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Her Side 1

タイトルを変更しました。

これで落ち着きたいなぁ…。

仕事が忙しくて、なかなか筆が進みません。

マイペースでの更新になってしまいますが、ご了承ください。

アクセスを見ているとたくさんの皆様に読んでいただけているようで、とても嬉しいです。

忌憚の無いご意見やご感想、評価をいただければ励みになります。どうぞよろしくお願い致します。


今回は視点を変えたら思いの外長文になってしまいました。

マジで長いと思いますけど、お付き合いいただけたら幸いです。


英之視点の本編も、アクションシーンを執筆中です。

今しばらくお待ちください。


少しだけご指摘をいただいたり自分で気になった部分を修正しました。

「はい。放送終了です。お疲れ様でした!」


目の前に座っている放送作家の嶋村さんが告げてくれる。

女性同士ということもあると思うけど、とても気が合うし、姉と年齢が近いからかお姉さん的な存在でもあるのでとても頼りにしている。


「ゆみっち、明日は彼氏さんの所に行くの?」

「うん。明日は明け番で、明後日はお休みだから二日間一緒に過ごせるから」

「そうなんだ。いいわね。なんか幸せそうで。あたしも旦那とそんな時期があったわ…」

「ちょっと、不安になるようなこと言わないでよ」


そんな会話をしながら一緒にブースを出る。

放送中に彼の話はしないけど、彼とデートで訪れた場所や一緒に食べた物の話題はよくする。

私の番組の女性リスナーの割合が他の番組よりも比較的高いのは、そこに所以があると思う。

放送開始から四年、リスナーの皆様のおかげで順調な番組作りをさせていただいてる。


ブースを出たところで、嶋村さんが温かい紅茶を差し出してくれる。

これは初放送を終えた時から四年間変わらない。

「ゆみっちが彼氏さんと付き合い始めてから、リスナーからの反響も良くなって番組にもいい影響が出てるのよね。あたしも機会があったら彼氏さんにお礼を言わないとね」

一緒に紅茶を飲みながらそんな嬉しいことを言って、私のテンションを上げてくれる。だからこそ、同性であるこの人と長く一緒に仕事が出来るんだと思うし、信頼も出来るんだと思う。

年齢は彼と同じ三十五歳だけど性別こそ違うし仕事も全然違うけれど、彼と嶋村さんには共通した信頼感を感じる。


スマホをバッグから取り出しホームボタンを押す。待ち受け画面には恥ずかしそうに視線を逸らしながら、なぜか右手でしっかりピースしてる制服姿の彼の画像が出てくる。この画像を見るといつもホッとする。

彼の画像と一緒にLINEのバナーが表示される。

「ひできち」

と表示された送信者名は、私が「世界で一番愛おしい」と思っている一回り年上の彼氏。

その名前が表示されるだけでも嬉しいのに、メッセージを開く時には付き合い始めて三年になる今でもドキドキしてたまらない。


「今日の衣装…。それ、俺のワイシャツとちゃうの?笑」

最近では、オンエアを見てその感想を送ってきてくれることが増えた。

今日の衣装は確かに彼のワイシャツだけど、それは特に珍しいことでもない。

彼が着ていた服を洗濯する前に持って帰って来て、毎日ではないけど着る。

彼の香りがするから安心するので、付き合い始めた頃からずっとそうしてる。


付き合い始める前は無かったけれど、付き合い始めてすぐの頃に

「今日のフリートーク、めっちゃ面白かった」

という内容のメッセージをもらってすごく嬉しかった。

「これからも思ったことや感想を、何でもいいから送ってほしい」

どんな言葉を用いてその想いを伝えたかは割愛するけど、そんな趣旨のことを私が持つ最大限のボキャブラリーを用いてお願いしたら、毎回ではないにしても時々送ってくれるようになって、今は放送中でも放送終了直後でも気付いたことは直ぐに送ってくれるようになった。

曲間の間に確認して間違いを訂正したり放送内容を変更したりする事も出来るから、放送作家の嶋村さんやプロデューサーも「この意見は助かる」と言ってくれることが多い。


私が世界で一番愛してる人の名前は、保寺やすでら 英之ひでゆき

私よりも一回り年上の三十五歳の警察官。

「バツイチ」と言われるのは好まないらしいけど、バツイチ独身で二人の娘を持つパパでもある。

彼は自分で自分のことを語るのは得意ではないから、私が彼に代わって私の目線で見た彼を紹介したい思う。

これは恋人である私の役目だと自負してる。

「関西人はよく喋る」と思い込んでいたけど、実はそうでもなくて「彼は意外と無口である」という秘密と、実は彼は笑うと笑顔が可愛い。という秘密を先に暴露しちゃおう。


私と彼の出会いは、今から三年前のことになる。

声優だけではなく歌手としてアーティスト活動を開始した、私にとって記念すべき年でもある。

ソロデビューシングル発売を記念して、全国の五会場でトレカのお渡し会イベントを催すことになった。

会場に招待されるのはデビューシングルの初回限定版を購入してくれた人の中でも各会場で百名様。合計で五百名の抽選で選ばれた人たちだけ。

その合計五百名のファンの皆様の中に、彼がいた。

お渡し会の最後の会場だった大阪の「アニメイト日本橋」で、最後のトレカを渡した人。

それが彼。


「アーティストデビュー、おめでとうございます」

たった一言、彼はそう言った。

他のファンの人たちは歌の感想などをたくさん話すのに、彼はそうではなかった。

ちょっとムスッとしたような口調だったから「この人、何か怒ってるの?」とさえ思ったけど、他の人には感じない不思議な雰囲気に興味を持って、彼の顔を見ると、頭から湯気でも出るんではないかと思うほど真っ赤になっていた。

『この人、ちょっとコワモテだけど…。可愛い人なのかも?』

それが彼の第一印象だった。

今までに出会ったことが無い誰とも似てない人。それだけで私の好奇心を満たすのに十分な要素だけれども、もうこの会場には彼と私の他にはレコード会社やイベント主催者のスタッフ以外に他のファンの人はいない。押し気味だけど、少しだけなら他の人よりもお話しする時間を長くすることも出来る。


