①雪里→ 『ファーストタッチ』
今年の梅雨入りは、妙に働き者だと思う。それは私の勘違いなどではなかったらしく、テレビで見慣れたお天気キャスターが「この東京も今日から梅雨入りを果たしました。いやー、今年の梅雨入りは早かった」と元気よく太鼓判を押していた。
それからというもの、ほとんど毎日、どんよりとした曇り空が続いている。きっと、世間が梅雨空と呼んでいるものなんだろう。
そんな時期のある日、私はこの東京に引っ越してきた。私の父の転勤が原因だった。
おっとさんが、家族でテーブルを囲む食卓の場で、“転勤”の話を切り出したときは、とてもびっくりしたものだ。しかも転勤先は、東京。なおのこと驚いた。
どうやら、おっとさんが勤めている会社の本部が、東京にあり、そこで働くことになったらしい。
当然、この場所から東京までは、丸一日かかる距離があるので、おっとさんが東京にいつり住むことは必須だった。
おっとさんは、自分一人で東京に行くつもりだった。いわゆる単身赴任というやつだ。
私は、おっとさんが遠くに行っちゃって、これからもう会えなくなるという悲しさが、どこからともなく湧きあがって「おっとさん、行かねどいて」と泣いた。
断っちゃえばいいよ! 蹴っちゃえばいいよ! と赤子のように私は駄々をこねた。
おっとさんが好きだったから、もう会えないという事実は、私を死ぬほど寂しくさせた。
そんな私におっとさんは、「本当ごめんね、雪里。でも、そのお願いを僕は聞くことができないんだよ。この転勤の話はね、僕の最も尊敬する先輩からの申し出なんだ。これはね、僕の中ではすごいことなんだよ。ただの転勤じゃない。栄光の転勤というやつさ」と優しい音色でそう言って、私をギュッと抱きしめてきた。
名誉がなんだ、栄光がなんだ。そんなもの私にとってはそんなもの全然嬉しくなんかなかった。
私は、ただやめて欲しくかった。優しい温もりで私を惑わさせるな! と叫んでやりたかった。
だけど、結局私の口からは、何にも言葉が出なくて、おっとさんの胸の中でただただ泣くしかなかった。
「休みの日には、この家に帰ってくるからさ。いい加減離してくれよ雪里」と照れくさそうに私の頭をなでるおっとさんの手。
「本当? 絶対のぜーーったいやよ」
本音を言うとすごくすごく嫌だった。だけど、仕方がなかった。おっとさんが困っているから。
「ああ。約束だ。雪里は、僕の自慢の娘だからな」
お互いの小指で、指切りげんばんを交わす私と父。
そんなやりとりの中、沈黙を保っている者がいた。おっかさんだ。
おっとさんがいなくなっちゃうのに、悲しくないんだろうかと、私は考えた。いや、もしかして何もかも勝手なおっとさんに心底怒り心頭なんだろうか。
「……そうだ。そうしましょう!」
そんなおっかさんがついぞ口を開く。ウンウンと何やら頷いている。何が、そうだ、なんだろう。
「雪里! 私たちもお父さんと一緒に東京に引っ越すわよ!」
『ええ~~~~!!』
私とおっとさんの驚きの声が部屋に響き渡る。
「白山家」総出で東京に移り住むことが決まった瞬間だった。
とまあ、こんなことがあって、東京に引っ越すことになった私だったが、急に家族で引っ越すことが決まったせいか、引越しの準備が難航。
そのため、とりあえず地元の中学の入学式に参加し、四月は地元の中学校で過ごした。そして一カ月足らずで地元の中学校を辞めて、東京にある他の学校に転校していくという、奇妙な形をとってしまった。
そして今現在、私は東京のここ、鈴鐘学園中等部にいるわけなのだが。
おっとさん、私の中学校生活はいまだに難航中のようです。私は真っ白な頭で、それだけを思った。
私が東京で通う中学校を考えていると、おっとさんが「どうせなら私立にしよう」ということで決まった私の中学校、鈴鐘学園の中等部。
東京らしく、綺麗で美しい校舎や校庭で造られており、私もこの学校をとても気に入った。
ただ私が行くことになったこの学校は『中等部』と表記されるだけあって、『小等部』と『高等部』も存在するらしかった。つまりこの鈴鐘学園という教育機関は、小中高一貫の学校だったのだ。
別にそのことは、悪いところではなかったのだが、今の私にとっては最悪の要因であった。
この学校は、テストと面接を通れば、一応どの時期からでも“編入”という形で入学することが可能だ。実際私も、比較的簡単なテストと面接を突破して、五月からこの学校に通うことになった口だ。
