三月 その一
つむぎが帰った数日後、大した依頼もない夜の探偵事務所に二通の手紙が届いた。
「母さんからの手紙だ!」照は大喜びしてさっそく開封した。手紙は一枚の紙を折りたたんで封をした形になっている。
「ふむ…」照は読みながら唸る。
「どうしました?」側にいた命が尋ねる。
「首飾りをありがとう…。気に入ったと書いてある」
「良かったじゃないですか」
「いや」沈んだ声。「あまり容体は変わっていないようだ。それに今月分の治療費を早めに欲しいらしい。しかもまた手紙を控えたいというような旨が書いてある。先月もそんなことが書いてあったぞ?」首を傾げた。
「どうかしたんでしょうか?」命もつられて首を曲げる。
「母さんは優しい方だから無理して書いているのかもしれないな。本当は容体だってもっと悪くて、筆も持てないくらいなのかも…」照は耳と尾を下げて落ち込んだ。
「何かあったら病院からゾエナが飛んでくるだろうから、私の勘違いだといいのだが…」
「一度病院を訪ねてみてはいかがでしょう?奥さんには会えなくともお医者さんか看護師さんから話が聞けるはずです」
「そうだな。そうしよう。ついでに治療費も持って行くよ」照は前向きに考えるようにした。
「お一匹で?俺も行きましょうか?」命は心配ゆえ尋ねた。
小さな黒猫は大きなため息をつく。「私が落ち込み過ぎて迷子になるとでも思ってるのか?」三毛猫を見上げる。
「はい」過保護な猫は真面目に言った。
「君は私という猫を甘く見過ぎている。甘々だ」長い尾をくゆらせる。「私はこの街で生まれ、この街で育ったのだぞ。この街を知り尽くしている。裏の裏までな」
「存じています。その上で心配しているのです」命は相方の性格を熟知していた。
「ふん!」そっぽを向く。「今に見ていろ。父さんのように大きな一派も潰せるような猫だということを君に分からせてやる」
「楽しみにしています」照の気分が良くなったのを見て命は微笑んだ。
照はザラザラとした舌をベーッと突き出すと、文の入った巾着を部屋から取ってきて事務所を出て行った。
「お戻りお待ちしています!」照の耳には届いているだろうと命は大声で言った。
小さな探偵が出て行ってからしばらくすると、バン!と大きな音を立てて事務所の戸が開いた。
「いらっしゃい…。え?」命は入ってきた動物を見て魂消た。
そこにいたのは白と薄茶の毛で小さな体をした犬、つむぎだった。
「こんにちは!」つむぎは元気よく挨拶した。
「つむぎさん!どうなさったんです?何か忘れものでも?」命は戸惑った。
「違います!僕は犬の国から戻ってきたんです!」子犬は丸まった尾を振り、黒く丸い目を輝かせた。
「戻ってきた?どういうことです?」
「僕、この街で修行がしたいんです!」小さな拳を握りしめる。
「え?修行?」
「はい!警察犬になるため、ここで修行させてください!」つむぎは紙の散乱する床に膝をついた。「お願いします!僕は照さんの弟子になりたいんです!」と大真面目に懇願する。
「弟子?姐さんの?ここで?」猫は混乱した。
「そうです!僕はすっかり照さんのお心柄に憧れてしまいました!照さんのように強くなりたいんです!」
「つむぎさんの憧れは禅さんだったのでは…?」
「もちろん禅さんのことも尊敬しています!でも禅さんがいない今!僕には照さんのような師匠が必要なんです!」
「あの…。申し訳ありませんが、うちの事務所はいま誰かを雇うつもりはなくてですね…」丁重にお断りする。
「構いません!僕、お給料なんていりません!お手伝いさせてほしいんです!なんでもやります!お使いでもお掃除でも、鼻が必要とあらばこの僕の鼻を!どうぞ!なんなりと!お使いください!!」ご自慢の鼻を前へ突き出す。
「それは…。あの…」助手は子犬の勢いに押されて困った。「あ、つむぎさんのご両親はこのことをご存知で?」
「もちろんです!説得してきました!」自慢げに胸を張る。「できるところまでやって来いと言ってくれました!」
「は、はぁ…」どうしようかと辺りを見回す。「いやぁ…。その、俺の一存では何とも言えませんので、姐さんに聞かないと…」
「照さんはどちらに?」
「出掛けています。奥さんから手紙が来て、病院に行かれました。もう少しで戻ってくるかと」
