四月 その一
-前回-
集会に参加するため猫の国を訪れた照と命。親族と一悶着あったが、なんとか集会への参加を終えた。
「ねぇ。照。ちょっとお願いしたいことがあるの」宴の翌朝、暈陰雲家にて彼女は言った。
「なんでしょうか?」照は首を傾げる。
「昨日、お義父さまと話をしたの。宴のあとに呼ばれてね。樋成さんも一緒に」
「はい。鍔貴近衛団長ですよね?」
「えぇ」
この国ではお頭を大将として二つの集団が存在する。
ひとつはお頭とその一族の警護、城の警備を担う近衛団。
もうひとつは国全体を取り締まる警察団である。
大将の下に近衛団長と警察団長がおり、それぞれに副団長もいる。さらにその下には隊が組まれていた。
近衛団には城の中と外の広範囲を警備する太刀隊と、城の中を重点的に警備する脇差隊、大将やその一族を警護する短刀隊がいる。
因みに影猫は近衛団には属せず、より個々に、より密接に一族に張り付いて警護している猫だ。
警察団には城の周辺を警備するかぶと隊と、国全体の治安を守るよろい隊、国の外回りを監視するおびだま隊がある。
仕事中は近衛団に属する者は水色の手ぬぐい、警備団に属する者は白色の手ぬぐいを首に巻くことが定められている。
隊長になると手ぬぐいに黒い線が一本入り、副団長になると線が複数に増える。団長は黒に近い濃紺の手ぬぐいを身に着けることで階級を見分けていた。
暈陰雲の夫、樋成は近衛団の脇差隊で隊長を勤めており、彼の父は近衛団長を勤めている鍔貴といった。
「ういさまと樋成さん、近衛団長と集まって何を話していたのです?」黒猫探偵は尋ねた。
「それがね。なんでも家系図が無くなったとか」暈陰雲は片手を頬に当てる。
「家系図?」
「えぇ。お義父さまの家は可惜夜一族と深い関係にあってね。先祖代々、可惜夜一族に仕えてくれているの。一族の家系図もお義父さまのご兄弟が管理されているわ。
それでお義父さま自身の家筋にも家系図があって、誰がどのお頭に仕えていたとか、どんな仕事に就いていたとか、誰と結婚したとかが簡単に記されているらしいわ。
だから今回の新しいお頭就任に伴ってその家系図に加筆しようって話になったんだけど、どこにも見当たらないみたいで」
「なるほど」照は腕を組んだ。白い手袋が隠れる。
「お義父さまとても困っていらしたから助けて差し上げたいの。探偵さんの力を貸してくれない?」暈陰雲は頼んだ。
「もちろん!喜んで!」探偵はやる気になり、長い尾を立てた。
「ごめんなさいね。猫の国にまで来て仕事を頼んでしまって。事務所のほうは大丈夫?集会が終わったからもうメディウに帰ろうと思ってたんじゃない?」
「構いませんよ。いつどこで事件が起きようともこの照にお任せあれ」小さな胸を拳でドンと叩く。
「困っている方がいれば助けるのは当たり前ですから。さっそく詳しい話を聞かせてください」
「ありがとう。じゃあ樋成さんに会いに行ってからお義父さまに話を聞きに行きましょう」
「はい」
二匹は家を出た。
一方、命は脇差隊の朝練に参加していた。
猫の国に来て以来、朝練に参加するのが日課となり、今朝も他の隊員と一緒に訓練場で基礎運動を済ませたあと、木でできた刀を振り込んでいた。
「筋がいいですね」命と共に木刀を振う樋成が言った。
「ありがとうございます」三毛猫は見事な刀裁きを見せる。暮夜の道場では体を使った戦い方を教わっており、こうした武器を扱うのは初心者だったが、それでも難なく使いこなしていた。
「立ち回り方などは親父にきっちり仕込まれましたから。しかし、やはり武器を持っていると違いますね」木刀を見つめる。
「相手との距離が違いますからね」樋成も鮮やかなひと振りを見せる。
「暮夜さまはすごい方だと耳にしています。猫数匹がかりでも抑えが効かないほど力があったとか」
「そうです。親父は血迷い症のせいで暴れることが多く、自然と体力が身についたと言っていました。猫の国を出てからはお一匹でコツコツと修行を重ねられたそうです。親父からは戦い方だけでなく、一匹でも生きていける術などたくさんのことを学ばせてもらいました」命は育ての父を称えた。
「自分たちにも指導していただきたいですよ」樋成は木刀を振る手を止めた。
命は樋成を見る。「あの、こんな質問は失礼かと思いますが…」
「なんでしょう?」
「樋成さんは可惜夜一族のことをどう思われていますか?」恐る恐る尋ねる。
