三月 その二
-前回-
照の元に二通の手紙が届く。一通は母から。もう一通は祖父からの召集状であった。照に憧れて探偵事務所に弟子入りをしたつむぎに留守番を頼み、照と命は猫の国へ赴くのであった。
一時間ほどのち、照は再三再四つむぎに先ほどの指示を確認したあと、風呂敷に包まれた旅の荷物を背負って助手と共に事務所を出た。
メディウの街を去る前に郵便屋へ行ってつむぎの両親に手紙を出したあと、照の伯父が営んでいる道場へ立ち寄る。
道場は探偵事務所がある東通りを北に上がった下町の中にあった。
道場では体を使った格闘技や護身術を習うことができる。板張りの床が広がる建物には十数匹の生徒が通い、犬や猫だけでなく他の種もちらほら入門していた。今日も数匹の動物が技の習得をしようと修行に励んでいる。
道場の横にはここの主一家が住む小さな一軒家もあった。
「頼もう!暮夜おじさん!」照は道場の戸を勢いよく開けた。
「おう。照」体の大きな黒毛猫が二匹に気付いて寄ってきた。
「親父」命は身を引き締める。
「よく来たな」黒毛猫は命の方を叩いた。
暮夜は猫種のオスである。頬の広いふてぶてしい顔立ち、短いヒゲ、片耳には切れ込み、薄い黄色の目は常に睨んでいるような形をしている。
命より大きな体格で少々荒れた黒毛、お腹には縦に白い毛が生えていた。先が丸くなっている短い尾。この道場の主であり、照の父の兄、命の育ての親である。
「ちゃんと鍛錬を積んでいるか?」暮夜は乾燥した声で息子に尋ねた。
「はい。時間があるときは必ず」三毛猫は頷く。
「そうか。またうちの若い奴と手合わせしてやってくれ。最近入った血の気の多い奴がいるんだ」主は道場内を見渡した。
「分かりました」
「で、今日はどうした?」暮夜は小柄な黒猫の姪を見る。
「誘夜おじいさまからの手紙は受け取りましたか?集会の件で招集を、」
「あ!てるぅ!にいやん!」子供独特の高い声が聞こえ、照の話を遮った。
三匹の子猫が照と命の元へ駆け寄ってくる。
「なにしてるの?」
「遊びに来たの?」
「ねぇ!ねぇ!聞いて!」と次々に喋る。
「おいコラお前ら」暮夜は一匹の子猫の首根っこを掴んで持ち上げた。「いま父さんが照たちと話してるところだろうが。邪魔するな」
「あなた達!駄目じゃない!」白と灰色の毛をしたメス猫が現れて一番小さな子猫を抱きかかえた。
「うららさん。こんにちは」照はそのメス猫に言った。
「こんにちは。照ちゃん。命くん。ごめんなさいね。この子たち、ちょっと目を離すとすぐいなくなるんだから」と子猫たちを見る。
うららは猫種のメスである。白毛の割合が多く、頭や背中に点々と灰色の毛がある柄をしていた。丸顔で折れた耳、淡い緑の目、体は照より大きく、尾は先が緩く曲がっていた。暮夜の妻で子猫たちの母である。
そして暮夜とうららの第一子であるかすみはメスで全身白毛、母と同じ折れた耳をしている。第二子のほのもメスで全身灰色毛。第三子のおぼろはオスで白と黒の毛色をしていた。
「照ちゃん。また宝探しに来たの?」照より齢が下の第一子かすみが尋ねた。
「違うよ!にいやんが手合わせに来たんでしょ?」暮夜に首根っこを掴まれている第二子のほのが言った。
「ごめんねみんな。今日はすぐに帰るつもりなんだ」照は従妹弟たちを見る。
「えぇ~。帰るのぉ?」うららに抱かれている一番小さな第三子おぼろが文句を垂れた。
「お前らあっちへ行ってろ」暮夜はほのを降ろした。「さもなくば父さんが今夜お前らの毛づくろいをするぞ」
子猫たちはキャーと叫ぶと笑いながらどこかへ走り去って行った。
「またね。照ちゃん。命くん」うららは子猫たちを追った。
暮夜はため息をつく。「すまねえな。それで、なんだった?」
「誘夜おじいさまから手紙を受け取りましたか?」照は再び言った。
「あぁ。そういや来てたな。読んでねえけど」暮夜のふてぶてしい顔がさらに険しくなった。
「集会がいつもより早く開かれるそうです。終夜さまの容体が宜しくないようで」
「そうか」自身の祖父のことをあまり気にしていない様子。
