一月 その九
-前回-
久司に会った照と命は依頼主であるうだつと藍真夫妻に報告した。藍真の妹である彩里とその娘、架町も加わり話し合った結果、照と命は夫妻を連れて桜組の事務所へ向かうのであった。
翌日。照と命、うだつと藍真の四匹は桜組の事務所を訪れた。八葺が対応し、また久司の首根っこを掴んで連れてきてくれる。
「久司!」うだつと藍真は息子を目の前にして叫んだ。
「父さん…。母さん…」久司は複雑な表情を見せた。「…なんで来たんだよ!何の用だよ!もう会わないって言ったはずだろ!」と怒鳴る。
「久司」うだつは威嚇するような低い声を出した。「帰って来なさい」
「えっ」父親にそんなことを言われるとは思っておらず、久司は拍子抜けした。「なっ、なんだよ!」
「この…。この、べらぼうめ!」へっぴり腰で体を震わせながらも父は息子を喝破した。
「黙って家を出て、お前の母さんがどれだけ心配してどれだけ泣いたか!あっしがどれだけ探し回ったか!彩里さんのお宅に内緒で隠れて、どうなるか分からないのに架町ちゃんと結婚の約束までして!探偵さんたちにも探し回っていただいて、桜組の方にもお世話になって…。どれだけご迷惑をかけているんだ!隠し事なんかせずにちゃんと言いなさい!」
ところどころ声が裏返りながらも彼は言い切った。
「な、なんだよ…。なんだよ!今さら!」久司は反抗した。「今まで一度も怒ってこなかったくせに、こんな時だけ親面して説教かよ!ふざけんな!」
「親面じゃない!あっしらはお前の親だ!」うだつの細い足が折れそうに震える。「あっしらは親子だ!」
久司はハッと面食らったあと辛そうに顔を歪める。「そんなこと…。もう遅いんだよ!」
「いいや!遅くない!」うだつはがぶりを振った。「久司、あっしらが今まで間違っていたよ。お前のためだと思っていたことが、全然お前のためになっていなかった。本当に申し訳なかった。ちゃんとお前と、」
「放っておいてくれ!」久司は悲痛に叫んだ。「僕はもうここの一員として雇ってもらってるんだ!これから一匹でやっていくから!もう二度と家には帰らない!」
大声で吐き捨てると久司は全員に背を向けて、素早く階段を上がって行った。
「久司!」うだつは呼び止めたが無駄に終わる。
藍真は事のやりとりを心配そうに見守っていたが、久司が行ってしまうと肩を震わせて涙した。
なんとも言えない静寂が流れる。八葺は気まずそうに頭を掻き、照もどうしようかと青い目をキョロキョロさせる。
うだつはためらいを見せたが、やがて脱力した。大きなため息をつく。「帰ろう。藍真」
「そんな!」妻は夫を見る。「連れて帰らないの?」
「久司はあっしらを信用していないんだよ」現実を受け入れてうなだれる犬。「これは当然の報いだ。あっしらのせいだ」
「でも…。すぐそこにいるのに…」階段を見上げる。
「あいつのやりたいことがここにあるなら、それを見守ろう。あいつを信じよう。今あっしらにできるのはそれしかない。あいつはここではもう立派な成獣だ」うだつの言葉には後悔の念と息子への謝罪が込められていた。
藍真は悲しみを滲ませながら涙を拭う。本当は連れて帰りたい気持ちが大きいが、今はどうにもできない事も分かっている様子だった。
「八葺さんとおっしゃいましたよね?」うだつは大木のような八葺を見上げた。
「おう」八葺は頷く。
「倅がご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした」深々と謝罪する。藍真もそれに倣った。
「構わねえぜ。同じ特異の誼。あいつのことはオレらに任せろよ」大きな特異はガハハと笑う。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」父親は言った。「照さん、命さん」猫たちを見る。
「なんでしょう?」と照。
「久司を見つけていただき、ありがとうございました。このご恩、一生忘れません」
「いいえ。このような結果になってしまって申し訳ないです」照は長い尾を下げて悔しがった。
「そんな」うだつは素早く首を振る。「謝らないでください。あっしらのほうがお手間をかけたのに。照さんたちにはなんの非もありませんから。見つけてくださっただけでもう十分ですよ」
「ありがとうございます。少しでもお役に立てたのなら幸いです」照は口をぐっと結んだ。
「本当に感謝しています」うだつは弱さのある微笑みを見せる。「あっしらは最初からやり直そうと思います。久司がどう思うかは分かりませんが、親としてできる限りのことをして見守っていこうかと」
「そうですね」小さな探偵はうんうんと首を振る。「仲直りできることを願っています」
「はい。藍真」犬は猫種の妻に促した。
藍真はおずおずと頭を下げる。「お世話をおかけしました…」
「あっしら、このあと彩里さんの家へ行こうと思います。彼女にも架町ちゃんにも迷惑をかけましたから謝罪してきます」
「えぇ。そうしたほうがいいでしょう」照は同意した。
「あの、照さん。それで…」犬がそわそわし始めた。「あの、こんな時になんですが、お代のほうは…」細い尾を足の間で丸める。
「余裕のある時で構いませんよ。無い者から巻き上げるようなことはしませんから」照は相手に肉球を見せる。
「重ね重ねありがとうございます」何度も頭を下げる。「必ずお支払いしますから」
「はい」黒猫は微笑んだ。「帰りましょうか。皆さん、またお会いしましょう」
「いやぁ。今回はすごい依頼だったな」照は探偵事務所の奥にあるふかふかした椅子に座った。
「はい」探偵の側に立つ命が言った。「姐さんがあのご姉妹のことを似ていないといった意味が分かった気がします」
「あぁ」三角の耳を掻く。「私もよく父さんと母さんに叱られたものだ。今はそれに感謝しているよ」
「久司くんは大丈夫なのでしょうか?」
「それは彼次第だろう。これからは親がいない生活が当たり前になる。親と会える時間が貴重なものに変わったんだ。彼がそれに気付けるかどうかだろうね。今回は本音を話せる良いキッカケになったんじゃないか?」
「そうですね」
「仲直りできるといいよねぇ」長い尾をフラフラと揺らす。「永遠に会えなくなってから後悔しても遅いからねぇ」
助手は静かに頷く。
「いやしかし、悔しいな。今回のような事に触れるとつくづくそう思うよ」黒猫は青い目を細めた。
「なにがですか?」
「久司くんがああなってしまったのは特異として生まれたことが原因のひとつとしてある。特異の動物は隠れて生きていかなきゃならない。何も悪いことはしてないのに。
私はこの街で生まれ育って、堂々と表を歩いて、自信を持って探偵の仕事をしている。彼らのように抑圧されている動物がいても、私にできることは少ない。それが悔しいんだよ。もっと全ての動物が安心して暮らせる街にしたいよね」探偵は理想を語った。
命は胸の内でこの小さな探偵を改めて尊敬した。「俺もそれをお手伝いしたいです」
「君は後悔していないかい?」照は長いヒゲを撫でる。
「俺ですか?」
「あぁ。君はどちらかというと桜組に近い動物だろう。私なんかとこの仕事をやっていていいのか?」青く澄んだ大きな目で助手を見つめる。
「お、俺は姐さんのお側にいることが幸せですから…」命は恥ずかしげに黒猫から目を逸らした。「後悔など、これっぽっちもしていません」
「そうか」照はニコニコと満足げに笑った。「さてと。今日の新聞はどこだ?」
「こちらに」