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蘇る記憶

 それから、十二年が経った。


「てめえ、何度言えばわかるんだよ!? いい加減にしねえと、本当に殺すぞ!」


 竜司は、目の前にいる中年男を怒鳴りつけた。すると、男は怯えた表情でペコペコ頭を下げる。


「す、すみません」


「すみませんで済んだらなあ、警察はいらねえし戦争だって起きねえんだよ! このクソ馬鹿が!」


 言うと同時に、竜司は男を殴りつけた。拳は頬に当たり、男は両手で顔を覆った。苦痛で顔をしかめる。

 だが、竜司は止まらなかった。男の腹に強烈な膝蹴りを入れ、倒れたところを蹴とばした。

 男は悲鳴を上げるが、竜司は容赦なく蹴りまくる。その目には、異様な光が宿っていた──


「おっさんよう、てめえわかってんのか? てめえが土下座して、何でもしますから雇ってください、って言ってきたんだろうが! なのに、取り立てのひとつも出来ねえのか!」


 そう怒鳴りつけた後、竜司はまたしても男を蹴り始めた。男はうずくまり、蹴られるたびに呻き声を上げていた。




 雪の日の事件後、竜司は施設に預けられる。

 だが彼は、人の心を捨てていた。母に暴力を振るい、挙げ句に刺されて死んだ父。その父を刺し殺し、刑務所に行った母。竜司は、その両方を激しく憎んだ。だが、いくら憎くても……死人と囚人には、その思いをぶつけることは出来ない。

 代わりに、周囲の者に憎悪の念をぶつけた。些細なことで相手を殴り、蹴り倒す。もともと腕力は強く、度胸もある。その上、竜司の暴力は一切の容赦がない。反抗する者、敵対する者を徹底的に痛めつけた。小学生の喧嘩など、たいていはどちらかの優勢が決まれば終わる。だが竜司は、相手が泣いて許しを請い願っても殴るのをやめない、異常な凶暴さであった。

 結果、彼は手のつけられない不良として、あちこちの施設をたらい回しにされる。その間、人を憎んだことはあっても愛したことは一度もない。

 やがて中学を卒業した竜司は、裏の世界へと足を踏み入れる。父が、母に刺殺される……という修羅場を幼い頃に経験している竜司にとって、裏の世界はまさにうってつけであった。彼は他人に対し、一切の情けをかけることがない。また暴力を振るうことにも、何のためらいもない。将来に何の希望も抱いていないため、刑務所に入ることも恐れない。

 裏の世界で、竜司は瞬く間に出世していく。二十四歳の若さで、業界内では知られる存在へとなっていた。

 そして今では、真幌連合と呼ばれる組織のメンバーとなっている。いわゆる半グレのグループだ。その真幌連合の中でも、竜司は幹部クラスであった。


 一方、竜司に殴られているのは……福田信雄(フクダ ノブオ)という名の中年男である。既に四十五歳になっていた。この稼業においては、遅すぎるスタートである。

 かつては工場務めをしていたらしいが、リストラに遭い仕事を辞めることとなった。その後は必死で再就職を試みるも上手くいかず、知り合いのつてを頼った結果、竜司の下で働くこととなった。

 だが、今まで工員ひとすじで真面目に生きてきた信雄にとって、裏の世界で働くことは難しかった。口先三寸で人を騙して金を巻き上げ、時には暴力を振るうこともある。そんな仕事は、この男には向いていなかったのだ。

 そのため、信雄はしょっちゅうヘマをし、竜司に殴られていたのである。




 翌日。

 竜司が事務所に行くと、信雄が来ていない。竜司は忌々しそうに、電話番をしている三宅美紀(ミヤケ ミキ)に尋ねた。


「おい、あのバカ何してんだ? まだ来てねえのか?」


「バカって、福田さんですか?」


 ビクリとした表情で聞き返した美紀に、竜司は不快そうな様子で頷いた。


「当たり前だろうが。あいつ以外に誰がいる?」


「福田さんは、ケガがひどくて休むそうです。さっき連絡がありました」


「はあ? あの野郎、ふざけやがって……」


 竜司は口元を歪めた。本当に使えない男だ。この際、きっちり教える必要がありそうだ。

 裏の世界で生きていくための心構えを。




 その日の夜、竜司は信雄の家へと向かった。空は雲行きが怪しく、今夜は雪が降るかもしれない……との天気予報を耳にしている。

 しかも、今夜はクリスマスイブだ。浮かれた男女や家族の姿を、町のあちこちで見かける。

 竜司は、たまらなく不愉快であった。クリスマスイブ、それは父が死に母が罪人となった日である。彼にとって、呪わしい思い出しかない。そんな日だというのに、皆は妙に楽しそうなのだ。