「私たちは今から猫の国へ参ります。すぐに出ないと間に合わないので。暮夜おじさんはどうなさいますか?」
「俺は行かないよ。毎度のことだがな」太い首を振る。「照も無理して行かなくていいんだぞ。俺たちは一族を抜けたんだからな」
「いいえ。行きます」照は微笑んだ。「久しぶりに暈陰雲さまに会いたいので」
「あぁ」暮夜の表情が柔らかくなる。「ういさまに会ったらよろしく伝えてくれ。俺もうららも、子供たちも元気にしていると」
「はい。必ず」
「冴夜とひなたさんは相変わらずか?」暮夜は一転して神妙な面持ちになった。
「えぇ」照は三角の耳と長い尾を下げた。「母さんはあまり良くないかもしれません。父さんもどこにいるのか…」と落ち込む。
「心配するな」暮夜は明るい声で姪っ子を励ました。「冴夜なら逞しく生きてる。あいつは隠れるのが誰よりも上手いからな。かくれんぼで見つかったことは一度もないと言っていたし、隠密行動であいつの右に出る者はいない。力勝負で俺に勝ったことはないけどな」
フンと鼻を鳴らす。
「あいつはきっと今もどこかに潜んでいるんだ。何か大きなことのために」
「…ですよね」照も前向きに考え耳を上げた。
命は継しい父親の心情やその言葉に込められている意味を理解していた。自分の弟が今もどこかで生きていると信じたい。誰かの、何かのために戦っているのだと思いたい。
その一方でもしかしたらどこかで野垂れ死んでいるのではないか、悪い奴に捕まっているのではないかという不安も抱いている。しかしそんなことは考えたくはないし、姪をこれ以上悩ませることもしたくないので、暮夜は自分に言い聞かせるためにも照を励ましたのだ。
「それによ」暮夜は続けた。「ひなたさんだって、こんなに可愛い娘が頑張ってるんだから早く治したいと思ってるはずだ。だからきっと良くなってすぐ帰ってくるさ」照の頭を撫でる。
「ですよね!」彼女は希望の光を見たかのように顔を上げて笑った。「では私たちは行ってまいります。あ、そうだ。実は今うちの事務所に弟子がいるのですが」
「弟子?」なんだそれと目を細める。
「はい。つむぎという小さな犬です。縁があって今日から弟子に」
「へぇ。面白いじゃねえか」主はフンを笑った。
「さっそく留守番を頼んだのですが、一応私たちが留守のあいだ事務所とつむぎくんをお願いできますか?」
「おう。任せろ。顔を出しておく」頼もしく頷く。
「ありがとうございます。なるべく早く帰ってきますね。行ってきます!」照は元気よく告げた。
「気を付けろよ。命、しっかり照を守ってやれ」暮夜は息子に言う。
「はい。忽せにしません」三毛猫は約束した。
「大袈裟な」小さな探偵はやれやれと呆れる。「自分の身くらい自分で守れます」
暮夜はウハハと笑った。「じゃあまたな」
照と命は道場をあとにした。歩いてメディウの最東端に向かう。
メディウには東と西に背の高い四つ足の門があり、そこから街への出入りができる。門の側には木脚屋が店を構えており、物や動物を街の内外へ運んでいた。
「こんにちは」最東端へ着くと照は柱と屋根だけの建物の前に立った。そこには数頭のホスゥが繋がれている。
「いらっしゃいませ」ホスゥの世話をしていた年老いた犬が現れた。「おや、照さん」
「亜代さん。お元気ですか?」
「えぇ、えぇ。それはもう。この間は大変お世話になりました」亜代は頭を下げた。以前逃げ出したホスゥを掴まえて欲しいと依頼してきたのはこの亜代だった。
「いいえ。困っている方を助けるのが私たちの仕事ですから。その後のホスゥはいかがですか?」
「おかげさまで元気にしております」亜代は側にいるホスゥを撫でる。
「それは良かった」照はニコリとした。「ところで私たち、猫の国へ行きたいのですが」
「猫の国ですか。それでしたらもうすぐ乗り合いホスゥが出ますよ。それは途中までしか行きませんが、どうなさいますか?文が高くついてもいいなら専用ホスゥを出すこともできますよ?」
猫の国はメディウから見て北東の方角にあり、長距離の平坦な道を進んだあとひとつ山を越え、さらに長距離移動しなくてはならない。
