三月 その四
-前回-
集会に参加するため猫の国を訪れた照と命。若頭である祖父の誘夜や、大叔母である暈陰雲と挨拶を交わした。
翌日、この日は集会が行われる予定だったが延期となった。お頭の終夜が帰らぬ旅に赴いたとの一報が入ったからだ。
猫の国ではお頭が身罷るとその一族と関係者は九日間の喪に服し、その間はお頭が不帰になったことを外部の者に口外してはならない。集会や祝祭事なども避ける決まりとなっていた。
そして十日目に猫の国の国民に訃報を知らせると共に、新たなお頭の就任式を行う。これは猫の国独自のもので、お頭が不在であることを他国に知られないためにこのような決まりを設けている。
終夜が目をつぶった次の日、彼の葬儀が密やかに、しめやかに行われた。彼の血族だけが葬儀に参加し、城の敷地内にある墓地へ参る。血族たちは静かにお頭の旅路を見送った。
葬儀の間、照は曾祖父に思いを馳せ弔うと同時に、自分がこの墓地に入ることはないのだと考えていた。
城の墓に入るということは、未来永劫この国とこの城の一部になるということを意味している。自分がそうなることはない。そして大切な父と伯父もここで眠ることはない。照はそのことに安堵感さえ覚えていた。
墓地での弔いが終わると、血族たちは城内へ戻るため列になって移動した。
「就任式の準備に移れ。隣国への通達も用意しろ。鍔貴と晃雅には…」誘夜は一番前を歩きながらテキパキと弟や妹に指示した。
「照」列の中腹辺りにいた暈陰雲は歩く速度を落とし、一番後ろにいた照に話しかけた。「大丈夫?」
「え?大丈夫とは?」照は少し首を傾げる。
「浮かない顔をしているから。お葬式には参加しなくてもよかったのよ?」暈陰雲はなるべく他者に聞かれぬよう小声で話した。
「誰かのお葬式に出ることも初めてだったんじゃない?」
「確かにお葬式は初めてでしたが、」照も忍び音で話す。「私は大丈夫ですよ。色々と考え事をしていたんです。ういさまは?お父上を亡くされて辛くはありませんか?」
「私は平気よ」暈陰雲は微笑んだ。「ちゃんとしたお葬式に参列するのは永夜おばあさまのとき以来だけど、その時は私も幼かったから。たしか、その時もこんな風に静かに始まって、何事もなかったかのように終わっていたわ」
小さくため息をつく。
「お父さまとはあまり接していなかったから、情というものが湧いていないの。だから辛くはないわ」
「そうでしたか」
二匹はいつの間にか立ち止まって話していた。他の猫たちは列を保ったまま遠ざかっていく。
「心配してくれてありがとう。優しい子ね」暈陰雲は感謝の眼差しで又姪を見つめる。
「これから一族のみんなはやる事が沢山あるだろうけど、」
遠くなった血族集団のほうを見る。
「私の役目はなさそうね」
「ありますよ?」照は目を丸くさせた。
「なにかしら?」軽く首を傾げて尋ねる。
「野良猫みたいな小娘探偵の相手をすることです」エッヘンと胸を張る。
「あら」暈陰雲は開花するように笑った。「そうね」
<叔母さまも照も呑気なものです>
照の耳にとある囁きが届いた。聞いたことのあるオス猫の声に反応して片耳がピクリと跳ねる。
「面倒ではありませんか?」探偵は何も聞いていないかのように装い、大叔母に尋ねる。
「そんなことないわ。むしろ私にしかできない仕事よ」暈陰雲は嬉しそうに答える。
<伯父さま。なぜ照なんかを呼んだのですか?あいつは部外者でしょう?>オス猫は苛立ったように言った。
「なかなかに難しい仕事では…?」照は気になってつい声のするほうを向く。そちらには血族集団がいた。
「……どうかしたの?」暈陰雲は照の異変に気付いた。「なにか聞こえるの?」と同じ方向を見る。照の耳の良さを彼女も知っていた。
「いいえ。命がどうしているのか気になって」探偵は咄嗟に誤魔化して助手の名前を出した。命は血族ではないので葬儀には参列できず、この場にはいない。
<照はこちら側へ入れておかねばならぬ>誘夜の低い声が聞こえた。
