1-5 悩ましい思い
時計を見れば午前九時近く。若宮さんとはチェックアウト後の十時に、再びホテルのロビーで会う約束をしている。
「うーん、一応私から応募したんだし、話くらいはちゃんとと聞いた方がいいよね」
仕事を解雇されたばかりな上に住むところもない。さらにお金もないのないない尽くし。今は正直旅行どころではないのだが。
「有料モニターなら絶対お断りして……でももし無料なら……二泊三日くらいだったら行きたいなあ。あ、でも交通費自腹だとキツい」
受けるにしても断るにしても、まずは話を聞いてからだ。
少なくとも一晩のホテル代を出してもらえてお腹いっぱいご飯を食べたし、久しぶりに睡眠不足から解消されて気分もいい。
でも、もし有料モニターで、お断りしたらやっぱりホテル代は自分で出せ、なんて言われたらどうしよう。昨晩、若宮さんは断ってもホテル代は出すからって言ってくれたけれど、録音してるわけでなし。記憶にないと言い張られたら困ってしまう。
そんなことをぶつくさと独り言ちていると、ピンポンと部屋のチャイムが鳴らされた。
時間からしてランドリーサービスだ。
私は慌ててコーヒーの最後の一口を流し込み、ドアを開けた。
「はーい!」
「おはようございます! ランドリーサービスです」
朝から元気にニッコリと微笑んでいるのは昨晩のフロントのお姉さんだ。
「ありがとう。ねえ、もしかして、昨晩からずっと働いてたんですか?」
思わずそう聞いてしまう。長い夜勤は大変だろう。私も身にしみている。
「そろそろ交代時間なので大丈夫ですよ! それに私、夜型なので夜の方が体調いいもので。あ、お客様相手にペラペラとすみません」
「ううん、気にしないで。こっちこそ泊めてもらえてすごく助かりました。それから、夜食で頼んだおにぎり、美味しかったって言いたかったんです。あの、ありがとう」
私はフロントのお姉さんにペコッと頭を下げる。
お姉さんは頬を赤らめて手のひらを振った。
「そんな、そう言ってもらえて嬉しいです。厨房の夜間担当者にもあとで伝えておきますね!」
私は彼女から洗濯物を受け取った。プレスされたスーツがきちんと袋に入っている。
「あれ、なんだか多くない?」
頼んだスーツだけではないようだ。
「あの、勝手にすみません。事情は軽く伺ってまして。ご入用ではないかと思って用意させていただきました。あ、これも若宮からですので、お代は気になさらないでください」
「これ、服ですか? こんな時間じゃお店も開いてなかったんじゃ」
「この近くに二十四時間営業の量販店あるんですよ。間に合わせですみません。それと、肌質に合うかわかりませんが、化粧品一式です。国産のものを選んできたんですが、肌に差し障りなければどうぞ!」
まさかの化粧品まで。
私は目を見開いた。
確かに着替えの服も化粧品も全部燃えてしまったから用意してもらえるのは非常に助かるのだが。
「な、なんか……こんなによくしてもらっちゃうと、逆に申し訳ないというか……」
それにモニターが有料だった場合、断りにくくなってしまう。
私はそれを考えて受け取るのを少し躊躇った。
「あ、あの……櫻井様、これから若宮がモニターについての説明をするお約束でしたよね」
「うん、そうです。十時から、ラウンジでって……」
「もし説明を聞いた上で断りたいと思ったら、はっきり断っていいんですからね。それとこれとは別の話です。ご自宅が焼けてしまって、ご不便だと思いますし、ただ目の前に困っている方がいたら助けたいって、私も若宮もそれだけなんです」
フロントのお姉さんは困り顔でそう言った。
「もちろんモニターの件を櫻井様が気に入って、行きたいと思ってもらえたなら嬉しいですけど。ですが、櫻井様は断った時にホテル代や今お渡ししたものの代金を請求されたら困ると、強く断りにくくなってしまったのなら、私も本意ではありませんから。昨晩もホテル代を出してもらったからには、せめてモニターの説明を受けなきゃいけないと感じていませんでしたか」
「う、うん……そうですね」
お人好しといえばそうなのかもしれない。よくしてもらったのに、けんもほろろに断るのは確かに難しい。
「モニターについては、そういう色眼鏡で見ずに話を聞いてもらいたいなって。東生リゾート側の私が言うのもなんですが……」
素直にそう述べる彼女はなんだか一生懸命で信じてしまいたくなる。
「わかりました。一宿一飯の恩義のことは一旦置いて、ちゃんと話を聞いてみますね」
私がそう言えばフロントのお姉さんはニコニコ笑顔で頷いた。
「あの、名前を聞いてもいいですか?」
「あ、ずっと名乗らずに失礼いたしました。ミキ、とお呼びください」
ミキ──苗字だろうか。下の名前っぽくもある。
「ありがとうミキさん」
「あの、実はモニター先の綾糸温泉郷には私の姉がいるんです。もしもモニターの話が気に入って向かわれた際には、どうぞよろしくお願いしますね」
「へえ、そうなんだ。覚えておきますね」
ニッコリと笑顔で一礼するミキに私も笑顔を返した。
きっと彼女の姉がそのリゾート地で働いているから心配しているのだろう。
気の利くミキさんのお姉さん。どんな人なのか少し気になった。
部屋に戻り、ミキさんが持ってきた袋を開ける。綺麗に洗ってあるスーツの他に化粧品類、それから黒のシンプルなワンピースが入っていた。
無難に見えて綺麗系なのでホテルのロビーラウンジでも、街中でも浮かないチョイスだ。
土曜日の朝に仕事でもないのにスーツを着るのは躊躇われて、私はおろしたてのワンピースを着た。サイズもちょうどいい。何より着替えがあるという安心感は大きい。
化粧品も気遅れするほど高すぎず、かといってプチプラではない絶妙なブランド。基礎化粧品とメイクグッズ一式。口紅やアイシャドウも使いやすく肌に馴染む色合いで、買い足す必要がまったくない。更にそれらが入るバッグやポーチまで。
痒いところに手が届きすぎる。
「……ミキさん、何者」
時間なのでロビーに降りた私を若宮さんが待ち受けていた。
「おはようございます」
「あ、おはようございます」
「鍵はこちらで返しておきますね」
私の手からさっとルームキーを奪い、受付に返してくれた。
とりあえずホテル代は自腹で払わずに済んだみたいだ。ホッと息を吐く。
「ラウンジでよろしいですか? ケーキ類はなかなか美味しいですよ」
若宮さんにエスコートされ、ホテルのラウンジに向かう。
若宮さんはそんなつもりはないのだろうが、かなりのイケメンとホテルラウンジでお茶だなんてデートみたいでドキッとしてしまう。平静なふりをして向かう私を、若宮さんがまたもじいっと見つめていた。何かおかしいところでもあっただろうかと服をチェックしたが特に思い当たることはない。
若宮さんって、少し不思議な人だ。