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バトンリレー  作者: 銀世界かけら
スタンバイ
4/9

プロローグ3『絶望の中を駆ける』


 走った。


 俺は走った。


 足に合わないロファで踵を擦りむいても、息が切れて苦しくても、無我夢中に走りで続けた。

 

 ……走るしかなかった。



 この世界を感じたくなかった。誰も求めちゃいなかった。何もいらなかった。。


 一人に、なりたかった。


 俺は、地球の隅っこを探して、さまよい続ける。世界の何からも見放された場所で、誰にも介入されずたった一人で泣き叫びたかった。でも、どこかにあると信じて疑わなかったその場所は、俺の前にはなかなか現れてはくれない。

 だけどそれはしごく当然の結果であった。


 地球は丸いから、地球の隅っこなんて存在しないのだ。


 俺は、それを否定したくてただただ走る。




 西に傾いた夕日が、俺の顔をオレンジ色に染めた。

 疾走で生まれた風が、降り落ちていた桜の花びらを舞い上がらせた。


 俺の景色が、グワングワンと絶え間なく回り続ける。


 体が重い。頭が重い。心が重い。でも足だけは驚くほど軽かった。




 アスファルトの車道を走る俺を避けるために、赤い車が俺を確認するようにゆっくりと通り過ぎていく。

 下校中のどこかの高校生たちが、俺をそろいもそろって見てきた。


 街路樹である桜の木々も、散歩中の犬も、街を吹き抜ける風も、この世の全てのものが俺のことを嘲笑っている気がしてきた。


 それが目障りで仕方がなかった。

 いつまでも耳鳴りが収まってくれない。



 無くなれ無くなれ、と俺は吐き捨てる。

 そのたびに真っ黒な顔をした自分が顔を覗かせてくるようだった。

 


 俺はあの時から何も、変わっちゃいない。

 そのことに、強く気づかされた。

 むしろ、もっとダメな方へ、楽な方へと、崖を転げ落ちていた。



 さっきの屋上でのやりとりだってそうだ。

 屋上での会話を思い出すたびに、自分が嫌いになっていく。


 亜麻色髪の女の子の思いに向き合おうともせず、ひどく非難をする俺の姿。

 勝手な気ままに女の子の心を蹂躙し、やってしまった愚行に対して、謝るわけでもなく、何をするわけでもなく、自分都合でただただ逃げた俺の愚かさ。

 被害者である彼女に、あたかも俺が被害者です、助けてください、と言わんばかりにボロボロと涙をこぼす醜い俺の顔。



 客観的に見てみると、なんとも歪んだ道化っぷりだった。



 俺という存在を形作るもの全てが、ありえないくらいに真っ黒く荒んでいる気がした。


 悪かったことしかないが、あえて良かった点を考えてみる。

 挙げるとすれば、それはきっと、彼女の告白に肯定をしなかったことだろう。

 もしも、こんな俺と付き合うことになっていたとしたら、危うく悲劇のヒロインの出来上がりだったところだ。

 それだけは、自分の最低最悪の行いに、感謝できることなのかもしれなかった。

 ため息が出るほどに、無理やり作ったこじつけだったのだが。

 俺には誰かに想いを受け取る資格なんてない。




 そもそも俺は、自分でも自分の感情すら制御できていなかった。

 なぜ自分が、あんなことを言ってしまったのかが、ただただわからない。

 ただ、彼女から告白を受けたとき、事実として、とても恐ろしくなったのだ。


 彼女の思いが、俺をこの世界に繋ぎ止めるもののようなに感じてしまった。

 実際俺は、この世界に生きていて、この世界の住人に違いないのだが、結果として、そんな気持ちを抱いてしまったのだ。

 同時に、悲しさが喉から込み上げて。気がつけば逆切れをしていた。




 どうして俺は、いつもこうなっちゃうのだろう。

 どうして毎回毎回、同じような愚行を繰り返しちゃうんだろう。




 ひどく情けなくて、かっこ悪い俺。自分の行いに反吐が出る思いだ。


 自分でもそう感じるほどだから、きっと回りの人から見る俺はなんとも滑稽に映っていることだろう。

そもそもの大前提として、意味不明な虚言を言うやつとして、認知されているか。


 そうだ、俺の空言だ。


 俺が正しいのか、この世界が正しいのかは、俺はすでに、どちらが真実かなどわからない。


 俺は自分しかわかり合える相手がいないから、自分自身を信じて生きる。そして、いつしか歯を食いしばって生きる術を身に付けた。




 誰もが皆、俺をウソつきと呼んだ。

 この世界が、俺をホラ吹きと罵ってきた。




 毎日耐えて心をすり減らして、生きてきた。俺は、自分の殻に閉じこもり、自分自身を信じるしかなかった。




 世界を憎んだ。

 世界を恨んだ。




 こんなところ、現実であっていいはずがないと叫び続けた。でも、たった一人の男の戯言など、世界が聞き入れてくれるはずもなかった。


 それでも聞いて欲しかったから、願い続けた。


 俺にとって、この世界は窮屈で仕方がなかった。

 ちっぽけな世界なんて、息が詰まってつまらなくて、正直もううんざりだった。

 そうして何もかも大嫌いになっていった。




 世界がこんなにも悲しいとは思わなかった。

 一人がこんなにも辛いとは思わなった。




 俺が、とてつもなく未練がましいと知って寂しくなった。世界で一番愚かな人間を指すのだとしたら、それは俺のことだろう。でも、自分が自分でいることを感じることができて、嬉しくもなる。






 –––あれ?


