六月 その一
「ただいま!帰ったぞ!」メディウの街に戻り、照は事務所の戸を大きく開けた。「ぎゃあ!なんだこれは!」目の前に広がる光景に仰天する。
事務所の中は見事に片付けられていた。古い新聞は消え去り、書物は棚に整理され、ガラクタは跡形もなく無くなっている。床には塵ひとつ落ちておらず、窓も姿が映るほどピカピカに磨き上げられ、部屋全体がいつもより広く明るく見えた。
「おかえりなさい!」つむぎが出てきた。「すごいでしょう?僕、頑張って片付けたんですよ!」褒めてくださいと丸まった尾を激しく振った。
「あ…。あぁ…」照は長い尾を体に巻きつける。「す、すごいじゃないか」
「やった!やった!ここまでするのにかなり時間がかかったんです!」黒く丸い目を輝かせる。
「そうか…。よ、よくやったよ」照は無理やり笑顔を作ったが、その声は震えていた。「ちょうど片付けようと思っていたんだ。助かったよ」
「えへへ」褒められてつむぎは大喜びした。
「聞いてください!照さんたちが留守のあいだ、僕はこの街を探索して回りました!もうだいぶ道も覚えたんですよ!
あとお仕事の依頼をしたい方が一匹来られましたが、照さんたちが留守だと伝えると、また日を改めると言っていました!お手紙は来ていません!病院からの連絡もありません!
あ!黒猫の方が来たので机の上のお手紙を渡しておきました!『読めねぇから分からねえけど、たぶんこれは俺宛じゃねえよ』って言われました!」
「そうかそうか」照は目を泳がせながら頷く。「それは私の伯父さんだよ」
「はい!その方もそう言っていました!『照たちが帰ってきたら道場に顔を出すよう伝えてくれ』って言われました!」
「わかった」照は深いため息をついた。「君は期待以上の働きをしてくれたね。本当に驚かされたよ…。留守番をありがと」あまり力の入っていない言い方。
「ですよね!驚いてくれましたよね!」子犬は尾を振り回す。
「あぁ。つい向こうでの滞在を伸ばしてしまったからどうなる事かと思ったが…。まぁ、その、私は旅の疲れがあるので少し寝る」
「お疲れですよね!おやすみなさい!」つむぎはピョンと跳ねた。
「おやすみ」照は足取り重く上の階へ行った。
自室に入ると、綿の詰まった布団が敷いてある四角い箱型の寝床に蹲り、揃えた両手の上に額を乗せて寝入った。
事務所をかたずけられたのが余程あの探偵に堪えたのだろうと命は考えた。照はごちゃごちゃした事務所に安らぎを感じ、心の居場所を据えていた。猫の国へ行って様々な体験をしたあと、疲れて帰ってきたのに愛しの我が家がこのように大変身していたら落ち込みもする。
しかし頑張って片付けてくれたつむぎを責めることはしたくない。なので行き場のない感情を寝て紛らわせようとしているのだ。ふて寝ともいえるが、これは回復に時間がかかるだろうと助手は見込む。
「猫の国はいかがでした?」そんなこととはつゆ知らず、つむぎは無邪気に尋ねた。「全部教えてください!」
「色々ありましたよ」命は猫の国でのあらましを子犬に聞かせた。
「そんなことがあったんですねぇ」つむぎはふんふんと頷く。
「俺は今から親父の道場へ行ってきます。姐さんはしばらく起きないと思うので、つむぎさんは自由にしていてください」
「分かりました!」
命は事務所を出て育ての父親、暮夜の道場へ行った。
「親父。ただいま戻りました」命は言った。
「おう。戻ったか。どうだった?」暮夜は息子に気が付くと道場の出入り口に座った。命にも隣に座るよう示す。
「暈陰雲さまから伝言が」三毛猫は座ると暈陰雲の言葉を伝えた。
「そうか」暮夜は柔らかい表情を見せる。「ういさまは元気だったか。よかったよかった。ご苦労だったな」
「いいえ」息子は軽く頭を下げる。