でも…


『この人、マジで喋んないなぁ』

そう思ったので、さっきの「おめでとう」のお礼を言いつつ、こちらから話題を振ることにした。

「大阪の人なんですか?」

そんな質問をしたら、さっきまで目を逸らしていたのに急に私の目を真っ直ぐに見て

「ずっと大阪です」

また、一言でそう言った。ただの無口な人なのかな?目を見てると怒ってるわけではないことはわかる。

『この人、すごい眼力だ…』

別に威圧されてるわけでもないし、怖いとは感じない。その逆に安心感さえも感じるし、一言だけなのに言葉やその声には誠意を感じた。でも、それと同時に

『この人にウソやハッタリは絶対に通用しないだろうな』とも感じた。

私はこの時点で彼に恋をしてしまったと、今でも断言できる。

「えっと…。ご職業は?」

改めて振り返ると『なんて質問してんだろう』と思うし、頭を抱えて床を転がり回りたくなるほど恥ずかしい。

彼もそんな質問されると考えてもいなかったようで、かなりキョトンとした顔をしたけれども

「え…?けいさ…。公務員です」

ちょっと慌てて、私の質問に答える彼。

「そうなんですね。今日はお休みだったんですか?」

その時の時間は午後七時過ぎだったし、日曜日だったから普通は「公務員は休みだろ」と考えるのが当然だと思うけれども、そんなことに頭が回らないほど私も緊張し始めていた。

だって、初めて『あたし、この人に惚れてるかもしれない』と感じた男性と話しているのだから。


当時の私はまだ二十歳で、大学に通いながら声優のお仕事をさせてもらっていた。

中学二年の時にオーディションを受けて声優デビューしたけれど

「学業を疎かにせず、ちゃんと高校も大学も卒業するなら声優になっても良い」

という両親との約束もあったので、私はそれまで学業と仕事に集中して、恋なんて考えたことも無かった。


『初恋を最後の恋に出来たら、幸せだろうな』という乙女な夢を描いていたのは秘密です。


「今日は勤務明けなんです。仕事が終わって飛んできましたけど、少しだけ遅れちゃって、申し訳ない。でも、そのおかげで最後の一人になれましたね」

彼は少し照れたような笑顔でそう言った。

『コワモテなのに、この人って笑うとやっぱり可愛い』

私の『惚れてるかも』は、その時に『惚れた』に変化した。


それから先は何を話したのか、頭がポーッとしてしまって私もあんまり憶えていない。

けれど、横にいたプロデューサーに後で笑いながら

「ゆみっち、お見合いしてる女の子みたいなことばっかり聞いてたよ?」

と言われてしまった。これも床を転げ回りたくなるような記憶の一つ。


「そろそろ、お時間です」

スタッフの人に人生初の賢者タイムに水を差されて我に帰るまで、夢中になって彼に話をしていた。

やってはいけないことだとわかっていたけど、会場を去って行く彼の背中を追い掛けてエレベーターホールまで行ってしまった。


「あの…!」

エレベーターに乗ろうとする彼に声を掛けてしまった。

ものすごく驚いていたのは彼だけではなく、その場にいたスタッフ全員もだったし、私自身も驚いた。

「お名前、教えてもらませんか?」

とんでもない質問だと思う。本業は声優とはいえタレントであり芸能人が職業の私がすることではないと思うけれど、その時は本当に必死だった。

『今、このまま帰してしまったら、あたしは一生後悔することになる』

私の中の第六感というか直感がそう言っていた。実際、この行動をしていなかったら私は本当に後悔していたと思う。そう思えるほどに彼と一緒にいる時間は幸せだし、彼以上に好きになれる男性とはこの先の人生で出会うことはないという確信もあるから。


彼は呆気に取られたような顔をしていたけれど、急に胸のポケットから名刺入れを取り出して、その中の一枚を私に手渡してくれた。

「これ、本当はあんまり外部の人に渡すような物ではないんですけど、ゆみっちさんになら問題無いでしょう」

そう言って手渡してくれた名刺には

『大阪府警察 交通部 交通機動隊 高槻分駐所 巡査部長 保寺 英之』

と書かれていた。

さっき彼が『けいさ…。公務員です』と言っていたのを思い出す。

「警察の人だったんですね」

その職業に驚きを隠せなかった私のその一言に

「警察官も人の子です。声優さんのファンにだってなりますよ」

今度はニッコリと笑って答えてくれた。

「じゃ、明日の放送も楽しみにしてます。また何かのイベントが有れば応募しますね」

彼は小さく手を振りながらそう言ってくれたけど、私が言葉を返す前にエレベーターの扉は閉じてしまった。

階段を駆け下りて追い掛けたかったけど、さすがにそれはスタッフやプロデューサーに止められた。


東京に帰る新幹線の中でも、プロデューサーやスタッフの皆んなと夕食を食べてた時も…

自宅に戻ってお風呂に入っている時も、彼のことを考えてた。

彼が大阪に住んでいる警察官であることと、勤務先の住所と電話番号くらいしか私は知らない。

自分の部屋に戻ってベッドに寝転がって彼からもらった名刺を眺めながら、私は願った。


『保寺さんと、もっと話したい。彼のことをもっと知りたい』


その願いは、意外にもすぐに叶えられた。

翌日に。


月曜日は今も同じ番組で毎週のように生放送がある。私の番組ではテーマに合わせたメールや普通のお便りメールを読んで、その内容についてトークするコーナーがある。メールが読まれたリスナーには番組オリジナルのステッカーをプレゼントしているので、住所、氏名、連絡先を記入してもらってる。放送前の打ち合わせでは、その日の放送で読むメールを事前に決めてタイムスケジュールを組んでいる。

その時に放送作家の嶋村さんから

「ゆみっち、こんなメールが来てるけど…?」

と見せられたのは、一通のメールをプリントアウトしたものだった。


メールの差出人は、保寺 英之。

彼だった。

内容は要約すると

『昨日の大阪のお渡し会で最後にお話しした者です。

昨日は思い掛けなく楽しい時間を過ごせました。

ありがとうございました』

という、お礼の内容だった。

番組宛てに届いたとはいえ、彼からのメールは飛び上がるほど嬉しかった。

でも、それ以上に私が嬉しかったのは…

彼個人の連絡先が記入されていたことだった。


今にして思えば冷静さを欠いていたし、一歩間違えたらストーカー紛いな行動かもしれないけど…

私はその日の放送をハイテンションのままに終えて、嬉しさのあまり放送終了直後に、彼にメールを送っていた。


それから毎日、メールのやり取りや、時間が合えば電話で会話する日々が始まった。

最初は私本人からのメールであることを疑っていた彼だったけれど、都合が悪くないか確認してから直接携帯電話に電話したら、私本人であることを信じてくれた。

「なんでゆみっちさんが俺に??」

と驚きを隠さない彼に、私自身も私の行動に驚いていることを正直に話した。

彼は電話口でもわかるくらい照れたように笑いながら、私からの連絡を受け入れてくれた。

その日は私の携帯電話の電話帳に、仕事絡みと父以外の男性の電話番号が初めて登録された記念日にもなった。


お互いの休日が合えば一日中延々とメールのやり取りをしたり、電話で話していることもあった。

LINEのIDの交換もすぐに受け入れてくれたから、暇さえあれば私は彼にメッセージを送り続けた。

そこでわかったのは、彼はメールでも電話でも無口。

と言うより、メールは面倒らしいということ。いつもだいたい一言だけで返って来るから。

電話ではいつも「うんうん」とひたすらに私の話を聞いてくれる。私が質問をすると、少ない言葉で端的に解りやすく応えてくれる。きっとそれは、彼が元営業マンな警察官であることが関係してるんだと思う。聞き上手であると同時に、相手から話を引き出す技術にも長けてる。それが彼の警察官としての武器の一つであると言う話も、その毎日の会話で教えてくれた。


