ショコラ・オ・メタン
2014年2月、今年もバレンタインの季節がやってまいりました。今年の掌編をどうぞ☆
あくびをかみ殺して青年・ナユタは隣の席を見た。モジャモジャ頭の営業部員だ。
「よくこんなつまらない会議に嬉々としていられるね。秘訣はなんだい? モジャ毛くん」
「どの発言にどんな含みがあるのか。それを探りつつ全体像を把握する。これに勝る愉快な作業などありませんよ」
あー、とナユタは間抜けな声を出す。
「そういえば、きみは元某国の諜報員だったねえ。得意分野はキツネとタヌキの化かし合い。で、なんで俺はそれに巻き込まれてんの。俺、執行部員なんだけど。関係ないんだけど」
「……ナユタさん。全然人の話を聞いていなかったんですね。脅迫されているからって言ったじゃないですか。この『ドライメタン規制説明会 sponsored by 世界政府』そのものが脅迫を受けているんですよ」
そいつは、とナユタは長机に頬杖をつく。穏やかじゃないな。
「いくら『ドライメタン』が珍品でもRWMを脅迫するだなんて正気の沙汰じゃない。脅迫相手に同情するね」
「自分の命くらいなら守れますが、会場全体を一斉に吹き飛ばされる事態に対応できるほど器用じゃないんで」
海中にてメタンハイドレードという資源を発見してからおよそ三百年。地上にメタンの塊が発見された。通称『ドライメタン』。海中にて高圧で凍ったメタンが泥岩に覆われ、数億年という長い年月を経て隆起し、地上に顔を出したものと報告されていた。
メタンが封印された、一見してダチョウの卵状の泥岩の塊がごろごろと山裾で発見されたときは、この国は歓喜したという。何しろ千メートル近く海を潜らなくとも山を掘れば資源が手に入るのだ。資源に飢えたこの国が明るい未来を夢見たのも無理はない。
「乱獲さえ始めなければよかったんですがねえ。人間ってつくづく学習しませんよね」
お、とナユタは顔を上げた。視線が傍聴者席に釘付けになった。
「いい女、発見」
「ああ。彼女はドライメタン推進派のひとり、産土木地総研の主任研究員ミス・キサラギです」
「生意気そうな口元がたまらないね」
「いや、マジで頼みます。……あなたも学習してください」
***
「何も起こらなかったな。つまんない……ってこともないか」
ナユタがモジャモジャ頭の営業部員と会場を出た直後だ。くだんのミス・キサラギがナユタたちに近寄って来た。長い黒髪を揺らしつつ、グレーのスーツに身を包んだ彼女はえくぼを作って名乗ると箱を差し出した。
「脅迫メールなどとくだらないことをした部下がいたようで。お詫びのしるしと言ってはなんですが、どうぞお納めください」
お構いなく、とモジャモジャ頭の営業部員がやんわりと断る。ここで黙って受け取る馬鹿はいない。爆発物の可能性が大だ。すでに自爆テロに巻き込まれつつあるかもしれない。そうナユタが冷やかに見ていると、ミス・キサラギは笑い出した。
「ご心配なく。ただのチョコです。バレンタインも近いですし。チョコはお嫌いですか?」
「チョコそのものは好きですよ、ミス」
「あら、ただのチョコです」
ほら、とミス・キサラギは包装紙をはがして中身を見せた。デコレーションが施されたトリュフチョコが二十個ほど並んでいた。ブランデーの匂いが強い。なるほど、とナユタはうなずく。ブランデーか。アイデアとしては悪くない。
「おひとつどうぞ」
ミス・キサラギがチョコをつまんでナユタに差し出した。ナユタが受け取る気配を見せないと見たのか、安全性を保障しようとしたのか、ミス・キサラギは手に持ったチョコを自分の口に含んだ。そしてそのまま、ナユタに近寄りナユタの両頬を触った。ナユタの頬に解けたチョコがつく。「ナユタさん」とモジャモジャ頭の営業部員が叫ぶもののナユタは動かない。なされるがままだ。