「分かりました!待ちます!」つむぎは丸まった尾を振り回し、事務所の真ん中にある椅子に座った。
命は大変なことになったと焦りながら、事務所の戸を見つめて一刻も早い探偵の帰りを願った。
数分後、照が戻ってきた。
「おかえりなさい姐さん。あの…」命は素早く黒猫に駆け寄ってつむぎのほうを見た。
「あぁ。ただいま…。ん?おや、つむぎくんじゃないか!」照は椅子に座る子犬を見て驚いた。
「こんにちは照さん!僕、戻ってきました!」と立ち上がる。
「一体どうしたんだい?」
つむぎはここに来た理由を説明した。「ということで、僕を弟子にしてください!お願いします!なんでもやりますから!」照の足元に膝をつく。
「うーん…」照は唸った。「急に言われてもねぇ…」
否定的な探偵を見て命は内心ホッとした。
「お願いします!皆さんの役に立てるよう頑張りますから!強くなりたいんです!大きくなりたいんです!」黒い目をウルウルさせ、耳を畳んで頼み込む。
「そんな目で見られると…」ウッと胸を詰まらせながら照は身を一歩うしろへ下げた。「断ると罪悪感がすごいぞ。どうする命?」
「姐さん…」助手は断ってくれと探偵を見つめる。
「しかしなぁ、こんな小さな子が頼み込んでいるんだよ?」つむぎを見る。「わざわざ一匹で来てくれたんだよ?」
当の子犬は見捨てないでくださいと言わんばかりに照を見つめていた。
「うむぅ…」黒猫は白い手を組んで唸る。「うちは何も出せないよ?」
「構いません!僕は経験が欲しいのです!お願いします!」つむぎは零れ落ちんばかりに目を潤ませる。
「ほう……。よし。その心意気、買った!」照は大きく頷いた。
「やったぁ!ありがとうございます!」子犬は尾を千切れんばかりに振って喜んだ。
「姐さん…」命がしょんぼりする。
「仕方ないだろう。無下にはできない。それに私は彼の経験が欲しいという言葉に感銘を受けた。この子は立派になるよ」照は助手を慰める。「ほら、弟分ができて君も嬉しいだろう?」
「弟分が欲しいと思ったことはありません」不満げな顔。
「まぁまぁ落ち着け」長い尾で命の背を撫でる。「彼のような原石が仕事の役に立ってくれるならこちらも助かるだろう?」
「精一杯がんばります!」つむぎは大声で言った。
「ね?」青く澄んだ大きな目で命を見つめる。
「……………分かりましたよ」命は仏頂面で諦めた。この黒猫にはどうにも敵わないなとため息をつく。
「ありがとう」照はもう一度長い尾で助手の背を撫でてから子犬を見た。「ではつむぎくん」
「はい!」
「弟子になるというなら、いくつか決まりがあるよ」
「なんでしょうか!」期待に胸を膨らませて師匠を見つめる。
「まず君のご両親は文字が読めるかい?」
「読めます!」
「なら私のほうからご両親に一筆書こう。大事な息子さんを預かるのだからな」
「わぁ!お父さんもお母さんも喜びます!」
「次に、君にはうちの二階の空き部屋を使ってもらう。このまえ禅さんと泊った部屋だ」
「わかりました!」
「仕事に関しては私や命の指示に必ず従ってもらうよ。君を危険な目に合わせたくないからね。私的な時間は何をしていても構わない。いいかい?」
「紹介です!」子犬はピシッと背を正した。
「君が弟子でいる期間は来年の警察採用試験までとしよう。落ちても受かってもここを出るんだよ?もし途中で帰りたくなったらそれでもいい」
「はい!よろしくお願いします!」ひたすらに元気に返事をする。
「よしよし」探偵は子犬の頭を撫でた。「命もそれでいいかい?」助手を見上げる。
「いいですけど、」命はムスッとしたまま答えた。「ところで姐さん」
「なんだ?」
「病院のほうはいかがだったのですか?」
「あぁ!」照は尾を伸ばした。「どうも母さんを担当している医者も看護師も忙しいみたいでな。話せなかったよ。また明日にでも行ってみる」
「そうでしたか」助手の強面が少し緩んだ。「それと、もう一通お手紙が来ていましたよね?」荒れた事務所の中から未開封の手紙を見つけて渡す。
「おぉ!」黒猫は長いヒゲをピンと張った。
「そうだったそうだった。すっかり忘れていた」手紙を受け取って開封する。「どれどれ…。ん。おじいさまからだ」
「誘夜さまから?」
「うむ…」黙って読み進める。「…………なんと!」艶のある黒毛を逆立てた。
「どうしました?」命も体を強張らせる。
