赤薔薇と皇子
彼女と出逢ったのはまだ7歳
無邪気に子供らしく生きられれば良かったのに
少し賢かったばっかりに人生を悲観し始めていた頃
男女合わせれば9人いる兄弟の末の皇子
一番上の兄とは11歳も離れているのに、お母様が半端に地位の高い家の出だったせいで皇帝の座を一族に望まれ続けている
こんな位置に生まれたくなかった
せめて地位が無ければ放って置かれただろうに
せめて地位が高ければ他を押さえつけられただろうに
こんなに幼く無ければ 支持者を増やし今を変えたのに
無い物ねだりの自分にも嫌気がさす
とりあえず兄の誰かが皇帝になるまで生きていられればなんとかなる、そう思い目立たないように息を潜めて過ごしていた
生きてるけど生きているのかわからなくなるような日々
あの日もそんな一日だった
お爺様に年が明けてからご機嫌伺いに行かなければならないがなんとか避け続けてようやく1ヶ月
9人中の5番目なら早過ぎず遅過ぎずいい順番だと思う
これ以上はお母様の一族も待ってはくれないだろうし言い訳も尽きてきた
愚鈍すぎるのもいけない 傀儡に出来る程度の見栄えは必要だ
まだ殺されるわけにも捨てられるわけにもいかない
庇護者がいないと生き方がわからないこの体が本当に憎い
お爺様に会うために離宮に向かうとちょうど兄が来ていたみたいだ
予定が重なるなんて侍従の怠慢としか思えないが 一族にしか期待されない皇子に付きたがる優秀な侍従などいないからこんなもんだろう
しかしここで待つのも時間の無駄だ
「ねぇ、兄様の挨拶はまだかかるんでしょ?お庭見て来ていい?」
「いいですよ、早めにお戻りくださいね」
お前のせいだろうが
そう思いながらも無邪気に歓声をあげ庭に出る
正面から迷路のような生垣に突っ込むように見せてすぐさま横から抜けて侍従達を撒くとお爺様の温室に向かう
あそこにはピアサネス帝国の中だけではなく 近隣はもちろん、地の果ての島国の植物まで管理されている
何回か目を盗んで行ったがあれはすごい
でも、そのさらに奥 独立した温室には更に珍しい植物がある
まだ入ったことはないが扉の前に几帳面に説明と取り扱いが書かれたものがあるから突然変異や本当に稀少な植物があると知っている
お爺様はそれを掛け合わせさらに珍しい植物をつくるのが趣味だ
だが、大概鍵がかかっているため入れないで引き返した事が何度もあった
今回も入れないかと思いながらも温室の周りを回っていると小さめの窓だが開いているのに気が付いた
少し高いがなんとか入れそうだ
ガラスを傷つけないように気をつけながら中に入るとそこは春のように暖かかった
中は大まかに2つに別れていてそれぞれの近くに立て札がある
ここにあるのは魔法植物らしい
両方騎士の薔薇の変種だ
左の薔薇は赤しかない騎士の薔薇には珍しい黒薔薇 右は風も無いのに蔓全体が揺れていた
ゆっくり ふらっと傾いでから かくんと落ち またゆっくりと揺れながら元の位置に戻っていく
それを繰り返す様がなぜかとても気になった
ゆらゆらと目の前で揺らされる蕾につい 手を伸ばす
柔らかな花弁に触れた瞬間 視界が蔓でいっぱいになった
自分の体が地面を滑る音がする 悲鳴を噛み殺し騎士の薔薇を見ると何故か追撃しようとはしてこなかった
むしろ、悲鳴に驚いたように身を震わせてまた先ほどとは違った動きで蔓を揺らめかせている
数瞬に満たない時間だっただろうが誰も動かない時間は長く感じた
何かが千切れる音がする
その音の方を見ると騎士の薔薇は自分の花を手折っていた
そっと目の前に差し出された薔薇と顔を見合わせる
「え?もらっていいの」
手を伸ばしても避けられない
意を決して受け取ると 嬉しそうに葉がさざめく
「ありがとう綺麗な薔薇さん」
つい
返事があるとは思ってないのにつぶやいた言葉に薔薇は葉を振り応えてくれた
その後 薔薇さんと別れて温室から戻ると泥だらけで薔薇を持った姿を見つかり大騒ぎになった
侍従はこんな時だけ仕事をしようと服を整え薔薇を預ろうとしてくる
「薔薇に触るな」
「しかしそれは陛下の薔薇です!勝手に持ち出したとばれたら大事ですよ」
「嫌だ」
こればかりは嫌だった
普段なら目立たないように早々に渡して片付けさせただろうが、この薔薇は自分に渡された物だ 絶対に渡したくないと思えてしまう
「何事だ」
「お爺様…」
あれだけ騒げば気付かれもするだろう
だがまさかお爺様本人が来るとは思っていなかった
「その薔薇はどうした」
「これは…」
何を話そうかまだまとまっていなくて口籠るとお爺様は眼差しをきつくした
「私の大切な薔薇を悪戯に傷付けたのか」
「違う!」
つい返事をしてから 飛び出た口調に青褪めた
引き攣る顔を無理やり動かし言葉を絞り出していく
「違い、ます。綺麗な騎士の薔薇さんがくれたんです」
「騎士の薔薇が?」
何を言っているんだと周りの目が言っている
確かにあの薔薇さんに会う前なら自分もそう思っただろう
だけど 信じられないかもしれないけど、あの薔薇さんを傷付けたと思われるのはとても耐えられなかった
「皇子 ここは素直に謝った方がよろしいかと」
ああ、普段ならそうするけど 今はそれはできない
強情に騎士の薔薇から貰ったと繰り返しそれ以外は口をつぐむとお爺様は考え込むように顎に手をやった
「そうだな、手を見せてみなさい」
言われるままに手を出すと屈み込み手を取られ舐めるように検分され
何かに納得するようにお爺様は頷かれた
「そうだな 確かにあの騎士の薔薇から無理に千切ったにしては傷もない…どの薔薇だ」
「えっと黒い騎士の薔薇の隣の薔薇です」
「それならおそらく38番だな、面白い 猫の次は子供か」
何故か上機嫌になったお爺様は立ち上がると不問にするとしっかり言ってくださった
「38番ならありえるからな、アルバート 無闇に触らないならまた見に行ってもいいぞ」
「本当ですか?!ありがとうございます」
嬉しすぎてつい顔が緩む お爺様は楽しそうに頭に手を置くと颯爽と去って行った
その夜 なかなか眠れなかった
まるでおとぎ話みたいな 薔薇を差し出された瞬間を何度も何度も思い出しては活けられた薔薇にそっと指を触れさせた
なんだかどきどきと胸の音が煩い
運動した訳でもないのに今までにないほど興奮して冴えている
でも まだ子供の体は眠たくて次第に頭が重くなっていく
まだ起きていたいのに寝台に倒れこみそうになる
上体が傾いでからなんとか引き戻しまた傾く
耐えきれなくて枕に倒れこんだ時 ふと薔薇さんを思い出した
ああ、あの人も微睡んでたんだ
人が眠る姿なんて見たことが無かったから知らなかった
そうか あれが微睡む姿か
あの人と同じ様に揺れていたことを思うとなんだかほかほかしてくる
布団だけの暖かさではないものに包まれながらゆっくり眠りに落ちていった