第8話 鏡地の歴史 〜下〜
ーー無罪の仲間を、2人無残に処刑した。
女神ピュティアにこんな事は本来、口が裂けても言えない。
しかし、その事実は歴史からも、己の頭からも消えることはない。
ーーこのことをピュティア様に話すとなると、それなりの処罰を受けるだろう。
しかし、罪を神に隠して生きていくより、神に自分をさらけ出して罰を受ける方が、楽だ。
クレオはそんなことを考えていた。
ーーその一方で、ビアスはこんなことを考えていた。
ローゼンには生きろと言われた。しかし、女神に今までのことを言えば、必ず処罰されるだろう。
ピュティア様はそんなに甘くない。神様は、そんなに甘くない。
ローゼン彼は魔術をゼロから作り上げ、世界の生活の基盤を確立した。しかし、彼も所詮人の子。
情はあるし、人間味もある。
絶対にと言えるほど自信がある。
死ぬだろう。女神に会えば。
しかし、女神に殺されるのであれば、本望。
慕い続けてきた女神に自分の最後を委ねることが出来るのだから。
「よし、ここだ」
不思議な、飛行魔術のようなもので空を飛んで、女神ピュティアのいる島、メテオラへ飛んでいき、ついにたどり着いた。
といっても、ものの数分であったが。
ーーなるほど、"神の島"と呼ばれる理由がわかった。
雲の上、青い空の下に位置するこの島には、動物はいない。あるのは、巨大な花畑と、その花畑の真ん中にある、樹齢はもはや推測不可能なほどの大きさの木だった。
まるでその木そのものが神ではないかと思わせるほどの神々しさ。
後ろから照らす太陽の光が、一層その神々しさを華やかなものに変えている。
そして、その木下に、1つの人影ーー。
「こい」
ローゼンはそう言って前へ進んでゆく。
クレオとビアスは2人で顔を見合わせた後、忘れていた呼吸を再開し、頷き合う。
そして、先ほどまで数百メートルもあった距離が、瞬きをした途端、一瞬で数メートルまで縮まった。
その理解不可能な現象に声を出しそうになったクレオは、音の鳴らぬよう、ゆっくりと唾を飲み込んだ。
そして、後ろを向いている1人の『女神』は、ゆっくりと振り返る。
ーー美。
彼女を、この女神を一言で表すなら、美。
美ですら彼女の美を表現しきれていない。
呼吸を忘れるほどのそれは、人を殺すことさえできるかもしれない。
ーー年齢は、20代かそれ以下だろうか、そんな見た目である。
白を基調とした服で、素材はよく分からない。
おそらく、下界には存在しない特殊な素材だろう。
袖先は真紅の花の絵が描かれている。
下は美しく、長い脚を強調させるような、短めのひらひらしたものを履いている。
そして、真っ黒の髪は赤いリボンで結ばれ、より美しさと透明さを増している。
かと思えば、足元は素足で、そのあどけなさをかわいらしく表現している、といったところか。
ーーまさに、究極の美。あらゆる美の頂点に立っている。
「ピュティア様、恐れ入りますが、少しお話をしたく、ここへ来させて頂きました。この無礼、どうかお許し下さい」
クレオがピュティアの容姿に見とれていたところ、片膝を地につき、頭を下げてローゼンは自分の非の許しを乞うた。
ふと、ビアスを見てみると、彼は石のように固まり、口を開けたまま、ピュティアを見つめていた。
「顔をあげてください、ローガン」
女神ピュティアは、全ての現象を、見通すような澄んだ声で、空のような声で、ローガン達を許した。
「あなたと会うのはいつぶりでしょうか。ーーどうしたんですか?」
以前に何かしらでローゼンと彼女はあったことがあるのだろう。そんなふうに思いながら、ローゼンと彼女の話に耳を傾けた。
もちろん無礼のないように、膝をつけて。
ーー彼は、ビアスは固まっているままだったが。
「いつぶりでしょうか。それより、ご報告がございます」
「なんでしょう?」
「先ほど、ミトラの魔女6人全員をこの壺に封印しました」
ローゼンは、結果から述べた。その後で、
「どうしてそのようなことに?」
ピュティアは少し驚いた様子で尋ねた。
そして、ローゼンは、今までの経緯をこと細かくピュティアに話した。
ーー彼女は言うだろう。そんな行いをしたもの達が神の領域に立ち入るなと。死を持ってして償えよと。
彼女は口を開き、今まさに重罪を背負った2人の殺人者にーー、
