五月 その二
-前回-
大叔母の家にて過ごしていると、照の耳に大きなため息が届く。その出所は使い猫の萌零陽。彼女の兄が婚約を破棄したというので、照たちは兄の婚約者であるそばえに話を聞きに行くのであった。
メス猫たちは出掛けることを短刀隊に報告したあと、二匹の護衛を後ろに引き連れて城を出た。格子のような通りを右へ左へと歩き、《《そばえ》》が働いているという店へ向かう。
「ところで照」歩きながら暈陰雲が言った。彼女は頭巾付きの外套を身にまとっている。城を出る際は必ず着用していた。
「はい?」照は長い尾をゆらゆらさせながら歩いていた。
「命とはどうなってるの?」
「え?」小さな黒猫は耳と尾を直立させて驚いた。「なぜ突然そのようなことを?」
「色恋話のついでに聞いておこうと思ってね」暈陰雲は叔母心から聞いた。
「…だから命を止めたのですか?」
「命に言ったこと本当よ。でもこういう機会じゃないと聞けないじゃない?」
「そうですけども」照は何とも言えない表情をした。
「命さんって益荒男ですよね」萌零陽が言った。
「あの逞しいお体に厳めしいお顔。それに傷だらけのお姿が素敵でなおよろしです」と惚ける。
「本猫はそれを気にしていますがね」照はやれやれと首を振る。
「むかし私が、父さんのような猫がかっこいいと言ったことがあって。それから気にするようになりました。ただ憧れて言っただけなのに」
「かっこいいって言ってあげなさいよ」と暈陰雲。
「言ってますよ?そのままでいいって」のらりくらりと長い尾を揺らす黒猫。
「痘痕も靨。見た目など気にすることはないのに」
「あらあら」暈陰雲はふふっと笑った。「そんなこと言うなんて。仲がいい証拠ね」
「まあ姉弟のように一緒にいますからね」
「そうね」大叔母は満足げ。
「照さまのお父さまは冴夜さまですよね?」使い猫の萌零陽が聞いた。
「どんなお方なのですか?あたいはお目にかかったことがなくて」
「萌零陽ちゃんは最近うちの使い猫になったからね」暈陰雲が言う。
「冴夜は端麗で優秀な猫なのよ。メス猫に囲まれることもよくあったわ」と甥の説明をする。
「へぇ!」萌零陽は目を輝かせる。「お会いしてみたいなぁ。照さまは冴夜さまのようなオスがお好きなのですか?」
「もちろん父さんのことは好きです!」探偵は元気に頷いた。
「そう言うことじゃないと思うけど」ハッキリしない又姪に暈陰雲は首をひねった。
「この様子じゃ当分進展はなさそうね」と一匹ごち。
その後も三匹はぺちゃくちゃお喋りしながら歩いた。
「こちらです」萌零陽が一軒の建物を指した。
店は城から少し離れた町の中にあり、売店が並ぶ通りの一角に建てられていた。通りにある店はどれも間口は狭く、奥に長い造りとなっている。店先には匂い袋や装飾品が広げられていた。
「こんなところがあるのね」暈陰雲は辺りを見回す。
「暈陰雲さまはあまりお城から出ませんよね」使い猫は主を見る。
「えぇ」終夜の第四子は頷いた。
「萌零陽さん。そのそばえさんというのは?」照が尋ねる。
「あの方です」萌零陽は店の奥を指した。勘定場に座って何やら手作業をしている猫がいる。
「そばえさん!」と呼んだ。
そばえと呼ばれた猫は顔を上げる。「あっ。萌零陽ちゃん…」
三匹は店の奥へ進んだ。そばえの前に立つ。
「こんにちは」と萌零陽。「ちょっとお話してもいいですか?」
「なんの用?」そばえは暗い表情で立ち上がると暗い声で聞いた。
そばえは白に近い黄白色の毛をしていた。手足と尾、顔の中心と耳は色が濃く、うっすらと縞模様も浮かんでいる。爽やかな新緑を想わせる緑の目。ヒゲは長い。桃色の飾り紐を蝶々結びにして首に着けていた。
「こちら、暈陰雲さまと照さまです」萌零陽は他の二匹を紹介した。
「えっ」そばえは驚く。「それは…。お会いできて嬉しいです」心にもなさげに頭を下げる。
「初めまして。萌零陽ちゃんからあなたと茂闇くんのことを聞いて、相談に乗れたらと思って来たの」暈陰雲がここに来た理由を説明した。
「そんな、話すことなんて何も…」そばえはフイっと横を向く。
「だいぶ落ち込んでいますね」照は小声で他の二匹に耳打ちした。
「そうね」暈陰雲は頷く。「そばえちゃん。何か私たちにできる事はない?話すだけでもスッキリすると思うわ」と優しく提案する。
するとそばえは突然その場にしゃがみこんでえんえんと泣き出した。
「あらあら」三匹は側に寄って慰める。
ひとしきりに泣きじゃくると失恋した猫は堰を切ったように喋り出した。
「茂闇くん、酷いんです!浮気はするし、賭け事はするし、仕事はしないし、もうどうしようもないボケナスなんです!」
「…ならお別れなさったらどうでしょう?」探偵はそっと言った。
「そんなことできません!!」と叫ぶ。「私には茂闇くんしかいないんです!他の猫なんて考えられない!!」
「まぁ、なんとも…」照は耳を畳み、長い尾を下げる。「ずいぶんと心酔していますね」
「そうみたいね」暈陰雲も同意した。
「どうしてですか?」そばえは続けた。
「私、何か悪いことしましたか?彼のことが好きなだけなのに!始めは茂闇くんと仲が良かったんですよ?上手くいってたんです。私のこと大好きだって言ってくれたのに。
『そばえが番になってくれたらおいらは猫の国一番の幸せ者だ』って…。私だって彼のためになんでもしたのに…。
私はただ、あの時の茂闇くんに戻って欲しいだけ。真面目で優しくて働き者の彼に戻って欲しいだけなんです!