ミス・キサラギは薄っすらとほほ笑んでナユタの口に唇を重ねた。ナユタの口の中にチョコとブランデーの濃厚な香りが広がっていく。ミス・キサラギがナユタの口の中に舌を入れようとしたときだ。ナユタは歯を閉じてそれを防いだ。ミス・キサラギの手をはがして唾液とともに口の中のものを地面へ吐き出す。
「捨て身の姿勢は認めよう。方法も悪くない。けど、安易すぎるな。俺じゃなければ銃殺されているところですよ、ミス」
ナユタはモジャモジャ頭の営業部員を指さす。モジャモジャ頭の営業部員はミス・キサラギに向けて小銃を構えていた。ミス・キサラギの拳が揺れる。
「……ドライメタンはこの国の固有財産なの。邪魔はさせない」
ナユタはミス・キサラギの頭をぽんぽんと撫でた。
「自分の研究を認めさせたいだけだろう? 研究費の捻出でもしたかったのかい? 結局は……自分の都合だろうが」
「違う。どうしてわからないの? ドライメタンがどれほど画期的な物質か。他の国にはないものだから世界政府は気に入らないんでしょう? ただのやっかみ。馬鹿馬鹿しい」
「その研究リスクを考えろって言っているんだよ。リスクが高すぎる環境干渉限界値を超える。そもそもドライメタンは……あ」
ナユタの言葉を最後まで聞かずにミス・キサラギは崩れ落ちた。チョコの中に濃縮して入っていたメタンが急速に血中へ溶けだしたためだろう。
いくらメタンに毒性がないといっても限界がある。チョコの中には究極にまで圧縮し凝固したメタンが入っていたのだ。こうなることは本人も覚悟の上だったはずだ。覚悟の上で、ナユタを殺害しようとした。
ジャケットのポケットからアンプルを取り出しナユタは自分とミス・キサラギの腕にシリンジを刺した。メタン拡散剤だ。ナユタは聞こえていないとわかっていてなお、話を続けた。
「そもそもドライメタンはこの国のものなんかじゃないよ。地球全体のものだ」
ははは、とモジャモジャ頭の営業部員が笑った。
「理解しているのはウチの社員くらいでしょう。それにしても、ナユタさんも人が悪い。彼女が何をしかけてくるのかわかっていたにもかかわらず。そんなにキスがしたかったんですか?」
「かの有名なスパイ映画みたいだろう?」
「……イギリスってそんなにいいところじゃないですよ。やたら人使い荒いし」
「ウチ以上にかい?」
ナユタはあらためてモジャモジャ頭の営業部員を見た。なんと。モジャ毛くんの古巣は情報局秘密情報部だったのか。国家防犯情報局とか国防情報参謀部だったかもしれない。
「で」とナユタは顎をしゃくった。
「このあとどうする?」
「そうですね。ちょっと面白いことを思いつきましたよ」
モジャモジャ頭の営業部員は心底嬉しそうな笑みを浮かべた。
***
ドライメタン推進事務局局長室に大量の菓子が届いたのはその夕方だ。ブランデーで匂いを誤魔化した、極限圧縮したメタンガスが注入された例のチョコだ。
大量などというレベルではない。局長室から菓子があふれ出るほどだった。続いて無記名メール攻撃だ。
『どれだけ食べても安全なんですよね。どうぞご堪能ください』
室長が失踪したのはそれからすぐのことだ。別の人間が室長に就任してもチョコ攻撃は続いた。ざっと二年ほどだ。職員のほとんどがウツ状態に陥り、組織としての機能は停止した。
いつでもどこでも徹底的にかつ粘り強く。RWMの信条だ。
だから言ったのに、とナユタはパイプをふかす。
「ウチを脅迫するだなんて正気の沙汰じゃない。脅迫相手に同情するね。いや、ホント」
(了)
「なんだコレ、ラブ要素がまったくない!」おっしゃるとおり。世の中、ラブばかりでできてはいないですからねえ。もっとも……チョコに罪はない。チョコ、美味しいですよね。大好きだ。