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1-6 ホテルラウンジにて

 ラウンジは午前中なせいか人がまばらだった。

 その奥の席に通される。


 チラリと見えたメニューの料金に頬が引き攣る。

 コーヒーが一杯千五百円。場所が場所だから当然かもしれないが、普段飲むのは職場の不味いコーヒーメーカーか、コンビニコーヒーくらいなのだ。


 改めて考えると、金銭感覚が違いすぎて頭がくらくらしそうだ。いかに自分が貧乏なのか身にしみてしまう。


「クラシックショコラが美味しいそうですよ。櫻井様は甘いものはお好きですか?」

「ええと、人並み程度には好きです」

「遠慮なく頼んでくださいね。私はピスタチオのムースで……櫻井様はどうします?」

「え、じゃあ……クラシックショコラで」

「それとコーヒーを」


 私はメニューをしっかり見る余裕もない。若宮さんは手慣れているのかサラッと注文した。


「お待たせしました」


 コーヒーとケーキが運ばれてくる。

 クラシックショコラは言うまでもなく美味しそうだ。ビターな色のショコラに粉糖でお化粧され、とろりと柔らかめにホイップされたクリームがかけられている。

 モーニングを食べて間もないが、きゅっと小腹が空く感覚。いわゆる別腹というやつだ。


 若宮さんが頼んだピスタチオムースは洒落たガラスの器に色鮮やかな黄緑のムースが映えている。ちょこんとベリーが飾られているのが可愛らしい。

 しかしラウンジのスタッフは不慣れなのか、若干手が震えている。運が悪いとケーキをひっくり返されることがあるので、そわそわと気をつけて見ていたが、なんとか無事にテーブルへと着地した。しかしぎこちない手付きで若宮のピスタチオムースにスプーンではなくフォークをセッティングしてしまっている。


 若宮さんも気がついていないみたいだから、私が言うかと思った瞬間、お次はラウンジスタッフの手からクラシックショコラ用のフォークがすっぽ抜けてコロンと床へと落ちた。分厚い絨毯に遮られ、金属音はしなかったがスタッフは青くなっている。


「あっ、新しいのをお持ちします!」

「うん、ありがとう。それと、一緒にスプーンもお願いしますね」


 私はラウンジスタッフに微笑みながら、ごく落ち着いて普段よりゆっくりと言葉を発した。こちらが気分を害していないこと、失敗は大したことでないと暗に伝える。


「あっ……はい。すみません。大変失礼しました。お取り替えいたします」


 その甲斐あって、ラウンジスタッフも落ち着きを取り戻し、ムースに添えたのがフォークだったとすぐに気がついてくれたようだ。


 私にとってカトラリーを落とされるくらいの運の悪さは日常茶飯事なのだ。それに何かを間違えられたとしても別に怒るようなことではない。訂正すればいいだけ。相手は悪意があってやるわけではないのだから、こういう時はなるべくゆっくり穏やかに話すようにすれば大抵のことはすぐに解決する。


 しかしその間にも、若宮さんの視線を感じていた。まるで観察でもされているかのように。


 新しいカトラリーに交換してもらい、コーヒーを一口飲んでから切り出した。


「それで、あの、若宮さん……モニターのことなんですが、詳しいことをお聞きしても?」

「はい、ありがとうございます。昨日は名刺をお渡ししてませんでしたね」


 若宮さんは慣れた手つきで名刺を差し出す。私はワタワタとそれを受け取った。私の方に返すべき名刺はない。会社で名刺を作ってくれなかったし、そもそも解雇されたばかりなので、あったとしても渡せないのだが。


「あの、私は名刺を持ち合わせていないもので」

「構いませんよ」


 私は若宮さんの名刺に視線を落とす。若宮一矢──カズヤと読むのだろうか。

 肩書きは東生リゾート株式会社リゾート企画開発部長。私は目を見開いた。


「若宮さんって部長なんですか!」


 東生リゾートは大企業である東生ホールディングスグループの傘下会社だ。私のような一般人でも名前を知っている。私とそう変わらない年齢でそこの部長。つまりはエリートだ。


「ええ、まあ……」

「あの、失礼ですがおいくつですか? 若そうに見えるけど」

「……櫻井様と同い年ですよ」


 含みのある言い方だが、つまりは二十五歳。見た目通りの年齢のようだ。しかしなぜ私の年齢を、と思ってからすぐに納得した。


「あ、そうか。モニターの応募欄に生年月日の欄がありましたもんね。あの、思い出したんです。やっぱり自分で応募してたって。モニター応募の葉書をもらったので……でも詳細とか何も覚えてなくて」

「そうでしたか。では、まず場所からご説明しますね」


 若宮さんはファイルから地図を取り出し、太平洋の沖合を指さした。


「八丈島はわかりますよね。その近くに綾糸島という無人島がありまして、そこを東生リゾートが綾糸温泉郷として開発しました」

「えっ、島なんですか」

「はい。八丈島までは羽田から飛行機が出ています。綾糸島は八丈島から定期送迎船でご予約のお客様のみ乗船となります。そうですね、羽田から二時間もあれば到着します」


 二時間。無人島と聞いた時には遠そうなイメージだったが、思ったより便利な場所にあるみたいだ。

 国内でよかった。パスポートは火事で燃えてしまっているから、再発行に時間もお金もかかってしまう。


「そう広くはない島ですが、海だけでなく標高の低い山もあり、アクティビティ類も豊富です。温泉郷の名前の通り温泉が出ますので、大浴場や露天風呂、足湯もあります」

「温泉……いいですね」


 私は温泉が好きだ。仕事が忙しいのと、旅行に行けばこの運のなさでトラブルが起こりがちだから、そんなに行ったことがあるわけではないけれど。



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