「ひいおじいさまの容体が良くないそうだ。それで集会をいつもより早めに開くと。日付は…。なに!今すぐにここを出ないと間に合わないぞ!」
「なんと!」
「どうしたんですかぁ?」呑気につむぎが尋ねる。
「姐さんの一族のことは説明しましたね?」命が言う。
「可惜夜一族は年に一度、血族の者を集めて集会を開くんです。この手紙は血族の者に送られます」
「しゅーかい?」子犬は疑問を浮かべる。
「ただ集まるだけだよ。なにをするでもない」照が説明した。
「なるほどぉ」つむぎは納得した。「それって毎年行ってるんですか?」
「父さんがね。私たちも一度だけ一緒に行ったことがある」
「行くのですか?」命は可惜夜の末裔に聞いた。
「あぁ。行くよ。…君も一緒に来てくれる?」青い目に不安を浮かべて助手に頼む。
「もちろんです」命は即座に返答した。頼られて使命感に燃える。
「僕は!?」つむぎが手を挙げる。
「すまないが、猫の国には猫しか入れないんだ。それに集会も一族しか参加できない。集会の間は命にも向こうで待っていてもらうことになるが」
「えぇ…。行けないんですか僕…」子犬は潮垂れた。
「いやぁ、しかしどのくらい向こうに滞在することになるか分からないなぁ」照は急にきな臭く言った。
「しばらくこの大事な大事な事務所を留守にすることになるだろぉ?その間にお客さんが来ちゃったらどうしようかなぁ」
「あ、姐さん?」
照は長いヒゲを弄りながら下手な芝居を続ける。「留守の間に泥棒に入られちゃうかもしれないなぁ。あ~ぁ。誰か強くて頼もしい動物が留守番してくれないかなあ!」チラリとつむぎを見る。
つむぎはハッとなって顔を上げた。「はい!はい!はい!僕がやります!」と飛び跳ねる。
「お?やってくれるのか!」照は大袈裟に喜んだ。
「もちろんです!お任せください!」子犬はエッヘンと胸を張った。「僕はもうこの事務所の弟子ですから!」
「それはとても助かるよ。ありがとう!」探偵は満足げに頷く。
命はつくづくこの黒猫には敵わないなと胸の内で思った。
「ならば私たちがいない間の行動を指示させてもらうよ」探偵は弟子に言った。
「もし手紙が来たらちゃんと保管しておいてくれ。それからお客さんが来たら、今は探偵がいないからと言って断ってくれ。依頼は引き受けないように」
「え!断るんですか!?」つむぎの上機嫌が止まった。
「そうだ。君が引き受けて調査するわけにはいかないだろう?まだこの街のこともよく知らないのに、迷子になって帰って来られなくなったら大変だ。だから誰が来ても私たちが帰ったら必ず引き受けると伝えてくれ」
「でもぉ…」子犬はむくれた。
「君がやるのはこの事務所を守ることだ」照はまっすぐにつむぎを見つめた。
「ここは私にとって何にも変えられないほど大切な場所。宝物だ。そんな宝物を君に守ってもらいたいんだよ。信頼しているからね。
それに君にはこの街になれてから仕事を始めてもらいたい。基礎ができていなければ何事も上手くは行かないからな。やると言ったからには責任をもってくれ。私の指示には従うと約束しただろう?」
「わかりましたぁ」納得のいかぬ顔だったがつむぎは了承した。
「よし。頼んだよ。あといくつかお願いがある」照は事務所の奥にある机に行くと、引き出しから紙を取り出した。「君のご両親の名前は?」
「僕の両親ですか?裄岳と累といいます!」
「ほう。素敵な名前だ」紙に何やらサラサラと文字を認めるとそれを折りたたんだ。「これを君のご両親に送っておく」
「わぁ。ありがとうございます!」
「それからこれは」ともう一枚紙を取り出して書き込む。「もし父さんが…。もし真っ黒のオス猫が来たらこの手紙を渡してくれ。ここに置いておくから」と机を指す。
「了解です!」
「あと白組の病院から何か連絡があったらすぐ私に知らせて欲しい。郵便屋でゾエナを借りて猫の国の城宛に飛ばしてくれ。郵便屋の場所は分かる?」
「はい!試験会場の近くにあったので覚えています!」
「完璧だ。では君の初仕事、上手くいくように願っているよ。私が帰ってきた時あっと驚かせてくれ」探偵は子犬に期待を込めた。
「わっかりました!」つむぎはいつの間にかやる気に満ち溢れていた。
「うむ!じゃあ命、出掛ける準備を。すぐ出発だ」