ただ、一番驚いたのは年齢だ。

「たぶん四〜五歳くらい年上なのかな?」と思っていたら、実は一回りも年上だった事実。

実際、彼の見た目は今も若い。いつも二十五、六歳だと間違えられてる。

その一番の要因は、きっと彼の鍛え抜かれた無駄な肉の無い体つきだと私は思ってる。

彼自身は「俺ってそんなに頼りなく見えるのかな?」と気にしてるけれど、私としては若く見られるのは良いことだと思う。


そんな日々があっという間に三ヶ月を数えた、ある日の彼からのメール。

『今度休みが合えば、都合が悪くなければ会ってくれませんか?』

それは私がずっと待っていた一言だった。私からお誘いすることだって考えたほど。

だから、私の返事は決まっていた。

『ぜひ!私がそちらに伺っても良いですか?』

『構いませんけど…。お忙しいでしょうし、俺がそちらに伺っても良いですよ?』

『良いんです。「英之さんとの初デートは京都」って決めてたので、京都に連れて行ってください』

『デートって…。裕美香さんも、大胆なこと言いますね。笑

でも、了解しました。では当日は京都駅で待ち合わせましょう。裕美香さんの誕生日の七月十日が明け番なんですけど…』

私が二つ返事で了承したことは、間違いない事実だ。


いつの間にか、私たちはお互いのことを名前で呼び合うようになってた。

どちらからそう呼ぶようになったのか定かではないけど、すごく自然にそうなってた。

お互いに気付いた時には二人ともテレながら、意味もなく名前を呼びあったのをよく憶えてる。

それくらい、毎日の会話が私たち二人の絆を強くしてくれたんだと信じて疑わない。


かくして記念すべき私の二十歳の誕生日は、私の人生での初デートの日ともなった。

乙女にとって、これほどロマンチックな記念日ってあるでしょうか??

…すみません。ちょっと取り乱しました。


初デート当日、私は午前六時の新幹線に飛び乗って京都駅に向かった。

彼との約束では午前十時半に京都駅前に迎えに来てくれることになっていたけど、

「会う前にメイクを失敗していないか、服装は可笑しくないを確認する時間を確保しておいたほうが良い」

と、嶋村さんや仲の良い声優仲間の同僚たちからアドバイスされていたことと、本心を言えば待ちきれなくて早めの新幹線を選んだ。

『早く英之さんに会いたい』

それが一番で、会ったらあの話をしよう、この話もしよう。あれ?その話は前にもしたっけ?

…それ以前に、そんなにペラペラ喋ってたら「やかましい女やな」って、嫌われたりしないかな?

そんなワクワクとドキドキと不安でごちゃ混ぜになりながら、それでも会えることが嬉しくて仕方なかった。

初めて男の人を好きになったこの気持ちと、人生初のデートもその人と。しかも二十歳の誕生日に!

…すみません。またちょっと取り乱しました。


初デートの数日前、彼の素性なども含めて私の気持ちなど全てをを母に打ち明けた。

反対されるかと思いきや…

「あんた、その人のことを離しちゃダメよ。離婚歴やそれくらいの年齢差だって、今は珍しくないんだから。それに、あんたにはそれくらい年上の人が落ち着いててちょうど良いと思うのよ。その日は帰ってこなくても良いから。お父さんには上手く言っておくし。でないと、お姉ちゃんみたいに行き遅れるわよ」

とまで言われてしまった。

実際、私と姉は一回り年齢が離れている。つまり彼と姉は同い年になる。姉は今でも独身だし、恋人がいる気配も無い。本人はどこまで本気なのかは知らないけれど

「私は仕事と結婚するし、気ままに遊んで自由に生きたいからいいのよ」と言っては、両親に溜息を吐かせている。


それとこれも偶然だけど、彼のご両親と私の両親は同い年でもあったりもする。

私は両親が四十歳の時に生まれた娘なので、同居していた祖父母を含め、家族全体から溺愛されて「超」が付くほどのワガママ娘に育ったと思う。

でも、自分でも不思議なくらい彼の前では素直になれる。

彼が「社会常識に反するもんはアカンって言うけど、自分で『コレはやる!』と決めたことは全力でやればええねん」

と言ってくれる人だからだろうか?

年上彼氏の余裕とも言えるのかも知れないけれど、私のやることを一歩離れた所からドッシリと構えて見守ってくれている。それは私への信頼の証とも受け取れるので、私は彼自身や彼の期待を裏切ることはしないと心に誓っている。

