三月 その五
-前回-
猫の国のお頭である終夜がその生を終えたため、照は葬式に参列したが、そこで従叔父の極夜と激しい喧嘩をしてしまう。
先代の終夜が虚くなってから十日後、新たなお頭の就任式が行われた。
猫の国のあちこちに、黒地に満月が描かれた旗が飾られ、新しいお頭の誕生を国民に知らせる。
就任式は城の最上階で行われ、血族だけが出席し、先代が身に着けていた満月の首飾りが誘夜に。誘夜が着けていた三日月の首飾りが極夜に引き継がれた。
その後、血族たちは一階にある大広間に移り、集会を開いた。前回の集会から今日までの出来事を振り返り、それぞれの仕事の進捗状況などが報告される。
それが済むと、今度は大広間が宴の会に様変わりした。新しいお頭の就任を祝って血族の者だけでなく配偶者や親戚、城の関係者も集まった。数十匹の猫たちによる飲み食いやお喋りが至る所で始まる。
大広間の上座にお頭となった誘夜が座り、隣には若頭とその両親、お頭の弟や妹が続く。照は下座の親戚や配偶者が座る場所にいた。
「まさか、あたくしの息子が若頭になるとは思っていませんでしたわ」照から遠く離れた座にいる我美が言った。
我美は新しいお頭、誘夜の妹である。若頭となった極夜の母。全身艶やかな漆黒の長毛で包まれており、胸元の毛だけは濃い茶色をしている。丸顔でふさふさとした耳、緑色のつり目をしていた。
「あたくしの息子がお頭になれば、その次はあたくしの孫娘がお頭になるのよ。信じられる?」我美は大きめの声で周りに自慢した。
我美の側に座っている本日の主役、誘夜は妹の自慢話を特に気にせず好きに喋らせていた。
そんなことよりも甥っ子の極夜が若頭になったことが未だ納得がいかず、頭の中は不満で満ちていた。
本当は息子の冴夜に三日月の首飾りを渡したかった。もしくは孫の照に。父親の葬儀のあと極夜と照が争ったことは耳に入っている。息子の異変に気付いた我美が、事の顛末を極夜から聞き出し報告しに来たのだ。
いつもなら極夜にも影猫が付いているのだが、葬儀には血族しか参列できないため喧嘩が起きたときは誰も付いていなかった。
どうせまたつまらないことで喧嘩になったのだろうと大事にはしなかったが、極夜がそのことを報告しに来なかったのは意外だった。いつもなら泣きついてくるはずなのに。
よほど照に屈辱的なことを言われたのか、告げ口のような真似は己の自尊心が許さなかったのか。どちらにせよ極夜の愚図さには心底呆れる。
それよりも照の利口さと果敢な行動を評価したい。自分よりも大きく力のある猫に戦いを挑むとは。負けると分かっているはずなのになかなかにいい戦いをしたと聞く。さすが冴夜の子。自分の孫。
やはり照にはお頭になる才能がある。だから彼女を逃すわけにはいかない。もしその喧嘩で極夜が彼女を殺めていたらと考えるとそそけ立つ。
極夜には今後一切、照に手を出すなと忠告しておかなくては、と考えていた。
「若頭として頑張るのよ。極夜」我美は猫なで声で息子に話しかけた。
「明日から暁星に付いて仕事をするそうね。外交の仕事はとても大事よ。若月も補佐に入るからきっと大丈夫。あたくしも鼻が高いわ」
暁星とは先代お頭の第三子である。誘夜と我美の弟。暈陰雲の兄。暁星は主に外交の仕事を担当していた。そして若月とは我美の第二子である。
「精進いたします。母上」極夜は言った。若頭となったことで既に強い重圧がその身にのしかかっていたが、彼はそんなことをおくびにも出さず、冷静を保つように努めていた。
本来であれば極夜は将来、母の我美と同じ財務関係の仕事に就くはずだった。そのための勉学にも励んでいた。昔からなんでもできる従兄の冴夜には嫉妬していたが、一目を置いている部分もあった。
けれど冴夜はいとも簡単にその座を降り、一族からも出て行った。国に残っていれば守られたであろうに今は行方不明。あまりに身勝手で軽率。
それなのに誰も彼もが冴夜の心配をしている。そのことが我慢ならず憎たらしい。
照が言った通り、もし自分が財務の仕事に就いていたとしても、冴夜のことを目の敵にしていただろう。
だがここまでの憎悪は抱かなかったはずだ。こんな捻くれた性格になったり、臆病になったりもしていない。
全ては冴夜が国を出て行ったことから始まったのだ。
客観的に見れば自分にはお頭としての才能や器がある。それに見合うだけの努力や訓練を積んできた。成すべきことは成している。
しかしお頭の誘夜は一切認めてくれない。それが冴夜への恨み辛み嫉みを増幅させていた。
「あたくしの子は本当に優秀ね」我美が言った。「暁星の子もお利口さんだわ。それに比べて兄さまの子は、」
小声になる。
「兄さまがどれだけ自分の子を若頭にと切望しても、あなたのほうが聡いのよ極夜。大丈夫だからね」と息子を励ます。
「はい」極夜は不安を滲ませながら頷いた。母はこうして褒めてくれるが、いくら言われても意味はない。渇望しているのはお頭からの称賛だ。
「暈陰雲なんて子すら成せない木偶ですからね」我美はさらに小声で続けた。
