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 奥の部屋で書を読みながら座る男を、行灯の明かりが影として映し出していた。

 紫のとても高価そうな袈裟を着た、高齢の僧侶が、その影に向かって尋ねた。


「あの者ども、生かして返してよかったのであろうか」


 含みのある声が、煤け燃える炎を揺らした。


「御心配には及びませぬよ、亮賢(りょうけん)殿、町役人がいくら思案したところで、判らぬことばかりでありましょうぞ」


「しかし、柳沢殿・・」


「それに役人が殺されたのであれば、いくら腰ぬけの町奉行でも、何かとうるさくなるでしょうに、その方がやっかいに思われまする、そうは思いませぬか?」


「それはそうであろうが、色々と見られておるのだぞ、放っておいてよいのか」


 自分の身に何か起こってしまうのではないかと、狼狽しきりの様子で立ち上がり、所在なさげに部屋の中を回りながら発せられた上擦った僧侶の声が、静まり返った屋敷の中に響き渡った。

 その声に驚くこともなく、男は書に目を落としたままで、


「まあ、いざとなれば、いくらでも手の打ちようがございます・・・戻っておるか?」


「は、ここに・・・」


 誰に問うでもなく告げると、障子の向こうの中庭の方より、低く重い声が放たれた。


「いかがであったか?」


「何もなく、何も語らず帰って行きました」


「そうか、下がってよいぞ」


「は!」


 中庭の気配は、声とともに消え去っていた。

 書から目を上げ、鼠のようにうろうろとする僧侶を、哀れという目で追う吉保が、


「そういう事にござります、少しゆるりと構えになられた方がよいのでは・・・急いては事を仕損じるというではありませぬか」


「しかし、念には念を・・ありの一穴、城をも崩すとも言うではないか」


「亮賢様は、まこと心配性にございますなあ」


 音も気配もなく、廊下の障子が開けられると、渡りより面の男が滑るように入ってきた。


「紗牙か・・驚くではないか、そちの方の手はずはいかがであるか」


「万事、手ぬかりなく」


「そうか、ところで邪魔立ていたした者どもは、京都の者であったか」


「さように思われます」


 その問いに、呆れたように息を一つ吐いた吉保が


「そうか、それは少々弱ったことになったのう・・・」


「何を悠長なことを、あれを奪い返さねば、我らが願い、叶わぬものになってしまうではないか」


 言葉を吐き出すか否かという時に、間髪いれず、いらだちを隠しきれない口調で言葉を重ね、その矛先は紗牙へと向けられた。


「もともと千住の歌舞伎者にしても、早くに潰してしまえばよかったものを、ぬしが甘い故、近頃好き放題に動いておるそうではないか」


「まあ、そこまで申されずとも、紗牙とて考えがあってのこと、任せておけばよろしいのでは」


「それが甘いと申しておるのじゃ!」


 歩き回る足を止め、尺を吉保に向けながら、亮賢はひと際甲高い声を上げた。


「御心配のこと、すべて手は打ってございまする」


 憤慨を顔一面に出している僧侶に相対するように、静かで落ち着いた声が、仮面の中より漏れ出してきた。


「石板と京の方には、(さる)たちをやりましたので、近日中には形がつくでしょう。千住の方には、常に見張りを付けております故、何ぞあれば、すぐに知らせが参る手はずにございます。歌舞伎者は一応、徳川様の支配にある故、無下に潰すわけにいかぬのではと、そう申されたは亮賢様ではございませんでしたか?」


 低く静かな声に、幾ばくかの冷徹な気を含ませながら、紗牙は続けた。


「何より奴らの【気】を、侮ってはなりませぬ。【気】の恐ろしさは、亮賢様もよくご存じのはず、いざとなれば私自ら形を着けます故・・・どうか、ご心配めされぬよう」


 その言葉に圧されるように、亮賢は何も言う事が出来ず、元いた場所に座り込んだ。

 が、自分の立場を取り戻さんとするように、話を変えた。


「ところで、上様の方は上手くいっておるのか?」


「はい、隆光(りゅうこう)繭巳(まゆみ)もよくやってくれております。

お世継ぎが生まれようものなら、我らに困ることばかりでございまする故、それに、生類のお触れを止められては、死人を増やすも難しくなりましょう。亮賢様も大変ではござりましょうが、桂昌院(けいしょういん)様の方、よしなに御頼み申し上げます」


「判っておる、紗牙よ!柳沢殿の言葉を信じ、ぬしに任せるとしよう」


 少しは納得できたという風に、先程までとは別人のように、亮賢は部屋を出て行った。


 一礼をし、見送る紗牙へ


「年寄りの坊主というのは、頭が固く、融通の利かない上に、肝も小さいと見える」


 吉保は楽しげに告げたが、それとは別人のような冷ややかな声を放った。


「とはいえ・・・年寄りの言う事も、たまには聞いてやらねばのう・・京都の者ども、早めに手を打て!」


「委細、手はずは整っております」


 そう告げると、仮面の男は、黒き装束を翻しながら立ち上がると、足音ひとつたてぬまま、廊下に滑り出て行った。

 部屋に残された男は、般若の面よりも冷酷な表情を浮かべながら、不敵な笑みを浮かべていた。

 邪悪なたくらみを煙に巻くように、空には雲が広がり、再び粉雪が町を覆い始めていった。

 犬の遠吠えが不安げに聞こえてきた。

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