だから私は、言葉のイントネーションは人よりたくさん知ってるけど、男性は彼しか知らない。


…またまた話が逸れちゃったので、元に戻しますね。


京都駅の中のカフェでお茶を飲んで気持ちを落ち着けたり、メイクをチェックしたり…。

人から教えられたアドバイスをキッチリこなしても、少しだけ時間が余った。

外は暑そうだけど、待ち合わせている八条口に向かう。


八条口が見える場所に立って、すぐに彼を見つけた。

約束の時間よりも十分ほど早いのに、彼はそこにいてくれた。

電話では毎日のように話したりメールしたりしていたけど、実際に会うのは三ヶ月ぶり。

何度か私からお願いしてテレビ電話にしてもらったりして顔は見せてもらってたし、その度に

『うわぁ、もうめっちゃ好き』

とは思っていたけれども、実際にその姿を見ると…

『好き』という気持ちがダダ漏れになりそうになるくらい、やっぱり大好きなんだと実感した。

その気持ちは今も変わらない。でも、今はそれはオマケ程度で「心から愛してる」という感情の方が強い。


「英之さん!」

堪らなくなって、その場から大きな声で彼の背中に声を掛けた。

すぐに気付いて振り返ってくれた彼は、話をしていた警備員さんから何かを受け取ってお礼を言うと、私の所まで走って来てくれた。

「お待たせしましたね。遠い所、よう来てくれました」

言いながら、私の手から持っていた荷物をパパッと自然に持って行ってくれる。

渡してる自分でも気付かないくらいに、すごくさりげなかった。

「全然待ってないですよ。約束の時間よりも早いくらいですし!」

自分でも呆れるくらい大きな声で否定した。

「駐車場に車を停めてます。少し歩きますけど、構わんですか?疲れてたら、ここで待っててくれてもええですよ」

それでも彼は(コワモテなのに)柔和な笑顔でそう言ってくれた。

「大丈夫です。一緒に歩きたいです」

このさりげない優しさが、皆んなが言ってた「大人の男の余裕」ってヤツなんだろうか?なんて事を考えながら彼と一緒に歩き出した。

この話を人にするのは嫌がる彼だけど、敢えて言いましょう。

このさりげない優しさと心強さとも言える余裕は、今でも変わらないです。


八条口から二分ほど歩いた駐車場に、彼の愛車である白いクラウンが停まっていた。

写メで見せてもらったことが有ったので、どんな車なのかは知っていたけど実物は当然初めて見た。

トランクに私の荷物を仕舞い、彼は助手席のドアを開けてくれながら

「今の荷物の中に、トランクではなく室内にあった方がええもんって、あります?」

と聞いてくれる。

「え?あ…。大丈夫です。ありがとうございます」

至れり尽くせりだなぁ。なんて考えてる余裕は私には無かった。

彼の一挙手一投足がカッコ良くて、彼の発する言葉や声に酔ってたと思う。

それも今も変わらないことの一つだけれども…。


「ほな、車を出しますね。暑かったり寒かったり、気分が悪くなったら遠慮せず言うてください」

「はい。わかりました」


彼のクラウンは静かでありながら心地よい低音を響かせて走り出した。

全然揺れない。

『心に余裕のある人は、運転にも余裕を感じさせる何かがあるな』

と思いながら、話題を探した。

「そう言えば、さっき警備員さんと何を話してたんですか?お仕事の話ですか?」

「え?あぁ…、ちゃいますよ。コレを貰ってたんです」

彼は『京都駅八条口駐車場 駐車料金割引き引換券』と書かれた紙を見せてくれた。

『これが大人の男なんだ!すごい!!』

って、素直に感動した。

これも皆んなからのアドバイスで

『出来る男は使える割引きは使う。変に金持ちぶらない』

と聞かされてたけれども、彼はそれをそのまま体現してる。


皆んなふざけてそんな事を私に吹き込んでるんだと思ってたけど、実際にそうなんだ。

『疑ってごめんなさい』

心の中で全員の顔を思い浮かべながら謝罪した。お土産は何か美味しいものを買って帰ろう。


「さて、それでは…。リクエストにお応えして、まずは天龍寺てんりゅうじに向かおうと思いますが、よろしいですか?」

それは事前に私がリクエストしていた。

一つ目は、嵐山の天龍寺にある『雲龍図うんりゅうず』を見てみたい。

二つ目は、嵯峨野の竹林を歩きたい。

その他にもたくさんお願いをして、彼はそれに合わせたデートプランを立てて来てくれた。

「はい!雲龍図、楽しみです!」

私は心の底から本音でそう言った。


嵐山に向かう途中、彼はサングラスを取り出して掛けた。

「仕事柄、眼は大事にしてるんです。ご理解ください」

と言っていたけれども、それは彼の仕事に対する情熱の表れだと私は今も思ってる。

コワモテな顔が更に厳つさを増すけど、恐いとは思わない。

むしろ、私は運転しているときの横顔を助手席から眺めるのが大好きだ。

初デートのその日も、ずっと横から眺めさせてもらった。

私は父が運転する以外の車に乗るとすぐに車酔いしてしまうけれど、彼の運転は全然酔わなかった。

彼の運転は全然揺れないし、体がフラつく事もなければ、頭がカックンとする事もない。

「運転、すごくお上手ですよね。驚きました」

素直な感想としてそう述べたら

「俺、これでもパトカー乗務員ですからね。運転は割と得意なんですよ」

と、前を向いたまま笑った声でそう言ってくれたけど、嬉しさのあまり忘れてた。

彼は交通機動隊でパトカーを運転してるという事実を。

「ごめんなさい。あたし今、すごく失礼な事言っちゃいましたよね?」

慌ててそう言ったけれども、ちょうど信号で止まった彼は私の目を見て

「そんな事はないですよ。別に『失礼やな』なんて、これっぽっちも思ってません」

と、両手を肩幅くらいに広げて、彼は言った。

「それって『めっちゃ失礼やな!』って思ってるでしょ?!」

とツッコンでみたら、彼は大きな声で笑ってくれて

「冗談です」

と、また一言だったけど、それはすごく温かみを感じる一言だった。


天龍寺の雲龍図は天井に描かれた龍の絵だ。二人で並んで見上げいる時に、少しフラついてしまった。

慣れないパンプスを履いて来てしまったからだと思うけれど、彼は素早く私の手を取って体勢を立て直してくれた。

「大丈夫ですか?」

と心配そうに私の顔を覗き込む彼の顔を見てると、思わず我を忘れてウットリしてしまった。

マンガみたいに少し見つめ合って、同じ瞬間に同時に我に帰る。

「すみません。慣れない靴で来ちゃったんで…」

と言い訳をする私を、彼は傍のベンチに座らせてくれた。

「ここからこう眺めても、龍と目が合うのに気付きますか?」

彼は少し照れくさそうに言った。

その言葉に促されて龍を見上げる。

「そうですね。さっきの場所からでも目が合いましたけど、ここからでも目が合いますね」

「この龍は、龍の目が見える位置からならどこからどの角度で見ても、目が合うように描かれてるんです」

「へぇ…、すごい。なんかずっと見られてます。でも、英之さんも、よくご存知ですね?」

「…リサーチして来ましたから」

彼は恥ずかしそうにボソッとそう言ったけど、私は聴き漏らさなかった。

『やっぱりこの人、すごく可愛いし、いい人だな』

私は自分が好きになったこの人のことを、間違いなく運命の人だと確信した。

だから、私の体勢を立て直してくれた時に咄嗟に繋いでくれた手を、離さなかった。

雲龍図から天龍寺の庭園を歩いている時も、嵯峨野の竹林を歩いている時も、ずっと。


それから最初に手を離したのは、竹林の道の途中にある野宮神社のみやじんじゃでのことだ。

「ここは源氏物語にも出てくる由緒ある神社で、縁結びで有名な神様が祀られてます」

と教えてもらったので、境内は縁結び祈願の女の子やカップルで溢れていたけれど、私は迷う事なく立ち寄ることを提案した。

「次は清水寺と、同じ縁結びの神様の地主神社に行く予定ですけど…。ま、せっかくやし行きましょか」

彼はニッコリと笑って、すごく自然に私の手を引いて参拝の列に並んでくれた。


どうでもいいことだと思うけれど、一つだけ注釈を。

この時、彼はサングラスはしてません。

プライベートで彼がサングラスを着用するのは、サーキットにいる時と運転する時だけです。

観光地などでサングラスを着用したまま練り歩くような非常識な人では無いですよ。


また話を戻します。

野宮神社で私がお詣りをする時、彼の手を離した。彼の左手を離した右手が彼の左手を求めてる。

『この人とずっと手を繋いでたい』

そう感じた。私が野宮神社でお祈りしたのは、まさにその事。

「御本殿ではお祈りをするのではなく、日頃の感謝の気持ちをお伝えするんですよ」

手水舎で手を清めながら、彼が教えてくれた。

「お祈りはどこでするんですか?」

私は本当に知らなくて、彼に尋ねた。

「はい。ここの場合やと縁結びや良縁結婚は御本殿左側の野宮大黒天様に。商売繁盛や子宝祈願は白福稲荷大明神様に。あ、裕美香さんは芸能上達を祈願したいなら、芸能の神様なので白峰弁財天様にお詣りするとええですよ。俺は仕事上、交通安全を祈りたいので大山弁財天様にもお詣りします。交通安全と財運向上の神様なんですよ」