 それゆえ、竜司のイライラは頂点に達していた。


 やがて、竜司は信雄の家に到着した。二階建ての木造アパートの一室である。かなり古いもので、金属製の階段は錆び付いていた。台風が直撃したら。崩れてしまいそうである。

 古アパートの醸し出す空気が、竜司の怒りの炎にガソリンを注ぐ。彼は荒々しく足音を立て入っていった。


「コラおっさん、さっさと入れろや!」


 インターホンを連打しながら、ドアを蹴る。すると、慌てたような声が聞こえて来た。


「だ、誰ですか! 警察呼びますよ!」


 まだ幼さの残る少女の声だ。いったい何者だろうか? 竜司は首を傾げつつも、大声で怒鳴る。


「ナメてんのか!? 俺は福田信雄の上司の村山竜司だ! さっさと開けねえと、後悔することになるぞ!」


 言いながら、なおもドアを叩く。すると、中から男の声が聞こえてきた。


「ま、待て……お前は関係ない。部屋に行ってろ」


 焦ったような声の直後、ドアが開く。中から信雄が顔を出した。


「む、村山さん……どうしました?」


 顔をしかめ、尋ねる信雄。その顔には、絆創膏が貼られ青痣がいくつか残っている。竜司は、さらに腹が立って来た。


「その前に、入らせてもらうぞ」


「えっ……すみません、家はちょっと──」


「いいから入れろや! 外は寒いんだよ! 雪も降りそうなんだよ!」


 怒鳴ると同時に、竜司はドアを力ずくで開ける。家の中に、土足のまま入って行った。中は狭く、ごちゃごちゃしている。


「お父さん、この人誰よ!?」


 入って来た竜司を見たとたん、少女がヒステリックに叫んだ。

 竜司は、その少女をジロリと睨む。


「お前、誰だ?」


「わ、私の娘です! 娘の彩佳(アヤカ)です!」


 慌てた様子で、信雄が叫んだ。


「はあ? 娘?」


 言いながら、竜司は彩佳をまじまじと見つめる。ショートカットに気の強そうな顔立ちである。情けない風貌の父親に似ておらず、なかなかの美少女だ。成長してからソープに沈めるかAVに出演させれば、かなり稼げる上玉になるだろう。


「は、はい、娘です。ところで、何の御用でしょうか?」


 気弱そうな様子で尋ねる信雄を、竜司はいきなり蹴飛ばした。信雄は奥の部屋まで吹っ飛び、床に尻餅を着く。


「何の用ですか、じゃねえだろうが。てめえ、休んでんじゃねえよ」


「い、いえ……昨日さんざん殴られたせいで、肩が動かないんです。医者に診てもらったら、打撲傷と診断されました……」


 顔をしかめながら、信雄は言った。だが、その言葉が竜司をさらに怒らせる。


「んだと? じゃあ、俺のせいでケガしたって言いたいのか? ざけんじゃねえぞコラ!」


 言いながら、竜司は信雄を殴りつける。その時、竜司の腕を掴む者がいた。


「やめて! 父さんを殴らないで!」


 彩佳が叫びながら、竜司の腕にすがり付く。

 娘の態度に、竜司は逆上した。彩佳の髪を掴み、乱暴に投げ飛ばした。彼女は簡単に吹っ飛び、床に倒れる。その時、信雄が凄まじい形相で立ち上がった。


「あ、彩佳に手を出すなあ!」


 喚きながら、掴みかかって来た。だが、竜司の敵ではない。喉元を掴まれ、あっさりとねじ伏せられる。


「てめえ、何をトチ狂ってんだ? 死んでみるかコラ?」


 暴力慣れしている竜司は、あくまで冷静であった。だが次の瞬間、その顔が歪む──

 背中に鋭い痛みを感じ、竜司は振り向いた。


「と、父さんから離れろ! うちから出て行け!」


 彩佳は何かに憑かれたような表情で叫び、竜司を睨み付けている。彼女の手には、血のついた包丁が握られていた。


「てめえ、何しやがんだ……」


 呻くような声を出しながら、竜司は立ち上がる。しかし彼の胸の中には、奇妙な感覚が湧き上がっていた。


 これは?


