2-1 朝の密会
体が熱い。
全身の血液を全て溶けた鉄に変えたような激痛と熱さが駆け巡る。
目の前には青みがかった液体に、ガラスの壁。その向こうでは、白衣を着た複数の大人がせわしなく動いている。
「数値……定…・・・象・・・・・・・は、次の・・・・・・へ移行」
断片的な情報。痛みが再びその強さを増す。
「・・・・・・変で・・・・・・!・・・・・・状態が・・・・・・もう・・・・・・れない!」
目の前のガラスの壁が割れる。けたたましい音と共に、液体が床に流れ出る。白衣の大人たちの顔が一気に蒼白していく。
「危険です!退避して下さい!」
様々な怒号が飛び交う中、俺は目の前の女性に目をつけた。床に流れ落ちた液体の色に良く似た、薄く青みがかった長髪の女性。
「リョウ・・・・・・貴方は・・・・・・」
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「リョウ!リョウ!」
聞きなれた高音域の声で、意識が覚醒する。
「またいつもの夢?すごいうなされてたよ?」
重い瞼をゆっくりと開いていくと、少女の幼さがまだ残る瞳がリョウを覗き込んでいた。瞳からは「心配」の二文字が見て取れる。
「あぁ・・・・・・大丈夫だアン、いつものことだよ」
リョウは、そんなアンをなだめつつ体を起こす。全身を濡らす汗の感触が気持ちが悪い。
「風呂に行ってくる」
「そう・・・・・・わかった」
リョウはベッドから降り、心配そうにこちらを見続けてくるアンを後にして風呂場に向かうことにした。部屋から出たリョウは階段を降り、すぐ右手にある風呂場に入る。
「温水、41℃、シャワー」
手早く服を脱ぎながら、リョウは呟く。リョウの声に反応し、壁に埋め込まれた赤い魔動結晶が淡く光り始める。
昔は火を起こし薪をくべ、水を温めなくてはいけなかったらしいが(現にそのようなアナログな手段で生活をしている人々は多少は存在するが)世界中に存在する全ての事象を構成する「魔動力」を結晶化させた「魔動結晶」というエネルギー体の発見、使用に伴い、人々の生活は格段に向上した。
魔動結晶が発見されてから250年。
今では魔動結晶を見ずに過ごすと言うことさえ難しい。
浴室に入ったリョウは頭からシャワーを浴びる。心地よい温水によって不快感を与え続けていた汗は綺麗に流され、同時に意識が強制的に覚醒される。
(またあの夢だ・・・・・・)
幼い頃から定期的に見るあの悪夢。それを見るたびにうなされ、不快感に襲われる。
実質的な被害は無く、もう数え切れないほど経験してきたことだが、いつになっても慣れるものではない。
悪夢に関してリョウは原因、理由等を考えたが当然何も分からない。これもいつものことなので、それ以上は深く考えずにリョウは浴室から出る。
「停止」
リョウが告げると、魔動結晶の光がゆっくりと失われた。
「あっリョウ出たのー?制服そこ置いてあるからねーお父さんが、今日はから5年間着る服だ。大切にしろって言ってたよー」
リビングからアンが声をかけてくる。
横の棚を見てみると、先日新調したリョウの制服が綺麗に畳まれて置かれていた。
白を基調に黒いラインの入ったシャツに、黒のパンツ。
胸元には剣をモチーフにした校章が赤い糸で刺繍されている。
基本的に上着の着用は自由だと聞いたので、リョウは購入しなかった。
手早く体を拭いたリョウは、制服に身を包むとリビングに向かった。リビングからは朝食のいいにおいが漂ってくる。
食事を作るのはアンの仕事である。リョウも食事を作れるのだが、アンが台所に入ることを頑なに拒むのだ。
「あっリョウ、制服のサイズはどうだった?」
リビングにリョウが入ると、アンは朝食の支度に目を落としながら尋ねてくる。
料理をするアンも女子生徒用の制服を着ている。シャツはリョウと変わらないが、もちろん下は黒いスカートになっている。
銀髪に淡い青が混じったショートカット、幼さの残る瞳、いかにも学生という風情で制服がよく似合う。
「まぁ買ったのは1ヶ月前だしな。そんなにサイズの変化はないよ」
言いながらリョウは手早く鞄に荷物を詰めていく。
普段ならばここでコーヒーでも飲みながら、アンと優雅な朝食を過ごす筈なのだが、生憎今日は用事があるのだ。
「あれ?今日はご飯食べないの?」
しかしアンはリョウに用事があるという事は覚えていないようだ。
「入学式の朝にはちょっと会う人がいるって言ったじゃないか」
~ティパール学園~
ティパール学園は国内唯一の高等魔法学校である。
国の中央にあり、王都として存在するティパールにある5年生の学校だ。