「なぜそのような質問を?」樋成は首を傾げる。水色の手ぬぐいにシワが寄った。
「樋成さんはこの国の近衛であり、一族の方と結婚なさっています。それでいて国を出た親父のことを悪く思っていないようにお見受けしたので」
「あぁ。そうですね」樋成は厳しい顔でしばらく考えたあと答えた。
「今からお話しすることはただの、下っ端近衛の戯言として聞き流して頂きたいのですが」
「はい」命は木刀を強く握った。
「可惜夜一族は偉大です。ですが自分は恐ろしさと腹立たしさも感じています」
「え?」意外な返答に驚く。
「終夜さまや誘夜さまのお立場があることは重々承知していますし、国ひとつを統率し導くには仕方のないこともあるでしょう。
ですが猫の国は本当に惜しい方々を手放したと思っています。このまま極夜さまがお頭になられても、この国は何も変わらない」
「ずいぶんとハッキリ仰るのですね」
確かに暮夜がいればこの国の警備やその技術は上がり、冴夜がいれば政治や治安は安定していただろう。
そこに照や暈陰雲が加わればさらに大きく豊かな国へと発展していたはずだ。だが命は樋成がここまで大胆な発言をするとは思っておらずヒヤリとした。
「自分の気持ちを偽るのは好きではないのです」樋成は気まずそうに微笑んだ。
「かといって一族の方の前でこんなことは言えませんが…。自分はこの国で生きて、近衛の仕事を頂いている身。義理というものはあります」
「えぇ。そうですね」相槌を打つ。
「しかし何か…。見えていない部分がある気がします。自分は一族の方と結婚していますがほぼ部外者。どうしても入れない領域というものがありますから、全てを見ているわけではありません。けれど何かを隠しているのではないかと考えます」
「見えていない部分…」命は呟いた。樋成の考え方はどこか冴夜に似通っていた。
「自分は一族の近くで働く近衛として、ただの国民としてそう思いましたから、恐らく暮夜さまや冴夜さまは直に目にされたのではないでしょうか。それで国を出られたとしても不思議ではありません」
「なるほど」
「それが恐ろしいと思う理由です。腹立たしさというのは自分の妻についてです」
樋成は木刀を強く握りしめると、苛立ちを振り払うかのように空を一太刀した。
「妻に対する一族の方々の態度は褒められたものではありません。
彼女は努力家で、常に周りのことを考えられる優しい方だ。仕事を与えていただければ必ず期待以上の成果を上げられる才媛なのに、一族の方は何も分かっていない。
それが自分としても悔しく腹立たしいのです。きっと妻は自分以上に辛く歯痒い思いをしているはずです。猫の国は本当に宝の持ち腐れが多すぎる」
「酷いですよね。暈陰雲さまは素晴らしい方なのに」命は同意した。
「えぇ」樋成は背を正した。「一族の方々に不満はありますが、自分は妻と結婚できて良かったと思っています」
暈陰雲と樋成はお見合い結婚で結ばれた。
暈陰雲を結婚させるのか、させるなら相手は誰にするのかと一族の中で問題になったとき、樋成に白羽の矢が立った。
当時の樋成は脇差隊の隊長に就任したばかりで可惜夜一族とも関係のある家柄。第四子で困り者の暈陰雲にちょうどいいということで二匹を結婚させた。
「一族の方とお見合いしなさいと言われたときは驚きましたが、」樋成は言った。
「今では彼女と添えることに喜びと感謝を感じています。自分はあんなに可愛い方、他に知りません」と恥ずかしそうにうつむく。
命はそれを見て微笑んだ。
「照さまが来てくださって、ういちゃん…。妻は喜んでいました。最近は少し元気がなかったので。自分たちには子供がいませんから、照さまのことを実の娘のように思っているのですよ」
「はい。本当の親子のように仲がいいですよね。姐さんも暈陰雲さまと扇いできて喜んでいました。昨日の宴でも、暈陰雲さまを一匹にしたくなかったと仰っていましたし」
「有難い」樋成は感謝の念を顔に示した。「素晴らしい方だ」
相棒が褒められて命は自分のことのように嬉しくなった。「樋成さんは、ゆくゆくはお父さまの跡を?」
「いえ、それはないかと」樋成は首にある水色の手ぬぐいに触れた。
「父上のことは親としても近衛団長としても尊敬していますし、理想としていますが、様々な面を考えて恐らく兄上が継ぐでしょう」
樋成には兄が一匹いる。その猫は近衛団で太刀隊の隊長をしていた。
