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 その日、ウィークは不思議な夢を見た。石を持った光の玉が自分を見下ろしているだけの夢。

 自分よりも遥かに格上の存在だとわかるのに、不思議とウィークはその光の玉から力強さは感じなかった。

 むしろ自分と同じくらいに弱いとさえ感じる気配に、ウィークは驚く。それはウィークにとっては初めてのことだった。

 生まれた頃からあらゆる面で周囲よりも劣っていたウィークは、弱点が何かと問われれば存在そのものだと答えるほどに自己の弱さを確信している。それなのに、その光の玉は確かに惰弱だと感じたのだ。

『諦めるな』

 たった一言だけ、光の玉がウィークに向けて声を発した。その声は優しく、けれど戒めるような響きをウィークの耳に残す。

「あの、貴方はいったい……」

 問いかけようとウィークが光の玉に手を伸ばす。その手がガチンと何かにぶつかり、痛みにウィークは目を覚ました。

 村の外れ、一人住むボロボロの小屋で壁に手をぶつけた状態のままにウィークはパチパチと数回瞬きをした。

「あれはただの夢?」

 微かに痛みの残る手を振りながら起き上がったウィークは自分の体を見下ろして小さく首を傾げる。

 その体は今までと変わりなく、弱々しく貧相だった。同年代どころか、齢十は離れる三歳児にさえも喧嘩で負けるような惰弱さは健在だ。

「いや、違う……」

 けれどウィークは体の奥底で静かに流れるような奇妙な力を感じて、先程の夢には何か意味があったのだと悟る。

 ならばいったい何が変わったんだろうか。そう首を捻って考えようとした矢先、村へ続く道の方から大きな声が聞こえてきた。

「惰弱の紋章を得たウィークと呼ばれる少年を探せ! 彼は異形共との戦争に終止符を打つ英雄となるのだぞ!」

 響いてきた声にウィークの脳内が一瞬真っ白になる。自分が探されていることまではまだ理解ができた。だが、【紋章】と【英雄】という言葉にウィークの頭が追いつかない。

 紋章とは、精霊に認められた一人のみが得られる証のこと。あらゆる概念には、それを担当する精霊が存在する。そして精霊は自らの概念に最も近しい者に加護を与えて紋章を刻むのだ。

 つまり、聞こえてきた声が正しいのならばウィークは最も惰弱なのだと世界に認められたことになる。

「さっきの夢で見た光の玉が、惰弱の精霊様だったってこと? でも、どうしてそれで英雄なんて。それに紋章はどこに?」

 自分の体を見回しても紋章は見つからなかった。そして、たとえ紋章があったところでそれはウィークが最も弱いという証明に他ならない。英雄になどなれるはずもないのにと、ウィークは意味もわからずさらに深く首を傾げた。

「ナレー様、そのウィークとやらは何処にいるんでしょうか。村の民達はこちらの方と言っておりましたが」

 再び聞こえてきた声に、ウィークは逃げ隠れるべきかを悩み始める。声の主がウィークを探しているのは確かだ。けれどウィークはどんな相手と戦っても負けるほどに弱い。

 相手にウィークを害する気があるならば、何もできずにされるがままとなるだろう。その危険性が頭に浮かんだのだ。

「少し待っていてください。……あちらの家の中にいますね。わたし達の話を聞いていますよ。聞こえていますよね、ウィークさん。害意はありませんので出てきてくれませんか?」

 ウィークが悩んでいるうちに続けて聞こえてきたのはナレーと呼ばれた少女の声だった。ナレーは、ウィークに声が届いていると確信した様子で言葉を続ける。

「わたしの名前はナレー。知識の紋章を持つ者です。知識の加護により、戦争を終わらせられる者を探して貴方に辿り着きました。ウィークさん、貴方の力が必要なんです」

「僕が、必要……」

 耳へと飛びこんだナレーの言葉に、はっとウィークは息を呑む。呼吸さえも一瞬忘れてしまうほどに、その言葉はウィークにとって甘美な響きをしていた。

 生まれてから人に頼られた経験の無かったウィークにとって、ナレーの言葉は望んだことさえないほどに嬉しい物だったのだ。

「悪い人じゃ、ないのかな……」

 人から必要とされることの喜びを噛み締めて、ウィークはナレーの姿だけでも見てみようとこっそり家の窓から外を見つめた。

「……っ!」

 視界を埋める光景に、ウィークの息が詰まる。

 ざわざわと風で緩やかに揺れる木々。その隙間から差しこむ日の光に照らされてきらきらと輝く白の長髪が風になびく。その髪をそっと片手で軽く抑えて、少女が儚げにたたずんでいた。

 その姿はあまりに綺麗で。窓を額縁だと勘違いするほどに、その景色は絵になっていた。

 まるで初めからその瞬間にウィークが見ることをわかっていたかのように、少女の立ち位置も姿勢も完璧だったのだ。

「はじめまして、ウィークさん。わたしと、異形を倒す旅に出てくれませんか?」

 小さく首を傾げるナレーに、気がつけばウィークは窓の前に立って小さく頷いていた。そうして何もわからぬままにウィークは村を出ることになったのだ。


 がたごとと一定の拍で音が響く中、ウィークは混乱しながら辺りを見回していた。勢いでナレーの誘いに頷いてしまったウィークは、軽い身支度だけを済ませて馬車に乗せられていたのだ。