「魔女たちにもちろん非がありますが、ことを返さば原因はあなた方賢人にあります」
事の発端は賢人側からの魔女への接触。もちろん、原因は魔女ではなく、賢人にあった。
「あなた方にはもちろん、罪を償って頂かなければなりません。それはーー」
死を持ってして。そう言いたいのだろう。もう、クレオとビアスには、彼女が今から言うであろう言葉が予測できる。
「地球で」
クレオとビアスは、彼女の言っている意味がわからなかった。
「地球?」
地球とは、なにか。罪人を閉じ込める、監獄のようなものか。もしくは、何かしら自分たちを苦しめ、殺すための装置か。自分たちがソロンとキロンにしたように。
殺した人間の、殺された方法で、同じ苦しみを味わって死ねと。
ーーまあ、仕方ない。それだけの事をした。世界の均衡を崩し兼ねない、大罪を犯したのだから。
「地球で生きれば、きっとあなたたちは大切な何かを見つけることができます。そして、それでこの世界を豊かにしてゆくのです。ーーこの、悪意の殺意に満ち溢れている世界を、幸せが、喜びが溢れる世界に。」
「ーーーー」
何も言うことができなかった。頭が真っ白になった。彼女は何を言っているのか。もはや、クレオとビアスの理解できる域を超えている。
「あなた方はやり直すのです。人生を。ーー罪を頭から、心から、記憶からなくしましょう。忘れてしまいましょう。」
こう彼女は頭の真っ白になったクレオと、石のように固まったままのビアスに言った後、優しい声で、優しい笑顔で、そして純粋な子供のような口調で続けた。
「ーー神様なら、なんだってできちゃうんですよ」
神様は、どのようにして生まれたのか。元々人間だったのか。それとも母親がいたのか。
彼は女神を見ながらふとそう思う。
「では、私の願いが叶う日まで。また会いましょう」
最後まで、彼女の言ってる意味がわからなかった。地球? やり直す? 分からない。分からない。結局分からないまま、彼女は話を終わらせてしまった。
思考停止状態のクレオに彼女は最後に優しい笑みを浮かべ、指をパチンと鳴らした。
驚くことに、彼女の前に大きな空間の歪みが現れた。初めてみる魔術だった。賢人の中でも、魔術に関する知識はある方であったが、空間になんらかの術で干渉できる者がいることを初めて知った。
賢人であるがゆえ、滅多に新しいことを知ることはないが、ここにきて、ローゼンといい、女神といい、常軌を逸している者を目にすると、戸惑いを隠せずにはいられない。
「さぁ、この中へ。そして、またいつか帰ってきてください。ーーあなたがあなたの役割を果たせた頃には記憶は戻るでしょう」
そうか。この中に入れば今までの記憶はすべて失う。そして、あなたな人生を歩むということか。魂はそのままに、記憶と体は抹消される。
きっと、変えてみせる。ーーきっと。
「楽しみにしていますよ」
その中へ入る寸前に、自分たちに期待する女神の声を聞いた。
「では、壺も送ってしまいましょう、地球へ。そうすれば、悪意に脅かされる心配もなくなるでしょう。ーー聖書も、さようならです。」
彼女は空間の歪みの中に、魔女入りの壺と、知恵の聖書を優しく放り投げた。
聖書を投げる寸前の彼女の、少し悲しそうな顔に、ローゼンさえも気づくことが出来なかった。
「ーーでは、あなたはどうしますか?これから」
魔女は封印され、地球へいった。賢人の残りの2人も姿を消した。これはこの鏡地の歴史上、最も重要ではないのか。
「ピュティア様。失礼ですが、この一連の出来事を、歴史書として残しておきたいのですが」
なにか形に残るものに書き留めておきたい。必ず役に立つ。そんな気がするから。
「いいですよ。ただし、1つだけです。複製は禁止ですよ」
彼女はあけすけに笑いながら、しかし真剣な様子で、条件付きの許可を下ろした。
「ありがとうございます。では、また」
ローゼンは女神と別れた後、アニロビ王国に向かった。そして、彼は今までの流れをまとめた歴史書を作り、自分の腕にナイフで小さい切り込みをいれた。
「頼んだぞ、子孫よ」
彼はそういってその本に自分の血を1滴垂らし、本棚のなかにしまった。
そのあとの彼の行方と、その本の在り処は、今となっては誰にもわからない。