「団長は世襲制ではありません。なので父上も実力のある者に継がせたいと言っていましたから、自分たち以外の猫の可能性もあります」
「近衛団で昇格をするには何か条件があるのですか?」命は尋ねた。
「訓練と試験を経れば。あとは実績です」水色の手ぬぐいにある黒い一本線をなぞる。
「団長や副団長になるには、隊長になるよりも更に厳しい訓練を積む必要があります。判断力や洞察力も問われますし、周りの方の推薦や大将の承認も必要です」
「とても厳しいのですね」
「はい。生半可な気持ちでは国を守れませんから」樋成は訓練場にいる隊の仲間たちを見回した。
「近衛や警察は決して楽な仕事ではありません。責任は重大ですし命がけです。だから自分は努力ができる者をちゃんと評価したいです。それが隊長の務めでもあります。
……ところで命さん。ずっと尋ねようと思っていたのですが」と三毛猫を見る。
「はい。なんでしょう?」
「極夜さまと照さまが争っていたとき、命さんは照さまの代わりに罪を犯そうとしましたよね。俺ならあいつを殺れますと」
「え、えぇ」命は気まずくなった。「無礼だったと反省しています」
「いいえ。そのことを咎めたいわけではありません。あのとき自分は命さんに漢気や覚悟を感じました。義理堅い方だなとも」
「そ、そんなことは」モゾモゾする。「俺は姐さんに忠誠を尽くしていますから、なんでもやるつもりです。この身など惜しくはありません」
「なぜそこまで?それはただの忠誠心なのですか?」
「え?」命は樋成の目を見る。
「義理や忠誠心だけだとは見受けられなくて」彼の目はその性格のようにまっすぐだった。
「それは……。俺よりも姐さんのほうが価値のある方です。俺はもともと捨て子で、何の価値もない猫ですからどうなろうと構わないんです。こんな俺ができる事といえば姐さんを守る壁となるくらいで、」
「そのような話をしているわけではありません」樋成は遮った。
「己を卑下するようなことは言わないでください。自分は命さんの気持ちを尋ねています」
「あ…。すみません」命は欠けた耳を下げた。
「もし、」樋成は遠くを見る。
「父上や兄上から誰かを殺れと言われたら、自分なら躊躇しますし、最終的にできないと言うでしょう。しかし妻が関わっていることであれば、できると思います」この意味が分かるかと真摯な眼差しを命に向ける。
「え…。あ、はい。そうですね」意図を汲み取り短いヒゲが嫌でも立った。
その反応を見て樋成は確信した。「身を投げうてるほど照さまのことをお慕いしている。そんな方がなぜ照さまと添えないのでしょう?」
「姐さんと添うなんて!」三毛猫はがぶりを振った。「おこがましいです。俺はお側にいられるだけでいいんです」
「なぜですか?」樋成は詰め寄った。
「自分は一族の方と結婚していますから、命さんの気持ちが少し分かります。自分なんかは相応しくないと思っているのでしょう?
ですが命さんは立派な猫です。心の強い方だ。照さまは身分などお気になさらないでしょうし、命さんの素晴らしさにも気付いていらっしゃるでしょう?」
命は戸惑った。「俺は立派なんかじゃありません。守る壁と言っておきながら先日は姐さんに怪我をさせてしまいました。こんな未熟な輩が姐さんと添いたいなど…」
「そのような考え方はやめてください。気持ちというのは伝えられるうちに伝えたほうがいいのですよ」樋成はいつかのつむぎのように熱く念を押した。
「は、はい…」命は気圧される。
「おーい!」そのとき聞きなれた声がした。照と暈陰雲が訓練場に現れる。
「おや。どうかなさいましたか照さま、うい?」樋成は姿勢を正した。
「訓練中にごめんさなさいね」暈陰雲が言った。「昨日の家系図の件、こちらの探偵さんにお願いしたの。探すのを手伝ってくれるって」と隣にいる小さな黒猫を指す。
「それはそれは」樋成は驚いた。「よろしいのですか?」
「もちろん」照は大きく頷く。「私にお任せあれ!」青い目に興奮を映した。
「感謝いたします」樋成はお辞儀する。
「なんのお話でしょうか?」一匹話に付いて行けず命は尋ねた。
暈陰雲と樋成が家系図のことを説明する。
「そうでしたか」三毛猫は納得した。
「ではさっそく父上に会いに行きましょうか。詳しい話が聞けるはずです」樋成は一緒に朝練をしていた脇差隊の一匹に指示を出したあと、他の三匹を連れて近衛団の詰所がある建物へ向かった。




