三月 その三
-前回-
伯父である暮夜とその妻うらら、従妹弟たちと会ったあと、照と命は猫の国で行われる集会へ参加するため、メディウを出発した。
山を下って膝栗毛。所々で休憩を挟みながら夜になった時刻にようやく猫の国に着いた。
猫の国は平地にあり、自国の国土を塀で囲んである。他の国でも塀や柵で囲っていたり崖や川などで隔てていたり、山の中で国を興している種もあった。
「こんばんは」照は猫の国の入り口にいた門番に話しかけた。
門番は屈強なオス猫で、長い棒を片手に持っていた。
「て、照さま」門番は驚く。
「入れてくれる?」
「もちろんです」門番は大きな門を開け、照たちに道を譲った。
二匹は中に入る。猫の国は上から見ると格子状に道が通っており、国の北部に大きな城が建っている。城は四階層で土色の壁、黒い屋根をその頭に被せていた。城の周りは低い塀で囲われ、見張りの猫がところどころにいる。
城は初代お頭の可惜夜が築いたものであり、その子孫である歴代のお頭はみなその城に住んでいた。お頭の血縁者も城の郭内に居を構えている。
メディウから来た探偵と助手は国で一番大きな建物に向かった。しばらく道をまっすぐ歩く。やがて道のどん詰まりに建っている立派な門に突き当たった。
城門にも門番がいて、その門番は照の顔を見るや否や何も言わずに門を開けた。
「一族から外れたというのにまだ優遇してくれるとはな」門をくぐると照はボソッと言った。
門から続く道をこれまたさらにまっすぐ進むと、城内へ入れる大きな戸に辿り着いた。
照がその戸を叩くと一匹の使い猫が顔を出す。一言、二言、会話をすると使い猫は照たちを城の中へ通し、二階へ連れて行く。
「誘夜さまに報告して参りますのでこちらでお待ちください」使い猫は何も置いていない客間に二匹を入れるとそう告げてどこかへ行った。
客間で待つこと数分、先ほどと同じ使い猫が照たちを呼びに来た。「こちらへどうぞ」
「いざ牙城へ」照は小声で呟いた。
二匹は使い猫に付いて行く。使い猫はひとつ上の階へ行き、静かな廊下を進むとひとつの部屋の前で止まった。部屋に入るよう手で促す。
「どうも」照がそう言うと使い猫は会釈をして去って行った。
小さな黒猫はふぅと深呼吸をして気持ちを整えたあと、部屋の戸を開けた。
またしても何も置いていないただの広い部屋。ただ一匹、細身の黒猫が部屋の真ん中に座っている。
「久しいな。照」細身の黒毛猫は低い声で言った。「息災か」
「お久しぶりです。誘夜おじいさま」照は部屋の入り口で畏まり、頭を下げた。「私は相変わらずです」
誘夜は艶やかな漆黒の毛を持つオス猫である。ひし形の頭に三角形の耳、長いヒゲ、銅色の鋭い目。
細身の体で、尾の先端に白い毛、さらに両方のヒゲ袋の部分にも勾玉模様の白い毛が生えていた。
首には金の首飾りを着けている。そこには若頭の証である三日月型の飾りが付いていた。
猫の国のお頭、終夜の長子で、現在は若頭という立場にいるが、お頭が床に臥してからはこの誘夜が代わりに国を仕切っている。
今は何もないこの部屋でただ一匹座っているだけに見えるが、実は影猫と呼ばれる護衛が近くに潜み、若頭を見張っていた。
「座れ」誘夜は自身の対面をさした。
「はい」照は若頭の正面に座り、命はその少し後ろに座した。「終夜ひいおじいさまのご容体はいかがですか?」と照は尋ねる。
「つい先ほど影猫を連れて城のどこかにお隠れになった。もう誰ともお会いにはならないだろう」誘夜は父親の心配をしておらず、落ち着いていた。
猫種は最期の時が近づいてくると家族の前から姿を消すことがある。全ての猫種がそうするわけではないが、お頭は必ずそうする。
「お隠れになる前に集会を開いてしまいたかったが、仕方ない」誘夜は冷たく言った。
「左様ですか」誘夜が発する異様な雰囲気にのまれ、さすがの照も緊張して無意識に耳を澄ませた。どこか遠くのほうで誰かが咳き込む声が聞こえる。
「連れはそいつだけか」若頭は照の後ろに控えている三毛猫をチラリと見た。「他の者は?」
「いません。私と彼だけです」
フンと鼻で笑う。「そのようだな。して、」孫を見つめる。「まだ探偵などという遊びを続けているのか」
「遊びではありません。れっきとした仕事です」探偵は長いヒゲをピクリと動かした。