と、事細かに教えてくれた。

後で聞いた話では、野宮神社もネットで下調べをしてくれてたらしい。

だから私は、野宮大黒天様に

『ここから歩き出した時彼の手を握ります。それが拒絶されませんように。それが叶ったら…、私に次のステップに進む勇気を与えてください」

と入念にお願いをしました。

二人で並んでお祈りをして、ほぼ同時にお祈りを終えて二人で顔を見合わせて微笑み合う。

それだけでもすごく幸せ。

彼が教えてくれた白峰弁財天様にももちろんお詣りしたし、彼の仕事が無事に遂行されるよう、大山弁財天様にもお祈りした。

結局、私たちは二人揃って野宮神社にお祀りされている全ての神様にお詣りして回った。

「神石(お亀石)様に触れながらお祈りをすると、一年以内に願いが叶うと言われてます」

と、これも彼が教えてくれた。


最後に並んで神石様に触れながらお詣りをして、お札授与所に向かって歩き出す。

私は勇気を振り絞って、右手を彼の左手の内側に添える。

ドキドキ。

彼は無言でその手を握り返してくれた。

でも、それでまでの繋ぎ方とは違って「恋人繋ぎ」だった。嬉しかった。

彼の温かい掌からは、彼の「トクトク」いう少し早いくらいの鼓動が伝わってきた。嬉しい。

平静を装うけど、内心は「イヤッホーーイ!」と叫ぶ。リアルにやったら嫌われるだろうけど。

一年以内どころか、数十秒で一つ目のお願いを叶えてもらった。

だから私は、野宮神社を出たら次のステップに移行することを心に決めた。


野宮神社を出て嵐山の街中を目指して竹林を歩きながら、私は二つ目の願いを叶えるために

神様にではなく、彼にあるお願いをした。


「英之さん。お願いがあります」

「なんです?」

「あたしたち会うのは二回目だし、デートも今日が初めてです。

でも、出会ってからもう三ヶ月ですし、あれから毎日のようにお話しもしてますよね?

だから、もう良いと思うんです。

なんて言うか…。その………。敬語、辞めませんか?」


その言葉で立ち止まった彼は、しばらく私の顔をじっと見つめた。恥ずかしい…。


不意に彼の右手が、空いていた私の左手を握り、私たちは両手を繋いで正面から見つめ合う形になる。

『恥ずかし恥ずかし恥ずかしい〜〜!!』

私は脳内で悶絶するほど転げ回った。もちろんイヤだったのではなく、嬉し恥ずかしいから。


でも彼は

「ほんまに構わへんですか?」

私に確認するように尋ねてきた。

「もちろんです。そうしてもらえたら、あたしはここで破裂するかも知れないですけど」

「ほな、ダメです」

「…ダメですか。やっぱりあたしじゃ役不足ですかね?」

「ちゃいます。破裂されたら困るんです!やっとデートして手を繋いで歩けるようになったのに、いきなり目の前で破裂されるなんて、どんな悲劇ですか」

真面目な顔で言う彼。すごく可愛い。

「あ、いえ。すみません。破裂はしません。それくらい嬉しいって例え話です」

私のその言葉に彼は、より一層私に顔を近づけて来て

「ホンマに?ホンマに破裂なんてせぇへん?」

『あぁ…。顔が近い…。幸せすぎて気絶するかも』

心の中の私の周囲にはキューピッドがラッパを吹き荒らしながら飛び回っている。

「しないです!絶対に!!ここまで来て破裂するくらいなら、死んだ方がマシです!!」

「裕美香さんも、敬語はやめてくれへん?」

って言われて、ハッとした。彼はこの時点でもう敬語は使ってない。

「じゃぁ、あたしも普通にお話ししてもいい?」

と、彼に確認する。自分で思い出しても気持ち悪いくらいクネクネしながら。

「もちろんやん!そうしてくれへんかったら、俺、拗ねるで?」

私はその一言で、大笑いさせてもらった。


その場から私たちは敬語ではなく、お互いのいつも通りの言葉でお話しするようになった。

野宮神社での私の願い事、二つ叶っちゃった。


でも、まだあと二つのお願いは三年経過した今も叶っていないから、実は今も半年に一度は彼と一緒に野宮神社にお詣りに行って同じお願いを繰り返している。

でも、そのうちの一つは、三ヶ月間後に叶うことが半年前に確定した。


嵐山でお昼を食べる事になっていた。

「ちょっとええ店が有るから、そこ行こう」

と、彼が私の手を引いて連れて行ってくれたのは、民家にしか見えない豆腐料理のお店だった。

「ここ、観光ガイドにも載ってない穴場やから」

と言っていたけど、看板も無ければ、当然店先にメニューなんて物も無い。

「あの…、ここって本当に入っていいの?」

「え?だって、普通の飲食店やもん。当然入ってええよ?」

彼は笑ってそう言うけれど…

「ひょっとして…、有名な『うちは一見さんお断りどす!』ってお店?」

なんかそんな雰囲気を醸し出してたので、恐る恐る聞いてみた。

「そんな堅苦しい店ではないんやけど、なんて言うか店主のこだわりが強くて納得できる出来の豆腐しか出さへんから、一日のお客の数が限られてるだけ」

そんなお店に二十歳になったばかりの小娘が入ってもいいの?

