田舎音
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原風景ともいうべき風景の中に、立っていた。十字路の中心でぐるりと回れば、見えるのは木々と畑、少々の住宅だけだった。人の姿はまったくなく、そこから少し歩けば河が見えた。小さな船のようなものが一つ浮いており、中で誰かが寝ているのが見えた。
河川敷、と言うのだろうか。それにしては人もいないし、しっかりと整えられた空間があるわけでもなかった。その場に腰を下ろし、しばらく河を見つめる。俺のすぐ後ろは車道になっているが、まったく車は通らない。横断などしたい放題だった。
不意に、携帯が揺れた。パーカーのポケットから取り出し、相手を見る。いつも通り、祖父だった。通話ボタンを押して耳にあてる。
「もしもし?」
『おう、今どこだ』
「河川敷もどき」
『分かった、今行く』
「来いって頼んでねぇよ」
言い終る前に切られてしまった。自営業者なのに話を聞かなくていいのか、それで商売はできているのか、と言いたくなる。しかし、もういい加減歳なので、言っても無駄だということはよく分かっていた。
――祖母が土筆を取りたいとでも言い始めたのかもしれない。もう少しこの河を上った所に土筆の群生地があるのだ。しかし、祖母の通った後は芝刈り機でも通ったのか、と思うほど土筆がなくなっているのだ。生態系破壊のようで正直怖い。
一つ、溜息をつく。河の流れの音、風の音、草の揺れる音、それらは一つの楽器のように共鳴し合って、音楽を聞いているような気にもなった。もうしばらく、聞いていようと思う。後ろで騒がしく車が通って行くが、それすらも音楽の一部だ。
目を閉じる。さきの船が、水を切っている音が聞こえた。中の人が岸に向かって漕いでいるのかもしれない。また遠くから、車の音が聞こえた。それは俺から少し離れた所で止まったようだった。仕方なく目を開ける。
「来いって頼んでねぇよ」見なくても車の主は分かっていた。祖父だ。
「もう帰ろうと思ってな」
「雨の匂いはしねぇぞ」都会生まれ都会育ちだが、いわゆる『雨の降る前の匂い』はよく分かっていた。
「俺の用事だ。ついさっき思い出した」
「ふざけろ」
「物忘れが最近酷くてな」
「自覚してるならメモ帳を持ち歩け」
「それも忘れるだろうな」
「ふざけろ」
祖母は乗っていなかった。後でバスか電車で帰って来るらしい。俺は助手席に乗って、窓を全開にした。車が風を切る音が、車内を包んだ。頬杖をつき、河を見ていた。
「何か聞こえたか?」
「原風景の音楽」
「そうか」
車は田舎の音楽から離れ、都会の音楽に戻ろうとしていた。
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