「一族の恥さらしもいいところだ」誘夜は銅色の目を細めて怒りを見せる。「若輩どもが国の顔を潰しおって。沽券にかかわっておるのだぞ」
「ではなぜ手紙を寄越すのですか?」照は緊張していたがしっかりと弁は立った。
「それがしきたりというもの」誘夜は孫の態度を煙たがった。「小生の倅はまだ帰って来んのか」
「一度も」小さな拳をギュッと握る。
「呆れたものよ」ため息。「愚息どもに手を焼かされるとは」と文句を垂れる。
「父さんも伯父さんも立派な方です」小さな黒猫は苛立ちで青い目を熱く燃やした。
「小生の面を汚していることになんの罪悪も感じぬと言うのか?度し難いな」誘夜も銅色の目を冷酷に光らせる。
「それとも貴様らは一国のお頭の責務を軽んじているとでも?ずいぶんと甘く見られたものだな」
「そのような意味ではありません」キッパリと否定。「お考えすぎなのでは?」と長い尾をくゆらせて祖父を煽る。
誘夜はほくそ笑んだ。「面の皮が千枚張りの貴様のその態度は褒めてやろう」
「勿体ないお言葉です。私には必要ありません」
「ほぅ。ならば何が必要なのだ?」
「なにも」照は耳を倒した。「私はただあなたが暮夜おじさんにしたことが許せないだけです」
「あれはやむを得ないことだった。可惜夜一族から血迷いの者が出たなど国民には告げられん。それに蔵に閉じ込めたことは暮夜も納得がいっている」
「そう思っていらっしゃるから父さんも伯父さんもここを出たのでは?ご自分のご子息を雑に扱っておいて、一国のお頭など語らないでいただきたい」怖気づくことなく言う。
「貴様に何がわかる」誘夜は毛を逆立てた。「フラフラと遊び歩いている野良猫ごときが」
照は微笑んだ。「ならばここで私を噛み切ればいいでしょう」
「ならぬ」お頭もふっと笑う。
命はこのただならぬ空間で震えないよう力んでいた。照は自分が何を言っても殺されないと分かっていてこのような発言をしている。誘夜もそれを分かって対応していた。
お互いに譲れぬ意地があり、それを貶されて苛立ってはいるが同時に楽しんでもいる。まさにこの祖父にしてこの孫あり。狂気にも似た雰囲気はそっくりだった。
「冴夜ほど優秀な猫は他にいない」誘夜は言った。「その血を継いでいる貴様にも小生は重きを置いておるのだ。簡単に殺しはしない」
「期待して頂けて光栄ですが、私の才能を発揮する場所はここではないかと」照は片耳をピクリと震わせた。何かが彼女の耳朶に触れたのだ。「あなたの跡継ぎなら極夜さまがおられます」
「あいつは足りぬ」若頭は一度首を横に振ると深いため息をついた。
「あいつは腑抜けておる。才も能も冴夜に比べれば何ひとつない。愚鈍で劣る」夜を継ぐ子である甥っ子を襤褸糞に言う。
「比べるものなどありません」照は毅然とした態度を示した。「極夜さまは努力なさっています。なぜお認めにならないのですか?」
「長けている者の前ではみな鈍足に見えるだろう」
「父さんならそんなこと言いません」白けた目で祖父を見る。「もうよろしいですか?ご挨拶はこのくらいにさせてください」と立ち上がった。
「いいだろう」誘夜はほくそ笑んだ。「ご苦労」
「失礼します」照は頭を下げる。
命も倣って立ち上がると、お辞儀をして照と一緒に部屋を出た。
「大丈夫ですか姐さん」廊下を歩きながら命は尋ねた。あの空間から解き放たれてホッとしたが、自分の恐れよりも照のほうが辛かっただろうと気遣う。
「あぁ」照はまだ緊張感を残しており、長い尾を鞭のようにしならせた。「君は大丈夫か?心音と呼吸がやたら速かったが」
「確かに息が詰まりましたが、」この探偵に隠し事はできない。「俺は平気です」
「そうか」小さな黒猫はため息をつく。「さすがは一国のお頭だな。肝が据わっている。心音も呼吸も一定で、尾も耳も動かなかった」
「…そうでしたか」命は場に飲まれるばかりでそんなことには気づいていなかった。
「毛を逆立てさせることには成功したがな」自慢げにフンと小さく鼻を鳴らす。
ただでは終わらないと根性を見せたこの小さな相棒に命は改めて感心した。
「さっきの客間へ戻るぞ」照は階段へ向かった。
「え?戻るのですか?」
「あぁ。ういさまが来てる」先端が反りかえるほど耳を立てる。「足音と声がした」
「分かりました」