という私の不安を他所に、彼は門を勝手に開けてズンズン進んで行く。

玄関と思しき場所で水を撒いていた六十歳くらいの和服姿の女性が、私たちに気付いて顔を上げる。

『めっちゃ怒られたらどうしよう〜!』と思ってたら、彼が突然

「女将さん、来ました」

と、女性に声を掛けた。やはり彼女はこの隠れ家のようなお店の女将さんらしい。

女将さんは彼の声を聞いて突然ニッコリと笑って、こう言った。


「あらまぁ、お人形さんみたいに可愛らしいお人やねぇ!」


女将さんの視線は、どう考えても私に注がれてる。

これは何かの間違いだと思いたい…。

けれども、女将さんは和服姿なのにまさに「目にも止まらぬ速さ」で柄杓を投げ捨てて素早く私の横に来て、彼と繋いでない方の私の手を取って

「いやぁ〜、久しぶりにボンが『店に寄るさかい豆腐出せ』って言わはるから、主人と『何かいな』て言うてましたんやけど、こう言うことやったんやねぇ!あ〜もう!ほんまにようお越しやす!」

言いながら私の手を両手で握ってブンブン振り回される。

どうやら私は歓迎されてるらしい。

「女将さん…。もうええですから、豆腐食べさせてもらえません?」

彼は呆れたように言う。

「何言うてはりますのんや!ボンの若奥様になるかも知れへんお人を前にして、私に挨拶もさせてくれはらへん言うん?…ボンはいつからそんな冷たいお人になってしまわはったんやろ。小ちゃい頃のボンは、それはもう…(中略)…わたし悲しいわ…」

全く話が見えてこない。

ボン?若奥様?

なにそれ、美味しいの??

あわあわ言いながら彼の顔と女将さんの顔を交互に見ると、彼は額に手を当てて「やっちまった」というような顔をしている。

「女将さん、話は後にしてください。腹減ってるし、裕美香さんがパニックになってる」


ようやく通された二人で食べるには広すぎる広間で、二人で囲むには大きすぎる座卓に座って彼と向き合う。

目の前には『世の中に豆腐料理ってこんなに在るの?」と言いたくなるほどの豆腐料理と海の幸と山の幸が座卓を埋め尽くすように並んでいる。

「女将さん!湯豆腐と湯葉でって言いましたやん!こんなに出されても、俺の財布の中に支払うだけのお金は入ってません!」

彼の悲痛な叫びは、女将さんの

「保寺家の次期当主とっもあろうお方が、なにを言うてはりますのんや」

という言葉に掻き消される。

「女将さん!その話はせんといてって!」

「あら、ころっと忘れとったわ。もう言うてしもたもんはしゃあありませんな」

女将さんと彼の関係が全く見えない。

次期当主??

なにそれ?めっちゃ初耳なんですけど。

『英之さんて、一体何者なの?』

突然湧いて来た疑問は、食後すぐに女将さんと店主さんによって明らかにされた。


英之さんの生家である保寺の家は、相当な権力を持った大阪市の名士だったらしい。

けれども、お祖父さんは家業である陰陽師を継がずに帝国陸軍の職業軍人になった。

戦後、陰陽師を継がせる計画があったものの、修行がイヤで家のお金を持って脱走。

一年後、家電メーカーを起業して持ち逃げしたお金を十倍に増やして実家に戻り、英之さんのお祖母さんとお見合い結婚。生まれたのが、英之さんのお父さんと叔父さん。

お祖父さんの家電事業は戦後の高度経済成長の波に乗って、それはそれは大きな会社になったらしい。

そんなこんなで時は流れ、お父さんは大学生になり、そこで出会った英之さんのお母さんと恋愛結婚。

その二人から生まれたのが、二つ年上のお姉さんと英之さん。

その当時、お父さんはトヨタ系の自動車販売店に営業マンとして勤務してたけれども、英之さんが生まれた時にお祖父さんから

「跡取りも生まれたことや。お前もそろそろ、うちの会社に入社して俺の跡を継げ」

と言われたお父さんは…

「いや、ええわ。俺、車を売る仕事が向いてるみたいやし。経営とか興味無いし、英之にも生まれた瞬間からそんな重荷を背負わせたくないから」

と、一蹴してしまった。

その一言にキレたお祖父さんは、会社の特許や工場などの全てを某家電メーカーに売却してしまった。

保寺家はその事件が発端となり、今は普通のサラリーマン家庭になっている。

この事件のことを保寺家では『第ニ次保寺家の変』と、今でも語り継がれている。


成長企業を黒字状態で売ったんだから、お金持ちになったのでは?

そう思うかも知れない。私も一瞬だけそう思ったのは否めない。

おじいさんはその売却益の全てと家屋敷の一部や土地を売った資金を、仕えていた使用人たちに「退職金」として平等に分け与えたらしい。

その保寺家で料理番を務めていたのが店主さんのお父さんで、保寺家の御庭番をしていたのが女将さんのお父さんだった。その縁で二人は結婚して、今もこうして店主さんとそのお父さんが保寺家から出た後に開業した豆腐料理の『豆狸』を夫婦で営んでいる…。

というお話し。


ここからは現当主であるお父さんと、女将さんが「奥様」と呼ぶお母さんのお話しになる。

英之さんのお母さんは大学でお父さんと出会って結婚した。というのはさっき触れましたね。

実はお母さんも、戦前から続く某製菓会社の社長令嬢だった。

恋愛結婚だけれども、社長令息と社長令嬢の結婚だったということになる。

当時は新聞記事になるほど騒がれたらしい。

つまり、英之さんはそういう血筋の流れを引いた生まれなのだ。

自分のことを語るのが得意ではない。と言うのは表向きの表現で

厳密には「語るのが好きではない」が正しい。


社長令嬢から一転、一般のサラリーマンの奥さんになったお母さん。

結婚前は何不自由ない生活を送っていたのに、真逆の生活を強いられることになった。

しかも、お父さんは跡を継ぐことを拒んで保寺の家を勘当されてしまった。

(英之さんが三歳の頃、孫に会いたくて仕方ないお祖父さんが折れて勘当は解かれた)

それを受けてお母さんの実家からは

「サラリーマン風情に嫁にくれてやったつもりは無い。離婚して帰って来い」

と言われたけれども

「私は保寺の家と結婚したんやなくて、利之さん(英之さんのお父さん)の事を愛してるから結婚したの。子供達も生まれて幸せに生きてるから、離婚なんかせぇへんよ」

そう反論して両方の家から勘当された二人は、それはもう慎ましやかな生活を送った。

(お母さんの実家からの勘当も同じ理由で解除済み)

