運命の日〈破〉
「兄ちゃん。アタシ、なんか嫌な予感がする」
メルがそう言ったのは、ミスト神父が出て行ってすぐのことだった。
「……大丈夫だよ。神父はみんなから尊敬されてるんだ。喧嘩してるからって、みんなは神父を殴ったりしないよ」
レオンはそう言ってメルの頭を撫でる。
しかし、レオンもメルと同じ予感を感じていた。
風に乗って、叫び声と共に焦げ臭さが運ばれてきたからだ。
その時だった。
ドン!
大きな音が教会の方から聞こえてきた。
それと同時に、幾つかの足音が辺りに響く。
「兄ちゃん……」
「大丈夫だ、メル。大丈夫……」
泣きそうになっているメルを、レオンは力強く抱きしめる。
メルの馬鹿力も、今は気にならなかった。
明らかにおかしい。
レオン達の感じていた不安が、ここにきてようやくその姿を見せ始めていた。
「――――!!!!」
およそ人の発するものとは思えない怒号が複数聞こえる。
この町、テディーレにこんな言語を話す者はいない。
――もしかすると、これは
「ま、魔獣……?」
メルの呟きに応えるかのような怒号がこちらに近づいてくる。
レオンは脇に置いてあった短剣を手に取った。
「メル、お前は裏口から出ろ」
「何言ってるの兄ちゃん!」
「いいから! ……頼む。早くいけ」
鬼気迫る様子のレオンに、メルは一歩引いた。
しかし、彼女はここで素直に逃げられるほどの利口さなど持ちあわせてはいなかった。
「おい、なにしてる! 早く……」
「うるさい! アタシより弱いくせにかっこつけないでよ!」
レオンを一睨みし、メルは弓矢を手に取る。
「二人で戦って、二人とも生き残ろうよ。それでみんなも助ける! それじゃダメ?」
なにか大きなものが、ドアにぶつかる音がする。
今から逃げても、おそらく間に合わないだろう。
「……勝つしかないからな」
「わかってるって……死なないでね、兄ちゃん」
ドアが破られ、禍々しい影がその姿を現す。
まるで手入れのされていない毛に包まれた全身、レオンの倍ほどもある体躯、鼻や耳は大きくとがっており、レオンがこれまでの人生で目にしてきた何よりも醜かった。
「トロルか……!」
「――――――!!!」
トロルが二人を補足し、咆哮する。
メルの構えた弓がぶれ、放たれた矢は天井に突き刺さった。
「兄ちゃんっ!」
大きく振り上げられたトロルの腕が、レオン目がけて振り下ろされる。
足がすくんでいたレオンは、死を悟るより他なかった。
ドンッ
大きな衝突音がした。
しかし、レオンの体に痛みはない。
咄嗟に出てきたメルがレオンを突き飛ばしたからだ。
「メルッ!」
レオンはすぐにメルを抱きかかえる。
メルに意識はなく、頭からは血を流していた。
――俺のせいだ。二人とも生き残るって言ったのに、俺が動けなかったから
「――――!!!」
背後から魔獣の声がする。
メルに血を流させた憎き魔獣の声が。
――違う
「……お前のせいだ」
トロルがゆっくりと近づいてくる。
その足音はまさに死へのカウントダウンのようであったが、もはやそんなことはレオンの意識のうちになかった。
『死』や『絶望』などという言葉は、もう彼の脳内から姿を消していたのだ。
「お前ら魔獣のせいで俺たちは……メルは……」
レオンの頭上に、大きな拳が掲げられる。
勝ち誇り、下卑た笑みを浮かべるトロルに、レオンは静かに、されど力強く呟いた。
「『失せろ』……!」