「樋成さんと一緒に訓練しているはずよ」照は相方の心配をしているのだと暈陰雲は納得した。
「どこで訓練しているのでしょう?」小さな黒猫は空質問をする。
<なぜですか?あの小娘はなんの役にも立たないでしょう>
「たぶん訓練場にいると思うけど…。見に行ってみる?」暈陰雲は尋ねた。「どうせ私たち、このあと何もすることがないから、抜け出しても平気よ」
「訪ねに行ってもいいのですか?彼らの邪魔はしたくないのですが」照は声のする遠方と大叔母を交互に見る。
<理由はお前が一番よく分かっているはずだ。この空け者>誘夜の声が厳しくなる。<照は骨のある娘だ。賢く弁が立つゆえ、お前との会話より実りがある>
「じゃあ私が先に行って見てくるわ。見学できそうなら一緒に行きましょう。ここで待ってて」と暈陰雲。
「分かりました。お願いします」と照。
暈陰雲は早足で去って行った。照は彼女がこの場から離れてくれたことに感謝する。あの会話を彼女の耳には入れたくなかった。
<わたしよりも空けている者がいます。伯父さま>オス猫は声に悔しさを滲ませる。
<暈陰雲おばさまにも仕事をやってください。あの方は何もなさっていない。それにわたしたちだけでは手が足りません>
<暈陰雲のような不出来な猫にやる仕事などない。お前は自分の成すべきことを成してから文句を言うのだな>
<しかし伯父さま、>
<極夜>誘夜は一段と低い声で甥をたしなめた。
<仮にももうお前は若頭だ。いつまでも甘えて伯父さまなどと呼ぶでない。自分の立場を自覚しろ>
<……はい。お頭>
会話が止んだので照は声のしていたほうへ向かった。城に入る戸のところに一匹のオス猫がポツンと立っている。誘夜の姿はない。
「極夜さま」照はそのオス猫に話しかけた。
オス猫はどこかへ気が逸れていたのか、照の声を聞いてビクッと体を震わせた。
「お前…」と照を睨む。
極夜は先代お頭となった終夜の第二子、我美の息子である。
照にとっては従叔父にあたり、先代が亡くなったいま若頭となった猫だ。
極夜はやや荒い黒毛をしており、胸元の毛だけ長毛で茶色がかっている。ふさふさとした耳と尾。四角い顔立ちに冷たさを感じる黄色の目。照の父とあまり変わらぬ齢。
「なんの用だ」極夜は居丈高な態度を取った。
「おじいさまとの会話が耳に入ってしまって」照は片耳を撫でる。
極夜の髭がピクリと跳ねた。「地獄耳め」
「耳聡いと言ってください」照は長い尾の先で地面をトントンと軽く叩いた。
「私のことはどう言おうと構いませんが、ういさまのことは撤回してください」
「わたしは事実を言ったまでだ」極夜は従姪から目を逸らした。
「ういさまに仕事が回らないのはおじいさまの裁量であって、ういさまのせいではありません。怠けているわけでもない。彼女は非常に優秀な方です。撤回してください」青い目を鋭くさせる。
「断る。誘夜さまが仕事を回さないのは暈陰雲さまが不出来で無能だからだ」
照は低く唸って小さな牙を見せた。「ふざけるな」
「ハッ」嘲笑う。「ほざいていろ。どうせわたしがお頭になった暁には、暈陰雲さまたちは城から追い出されるんだ。だったら今からどう言おうが同じだろ。立場を弁えるんだな。お前は一生猫の国に入れないようにしてやる」
「そのような態度を取るからおじいさまに空け者呼ばわるされるのですよ」小さな猫は核心を突いた。
「なんだと?」若頭は貶されて毛を逆立てる。ふさふさとした尾と耳も小刻みに震えた。
「あなたはお頭の器ではない」瞳孔を大きく広げ、照も怒りを露わにした。
「黙れ」シャーと威嚇してから極夜は低い声で唸った。
「野良猫風情に何がわかる。そもそも暮夜か冴夜が跡継ぎになっていればわたしはこんな苦労をせずに済んだんだ!」
「託けているから成長しないのです。暮夜おじさんか父さんが跡継ぎになっていたとしても、あなたはそうやって嫉妬するのでしょうね」耳を倒し、長い尾を大きくゆっくり揺らす。
「運命から逃げ出した腰抜けどもをバカにして何が悪い?嫉妬しているのはそっちだろ」
「父さんたちは腰抜けじゃない!」照は怒髪天を突いた。