山の頂には宿屋がありこの乗り合いホスゥはそこまでしか行かないが、専用のホスゥなら猫の国まで直接行ってくれる。
「う~ん」照は自分の巾着の中を思い返した。山頂の宿屋に泊まる分と猫の国での滞在費…。「乗り合いで行きます」
「分かりました。あと半刻もしないうちに出ます故」
「ありがとうございます」
二匹は半刻後、回転する木輪のついた大きな木の籠に乗り込んだ。籠は格子状に組み立てられていて、雨をしのげる屋根も付いていた。
籠の前には大きなホスゥがいて、紐で繋がれた籠を引っ張ってくれる。そのホスゥの上には先ほどの亜代が乗り手となって道の誘導を行う。
乗り合いホスゥなので照と命の他にも数匹の動物が籠に乗った。ガタゴトと音を立てながら街の出入り口である門をくぐり、メディウをあとにする。
「なぁ、命。知っているか?」ゆっくりと進む籠の中で照は旅の相棒に話しかけた。彼女は何やら書物を読んでいる。
「なんでしょう?」格子の隙間から景色を見ていた命は黒猫のほうを向いた。
「この書物によると、歩いて旅をすることを膝栗毛というらしい」手にある古そうな書物を指す。
「膝栗毛?なんですかその書物?」命は首を傾げる。
「父さんが集めていたものだ。事務所の資料室にあってな。長旅になるだろうと思って暇つぶしに持ってきたんだ。この書物はどうやら別世界というか、夢物語のような内容だよ」
「そうですか」書物を覗き込む。そこにはびっしりと文字が書かれていた。命には読めない。
「誰が書いたんだろうね。こうした話を読むとワクワクするよ。それでな、舟の上で寝泊まりすることは波枕というらしい」指で書物の一点を指し示す。
「おっと。そろそろ研がないとな…」と爪をにゅっと飛び出させて一匹ごち。
「面白いですね。ホスゥで旅をすることはなんと言うのでしょうか?」命は前を歩くホスゥを見た。
「分からん。そもそもこれは夢物語だからホスゥは出てこないんだ。何か相応しい言葉を考えてみてくれ」照はしたり顔で微笑み助手に問う。
「えぇ…」命は困った。この小さな黒猫はたまにこうして大きな三毛猫を揶揄う。困る三毛猫を見て楽しんでいるのだ。
「さっぱり。何も思いつきません」早々に降参した。「姐さんならどう言いますか?」
「うむ…」探偵は思案する。「木の揺り籠とでも言おうか?」
「いいですね」
「いや、つまらんな」照は独り言のように否定した。「もっと機転の利いた言葉がいい」としばらく黙って考え込んだが、何も思いつかずため息をついた。
「駄目だ。どうにも上手い言葉がない。もっと書物を読むべきだな」とブツブツ呟く。
命は探偵の探求心に感心し、自分ももう少し勉強するべきだなと思った。
二匹はそのような会話を時々交わしながらホスゥの引く籠に揺られた。メディウを出て数時間後、山の頂にある宿屋に辿り着くころには宵の口となっていた。
猫の国からもこの宿屋まで来る乗り合いホスゥが出ており、夜に到着して朝になると客を乗せて国に帰っていた。
照の考えでは宿屋で一泊したあとそのホスゥに乗って猫の国へ行くつもりだったが、宿屋の主によるとこの日は乗り手の気まぐれで、照たちが来る前に早々に帰ってしまったとのこと。
つまり次のホスゥは明日の夜にならないと来ない。
ということで、照たちは宿屋で一泊したあと歩いて猫の国へ向かうことになった。早起きをして宿屋を出発しようとすると、同じく早起きをしていた亜代が話しかけてきた。
「照さん、命さん。もう出発ですか?」
「えぇ。猫の国からのホスゥが行ってしまったので仕方なく」照は困り笑いをした。
「おやおや。うちのホスゥで乗せて行ってあげたいところですが、こちらもお客を乗せて街に帰らないといけないので」亜代は耳を下げた。「助けになれず申し訳ない」
「いいのですよ。お世話になりました」照は軽く頭を下げる。
「どうか道中お気をつけて。この亜代、お二匹のために草を結びますゆえ」
「それはそれは!ありがとうございます。私も亜代さんとホスゥが無事にメディウに帰れることを願います」
「ありがたや。ではまた」亜代は頭を下げた。
「はい」照と命も挨拶をして宿屋を出発した。