ただ、編入試験や入学試験があるにはあるのだが、鈴鐘学園中等部の生徒は、小等部から中等部へ上がってきた者、つまり鈴鐘学園小等部から鈴鐘学園中等部へとエスカレータ方式で進学してきた者が、大多数を占める。
外部からこの学校へと入学をしてくる人は、両手で数えるほどしかいないのが現状だった。
そのため、転校生としてこの学校に入学をしてくる者は、大いに歓迎をするのがならわしらしい。
そう、今の私みたいに。
私は、この学校の制服を初めて着て登校した朝に、私の担任になるらしい先生から言われた言葉を思い返す。
「それじゃあ、自己紹介をしてもらうから連いてきて」……で、私がこの言葉に乗せられて連れて行かれたのは、この大ホールだった。かなり広い。
ウソつきじゃないけどウソつき! 私は心の中でつぶやいた。
先生の巧妙な手口にまんまと引っかかってしまった私。
これは……罠だったんや。
自己紹介はするとは聞いていたし、することには何の疑問も抱かない。むしろ、自己紹介は何もわからない転校生が学校に早く馴染むための、いうならば一つの手段だ。
だけど、これはさすがに、……想定外だって先生。
私は、自分のクラスに行き、30人ばかりの生徒の前で自己紹介やるって考えていたもの。適当に「これからよろしくね」っていう感じの展開を構想していたもの。
誰が、いきなり学年全員の前で自己紹介をさせられると考えるもんや!
今、私はホールに押し込められた一年生全員からの視線を浴びている。
そうなったらもはや、やる以外の選択肢は存在しなかった。
ともあれ私は、この学校に転校してきた転校生だ。一か月前に入学式があったのに、なんでその時期に転校をしてこなかったのっていう疑問は抜きにしても、私は転校生だ。
いうなれば私は、小学校一年生から約6年間の間、苦楽を共にしてきた“集団”というハチの巣に、装備なしで飛び込む一匹のアリなんだ。
だったら得体のしれない転校生が、ハチに襲われないためには。ハチと仲良くするためには。ハチの巣に適応するには。やるべきことは一つしかないだろう。
それは、ウケを狙おうとすることでもなければ、転校生のテンプレートを述べることでもない。
私は皆と仲良くなりたいんですという気持ちを持って、誠意をみせて自己紹介をすること。それが大切なんだ。それだけが大切なことなんだ。少なくとも、私はそう思っている。
なんかとってもいいこと考えているわよ私。
意外にも自分の中に信念と呼ぶべきものがあったとは思わなかった。自分でもびっくりだ。
……じゃなくて! どうして私はそんなことを考えているのよ。自己紹介でいうべきことが何か思いつかないからって、目先のことから目を背けるのは良くないことよ。
考えるのよ雪里。考える。考える。考える。
じゃないと、そろそろ出番がきてしまう!
「それでは転校生を紹介します」
先生が私を手のひらで指して、皆の前に移動しろという合図を出した。
ほらきちゃったじゃない!
私はそれを受けて、生徒たちの中央に足を運んでいく。そして、生徒たちの真ん前に立つ私。
生徒たちのざわめきがすっと消えてゆく。この場にいる全員の視線が私を射抜いてきた。その視線が、まるで、獲物を狩るために音を立てずに待つ豹のもののように、心に突き刺さってくる。
その場から逃げだしたくなる衝動が私の中を吹き抜けてきた。その風に抗うように、私は二つの足で床を踏み締めた。
逃げるなよ、というかのように、先生が私にマイクを渡してきた。そのマイクを少しだけ頭を傾かせながら受け取る。
駄目だ。私の頭は、お湯が沸騰しているかのようにパニックを起こしていた。その湯気のせいで頭の中が徐々に白く霞んでいくようだ。何を言おうと考えるたびに、何もわからなくなっていった。
どうしようどうしよう。私の歯がカチカチとなっているのが、口内の響きが私に教えてくれた。誰にも聞こえないで欲しい、と私は鈍い思考回路で思う。私は、歯を食いしばったように静止する。頬が、凍りついたみたいに強張って動かなかった。
思えば、私は人の目に慣れていなかったんだ。誰一人も知らない大勢の前に立つことが、こんなにも威圧感を受けるものだとは考えてもみなかった。私は、元々が内気で小気で臆病な性格だ。私が、いきなりこんなにもたくさんの人の前に立ちしゃべることに無理があったのかもしれなかったんだ。
ここは、無難に名前と挨拶を言えればいいだろう。それだけやれば及第点だ。
そう決めて、私は前を向いた。
―――え?
