国勢調査
この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
私は国勢調査のデータ確認係を務めている坂本だ。
今日、データの不整合が1件見つかった。一般的な核家族なのだが、夫婦は世帯人数を「3人」と回答しているのに、子どもは「4人」と答えている。
ただの記入ミスならいいのだが、脳裏に嫌な想像が浮かぶ。
もしかすると夫婦は2人目の子どもを隠しているのではないか?
それとも誰かを監禁しているのか?
どちらにしても、単なる仕事のはずが、何か恐ろしい現実に出くわしてしまうのではないかという不安が胸をよぎる。
上司に「警察に相談しましょう」と言ったら、「書類が面倒だ、ひとりで行け」と押し付けられた。私はしぶしぶ藤原家へ向かう。
インターホン越しに不安げな女性の声がする。
「はい…どなたでしょう?」
「総務省の坂本です。国勢調査の件で、不備の確認に伺いました」
ドアを開けたのは小学生ほどの男の子だった。案内されてリビングに入ると、夫婦が落ち着かぬ様子で座っていた。
「な、何か記入に誤りでも?」
「お子さんの回答と食い違いがありましてね。世帯人数が──」
説明の途中で、ふと気づく。さっきまで傍らにいたはずの子どもの姿が消えていた。
「あれ?息子さんは?」
「ああ、よくあちらの奥の部屋に行くんです。居心地がいいんでしょうかね…」
父親が声を張る。
「おいたかし!戻ってこい!」
返事はない。私は促されるように奥の部屋へ向かった。
そこでは男の子が壁の隅をじっと見つめ、何かをぶつぶつ呟いていた。
「ああ、たかしったら最近急にこうなってしまって…」
母親が小さなため息混じりに言う。
「自分の世界に閉じこもるのが趣味なんですかね?」
私が気休めを口にすると、父親が青ざめた顔で声を張る。
「おいたかし!何をしている!」
その時だった。部屋の隅に、黒くぬめりを帯びた何かが、まるで床に滲む影のように蠢いているような錯覚を覚えた。
「ん……?」
思わず目を凝らしてしまった。しかしそれがいけなかった。
「たかし!やめろ!そんなことをしても家族は増えないぞ!」
錯覚だと思ったそれはもはや錯覚ではなかった。
脳が異形の姿形を完全に認識した瞬間、思考はばらばらに崩れ、それを見たことを後悔するよりも先に私は無秩序かつ悍ましい深淵に呑み込まれていった……
翌日、事務室で課長が机を見回す。
「……昨日はここに誰か座っていたはずだが」
誰も坂本のことを思い出せない。名前も、顔も、存在そのものが世界から消えている。
しかし藤原家の調査票には、奇妙に整った「世帯人数4」と、誰も知らない4人目の名前が残っていた。
世界は微妙に歪んだまま、何事もなかったかのように回り続けている。
藤原宅の奥の部屋では、今日もたかしが4人目の家族に向かって何やらぶつぶつと話しかけている。そして、その4人目は確かにそこに存在していた。