 

 周りの景色が、草原に変っていた。そのことに気がついて、俺はずっと動かしていた足の動きを止める。瞬間、ぶわっと、ものすごいだるさが体に降りかかってきた。


 やっぱり自分は、自然とここに足が向いてしまうらしかった。

 何かがあると、俺はどうしてもこの場所に来てしまう。

 なにかと、この場所にはお世話になりっぱなしだ。



 始まりの地。そして、終わりの地。



 俺は、丘の上に立っていた。

 春を彩る、ナツメグサやらペンペン草が、黄緑色のカーペットと共にふさふさと揺れている。


 ここに来ると、いつもある人を思い出す。

 かつて、俺と笑い合った女の子。泣きあった女の子。

 その子を感じるほど、胸が張り裂けそうなくらいに、強く痛む。


 俺は丘の一番高い所に移動し、まっすぐ遠くを見る。


 さっきまで淡く澄んだ青色の空だったのに、今では打って変わり、これまた鮮やかなオレンジ色を、空のキャンパスに薄く塗りたくっている。それを見た俺は、かなり長く街を駆けずり回るように、ずっと走っていたこと気づき、驚いた。




 オレンジの空の中には黒い点があった。そのことを不思議に感じ、目を凝らして観察してみると、その正体が一匹のカラスだと知った。そのカラスは、空を高く舞うように飛行を続けている。なんだか、どこにでも飛んでいけるカラスが羨ましかった。


 今泣いたカラスがもう笑うか。そんな言葉があったのを思い出すな。


 俺はカラスを掴むようにして、腕を高く、空に向かって伸ばす。だけど、広げた右手は何の感触もない空虚を掴むばかりだった。空を切った指先の爪が、手のひらにきつく食い込んでひどく痛かった。

 俺が捕まえたのは、その痛みと、やり場のない強い虚しさだけであった。



 

 俺は、どうすればいい?

 俺は、どう生きればいい?




 「…………せつ、り……」



 世界で一番大切だった人。世界で一番好きだった人。

 もう、この世界のどこにもいない大事な人の、名前。


 その文字の羅列を、俺は、茫然と唇の間からこぼす。その声は、夕闇に浸食をされ、限りないほど小さく、空気中に伝わった。


 どうして世界は、俺に対してきつく当たるのだろうか。

 この世界に生きることが、こんなにも、こんなにも痛いだなんて、思ってもみなかった。

 いつだって世界は、理不尽で不条理で非合理で滅茶苦茶だ。




 俺だけが、覚えている。

 俺だけしか、覚えていない。


 君の声を。匂いを。仕草を。笑い方を。涙のこぼし方を。


 一人になるといつも、君のことを考えてしまって、胸が締め付けられた。

 街を歩くだけで足が重くなった。仲のいい友達と話すだけで体が重くなった。




 これは長い長い夢だと信じて、朝の数だけ何かに期待をした。当然、夢からは覚めてくれることはなかった。俺が死ねば、夢から覚めると考えることもあったが、結局ここまで俺は自殺志願者になることはできなかった。

 俺は、命を代償に試す勇気なんて、これっぽっちも持ち合わせていなかった。



 でも、君に会いたい気持ちは、ずっと変わらなかった。そんな儚い願いごとを俺は持ち続けた。

 俺が君を忘れたら、君が本当にこの世界からいなくなってしまうという気持ちにとりつかれた。


 今となっては、君をこの世界に繋ぎ止めるものなんて、俺の記憶と、なぜか俺の携帯電話に残っていた君とのやり取りの履歴だけだ。

 そのどちらもが俺に起因しているものだった。




 今から二年前のこと。俺が中学三年生だった年。

 初夏を感じる夏の夜に、この場所で。一人の女の子が、消えた。家出したとか、犯罪に巻き込まれたとか、そういう類の事件とは根本的に違った出来事。


 文字通り、ある女の子が消失した。


 目の前でいなくなったのを目の辺りにした俺は、何が何だかわからなくなって、現状を確認するべく奔走した。


 だが、他の人間は違った。

 俺以外のだれもが、彼女の存在を忘却したのだ。

 彼女の母親も、中学校の先生も、彼女の友達も。

 それどころか、彼女と関係のある全ての事象が書き変っていた。

 クラスの名簿からは彼女の名が消え、出席番号が一つずつずれた生徒も多くいた。無理やり彼女の家に押しかけて、入れてもらった彼女の部屋からは、彼女の物が一切なくなっていた。