左の列の中にいる一人の男の子が、私にグッドサインを向けている。右手の親指を宙に立てて、その握りこぶしを私に。私は一瞬、その男に目が釘付けになった。
すると男の子の口が短く動いた。音は何にも聞こえない。ただ私は、男の子の口がこのように動いた気がした。
「(ガンバレ)」
瞬間、私の頬が熱を帯びたように朱く染まった。
それは、羞恥心と、ほんのちょっぴりの嬉しさ。
一体何をやっているや私は! と私は、自分自身を叱りつける。まったく自分は何を臆してたのか。見知らぬ男の子に励まされるとは思いもしなかった。
そして、私は再び、眼前に座っている一学年全員と対面した。
二百人くらいの人数だろうか。この人数くらいの注目がなんや!
「ふーーー」
やってやろうじゃないの。誠意をもって。自分らしく。
そう気持ちを固め、強張った筋肉を、熱くなった脳を、落ち着かせるため、皆にばれない様に私は静かに深呼吸をする。とりいれた酸素が血管をめぐり、身体や頭がクールダウンされていくのを感じ取ることができた。
そのことを自分でわかってしまうくらいに自分は緊張をしていたらしい。いまだに私は、まだ緊張はしていたけど、今は回りの景色が見えていた。
皆は気になっているだけだ。逆の立場だったら私だって気になる。それだけのこと。
だったら、私は真摯に向き合うことが、今できる最大の敬意だ。
少なくとも私は、皆と仲良くなりたい。認めてもらいたい。東京に引っ越してきたのに、一人も友達がいないなんて、そんなん嫌や。
おしゃれなカフェにだって行きたいし、若者の街とやらにも行きたい。
だから、私はありの私のまんまでいけばいい。
「初めましてぇ。本日より、この学校に通うことにーなった、白山雪里と申しますや。ちょぉっとした家庭のトラブルで、こんなぁヘンテコな時期になぁてしまいましたが、これからどうぞぉよろしくお願いします。みなー様とは、早く仲良くなれたら嬉しいです」
両手でマイクを持ち、私は自己紹介を始めた。
最初のほうは緊張で若干ながら震えていた声も、すぐに本調子に戻った。
意外にも言葉は、するりするりと私の口から流れ出た。
ザワザワ。
私がしゃべり出してしばらくすると、なぜだかこの場がざわつき始めた。
「とぉきょおは初めてで、右も左ぃもわからんので、これから教ぇください」
うん。やっぱり騒がしい。私の自己紹介が変なのかな? ウケを狙ったつもりはないし、普段のようにしゃべれているんだけどな。
「ワタシはついこの前まで、ミサミという所に住んでぇておりまして――」
『うわー! 生で方言を言う人はじめてかも』
『しゃべり方かわいい』
『これ完ぺきな田舎もんじゃん』
『上京や』
わかった。私は、皆の変な反応を聞いてわかってしまった。
私のしゃべり方が、東京のものと少し違った、田舎もんの言葉遣いだからだ。私、なまっているんだ。
それがわかった瞬間、なんとも言えない恥ずかしさが襲ってきて、私は死にたくなった。
私はこの言葉遣いが普通と思って生きてきた。地元では、皆が私みたいだったから、私が使う言葉に何の疑問を持たなかったけど、やっぱり違っていたみたいだ。
私の地元の人が使う方言があるのなら、東京には東京の言葉遣いがあるというものだろう。
流石、華の都の東京と呼ばれるだけのことはある。求めるものも綺麗な言葉なんだ。いやー、ホンマ東京怖い。
うまくやれていたと思ったのに。いや、うまくやりすぎたからこそ、私らしさが出てきてしまったんだ。これじゃあ空回りにもほどがある。
私はテンぱったまま、言葉遣いや言葉のトーンをできるだ東京のような標準語に近付けようと試みた。
「ゴホン。ワタシはですね、ええーと。そうや。東京にずっと憧れておりました。だから、地元から離れましてしまいましたが、寂しいという気持ちよりも、ワクワクという気持ちが勝っておりますのが現状でいます。現状です。私の趣味は―――」
