなる二日ほど前です」と藍真。「用品店で一緒に仕事をしました」
命は了解したと頷き、照のやり方を思い返した。照ほど巧みな記憶力や会話力がないので少々手こずりながらもなんとか頭の中で整理をつけ、さらなる情報を引き出すために次の質問へ移った。
「近所の子というのは?」
「私の妹が近くに住んでいます」藍真が応える。「その妹の子とよく遊んでいました。小さい頃は他の子とも遊んでいましたが、いじめられるようになってからはその妹の子としか遊ばなくなりました。久司が塾に行くようになってからは会う機会がへりましたが、今でも交流はありますよ」
「そうですか…。塾のお友達とは?」
「ふすまくんという犬種のオスです。話が合うようでとても仲がいいんですよ。私も会ったことがあります」
「ぜひその方たちとも会って話がしたいのですが」命は頼んだ。
「妹の子とはすぐに会えると思います。けどふすまくんのほうはどうかしら…?たぶん塾に行けば会えるかと…。でもどうしてそこまで?久司がいなくなったことと関係があるのですか?」藍真は疑問に思った。
「なるべくたくさんの情報を得ておきたいんですよ」それが照のやり方だった。「ふすまくんというのはどんな犬ですか?」
灰毛猫の藍真は不思議に思いつつも具体的にふすまのことを教えてくれた。「黒と茶の毛色で、目の色は黒くて、たれ耳で、鼻は長いです。背は低くて胴が長めで、手足は短いです。尾は細いですよ」
「分かりました。では一度その塾へ行ってきますね。……塾はどこの?」場所を尋ねる。
「タネ通りにある塾です」
「承知しました」助手はこれで全ての情報を集めただろうと満足し頷いた。
「それでは今夜はもう遅いのでこれで失礼します。明日、姐さんが…。探偵が詳しい調査をしますので、その時に妹さんのお子さんと面会させてください。よろしくお願いします」
「はい…。お願いします」夫婦は本当にこの猫は息子を探してくれるのかと疑惑を抱いた表情をしていたが、他に打つ手はないため命に向かって頭を下げた。「どうか息子を見つけてください」
「お任せください」照ならこう言うだろうと命は代わりに言った。
事務所に戻った命は小さな探偵の帰りを待った。すぐに戻ると叫んで出て行ったてるだが、帰ってきたのは夜中の二時を過ぎたころだった。
「おかえりなさい。姐さん」ずっと起きて待っていた命は眠い目を擦りながら出迎えた。
「あぁ。ただいま」照の白い手足は土にまみれて茶色くなっていた。「寝ていてよかったんだよ?」
「そんなわけには」欠伸をかみ殺しながら命は散らかっている事務所の中から手ぬぐいを見つけて照に渡した。「遅かったですね。いかがでしたか?」
「まったく捕まえられなかったよ」探偵は手足を拭いたあと全身をぶるっと震わせた。
「モグ・モグ自体はあちこちにいるんだが依頼者のモグ・モグが見つからない。首輪をしていると言っていたが外れた可能性もあるし、そうなったらもう分からないだろう?みんな同じ見た目をしているんだぞ」
鼻をフンと鳴らす。
「致命的だ。飼っていれば違いが分かるようになると聞くが、さっぱりだ。やり方を変えたほうがいいかもしれない」
「お疲れさまでした。依頼主の方はお忙しいので同行して頂くことができないのですよね?」照から手ぬぐいを受け取る。
「そうだ。まったく手強いよ。そっちはどうだった?」助手を見上げる。
命は夫婦から得た情報を探偵に伝えた。
「なるほど…」照は惟た。「藍真さんが働いているという用品店はどこの?」
「え」三毛猫は固まる。「えっと…」
「塾の先生のことは?」
「……聞いていませんでした」
「惜しかったな」照は青い目を笑わせる。「あと少しだった」
「すみません」命は反省する。
「構わないよ。明日聞こう。だが情報は時に文より重い。気を付けるんだよ」優しく注意した。
「はい。精進します」
「うむ!して、」大きな丸い目を鋭く光らせる。「やはり久司くんは家出の線が強いと見た」
「なぜそうお思いに?」命は首を傾げる。「あのご夫婦はあり得ないと言っていましたし、俺も久司くんはそうとう真面目でいい子だと印象を受けました。あ、姐さんを疑っているわけではなくて」と慌てて言う。
「私がそう思う根拠を知りたいということだな」黒猫は長いヒゲの先を指で弄った。
「そうです」
「実はねぇ、モグ・モグ探しのあと骰狗の動きを探ってきたんだ」探偵はシレッと言う。
「なんですって!」命は毛を逆立てて驚いた。「なぜそのような危険な真似を!」と怒る。
「仕方ないだろう。久司くんを捜すためだ」悪気のない表情が小さな顔にできた。
「それでも無茶しないでくださいよ!あいつらがどれだけ極悪非道なのかお分かりでしょうに。姐さんにもしものことがあったら…」大きな三毛猫は過去を思い出してブルリと体を震わせた。
「分かってるよ。すまない」照は耳を下げる。
「お一匹で行くなんて…」とブツブツと文句を付ける助手。
「命よ」照は相方に近づいた。「私は無事に帰ってきただろう。かつての萩の一派のアジトはもぬけの空だったし、走狗の姿もなかった。他に伏魔殿もない。至って安全な調査だったよ」と落ち着かせる。
この街には骰狗という犯罪集団が存在する。その中では複数の一派が形成されており、萩の一派という集団は身売りを行う輩どもであった。照はモグ・モグ探しのあと奴らのアジトへ赴いたということだ。
照が無事に帰宅し、骰狗の手先もうろついておらず、悪だくみされている場所もなかったということは喜ばしいことなのだが、彼女の身に何か起こっていたかもしれないと思うと命は複雑な心境になった。
「さすが父さん。見事にけちょんけちょんにしてくれた」小さな探偵は父親を称えた。
「それはそうですが…」命はまだ不満だった。
「何も心配はいらないよ。明日は一緒に行動しよう」助手を励ますようにその長い尾で彼の背を撫でる。
「…分かりました」命は探偵の言葉を信じ、渋々頷いた。