 そうして、彼女の生きた証そのものが消滅したことに徐々に気がついて行った。


 彼女のことを、この世界は忘れたのだ。


 もはや超常現象という悪い夢のようにしか思えなかった。




 彼女がいなくても、さぞ当然のように生きる人々。そんな彼らからしたら、俺も立派に異常者に写っていたらしかった。

 ありもしない妄言を吐きながら戸惑い、混乱し、翻弄する俺。


 もちろん、誰も相手にはしてはくれなかった。

 

 むしろ、ある者には本気で頭を心配されて、ある者には元の俺に戻れと叱咤された。それがたまらなく、心に堪えた。


 俺は世界の中に迷いこんだ。


 黙れよ偽物と喚きながら、無駄な悪あがきみたいに必死に抵抗した。過酷な現実に抗うように。



 彼女の痕跡となるものは、一切合切が消えてなくなってしまったのだけど、俺だけは忘れるわけにはいかなかった。



 彼女をこの世界に繋ぎ止めなくてはいけないんだという使命感じみた何かに、そう動かされた。




 あれから二年の月日が流れた。

 それでも、世界は彼女をはぶいて回り続けている。


 かくいう俺は、過去を振りほどくことができずに、ありもしない虚実に囚われ、不器用にこの世界に生きていた。


 俺は、考える。




 俺はなぜ、こんなにも醜い生き方をしているんだろう。

 なぜ、世界の真実に抗おうとするのだろう。

 彼女のことを忘れて生きることのほうがずっとずっと楽なのに。




 多分、俺はそうするしかないのだろう。そう生きるしかないのだろう。

それは、あの時から決まっていたことなんのだろうか。




 雪里、俺が二年前にもっとちゃんと君に向き合っていたら、君は時を刻めていたのだろうか。今とは少しは違った明日が迎えられたのだろうか。



 俺は、幸せの花を探していただけなのに。



 いつもどうしても、うまくいかない。




 雪里せつり雪里せつり雪里せつり。雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里、雪里。


 俺の心を、この名前が埋め尽くしていく。



 せっちゃん。俺は、君が大好きだった。それなのに、俺は。俺は、この世界に君だけで良かったのに。君がいない明日なんて、もう、痛いだけなんだ。そんなの……。



 胸から熱いものが込みあげてくる。俺の頬を涙の軌跡がつたった。

 君を思い出すたびに、どうしようもない悲しみが俺を襲う。


 二年も経ったのに、この傷は癒えることはなかった。これは、俺にとっての呪いであるかのように、いつも強く心に突き刺さる。


 なんともみっともない俺が、あの日からここにいた。




 こんな俺を、雪里が見たらなんて言うかな。


 俺は、そんな雪里を想像して、はははっと乾いた笑い声を洩らす。


 俺の中の雪里は、私のためにこんなになってまで何しているんだと言わんばかりに、悲しそうな表情で、俺を叱りつけていた。



 もうすぐ、夕陽が沈む。


太陽が水平線に飲み込まれ始めていた。最後の抵抗をするみたいに、ギラギラと太陽が輝きを魅せる。



 太陽が沈めば夜になる。この丘には電灯がないため、本格的に夜になると何も見えなくなってしまう。だから俺は、暗くなる前に、この丘から立ち去らねばならなかった。


 カラスが鳴いたらお家に帰ろ、か。


 まったくもってその通りだ。帰らなくちゃ。思えば、今日は随分、時間を浪費している気がする。午前中に学校が終わったのに、気が付けばもう夕刻だ。時間の無駄な消費は、いつものことだから、今更気にもしない俺なのだが。


 俺は、この丘を下りるために歩き始める。

 雪里と始まったこの丘を。雪里と終わったこの丘を。

 



 あれから、俺の中の時は留まってしまっていた。


 いったい俺は、俺は……。何なのだろう。


 俺は、誰だ!? 


 俺は恋という呪縛に生かされているのだろうか。


 俺は何だ? 何だ? 一体何なんだ?


 恐ろしいほどの綺麗な想いに身動き一つ取れずに立ち尽くす。そして、ただ一人じっと、好きという気持ちに、もがき苦しみながら、自分の生きる理由を探す行為を続ける俺。


 そのことが俺の生きる理由なのか?

 だとしたら俺の心には、もう何もない。


 あるのはただ、無意味な生と、空っぽの未来への恐怖。それを感じて、俺は寒くなってくる。


 かつての俺が、俺の心の中で笑っていた。


 あの日から俺は、恋という名の呪いにかかってしまったようだ。

 





 ばいばい雪里。また来るよ。

 そんなふうに、まるでここが死んだ人の墓の前であるかのように、そっと挨拶をする俺。





 できることならもう一度。叶うならばもう一度。


 この丘からの景色を君と見たかったな。


 もう一度だけ、君と花火を見たかったな。







 そんな丘を去る俺の後ろ姿を、悲しみの糸がそっと引いていた。

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