「子供達が健康に育ってくれるなら、私は贅沢なんてしなくていい」

結婚祝いに買い与えられた豪邸を追い出され、2DKの府営住宅に引っ越し。

学生時代や新婚時代はオシャレだったお母さんは、一着千円ほどの服に身を包むようになった。

「でもね、奥様はそれを上手に着こなしてはったから、そうは見えへんかったんですよ」

女将さんは涙を拭いながらそう話す。

「家事をしてても子供たちにも目が届くから、今くらいの広さがちょうどええんよ」

「服もね、凄いんよ。前は一着しか買われへんかったのに、同じ金額で三着とか四着とか買えるんよ」

引越し後しばらくして様子を見に行った女将さんに、お母さんはそう言って笑ったと言う。


「そんな風に幸せそうに話す奥様を、私は今も尊敬いたしておりますのんや」

この話の時には、女将さんの涙はピークだったと思う。

ふと女将さんの横の店主さんを見ると、拳を握り締めて鼻水を垂らして泣いている。

お話しの都合上かなり端折って書いたけど、彼が生まれてからの保寺家の三年間は本当に壮絶だったそうだ。


ともかく、このお店と保寺家には切っても切れない縁があると言うことは、よくわかった。


お店を出るとき、女将さんは私の手を再び握りながら

「裕美香さん。ボンは見た目は怖いかもしれません。警察官やのに、よう職務質問にも遭いますしなぁ。

でも、性根は正義感に溢れたほんまにええお人です。ボンのこと、よろしくお願いします」

と、耳打ちをするように言われた。

「はい。私、英之さんの見た目も人柄も大好きです。だから、安心してください」

女将さんにだけ聞こえるように言った。


もっとも、彼は店主さんと「払う」 「いいや、受け取れない」という押し問答をしていたので、普通に話してても聞こえなかっただろうと思う。


「まだ掛りそうですさかい、こちらへどうぞ」

女将さんに促されて、玄関脇の通路からお庭へ向かう。

さっきお食事をいただいたお部屋から見えていたお庭だ。そんなに広いわけではないけれど、手入れが行き届いていて、その場にいるだけでも癒されるし、小さな滝があって初夏でも蒸し暑い京都の中にいるのに、涼しいとさえ感じる。私は今もこのお庭が好きだ。


「ボンがうちにお越しにならはったんは、一年ぶりなんです」

女将さんは池を眺めながら呟いた。

「そうだったんですか?」

「前にお越しんなった時はお嬢様たちを『あのアバズレ』に取られてしもて、世捨て人みたいになってしもて…。有給を使こて一週間ほどうちで寝泊まりしてはったんですけどなぁ…。食事も喉を通らず一歩も動かず一日中お庭を眺める日が続きましたんや。そのまま警察も辞めてしまうんやないやろかって心配ししてたんやけど、一月くらいしてから奥様から『今は元気になって仕事してやるよ』ってお聞きしとったから見守ろうって思てましたけど、ボンのことは赤ちゃんの頃から知ってるさかい、やっぱり心配でしたよって…。

それが先週、急に『日本で一番美味い豆腐を食べてもらいたい人と行きますから、二人前、ええですか?』言うて連絡してきてくれはりましてなぁ。私もほんまに楽しみで楽しみで、昨日は夜も寝られしまへんでした。そしたら、昔みたいな生き生きした笑顔で、こんなに美人なお人をお連れんなってお越しで、私はもう、それだけで嬉しゅうて嬉しゅうて仕方なかったんです」

女将さんは瞳に涙を浮かべて、私の目を見てそう言ってくれた。

「私も今日はこちらにお伺いできて良かったです。私が知らなかった英之さんの事をたくさん知る事が出来ました。本当にありがとうございます」

そう言って、深々と頭を下げた。

「何を言うてはりますの。ボンのあんなに幸せそうなお顔を久々に見せてもらえて、私も主人もほんまに嬉しかったんです。裕美香さんのおかげです。ほんまにおおきに」

そう言って頭を下げてくれた女将さんと二人、顔を上げてニッコリと微笑み合う。

きっと女将さんたちにとって、英之さんは子供みたいな存在なんだと思う。


豆狸の家、手束家には私よりも七歳年上の娘さんがいるけども、男の子はいない。だからこそ、彼のことを子供のように可愛がってるのだと思う。

その娘さんも先日、結婚五年目にして男の子のママになった。店主さんと女将さんの喜びようを見てるだけでも、こちらも幸せな気分になる。


「裕美香さん、ボンの事をよく知るおばちゃんからの情報やと思って聞いてください」

女将さんは再び、ヒソヒソ声で話し始めた。

耳を近づけると

「ボンは間違いなく、裕美香さんに惚れてはります。好きで好きで仕方ない。そんなお顔をしてはりますよ」

女将さんの顔を見ると、女将さんは続けて

「せやから裕美香さん、アタックあるのみですえ!」

そう言って小さくガッツポーズをして見せてくれた。

「私みたいな小娘なんかが、本当にアタックしても良いんでしょうか?」

「裕美香さん、ご自分をそないに貶めたらあきまへん。もっと自信をお持ちにならはったほうがええです。今日お話して確信しました。この『手束 シノ』こと豆狸の女将は、お人を見る目に狂いはあらへん自信があります。裕美香さんなら間違いありまへん!微力にもならへんかも知れへんけれど、当主様や奥様には私からも太鼓判を押してご推挙させてもらいます」

女将さんはそう言って、私の両手を包み込むようにして握ってくれた。

母のような安心感だった。


今も豆狸のご夫婦とは交流がある。

保寺家にとっても、もちろん彼や私にとっても、掛け替えのない人達であることに間違いない。


「裕美香さんは、まだ当主様や奥様にはお会いになられてへんのですよね?」

「はい。今朝の新幹線で東京から来て、そのまま京都観光してるので…」

「ほな、ちょっとだけアドバイスしときます。奥様にご挨拶に行かれる時は…」

そこまで聞いて、ちょっとヒヨってしまいそうになった。

『めっちゃ怖いお姑さんだったら、どうしよう…』

まだプロポーズもされてないのに、本気でそう思った。


「当主様も奥様もすごくお優しいお方ですよって、裕美香さんが今のまま、変に作らず自然体でご挨拶に行かれたら、一目で気に入って戴けること請け合いです。この女将が保証します」


すごい。めちゃくちゃ説得力がある。

このままご挨拶に行ってしまっても良いんではない?って気分になってしまうくらい。


庭から門まで女将さんと歩いて戻ると、彼が待っていた。

「お金、受け取ってもらえた?」

「なかなか受け取ろうとしはらへんかったけど、金額聞いたらすんなりゲロしてくれたから、端末奪い取って勝手にクレジットカードで決済したった」

と勝ち誇ったように笑う彼に

「ボン!うちはこれでも料亭ですえ!ゲロとか言うたらあきまへん!