「腰抜けだ!裏切り者の面汚しが!」
照は身を縮めると、一瞬にして極夜の喉元に飛びついた。
極夜は衝突により地面に転がったが、即座に反撃の体制を取る。
黒猫たちは互いに上になったり下になったりと縺れ合いながら、牙を剥き出して咆哮し、相手の体に鋭い爪を立てる。
息の根を止めようと喉に狙いを定め、攻撃をしているうちに、照の艶やかな漆黒の毛と、極夜のやや荒れた黒毛が束になって辺りに舞い散った。
素早さでは照のほうが上だったので、何度か彼女の小さな牙が極夜の喉元を掠めたが、極夜のほうが体が大きく力もあったため上手くいなされた。
やがて極夜の固い爪が照の頬を引き裂き、照が痛みに怯んだところで極夜は彼女の小柄な体を押さえつけ、動きをねじ伏せた。
鋭く尖った牙が照の喉を捕らえる。
「やめなさい!!」
暈陰雲、樋成、命の三匹が駆け付け、争っている黒猫たちの間に割って入った。
暈陰雲は照を庇い、樋成は極夜を殺そうとしている命を押さえる。極夜は後ずさって全員と距離をとった。
「なにをなさっているのですか!極夜さま」命を押さえている樋成が聞いた。
「そのならず者が先に襲ってきたのだ」息を切らせながら照を指す。「捕まえろ。犯罪者だ」と近衛団の樋成に命令する。
「捕まえればいいでしょう!」照は頬に血を滲ませながら立ちあがった。
「所詮、私はどこぞの野良猫です。あなたの気が済むのであればお好きなように罰を与えればいい!ですがお忘れなく。この国で刑罰を執行するには、大将であるお頭の許可が必要になるということを!」
極夜は照を睨みつけた。「茶坊主め」
「もうおやめなさい」暈陰雲が二匹をたしなめる。
「くっ…。もうよい」極夜は去ろうとした。
「あなたの暴言、私は許しません。永久に」照はその背中に断言を叩きつける。
極夜はなんの反応も示さずに城の中へ消えて行った。
「どうなさったのですか?何があったのです?」樋成は極夜を追おうとする命の腕を掴んだまま照に聞く。
「大丈夫?照」暈陰雲も心配そうに小さな黒猫を見た。
「平気です。おい、命」激怒で毛を逆立て、低い唸り声をあげている三毛猫に言う。「落ち着け」
命は相棒に呼ばれて威嚇の姿勢を崩した。「姐さん。お怪我が」と照の側に寄る。
「このくらい」なんでもないと首を振った。
「血が出てるわ」暈陰雲は傷口を舐めてやった。
「大丈夫ですよ。ういさま」照は少し恥ずかしさを見せる。
「……申し訳ありません」命は沈んだ声でうつむく。「お守りできずに…」
樋成はそんな三毛猫を見て手を離した。
「気にするな」探偵は助手に言う。
「しかし…」
「顔を上げろ命」
助手は従って探偵を見る。
「今のは私が招いたことだ。君が謝る必要はない」
「でも、」
「君のせいじゃない。絶対に」照は強く言った。「何も背負わなくていいんだ」
照が自分より大きな猫に襲い掛かる理由を命は簡単に推測できた。だからこそ側にいられなかったことを激しく悔やんだ。守れなかった自分を恨んだ。
「姐さん。ご指示ください。俺ならあいつを殺れます。俺はどんな罰を受けても構いませんから」
「物騒なことを言うな。私が君にそんなことさせるわけないだろ」
「ですが、」
「いいんだ」照は再三止めた。「私にも落ち度がある」
命は納得のいかないまま彼女を見つめた。
「ういさま」黒猫は大叔母に言う。「ごめんなさい。このような失態を犯してしまって。恥ずかしいです」
「いいのよ」暈陰雲は照の傷に触れた。「どうせ極夜が何か酷いことを言ったんでしょ?怒られて当然だわ。あなたは悪くないのよ照。でも危険なことはしちゃ駄目」と優しく叱る。
「はい」照は耳をペタリと下げた。「ありがとうございます。樋成さんも、」茶白猫を見る。「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「お許しください」命も謝る。
「いいえ。気にしないでください」樋成は小さく首を振る。
「傷の手当てをしましょう」暈陰雲は又姪の手を取った。