二匹は客間に戻った。そこには一匹のメス猫がいた。
「暈陰雲さま!」照はその猫に飛びつく。
「まぁ、照。命。久しぶりね」メス猫は満面の笑みを見せた。
暈陰雲は猫の国お頭、終夜の第四子である。先ほど照たちが会った誘夜の妹。末子で他の兄姉とは少し齢が離れている。
全身輝くような白い毛だが、左耳の辺りと長めの尾だけ黒い。照より背が高く、しなやかな体躯。逆三角の頭に少し下がり気味の淡い黄色の目。桃色の鼻。耳は火がゆったりと揺蕩っているような形をしている。閨秀で奥ゆかしい雅な性格をしていた。
「元気にしていた?」暈陰雲は又姪に尋ねた。
「はい!とっても!」照は澄んだ青い目を輝かせニッコリと笑う。
「それは良かったわ。命はどう?」と三毛猫を見る。
「元気です」命は頷くように頭を下げた。「お久しぶりです暈陰雲さま」
「えぇ。本当に久しぶりね。会えてよかったわ。仕事は順調?」照を見る。
「現在モグ・モグ探しに苦戦しているところですが、その他はまずまずですね」探偵は言う。
「モグ・モグを探すなんて!」暈陰雲は驚いた。「とても困難な依頼ね。以前のホスゥに匹敵するんじゃない?」
「はい。でも必ず見つけてみせますとも」照は自信を見せた。
「頑張ってるのね。偉いわ」我が子を褒めるように照の頭を撫でる。
「ひひひ」照は喜び、長い尾を立てた。
「冴夜とひなたさんはどう?」暈陰雲はそっと尋ねる。
「変わらずです」少し耳を下げる。
「そう」小さな黒猫を励ますように暈陰雲はそっと微笑んだ。「今回は二匹で来たのね?」
「はい」
「暮夜とは会ってる?」
「はい!ここに来る前に会ってきました。伯父さんもうららさんも子供たちも元気にしていますよ。よろしく伝えるように言付かりました!」
「安心したわ。暮夜と会ったのはずいぶん前だから」暈陰雲は照をギュッと抱きしめる。
「本当に会えて嬉しいわ照。今回の集会、メディウにいる子は誰も来ないと思ったから」
「ういさまに会いたかったので来ましたよ!」照も強く抱きしめ返す。
二匹は実の親子に仲が良く、先ほどの誘夜とは打って変わった和やかな雰囲気に命は微笑んだ。
「どのくらいいられるの?」暈陰雲は楽しそうに笑う。
「厳密には決めていませんが、集会が終わり次第帰ろうかなと」
「わかった。じゃあ当然二匹とも私の家に泊まるわよね?他に行くなんて駄目よ」照と命を交互に見る。
「いいのですか?」黒猫は驚く。
「もちろん。むしろ私の家にいてくれたほうが嬉しいわ。あなた達がこの国にいる間はなるべく一緒にいたいの」
「ではお言葉に甘えてお世話になります」
「ありがとうございます」命もお礼を言う。
「いいのよ。行きましょう」暈陰雲は小さな照の手を引いた。
三匹は城を出た。ぺちゃぺちゃとお喋りをしながら城の郭内にある暈陰雲の家へ向かう。彼女の家は城から一番遠い場所にあり、兄姉と比べると小さいがそれでも普通の国民の家よりは広い。専属の使い猫も一匹いる。
「ただいま」暈陰雲は自分の家の戸を開けた。
「おかえり」オス猫が出てきた。
「こんばんは。お久しぶりです樋成さん」照は挨拶した。
樋成は暈陰雲の夫である。命と比べると細身だが、引き締まった体は背中側に淡い薄橙色の毛が生えており、お腹側は白い。優形の顔は白毛の割合が多く、ところどころに薄橙の毛が点在する柄をしていた。四角い桃色の鼻、目は丸形で緑色、ヒゲや尾は長くない。
そして首には黒い一本線の入った水色の手ぬぐいが結ばれていた。青リンゴの皮で染めた手ぬぐいで、城の近衛団に所属している証でもある。
「照さま、命さん。こんばんは」樋成は爽やかな明るい声で言った。「明日の集会に参加されるのですか?」
「はい。一応」照は頷く。
「今回は早まったので急いだのでは?」
「えぇ。そうです。手紙を受け取ったその足で事務所を出てきました」と苦笑い。
「それはそれは。お疲れさまでした」樋成は労うように微笑んだ。
「ねぇ。照たちを泊めてもいいでしょ?」暈陰雲は夫に尋ねる。
「もちろん」樋成は快く承諾する。
「ありがとうございます」照と命は同時に言った。
「さぁ、上がって。最近の事件の話を聞かせてちょうだい。また何か燃えたりした?それとも与太者を捕まえたりした?」暈陰雲は子供のようにウキウキと目を輝かせた。