「それで向こうでは何をしたんだ?」
「はい」命はつむぎにもした話を暮夜にも聞かせた。
「相変わらずだな。あそこは」聞き終えるとお頭の息子は呟いた。
「あの…」命は躊躇う。
「どうした?」息子が浮かない顔をしているのに気付き、暮夜は尋ねた。
「実は…。家系図作りをしている時に姐さんが言ったのです」自分は若頭になったほうがいいのか、という発言を照がしたことを打ち明けた。命の中ではあの発言がずっと頭に引っかかっていた。
「姐さんは本気で若頭になろうと考えているのでしょうか?それでゆくゆくはお頭になりたいと?今まで一度もそんなことは仰らなかったのに」
「うん…」暮夜は低く唸った。「…やっぱり冴夜の子だな」
「え?どういうことですか?」
暮夜は堅苦しく感じたのか身じろぎをした。「むかし、冴夜も似たようなことを言ったんだ。義賊をするよりお頭になったほうが沢山の動物を救えるんじゃないか、根本から世を正せるんじゃないか、ってな」
「旦那がそんなことを?」命は驚いた。
「あぁ。世迷い言のようにな。でも今でもお頭にはならず義賊を続けてる。もしお頭になったら自由に身動きが取れないだろ?義賊のほうが裏のその先まで自分で調べることができる。だから照もそう思うんじゃないか?」
「そうですよね…」命は改めて照が冴夜の子なのだと実感した。「親父ならどうしますか?」
「なにがだ?」
「もし姐さんが若頭になると決めたら、反対しますか?」
「俺なら止める」暮夜は即答した。「照のことは姪として大事だからな。あの子は賢い子だ。だが危険なことはさせない」
「では…。冴夜の旦那だったら?旦那がなると仰ったら親父は止めますか?」
暮夜は唸りながらしばらく考えた。「俺は…。冴夜みたいに出来た猫じゃねえからな。家族や道場を守ることで精一杯で、あいつみたいに他の動物や国のことまで考えらんねえよ。
あいつのあの小さな頭の中はな、誰も想像ができないほどデカいんだ。だからお頭になると言っても反対はしない。冴夜ならあの国を変えられる。
それにあいつは元々お頭になるために育てられたんだ。そのうえ生まれ持った才能もある。度胸も忍耐もある。反対する方がおかしいだろ」
命は俯いた。照にも冴夜のような素質がある。もし今後、また照が同じようなことを言ったら自分は彼女を止めるのだろうか?暮夜のように背中を押すのだろうか?
「まぁでも俺はおかしな猫だからな」暮夜はため息交じりに言った。
「え?」三毛猫は顔を上げる。
「あいつは俺の弟だ。仲間でもある。俺は優れた兄じゃないし、冴夜があの一族から離れたキッカケは俺にもあるから、あまり偉そうなことは言えないが、大事な弟を危険な場に居させたくはない。反対して、力づくでも止めたいと思う気持ちはある」
「親父…」命はある言葉を思い出した。
<可惜夜一族は血の繋がりをとても大切になさる方々です>
この言葉には二つの意味があった。ひとつは国を守るため柵や掟をたくさん設け、血が繋がっているという概念で身動きが取れないほど己や身内を縛り、血族だから果たさなけらばならない役目があると義務感を持たせる意味。
もうひとつは、血を分けた愛する者をただなんの利益も損得もなしに大切にし、守りたいという意味。
暮夜は仲間意識が強く、照もまた非常に両親を大切にしている。同じ一族でも誘夜たちと照たちでは意味が違うが、どちらも血を大事にしているという点は同じだった。
命はやはりこの暮夜も、あの一族の者なのだと改めて思い知らされた。
「照がその発言をどこまで本気にしてるかは分からねえが、探偵業を楽しんでいるみたいだし、あんまり気にするな」暮夜は軽く言った。
「はい…」
複雑な気持ちを抱えたまま、命は事務所へ戻った。