それなのにどうしてこんなことになっちゃったんですか?」ぐずぐずと恋水を流す。
「うーん」照は唸りながら考えた。この状態のそばえではろくに話ができないと判断する。
「ういさま、萌零陽さん。ちょっとそばえさんをお願いします」
「どこか行くの?」暈陰雲が聞いた。
「そばえさんのお姉さんたちと話してきます。恐らく奥で作業していると思いますから」照は勘定場の裏にある戸を指した。「あっちから音がするので」
「わかったわ」又姪には何か案があるのだと察して暈陰雲は頷いた。
探偵はひょいと勘定場を飛び越えると戸を開けた。
戸をくぐると短い廊下があり、その先にも戸があったので開けた。
そこには作業場と思われる四角い部屋があった。
左右の壁には匂い袋や装飾品の材料が入った箱がずらりと並べられており、正面の壁には作業に使う道具が吊るされていた。
部屋の中央には大きな机が置かれていて、二匹のメス猫が手作業をしていた。
「どちらさま?」砂色の毛をした一匹のメス猫が言った。彼女は乾燥させた植物をすり鉢で潰していた。
「初めまして。勝手にお邪魔して申し訳ありません。私、探偵をやっている照と申します。実はかくかくしかじかで…」と事情を説明する。
「お話は分かりました」砂色の猫は言った。
「あの子をなんとかしてくれるんですの?」黙って話を聞いていたもう一匹のメス猫が口を開いた。
彼女は耳と手足と尾、顔の中心が黒に近い茶色で他は砂色をしていた。低くしゃがれた妖艶な声をしている。大きな机で何やら書物をパラパラとめくっていた。
「それはお約束できないのですが…」照は困った。「ぜひお二匹からもお話を伺えたらと思いまして」
「左様ですか」低い声のメスは期待外れだと言った様子でため息をついた。
「あたくしはらいかと申します。その子は妹のみぞれ」と砂色の猫を指す。
砂色の猫、みぞれは頷くように頭を下げた。
「なにを知りたいんですの?」長姉のらいかが言う。
「まずは末の妹さん、そばえさんのことについてです。お二匹から見て彼女はどのような方ですか?」探偵は尋ねた。
「そばえは私たちの中で最も繊細で気の弱い子です」三姉妹の真ん中、みぞれが言った。
「気立てが良くて細やかで、あの子が作る装飾品は独創的ですし、精度も高くて評判がいいんです。
可愛らしい見た目をしていますから、オスからのお誘いも多くて。本猫は内気なのであまり相手にはしませんが、唯一気を許したオスがいましたね。ね?お姉さん」と姉を見る。
「そうみたいね」長姉はどこ吹く風で返答した。
白々しい態度を見せる二匹に探偵は疑問を抱いた。
「その唯一気を許したオスというのは茂闇くんのことですよね?彼についてはどうでしょう?」と尋ねてみる。
「初めて会ったときは爽やかで鯔背で、勢いのある快男児だと思いましたわ」書物をパタンと閉じて長姉のらいかが言った。
「末妹と仲良くしていたようですけど、今ではあの子と結婚しなくてよかったと思っていますの」
彼女の言い方は妹を想ったものではなく、茂闇に同情しているように聞こえた。
照はさらに違和感を覚えた。「妹さんと茂闇さんはどうやってお知り合いに?」
「あのオスは草物屋で働いていました」次姉のみぞれは作業しているすり鉢を指した。
「うちは匂い袋を扱っていますから植物が必要なんです。妹のそばえをその植物が売っている草物屋へ使いに行かせたところ出会ったようで」
「ほう?」照は肉球を舐めた。「初めは仲が良かったそうですね?」
「そうみたいですね」すり鉢の中の植物をさらに細かく潰しながらみぞれが答えた。
「あのオスは草物屋の他にも仕事をしていましたよ。確か、劇団に入ってお芝居を嗜んでいたはず。いわゆる役者というものですね」
