1-2 東生リゾートからの電話
しばらくして、なんとか無事消火した。ぶすぶすと焦げくさい灰色の煙があたりに漂っている。
消防の人がバインダー片手に話しかけてきたので私は部屋番号と名前を名乗った。住人確認のようだ。
「306号室の櫻井莉子さんですね。同居人もなし、と。帰宅前でしたか。お怪我もありませんね」
「はい。あの……火元って」
「配線からの漏電の可能性が高いそうです。幸いマンションの住人は皆さん無事が確認されてます。逃げたり留守にしていたりで人的被害は今のところありません」
「そうですか、よかった」
怪我人も出ていないのが不幸中の幸いだった。まあ私は財産がまるっと焼けたんだけど。
「あのぉ……これからどうすればいいんでしょう……」
マンションは全焼で、今夜の寝る場所もない。
消防士さんは困った顔で頭をかいた。
「うーん、この時間ですからね。マンションの管理会社とも朝までは連絡つかないかもしれません。最悪、月曜になるかもしれませんね。……とりあえず今夜は安全な場所で過ごしてください」
つまり自分でなんとかしなければならないようだ。
「何かあればご連絡いたします」
消防士さんは連絡先をメモして去っていった。
ふう、と息を吐き、スマートフォンで時刻を見ればもう二十一時過ぎ。さっきまでぎゅうぎゅうに集まっていた野次馬も、無事に消火したのを見届けたら満足したのか帰って行った。この辺りにはもうチラホラとしかいない。
「って、あれ、着信がたくさんある」
履歴を遡れば昼頃から、一時間おきくらいで電話があったようだ。仕事に忙しくて全然気が付かなかった。しかも見知らぬ番号だ。社長からはあれきり連絡がない。
「誰だろう……」
まったく覚えがない。昼からだから、マンションの管理会社から火事の件での連絡でもないはずだ。そう思った時、再び着信があった。見知らぬ電話番号に少しだけ嫌な予感がしたけれど、もしかしたら大事な用件かもしれない。
「はい、もしもし」
『夜分遅くに失礼いたします。こちら東生リゾートの若宮と申しますが、櫻井莉子様の携帯電話でよろしいでしょうか?』
「東生リゾート?」
思いがけない相手に私は首を傾げる。声からして若い男性らしい。
「はあ……櫻井莉子で間違いありませんが、どういったご用件で……」
この一ヶ月、とにかく忙しくて旅行の予約をした覚えもない。毎朝満員電車で潰されながら、どこか遠くに行きたいなと夢想するのが関の山だったのだ。
『はい。この度、ご応募いただいた東生リゾートの綾糸温泉郷宿泊モニターに櫻井莉子様が当選いたしました!』
あ、こりゃ詐欺だ。
「間に合ってます」
私は間髪入れずに通話ボタンをオフにした。
私はとにかく運が悪い。
遡れば学生の頃から。
遠足に運動会、修学旅行も悪天候での予定変更は当たり前。
大学入試の日に至っては、電車が何者かのいたずらで遅延。遅れて入試を受けさせてもらえたものの、焦りで実力が出せずにA判定のはずがまさかの不合格になってしまった。第二志望の大学に行ったが就職活動は不況で全滅。
結局ブラック勤めになってしまったし、さらにそこをクビになった挙句、自宅マンションが火事で全焼したりする。
もっと言えば半年前、当時付き合ってた彼氏に貯金をまるっと持ち逃げされて、お金もない。へそくりの箪笥貯金は燃えてしまった。
私の人生、思い返せば平穏だったことなど全然なかったな。
いや、子供の頃はそうでもないか。当時は両親がまだ仲良くて、私を連れて山登りに連れてってくれたこともあった。そうそう、山の上にある茶屋でクジが当たってアイスが二個になったのだ。しかし十歳かそこらの子供ではアイスを二個も食べきれなくて、結局溶けて落としてしまったのだけれど。あのあたりから私の運に暗雲が立ち込め始めた気がする。もしや落としたアイスの祟りだろうか。
まあそんなわけで十歳から十五年あまりの不運人生を歩んでいるのに、旅行のモニターが当選しましたなんて美味しい話、今更信じられるはずなかろう。
運が悪いのはどうしようもない。自力で変えられることでもないし。
だからせめて騙されないようにしないとね。こんな美味しい話、信じちゃダメに決まってる。
今日の寝床すらない私は疲れた体に鞭打って駅前まで行くことにした。駅前にはビジネスホテルがある。お財布が少し心許ないのでカラオケや漫画喫茶で夜を過ごしてもいいかもしれない。多少区切られてて横になれるだけでいい。
実家には頼れない。両親は離婚していて、双方とも再婚済み。私はどちらの再婚相手とも反りが合わず、就職してからはほぼ没交渉だ。新しいところに引っ越す時に、保証人の欄に名前だけでもお願い出来ればいいんだけど。
考えれば考えるほど憂鬱でため息しか出ない。
ブラック勤めで忙しくしていたため、学生時代の友人とも、もう付き合いがない。まあ、宗教の勧誘とマルチの勧誘だけはあったけど。
忙しい時には気にしていなかったが、こうしてみると私にはいざという時、誰も頼れる人がいない。孤独だ。
全部、私の運が悪いから仕方がない。
しかし私は自分の運がとことんまで悪いのを失念していた。
駅前の漫画喫茶はとっくに潰れてしまっていて、カラオケは現在改装工事中で休業ときた。
「大変申し訳ありません。本日は満室でして……」
「……そうですか。お世話様でした……」
頼みの綱のビジネスホテルまで満室だった。マンションの他の住人も、とりあえずでこのビジネスホテルに宿泊することにしたのかもしれない。
諦めてビジネスホテルから出る。
私と入れ違いで入っていったカップルが「え、今急にキャンセルが出て空いたんですか? よかった!」と声を上げたのが聞こえてしまった。
ほらね、いつものこれだ。タイミングも悪いんだ。
「……どうしよ……」
とぼとぼとあてどなく歩く。
昨日もろくに寝ていないからファミレスで夜明かしは少しばかりきつい。その場にしゃがみ込みたいくらい疲れている。
少し悩んで駅の向こうにある、ビジネスホテルよりグレードの高いホテルに行くことにした。懐は厳しいが素泊まりで寝るだけだし、目玉が飛び出るほど高いなんてことはないだろう、多分。
それにもういい加減、屋根のあるところで休みたい。体はもう限界のようだ。