 馬車に乗っているのはナレーとウィークの二人だけ。もう一人いた男は御者と護衛を兼ねていた。

「さて、ウィークさん。まずは自己紹介にしましょうか」

「は、はい!」

 ナレーの凛とした声に我に帰ったウィークは、きょろきょろと泳がせていた瞳を目の前の少女へと向けた。

 艶やかな白の髪と、それに負けず白い肌。凛とした雰囲気とは裏腹に、まだ幼い顔立ち。

 可愛らしい少女と対面で座る状況にウィークは緊張する。

 だがその緊張も、ナレーの目を見た瞬間に消え去った。

 ウィークを見つめ返すナレーの赤の瞳には本と筆を象った紋章がある。それはまだウィークにとって大きな問題ではない。ウィークの緊張を吹き飛ばすほどに衝撃的だったのは、ナレーの瞳に輝きがないことだった。

 それは物理的な意味ではなく、精神的な意味でだ。

 希望や夢のような、瞳を輝かせるに足る明るさがナレーには一切なかった。

「わたしはナレー。見ての通り貴方と年は変わらず十三です。そして、この瞳に刻まれているのが知識の紋章ですね」

 にこりともせずに淡々とナレーが述べる。整った顔も合わさって、まるでナレーは人形のようだった。

「あ、えっと……。僕はウィークです。同じく十三で、えっと紋章は……」

 ナレーの異様さに気圧されながらにウィークはそこまで答えて目を泳がせる。紋章があるなどと言われても、ウィークには紋章の自覚がなかったのだ。

「貴方の紋章は背中にあるので、自分では見えないでしょうね。こちらに鏡がありますので、見てみますか?」

「あ、ありがとう。でも、君の前で脱ぐわけには……」

 鏡を受け取ろうとしながら、ウィークは困ったように笑う。その姿を見て、ナレーはにこりと作った笑みを浮かべて片目を瞑った。

「知らないんですね。紋章は何を用いても隠せないんですよ?」

 片方だけ閉じられたナレーの目蓋に、目に刻まれていた紋章が浮かび上がる。その様子を眺めて、ウィークは小さく頷くと鏡に背中を向けた。

 ぼろぼろの普段着におおわれた背中、そこに刻まれていたのはただ下に向かう一本の矢印だった。それは最も下であることを示す形だ。最弱を表すのには最適とも言えた。

「本当に紋章が……。ってことは、僕にも惰弱の精霊さまから授かった加護があるということですか?」

「ええ、そうです。それを試すのに丁度いい相手が--」

 ナレーの言葉がそこで途切れる。突然馬車が止まったのだ。

「ナレー様! 異形が現れました!」

 続いて響いたのは、御者の慌てた声だった。しかしナレーに驚いた様子はなく、ウィークを見つめてわざとらしく微笑んだ。

「さあ、加護の力を確かめる好機です」

「何を……。今、異形って」

 にこりとした表情のナレーに、ウィークは蒼白の顔を向ける。異形と言えば、人間に似た姿をしながらも身体に角や獣の耳などの異形を持つ者達だ。

 それだけならばウィークにとって異形の存在は恐れる理由にならないが、現状人間と異形は戦争状態にある。出会ってしまえば殺し合いに発展するのは自然の流れだ。

 自分が弱いと知っているからこそ、ウィークは危険に人一倍敏感だった。言い換えれば、ウィークは臆病なのだ。

「ええ、異形です。でも安心してください。この馬車から貴方が出れば解決しますから」

「む、無理だよ! 僕なんて一瞬で異形に殺されちゃう!」

「貴方の命力で異形を相手にすれば、普通ならそうなるでしょうね。でも、貴方は惰弱の加護を持っていますから大丈夫ですよ。貴方が頼りなんです。わたしに戦う力はありませんからね」

「そんな……」

 ナレーに戦う力は無いと聞き、ウィークは絶望する。ナレーの言う通り、ウィークは命力に乏しかった。

 命力とは、生き物の強度を増加させる力のことだ。命力が高ければ三歳児でも容易に岩を砕き、腰の曲がった老人の一踏みで地を割ることができる。

 異形は基本的に人間よりも命力が高いことで有名だ。そうでなくとも命力がほぼ無に等しいウィークは、何に勝つこともできない。加護の効果が何であれ、その差を覆すことはできないとウィークは思っていた。

「ここで、死ぬ? いや、だめだ。僕だけならまだしも、ナレーさんがいる」

 震えて崩れ落ちてしまいたい気持ちを抑えて、ウィークはナレーを見つめると強く唇を噛み締める。

 怖い。自分が弱いとわかっているだけに、戦いの場に出る勇気がウィークにはなかった。

 ガチャガチャと馬車の扉が揺らされる。異形が入ってこようとしているのだと確信し、咄嗟にウィークはナレーを庇うように扉に身を寄せた。

 勇気が無くとも、一人の少女を庇うくらいの意地は失っていなかったのだ。

「ナレーさん、隙を見て逃げて」

 何もできなくともナレーが逃げるくらいの時間は稼ごうと、意を決したウィークは開きかけの扉を馬車の内側から蹴りつける。

 力が足りず勢いよく開いただけの扉から転がり落ちて、ウィークは生まれて初めて異形と相対した。

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