プロローグ1『いざ屋上へ』
―――カツン、カツン、カツン
学校の階段に、鋭く冷たい音色が響きわたる。無愛想なコンクリートを叩く音だ。その音の発信源は、今俺が履いている、妙にフィットしない高校指定のスリッパからだ。
―――カツン、カツン、カツン
今日は、年に一度のビックイベント。入学式の日だった。
その式にはもちろんのこと参加をしていた。しかし、あくまで在校生としてだ。俺たちは、今日から高校二年生へと進級を果たし、クラス替えをへて高校生活での再スタートを切った。
そんな桜振る日だからだろうか。本日は入学式と担任挨拶をしたのみで、お昼前に授業は終わってしまった。そんでもって、どの部活も休みなのか、校庭で活動する騒がしいくらいにうるさい運動部の掛け声も、校内に響き渡る和太鼓やトランペットの音も今はしない。
聞こえてくるのは俺の鼓動と、スリッパの踵部分が無遠慮にコンクリートを叩く音だけだ。
さらに、ここの階段は北の方向に面しているからか、小さい窓はあるものの日の光が差し込まず、じんわりと立ち込めている重たい空気。
それらが合わさり、この世界には自分一人しかいないんじゃないかという孤独感を俺の心に押し付けてくる。
ひどく足が重たかった。
それにしても、と俺は着ていたブレザーのポケットをまさぐる。
そして、指先だけの感触で目当ての物を探し当てると、ポケットの中からそれを取り出した。
それは一枚の封筒であった。
俺が今日の朝、自分のロッカーを開けた時に、ひらひらと落ちてきた何か。それがこの手紙だったのだ。
封筒のちょうど真ん中には、【柊朱希様】と、黒い液で、でかでかと書かれていた。流れるような行書で、とても綺麗に、凛々しく書かれている。今のこのご時世に、筆を使って書いたのだろうか。
そのため、一目で俺に宛てたものだとわかった。
俺は、丁寧に折りたたまれたその紙を、大切に開いていく。そして、内容を再確認するためにそこに書かれたメッセージに目を落とす。
その紙の可愛いイラストが印刷された表面。そこには女子らしいフォントと文体で書かれた、短い一言。
【放課後、学校の屋上に来て頂けますか】
それだけが、ここに記入されていた。
俺も初めてこの内容を見たときは「え」、という感想しか出なかった。
名前を名乗っていないため差し出し人も不明。簡潔すぎるため、相手の意図もわからない。そのうえで、俺に対して、屋上に来いと半ば命令をした内容。
正直言って意味がわからなかった。
ただ俺は、この手紙を差し出した人を無視することはできなかった。
相手の目的がどうあれ、丁寧に書かれた文字からはその人の誠意であるべきものを感じられたからだ。とても心がこもっているというべきか。
ともあれ、そう感じておいて、その相手を蹴るという行為は、なぜかしたくなかった。
きっとこの人は、俺に大事な相談事をしたかったのだろう。
例えば、家族崩壊しているだとか、クラスの人間関係がうまくいっていないだとか、そんなところだろうか。
それをどうして俺なんかに相談するんだという疑問が生まれるのだが、それはたぶん俺ことを、聞いた内容を話さない口の固い人だと思っているから。
きっとそうだ! これに違いない! 、と俺はそう勝手に決めつける。
もしそうだとしたら、俺がこれから会おうとしている相手はなんて自分勝手であるのだろうか。
でも俺は、人は自分勝手でいいと思っている。他人を思いやりすぎて本音を隠したり、上手い言葉で真実を包み隠したりするよりよっぽど人間らしい。
俺は未来を予測して、自分勝手に思考を暴走させていた。
ただ一つ。この状況に対してたった一つ。
おれの心がこの未来予測を否定する。
じゃあどうしてだろうか。
どうして、俺はこんなにも緊張しているんだろう。
何に対して、誰に対して。
もしこれから人生相談されるのだとしても、俺がこんなに心臓をバクバクさせているのはあまりにも変ではないか。
これから会う人がどこの誰だかわからない人だからだろうか、俺はどうしようもなく緊張しているのだろうか。
わからない。知りたくもない。
違う! と俺の心が叫ぶ。
きっと本心ではわかっている。
心のどこかでは、ある一筋の正解が導きだされている。
こんな状況は、それ以外には考えられない。こんなシチュエーション、それ以外にはありえないだろう。
女子が男子に、放課後、屋上に来てくださいっていうものは、俺の頭の中では一つ以外考えられない。
―――ああ、そうか
多分それは、男子高校生なら一度はあこがれる“告白”というやつで。
そう理解した瞬間、この状況に対する意味不明さに、ストンと肩の荷が落ちた。
おそらく俺は、これから女の子に告白されるのだろう。
まごうことなき告白のシチュエーション。
そのことに、俺は気づかぬ間に、舞い上がりすぎて緊張をしていたんだ。
次こそは正しいだろうと、俺はこれから起こるべきことへの思考にピリオドを打つ。
そして俺は、緊張を紛らわすように残りの数段を駆け上がる。
階段を一番上まで上りきったところのフロアにようやくたどり着くと、俺の前に屋上へと続くドアが現れた。
俺は、そのドアの金属性のドアノブに手をかける。ドアノブは気持ち悪いくらいに冷たかった。
あれ、なんか変だ、と俺はドアノブに触り初めて自分の異常に気がついた。俺の手が震えている。
なぜ自分はどうしようもなく震えているのかが、わからなかった。
俺は告白されることに、動揺をしているのだろうか。
百パーセントではないにしても、この状況は告白だ。俺の奢りかもしれないにしても、誰がどう見たって、今から俺が誰かに告白をされると考えるように思える。
告白、告白と俺は心の内で何度か唱える。
だけど、素直に嬉しがれない俺が、そこにいた。
それは、俺がこの先に行きたくないと言っているようにすら思えてならなかった。
でも、それは俺にとってはどうでもいいことなのかもしれない。
好きという気持ちを伝える行為そのものに、俺は何の価値も見出せないでいるから。実際はそんなことないんだろうけど。
―――パッシン!
階段に張りの効いた音が響く。
俺は、この緊張を、この震えを鎮めるために、自分の左右二つの太ももを手のひらで叱咤する。
不思議と太ももの痛みが、なんとなく感情の波を静めていく気がした。
そうだ迷っていても仕方がないだろ。
「はぁぁぁーー」
俺は長く息を吐く。
そしてドアノブを回し、屋上へと飛び出した。