私は、テレビで見た番組やドラマを思い出して、できる限り東京らしい言葉に近付けたつもりだ。
『ふははははは』
なのに一体何なんなのよこの皆の反応は。
皆には、無理やりに東京の言葉遣いにしようとする私の姿が、面白く映っているみたいだ。東京っ子らしくやろうとすればするほど笑われているような気が。
もうなんでだ! うまくできたはずなのに! 私は頭を抱えたい思いだった。
『ははは』
笑い声が伝播してゆく。
もうどうとでもなれ、と私は少し早口になりつつ、ありまんまで自己紹介を続ける。
皆が笑っていた。
「――ですので、これからは何卒よろしくお願いします!」
最後をそのように締めくくると、私の自己紹介は終わった。
皆は、そんな私に、ぱちぱちと温かい拍手をしてくれた。拍手が心に染みる。
すごく恥ずかしい。こんなに恥ずかしい気持ちになったのはいつぶりだったっけ。
そんな手の叩く音の中、私は心の中で叫ぶしかなかった。
「大失敗だーーーーー」
でも、私の絶望とは反比例するように、拍手の音は、なかなか鳴りやんではくれそうになかった。
***********
疲れた。今の私の気持ちを表すのなら、この言葉が的確だろう。
この学校での初めての授業を全て受け終えた私は、かなり疲れ果てていた。
思いの他、転校生というものは疲れる運命にあると私は身をもってさっきまで経験していた。
自己紹介が失敗しちゃったなぁなんて考えていたけど、とんでもない。むしろあの自己紹介があったからだろうか。
休み時間に私の回りに集まるたくさんの人。心も身体も休む暇なく、私はちやほやされ続けた。流石、転校生というべきか。転校生恐るべし。
でもまあ、私はすごく満ち足りた喜びを、帰りの道で一人噛みしめていた。だって私はすごく嬉しかったんだ。
皆に私という存在を受け入れてもらった気がして、幸せだったんだ。
だからかなり精神的に疲れていても、今の私の足は弾むように軽かった。
あたかも嬉しいことがあった子供のように、楽しそうに歩く私。
そんな私に、数人の男子生徒が近づいてきた。
私は、その男たちに気がつく。
何か私に用なのかな、と思っていたら案の定、私に話しかけてきた。
「おい転校生。なんかしゃべってみてくれよ」
四人組の内の一人が、私になにやら要求をしてきた。
正直言って、私は意味がわからなくて戸惑うことしかできない。
「なんかしゃべってみろよ!」
『ひゃひゃははは』
意図が謎すぎる要求。なんで私が、こんな要求を受けているのだろう。
怖い。私は、本能的にそれだけ感じた。
逃げなきゃ、と思った私は後ろを振り返り、男たちから立ち去ろうとする。
だが、後ろを向こうとした瞬間、私の手首が男の手に掴まれて、
「~~~!」
「おいおい待てって。お前、ド田舎から来たんだろ! だったらド田舎語を話してみろよ。俺たちは、それを聞きてえだけなんだよ」
『ひゃひゃははは』
そういうことだったのか。
男たちの要求の意図がわかり、私は納得した。
だけど、こんなにもふざけた要求をしてくるこの男たちはなんなのか! 私の中に生まれたのは怒りだった。
でも、怖くて私は何もできなかった。私は、下をうつむくことしかできずにいた。
そんな中、一つの声が男たちに投げかけられた。
「おいお前ら何やってんだよ」
男たちの新たな仲間だろうか。怖いよ……
「あ、」
やってきた人は、私を見て何かに気が付いたかのように声をあげた。
私はやってきた人を見るべく、うつむかせた顔をあげる。
「……え?」
私とその人の目線が交差する。
その人は、自己紹介の時に、私と目が合って、エールを送ってきた男の子だった。
あの時の男の子だ、私はそう実感する。
怖くて何もできないんだ。お願い、私を助けてよ。それだけを私は願った。
「おい。その手を離せよ……」
―――ギュっ
「痛ってぇ!」
私の手首を掴んだ男の手を、思いっきりつまみあげる男の子。私は、怖い男の魔の手から解放される。目の前の男の子が助けてくれたんだよね?
