田舎春
春のお話。
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春と言っても、桜がやたらめったら咲いていることはない。鶯が鳴いている時はあるものの、都市部公園で、当然のようには見られる光景がないのは寂しい。
春でも山は青々としている。
ここはストレスの解消にはもってこいの場所だ。祖父の実家があるこの地域は、昔から変わることなく存在しているらしかった。
「戦争の時も、ここはあまり被害はなかったんだ」
祖父は遠い眼をしながら、戦争のことを話し始めた。
俺はその話を聞きながら、祖父の実家の片づけを手伝っていた。老朽化が酷く、どこを歩いても床が軋んだ。壁につけられた祖父の父――俺の曾祖父――の写真は、当時の技術の結晶、白黒写真で残っている。
曾祖父がいつ亡くなったのか、俺はあまり分かっていない。祖父に訊けばすぐ教えてくれるのだろうが、何故か訊こうという気になれなかった。
しかし、曾祖母はまだ現役だ。その家からしばらく行ったところにある病院に今はいるのだが、ボケもなく、会話もできて、よく笑い、俺が誰なのかも分かる。全く、凄い人だ。
妖怪のような人だ、と昔思ったことがあった。
「よう来たなぁ廻ちゃ」
車椅子に座って、曾祖母は食堂にいた。何でも、今年で百四歳、この病院の中でも一番長生きしているらしい。多分、それはこれからもしばらくは続くだろうと思っている。――ちなみに、曾祖母は、『~ちゃん』と言わず、『~ちゃ』と言う癖がある。方言なのかは知らない。
『百十歳まで生きてくれよ』来る度に言うことだった。
「久しぶり、婆ちゃん」
食堂の端から椅子を持って来て、曾祖母の隣に座る。――曾祖母なのに、呼び名は『婆ちゃん』だ。やや紛らわしいが、これが普通だ。
少し大きな眼鏡、黒々した後頭部の髪、少し曲がった背中、あまり長くない肩。いつ見ても、変わらない格好だった。
小学校の時、肩を揉んだ時に、曾祖母の背中が異様に小さく思えてしまったことがあった。それは、肩があまり大きくなかったせいだろう。今でも、背中が小さく見えてしまうが、代わりに大きなものを背負っているようにも見えた。
「何を背負っているのかな?」
「なぁんも背負っとらんよ」
曾祖母はケタケタと笑った。
よく笑い、よく遊ぶ。それが長生きするコツだ、と曾祖母に言われたことがあるが、それは半分正解で半分間違いだろう。
笑って遊ぶ。それに加え、この地域の空気。
青々と茂った木々、涼しい風が抜ける川、見渡す限りの緑。
片や、こちらはビルという木々、淀んだ排気ガス、アスファルトで埋められた土。
長生きするわけだ。
「廻ちゃにも私の血はあるからねぇ」
「長生きするってか?」
『あっはは』曾祖母は今時の笑い方をした。本当に楽しそうに笑うよなぁ、と思う。
生きている場所が違うだけで、寿命はだいぶ変わって来るんだぜ。俺は舌先を出した。
「蛇に気をつけてな」
「俺は蛇年だけどな」
病院には十分もいない。曾祖母に挨拶をして、祖父の運転する車に乗る。曾祖母も、すぐ来てすぐ帰ってしまうのにもう慣れてしまったのか、特に呼び止めもしなかった。
「学校頑張りぃよ」とだけ言われた。
よく分かるなぁ、と笑い返した。
春の透き通るような空が美しかった。
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