まだ帰ってはいかん
錐最戸「そうだろうな。私ならむしろそれを推奨するね。演出家の言葉で云うならばだ、この大根!ヘッポコ役者め、引っ込め!顔洗って、演技を修業し直して来い!……とでも云うだろうな」
林「先生……お言葉ですがね、いまのは医者の云うことですか。ましてここは精神科でしょう?俺がおとなしい一方で、怒らないとでもお思いですか」
錐最戸「お、それそれ、それを待っていたのじゃよ、林君。君の顔に生気がもどって来た。いやね、林さん、あの画面からは被虐の体験による、君のくすんだオーラばかりがもっぱら伝わっていた。演技もへったくらもない、負け犬そのものだ。あれではね、ちょっと私としても診療のしようがなかった。私の言葉も身で聞けないだろうし、いまのは謂わばショック療法だ。かつて使っていた電気椅子がわりじゃよ(笑い)」
林「ワハハはないでしょう……いいですよ、もう。俺はもう、帰りますよ。金はちゃんと払いますから。じゃ……」
林立ち上がる。その椅子の音。
錐最戸「まあまあまあまあ、ちょっと待って。まだ立ってはいかん。ほら、ほら、掛け直して。癇癪を起こさないで……」
舌打ちして林が椅子に掛け直す声と音。
錐最戸「いや、林さんね、気を悪くしたかも知れんがこれが私の医院の治療法なんだ。ほんとだよ。さきほどの待合室での荒木田君ね、彼女の色香もそのひとつだ。じっさい彼女の脚を見て癒されること、また元気を取りもどすこと、大だったろう?あれは私が仕込んだ看護婦としての責務だ(笑い)もっともあまり効き過ぎてもいかんから私が介入したがね(笑い)」
林「はあ、そうですか……そうだったんですか。すいません、つい癇癪を起こして」