「そもそもあの子は生まれる予定じゃなかったのよ。望まれずにできた鼻つまみ者だから、あたくしたち兄姉とも齢が離れているわ。
名前にもそれが現れてるじゃない。夜空や月を隠してしまう迷惑な雲。暈やけて誰だか分からないという意味もあるから、あの子に仕事が回らないのも無理ないわ。せめて子くらい成して一族に貢献してくれたらいいのに」
「そうですね」極夜は話半分で聞きながら同調した。
猫の国のしきたりで第四子の暈陰雲には福祉教育などの仕事が回されるはずなのだが、先代の終夜や現お頭の誘夜がそうさせなかった。
今その仕事は血族の者で分担されている。お頭の子供の数が少なければ血族に仕事を回すのが通例なので、暈陰雲が担当していなくとも不備はない。
なぜ第四子の暈陰雲がいるにも関わらず彼女に仕事が回されないのか。そしてなぜここまで彼女が嫌われ、邪魔者扱いされるのか。
それは我美が言ったように、予定にはない子だったから。
先代の終夜の妻は第三子の暁星を生んだあと病弱になった。もう子は生まれないだろうと誰もが思っていたのだが、月日が経ったある日、彼女が身ごもっていることが分かった。
終夜は覚えがないと言い張り、不貞を働いたとして妻から距離を置くようになってしまった。
後日、暈陰雲が生まれ、その輝く白い姿を見た終夜は頑なに自分の子とは認めず、やはり妻が他所で成した子だと決めつけた。
妻は必死に夫の子だと主張したが、それも虚しく、ほぼ離縁まで話が進んでしまった。
しかし実際にそうなる前に病弱だった妻は心労も重なって亡くなってしまった。
暈陰雲が誰の子なのか猫たちに真実を知る術はなかったので、彼女をどうするか悩んだ挙句、城に置いておくこととなった。
本当は内々に事を済ませたかったのだが、第四子が生まれたことがどこからか漏れて国民に広まっていたため、養子に出すなどして無き者とすることはできなかった。
ならば下手に暈陰雲をどこかへやるよりも、手元に置いておくほうが安全だとの判断に至った。
先代の終夜は彼女に必要最低限の生活と教育を与えただけで他の子と同じようには扱わず、日常での親子の接触もほとんどなかった。
さらに特別な用がない限り国の外へ出ることは許さず、普段もなるべく城の郭内にいるようにと定めた。
現お頭の誘夜もそんな父に倣い、妹には同じ態度を取っていた。
一方の暈陰雲はそんな扱いを受けながらも気丈に振る舞い、温厚でとても澄んだ心の持ち主に育った。
非常に勉強熱心な努力家で好奇心も旺盛。文字を覚えると城の書庫に入りびたり、書物を片っ端から乱読した。それが済む次は城の隅々までよく調べ上げ、その歴史も熟知した。
誰に対しても優しく接し、共感力も強いので、同じような境遇にいた暮夜のことを気にかけ面倒を見ていた。そのため二匹の間には本当の姉弟のような絆があった。
数時間後、宴は歪な空気を残したままお開きとなった。
各々が行動を取る中、照は様々な会話が嫌にでも耳に入ってきていたため体が重く、なかなか座を立つことができなかった。そこに宴が終わったとの知らせを聞きつけた命がやってきた。
「姐さん?」
「……ん?なんだ?」照はそばに立つ命を見上げた。
「ご気分が悪そうです。大丈夫ですか?」この小さな黒猫が宴で何か耳にしたのだと助手は気付いた。
「あぁ…」照は辺りを見回す。大広間には数匹の猫しか残っていない。「ういさまは?」
「先ほど樋成さんと一緒に近衛団長の所へ行かれました。何やら用があったようで」
「そうか」ため息。「本当にここは嫌になる。父さんが出て行くのも当然だ」
「良いご気分にならないと分かっていたでしょう。なぜ参加されたのです?」命にはその理由が理解できなかった。
照は俯く。「ういさまに会いたかった、というのは本当だ。
しかし樋成さんがいるとはいえ集会などではういさまが一匹になってしまうだろう?
絶対にみんなからやり玉に挙げられる。それを緩和させたかった。私がこの場に居ることで悪意の標的が増えたり、逆に抑えられることもある。
それに…。なにか父さんのためになる情報があるんじゃないかと思ったんだ。でも…。よくわからない。こんな理由は後付けだともいえる。
もしかしたら、恐らく……。やはり。私にもここの血が流れているせいだろうな。呼ばれた気がしたんだ」
「姐さん…」命はどうにも言えない感情になった。
「私にも変えられないものがあるということだよ、命。自分じゃない生き物にならない限り、どうしたって無理なんだ。この体に生まれた運命ってやつだよ」照は思い詰めたように言った。
「姐さんにしかないものがありますよ」三毛猫は助力した。「俺はそれをよく知っていますから…。あまり悪い面ばかり捉えないでください」
照は顔を上げて命を見つめた。「…ありがとう。君はいつまでも私に優しいな」と微笑む。
「あ、当たり前です」少しどぎまぎ。無い尾を立たせた。
「君が来てくれて助かったよ。もう行こう」黒猫は立ち上がる。
「はい」
照と命は大広間から出て暈陰雲の家に向かった。