「なにしやがる!」
突然の横やりに、切れる男。
その男に、男の子は叫び返した。
「本当にお前ら何やってんだよ!」
「なに怒鳴ってんだよ? 怒ってんのはこっちだろうが」
「お前ら、それで恥ずかしくないのかよ! ふざけるのもいい加減にしろよ!」
なにやらキレてる男の子が、私の目の前にいた。男の子は、叫び続ける。
「男が寄ってたかって女の子を怖がらせるなよ!! どうしてお前ら、そんなこともわからねーんだよ!!」
私のために怒ってくれいるのはわかる。だけど、私はただただ怖かった。四人の男たちも。その人たちに怒鳴り散らす男の子も怖くて怖くてたまらない。
男の子の言ったことを受けた男は、「ッチ!」と舌打ちを吐いた。
まるで喧嘩でも起こりそうな雰囲気だ。
しかし、男は後ろの三人に、
「は! 興が覚めた。おい、てめーら行くぞ」
そう言うと、男の子と私の横を通り過ぎて、4人の男たちはズカズカとどこかに歩いて行ってしまった。
辺りを静寂が包む。
私は、助けられたんだよね?
そのはずなのに、私は素直に喜べない。
この助けてくれた男の子が、どうして私を助けてくれたのかがわからなった。もしかしたら、さっきの男と同じようなひどいことを私にするんじゃないんだろうか。そんなことばかりが、私の頭に浮かんだ。
「…怒鳴っちまって悪かった。あと、もっと早くに助けられなくてごめんな」
ぽつりと消え入りそうな声で、男の子私に謝ってくる。その言葉は、ひどく優しい響きを纏っていて、私はとても安心させた。
恐ろしく怖かった。
男の子が来てくれなければ、どうなっていたことだろうか。
目の前にいる男の子が助けてくれたんだ。私は、強くそれを感じていた。
助けてくれたんだ。だから、「ありがとう」を言わなくちゃ。
……そう言わなくちゃいけないのに。
私は声が出なかった。何も言えなかった。
ううん。私は、目の前の男の子に早く消えて欲しかった。
早く、早く……
男の子がいなくなったら、私は走って家に帰れる。
人目のないところにいける。
だからお願いだからいなくなってよ!
―――ポンっ
男の子の手が、私の頭に置かれた。やめてよ、そんな優しくされたら私は……
「よく頑張ったな」
そして、男の子は、はにかんだ笑顔を見せてきた。
「っ……」
その笑顔はまるで、私が抱え込んでいた怖さのいったんを受け持ってくれるみたいで。
「……ふふふっ…………あれっ、おかしいなぁ……っ」
無理して言葉を出して笑ってみた。それでも視界がぼやけていって。
「あの、なんだ……俺は好きだぜ。君の方言」
「……っ、ぃ、ぅく……っ」
「だから、あいつらのことなんか気にすんな」
「うっ……あっ……あ…っ」
手をあてて誤魔化そうとしても、熱いものが込み上げてくるのを私は止めることはできなかった。
「……うん、うん」
「うわああ~っ くっ~~、ぁぁぁぁぁ~っ」
私は、男の子の前でみっともなく泣きじゃくった。
子供のように。
駄々っ子のように。
* * *
男の子は、優しく抱きしめたりとかはしなかった。
ただ、目の前の私の頭に手を置いたまま、ずっと私の側にい続けてくれた。
通行人が奇異の視線で眺めてきても。
何分も、駄々っこのように泣きやまない私を、ほんの少しの優しい苦笑と共に、ずっと、ずっと、私といてくれた。
最後の最後まで……
私が自分の足で歩けるようになるまで、私の停滞に付き合ってくれた。