「役者を?」照は尾を立てる。
「はい。妹はよくそのオスが出ている舞台を観に行っていました。私たちも一度は観に行ったかしら?ね?お姉さん」と長姉を見る。
「そんなこともあったわね」低い声でらいかは飄々と答える。
「でもある日、妹はぐずぐずと泣いて帰ってきたんです」みぞれはすり鉢に目を移した。ゴリゴリと音を立てて作業を再開する。
「それはまたどうして?」探偵は首を傾げた。
「来るなと言われたそうですよ」長姉のらいかが鋭い爪をにゅっと飛び出させ、伸び具合を確認しながら言った。
「理由はよく分かりませんけれど。それでも妹は舞台を観に行き続けました。そして毎回泣いて帰ってくるんですの」
「ほぉ…?」疑問の声をあげる黒猫。「では…。茂闇くんが他のメスに蹌踉めいていたことはご存知で?」
「もちろんですわ」黒に近い茶色の尾をゆったりと揺らしながららいかは言う。
「舞台を観に来たメスには片っ端から声をかけていたようで」
「え?」照は驚く。「お付き合いしている方がいるのになぜそのようなことを?」
「さぁ?鼻下長でヘボなオスの気持ちなど分かりませんわ。知りたくもない」らいかは刺々しく突っぱねた。
「で、ですよねぇ」少し戸惑う照。「しかし茂闇くん、今はお仕事をしていないと聞きましたが?」
「草物屋の仕事はそばえと出会ったあと辞めたんです」砂色の次姉、みぞれは植物を潰す手を止めて言った。
「役者の仕事が忙しくなってきたそうで。でも結局その役者の仕事も最近になって辞めたんです」
「なぜ辞めたんです?」
「さぁ?甲斐性なしで戯れがましの考えることなど分かりませんから」みぞれも長姉と同じように辛辣に答えた。
「ずいぶんとその…」探偵は気まずくなった。「そこまで仰るということは、茂闇くんのことをよくご存知なのですね」
「いいえ!」二匹は揃って黒猫を睨んだ。
照はギョッとする。
「あんなチンケな二枚舌のことなど全く知りません」低くしゃがれた声を怒らせてらいかは言う。
「妹は何も分かっていないからあんな目に遭いましたの。オスとの付き合いがありませんでしたから」
「そ、そうですか」気圧される探偵。
「正直に申しまして、」らいかは耳を倒した。「妹があんな状態ですと仕事が滞りますの。以前からあんなオスやめておけと忠告しておいたのにこんなことになって」
「妹さんのことを可哀想だと思わないのですか?」照も耳を畳む。
「思っていますよ。けど原因はあの子にもありますわ。姉としてわかるんです。さっさと諦めればいいものの、いつまでもグズグズと往生際が悪い。あのオスに固執しすぎですわ」
らいかは書物を開いた。
「お話は以上ですか?質問がなければお引き取り願います。仕事が進まないったらありゃしない」
「は、はい」照はしょぼんと落ち込んだ。「失礼しました」と店に戻る。
「どうだった?」待っていた暈陰雲が聞いた。
「情報は集められたかと」凹みながら探偵は言う。「今日はもう帰りましょうか」と意気消沈。
「えぇ。そうね」照の様子を見て暈陰雲は心配になった。
三匹はそばえに別れを告げて店を出た。城に帰る途中で照は姉たちの話を説明する。
「すみません。あたいの兄のせいで…」使い猫の萌零陽は申し訳なさそうに謝った。
「いいえ。気にしないでください」照は言った。
「萌零陽ちゃんが悪いわけじゃないんだから」暈陰雲も使い猫を励ます。
「私たちも照がいない間、そばえちゃんの話を聞いたんだけど、茂闇くんを責めることしか言っていなかったわ。それでも別れたくないって。やっぱり茂闇くんからも話を聞いたほうがいいわね」
「お手数かけます」萌零陽は大きなため息をついた。「なにやってるんだか、兄さんってば」