 竜司の脳裏に、不可解な映像が浮かんでは消えていった。昔の記憶だ。しかし、何かが違う。

 その時、またしても彩佳が叫んだ。


「うちから出て行け!」


 直後、彩佳は包丁ごと突進してきた。竜司は反応が遅れ、避け損ねる。

 腹に、包丁が突き刺さった──


「こ、この野郎!」


 喚きながら、竜司は彩佳の襟首を掴んだ。力任せに突き飛ばす。彩佳は、床に叩きつけられた。さらに、信雄の喚く声も聞こえてきた。その声は彩佳に向けられたものか、あるいは竜司に向けられたものなのかはわからない。

 だが竜司は、二人のことなど見ていなかった。よろよろしながら、家を出て行く。このままでは殺されるかもしれない、という思いもあったが……それ以上に、何かを思い出せそうな気がしていたのだ。

 ずっと忘れていた、重要な何かを。




 いつの間にか、外は雪が降り出していた。

 雪、そして血──

 竜司の頭に、かつての記憶が甦る。母を殴っていた父。止めに入る竜司。だが、竜司は突き飛ばされた……そこから先は、何も覚えていない。

 ふと、包丁の柄が目に入る。自身の腹に刺さっている包丁の柄。

 それを抜いてはいけないことは知っていた。刃物で刺された場合、下手に引き抜くと大量出血し、命が危険なのだ。しかし、これを抜いたら何かを思い出せる……そんな気もしていた。

 次の瞬間、竜司は包丁を引き抜く──


 竜司は、地面に倒れた。右手の包丁、激痛、流れる血、雪、そして黒い何か。

 彼の視界の端に、奇妙なものが入っていた──


 数メートル離れた道端に、黒い猫がいた。雪の降る中、平然とした様子でじっと竜司を見つめている。二本の尻尾をくねくねと揺らしながら、倒れている彼に哀れむような目を向けていた。

 竜司は思い出した。十二年前も、この不思議な猫を見たのだ。母が連行されていく時、雪の中で黒猫が道端に座り込んでいた。

 その時、驚くべきことが起きた。黒猫が、口を開く。


「久しぶりに来てみれば、お前は本当にアホな奴だニャ。そろそろ、本当のことを思い出してもいい頃だニャ」


 流暢な日本語で、黒猫は言ったのだ。と同時に、尻尾を振る。びしゃりと音を立て、二本の尻尾が地面を打った。

 その瞬間、竜司の脳裏を奇妙な映像が駆け巡る。彼は、ようやく思い出したのだ。

 十二年前の真実を。




 あの時、父に突き飛ばされた竜司はカッとなった。こいつのせいで、母はいつも殴られている。

 そう、この男は酒を飲んでは家族に暴力を振るう最低のクズた。しかも、父が若い女と浮気していることも竜司は知っていた。


 悪いのは、親父だ。

 親父さえいなければ、この家は平和になるのに──


 激発的な怒りの感情に突き動かされ、竜司は台所に駆け込んだ。包丁を握りしめると、父に向かい怒鳴りつける。


「母さんから離れろ!」


 しかし、父は怯まなかった。不敵な笑みを浮かべ立ち上がる。


「なんだ、その目は……上等だぁ! 刺してみろオラァ!」


 吠えると同時に、床にいる母を蹴飛ばす。苦痛のあまり、呻き声を上げた母。

 それを見た瞬間、竜司の理性のタガが吹っ飛ぶ。包丁を構え、突進した。

 包丁を、父の腹に突き刺した。何度も何度も、狂ったように刺し続ける──

 父は、痛みのあまり喚いた。刺されながらも、竜司を思い切り蹴り飛ばす。竜司は壁に後頭部を打ち、意識を失った。


 俺が犯人だったんだ。

 母さんは、俺を庇って……。


 薄れゆく意識の中、竜司は空を見上げた。舞い落ちる雪が、彼の体を包んでいく。竜司は、歪んだ笑みを浮かべた。


 俺は、何をやってるんだよ。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 追加部分とおぼしき文章を拝読して、思わずニヤリとしてしまいました。 これで竜司も赤井ワールドの住人ですね。 [一言] 福田さんは仔細を知らずに転職して、「何か変だよ?」と首をかしげたので…
2021/06/18 20:54 退会済み
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