そもそも魔法を勉強する事を志す少年少女は、まず東西南北の主要4都市とティパールにそれぞれ存在する、5つの初等魔法学校のうちのどれかに3年間通わなければならない。その3年間で「見込みあり」と判断される事で始めてティパール学園に入学出来るのだ。
初等魔法学校の入学条件は12歳。
必然的にティパール学園には15歳以上の男女が在学する事になる。
例年各都市から入学を許可される人数は平均で25名。
一学年約125人、総勢625人ほどの在校生がいることになる。
ティパールに自宅がある者を除いて、地方から来た生徒達は学校の敷地内にある寮で生活をするため、学校自体の敷地も広大なものとなっている。
「学園長、いらっしゃいますか?」
そんな広大なティパール学園中央校舎の最上階。
魔法使いの地位を向上したとされる「大戦」の頃から存在すると言われる本校舎の、最も豪奢に作られた部屋ドアをリョウはノックしていた。
「おぉもう来たのか。入りなさい」
ドア越しに老人の声を聞いたリョウはゆっくりとドアを開く。
「失礼します。お久しぶりですセヘル学園長」
「毎度毎度かしこまらんで宜しいと言っているが、一向に変わらんのぉ、リョウ」
部屋の一番奥に設置された巨大な机、その机に積まれた書類の山の谷間から老人、セヘル=メルパドーレは穏やかな顔を覗かせる。
「いくら古い付き合いでも、相手が一国の最重要人物となればかしこまります」
これも毎度の切り返し。
リョウが応接用のソファーに座ると、セヘルも椅子から立ち上がりリョウの対面のソファーに腰掛ける。
身長こそ低いものの、短く切られた髪は老いを感じさせず、深い皺が刻まれた中に光る双眸は少年のそれの様である。
身を包むのは、国内で最上位の魔法使いということを現す法衣。
白を基調としたローブに金糸で装飾が施されている。
普段は動きやすいよう一般的な服装のセヘルだが、今日は入学式で壇上に立つため正装をしているようだ。
「ほっほっそれを言われる度にワシも歳を取ったものだと感じるよ。紅茶でいいかね?」
体を揺らして笑いながら、セヘルはティーポットに手を伸ばす。
「はい。それよりまだまだお若いじゃないですか、現役最高位の魔法使いが何を言うんですか」
「現役最高位ねぇ」
セヘルはゆっくりとカップに紅茶を注ぎながら目を細める。
「リョウよ、このローブとワシの小さな背中に鎮座している肩書きというものは、それはそれは邪魔なものなのだよ。ただただ歳を重ねるごとに大きく、重くワシに伸し掛かってくる」
「そんなものですかね……」
リョウは湯気の立つカップを受け取り。一口すすりながらセヘルを見る。
確かにその姿は育ち盛りのリョウに比べれば一回りも二回りも小さく、この場で襲い掛かればねじ伏せてしまえそうだが、現実はそうは行かないだろう。
魔法使いの権利を著しく向上させた。彼の大戦において勝利の決定的な要因となりえた人物。
アルベルト=メルパドーレ
その武力、魔力、戦術、なにより気迫が今日の魔法使い達の地位を築き上げた。
そしてリョウの目の前で優雅に紅茶を飲む老人
セヘル=メルパドーレ
彼こそ第14代メルパドーレ当主であり、同時にこのティパール学園の校長を国王から任命された、名実ともに国内最高峰の魔法使いなのである。
現に今リョウがセヘルに襲い掛かれば、一瞬のうちにリョウの15年という短い一生は終止符を打たれるだろう。
それは比喩的な表現などではなく、事実セヘルはそれほどの力を有しているのだ。
「リョウもワシの歳になれば分かってくれるじゃろうて、いやお前がワシの歳になる頃にはもっと大きな肩書きを背負っているかもしれんな」
「いや自分なんて学園長の足元には及びませんよ」
行き過ぎたセヘルの褒め言葉にリョウは肩をすくめる。
「何を言う。いつも言っておるだろう?お前の才能はずば抜けている。ワシが言うのだから間違いはない」
「そう・・・・・・ですか?」
セヘルが真面目に言うが、どうにもリョウは納得がいかない。
「その歳でそれだけの力を持った者が大勢居てたまるものか。っと、しかしそういえば今年は各都市の卒業生の中にも優秀な人材が多いと聞くな」
そういいながらセヘルは巨大な机から資料の束を引き抜き目を通す。
おそらく今年の入学生徒の名簿や、個人情報であろう。
「それは興味深いですね」
「北は不作だったようじゃがのう。成績もダントツの者が南、東、西で計4名。まっお前さんには適わないようじゃが、まぁ年に似合わずなかなかの出来じゃ。他の生徒も例年より多少良いな、どうじゃ?中央の坊ちゃん達にはお前さんの相手はちぃと荷が重いようだったが、こやつらならお前さんも退屈せんですむかもしれんのぉ」
セヘルは4枚の紙をリョウの前に並べた。
「楽しみにしておきます」
リョウの前に並ぶ4人の生徒顔写真と簡単な経歴。
確かに非凡な彼らなら、リョウの相手は務まるかも知れない。