それに、奪い取るって…。追い剥ぎやあるまいし…。

ボンはほんまに警察官としての自覚はあるのんか、時々疑ごうてしまいますわ」

女将さんは呆れたように笑う。私も笑わせてもらった。とても良い昼食だった。


豆狸から車を停めているコインパーキングまで歩いてる途中、どちらからともなく自然に手を繋ぐことができた。彼に昼食代の割り勘を提案したら

「新幹線代を払ってないから、昼ごはん代くらいは俺が払って当たり前。せやから却下」

と、あっさりと断られた。


「せやけど、お店のチョイス間違えたわ」とボヤく彼。

「どうして?すごく美味しかったよ?」

「そう言う意味では正解やったよ?せやけど、あの話は重かったやろ?それにああいう話って、普通は両親に会うてもろてからするもんやん?女将さんに『あの話はせんといて』って言うとけばよかったわ」

「そう?私は英之さんの新たな魅力や知らなかった部分を知ることができたから、有意義な時間だったよ?」

そう言って彼の横顔を見上げたら、耳まで真っ赤になってた。すごく可愛い。


「そう言うたら、女将さんと二人で何の話してたん?」

話題を変えるように、彼は質問して来た。

「ん?英之さんは間違いなくあたしのことが大好き。って情報を教えてくれてたの」


ビタッと立ち止まった彼の横顔を見上げると、今度は顔面蒼白になってた。面白い。


「えっと…。ガセネタだった?」

「いや、ガセネタやないよ!でも、そやからこそ、それは自分で言いたかったのに…!」

「あたし、まだ本人の口から何も聞いてないよ?聞きたいな〜。とっても聞きたいな♪」

ふざけているわけではない。彼の気持ちを彼の言葉で聞きたかった。

「え?!ここでなん??」

「気持ちを込めて言ってくれるなら、場所なんて気にしないよ?」


急に彼が無言で歩き出す。もちろん私の手を引いて。

天龍寺から少し離れたコインパーキングに停めた車の前で彼は一旦私の手を離し、手早く駐車料金の支払いを済ませて私の前に戻って来ると、おもむろに私の両手を包み込むように力強く握ってこう言った。


「声優でありアーティストである「ゆみっち」のことはファンの一人として当然大好きや。

でも…、でも、俺は一人の女性としての「野間口のまぐち 裕美香ゆみかさん」のことが大好きや。

三ヶ月間毎日話してて、ファンとしての「好き」ではなく、一対一の人として大好きなんやって確信した。

俺は君のことが心の底から大好きや。君のことを大切にすると誓うから、俺に君を守らせて欲しい。この言葉に嘘は無い」


彼の本物の精一杯の言葉だったと思う。私は世界中を探してもこれ以上の告白はきっと無いと思う。

どんなロマンチックな映画やアニメの告白シーンを探しても、これ以上の告白は存在しない。

もちろん、それはそれぞれの恋人同士が思ってることだとも思う。

それでも、私にとっては彼の告白はやっぱり世界中で一番心に響いた言葉だ。


「あたしも、英之さんのことが心の奥底から大好きです。英之さんと一緒にいたい。あたしの言葉にも、嘘や偽りは無いです」

簡単な言葉だったと思うけど、私も精一杯の返事をした。


「一回りも年の離れたおっさんやし離婚歴もあるけど、俺と恋人として付き合ってください」

すごく嬉しかった。今思い出しても嬉しくなるくらい。だから、私はもう一つ正直なことを言った。


「あの…。たぶん、あたし重いですよ?その…、今まで男の人とお付き合いとかしたことないし、自分に恋人ができるなんてことも考えたことさえなかったから。それに『初恋の人を最後の恋にしたい』とか変な夢があって…。だから、あたしと付き合うと、結婚…、とか考えちゃうと思うけど、それでもいいですか?」


この言葉は、敢えて敬語で話した。もしも断られた時のダメージを考えてしまったからだ。


「俺は離婚歴あるし、もう三十歳を過ぎてる。今さら遊びの恋なんてする気は無いから、そのつもりで付き合ってくれるなら、ぜひともその方向でお願いします」

彼はそう言って、右手の掌を差し出してくれた。


「何にも知らない小娘ですけど、よろしくお願いします」

私は差し出された掌に私の右手を重ねながら、そう伝えた。


二人で顔を見合わせると、彼はすごく驚いた表情で

「ほんまに??」

「ほんまに!」

私は敢えて関西弁で返してみた。


「これは夢か?幻なんとちゃうやろか?」

「どこまで疑り深いのよ?警察官でも疑いすぎ!」

「初デートで告白してOKしてもらえると思ってへんかったし…」


告白してくれたくせにパニックになってる彼に「喝」を入れるためにこう言った。

「あたし、今日はそのつもりで来たんだよ?」

「そうなん?」

「そうだよ。あたしはそのつもりでここに来たんだよ?言ってくれなかったら、拗ねてたよ?」

二人で笑った。恋人になって初めての笑顔。私は一生忘れない。


その時、私たちの横で「ウイーン。カン!」という機械音がした。

驚いて二人でその方向を見る。

コインパーキングの車両停止版が再び上がってる。


それを見てまた二人で笑う。

「さっきお金払ったのに、なんでまた上がってんの〜?」

「払ってから五分以内に出庫せな、また上がるんやもん」

「そんなの知らなかったよ!言ってくれたら、車出すまで告白してくれるの待ったのに〜」

「しゃあないやん!運転中は危険やと思ったし、俺も必死で忘れてたんやもん」

そう言って二人でお腹を抱えるほど爆笑した。


傍から見ればただのバカップルにしか見えないだろうけど、本当に楽しくて仕方ない。


一頻り大笑いして、彼は肩で息をしながら

「ちょっと待ってて」

と言って、近くの自販機でミルクティーと缶コーヒーを買って来て、私に手渡してくれた。


「あ。あにがと…」

「ブプッ!あにがとって、なんや〜!」

「仕方ないでしょ!噛んじゃったんだから!!」

また爆笑。

二人でヒィヒィ言うほど笑って、彼は私を助手席に座らせてから、再び駐車料金を払いに行った。

私は彼から貰ったミルクティーを飲みつつ、彼の背中を眺めながら待った。

『背中もめっちゃカッコイイ…」

背中だけを見てても、彼の体は鍛え抜かれた体だとわかる。

缶コーヒーを飲みながら戻って来て運転席に座った彼と目が合った。

私がずっと見つめていたんだから、当然といえば当然だけど。


どちらからともなく、すごく自然にキスをした。


私のファーストキスは、二十歳の誕生日で、お相手は初恋の相手でもあり最後の恋の相手だ。

こんな幸せを感じてる人って、世の中に何パーセントくらいいるのかな?


初めてのキスだと知っていたのか、それとも私が下手だったからバレたのか、今でも真相はわからないけど

彼はディープなのではなく、すごく優しいキスをたくさんしてくれた。

だから、私もそれに必死に応えた。イヤで必死なのではなく、緊張で必死だった。


その時…

「ウイーン。カン!」

さっきの機械音がまた車の中に響いた。

どうやら五分間もキスをしてたらしい。


唇を重ね合ったまま、また二人で笑った。


遠距離恋愛でも今もすごく幸せだけど、それまでに無いほどの幸せを感じた二十歳の誕生日だった。


Her Side2へ続く

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