目的
昼休み。教室を離れる前に夢咲さんの動向を確認する。彼女は相変わらず本に目線を落としていた。
(一貫してあの姿を貫いているんだな)
どんな環境で育てば孤独を耐えることができるのか、そのこと気になった。少しだけ後ろ髪をひかれる思いを感じながら、友人と一緒に食堂へと向かった。
俺が席に戻ったのは昼休みも半ばを過ぎた頃だったが、教室の空気は明らかに変わっていた。さっきまであった穏やかな空気が、微妙にざわついていた。ぽつぽつと聞こえてくる──女子たちの小さな囁き声には明確な敵愾心のようなものを感じた。
「ちょっと無愛想すぎじゃない……?」
「そもそもなんであんな偉そうなのか謎なんだけど」
ああ、これは──夢咲さんのことだ。皆が誰を避けているのかは一目瞭然だった。クラスの男子ですら関わろうと思う人が減っているのがわかる。
松崎さんが懸念していた、「ああいう子、放っておいたら浮いちゃう」って──まさに、その通りの状況だ。
俺は、教室の後ろの席で本を閉じていた中里さんに小声で声をかけた。
「……中里さん、ちょっといい?」
中里さんは小さく頷き、俺の方を向く。
「教室の雰囲気が重く感じるんだけど...何かあった?」
中里さんは周囲を見渡した後、こちらに少し近づいて小声で話しかける。
「今日の昼夢咲さんに対して一人の生徒が、一緒に食べないかって、声かけたんです」
「……うん」
「“誰とも関わるつもりはないから、誘わないで”って、そう言われてその女子生徒が泣いてしまいました」
中里さんはまるで自分が言われたかのように悲し気な表情を浮かべていた。
「そうしたらその女の子が泣いてしまって、一人の女子生徒と口論になりました。それで、二人が対立して今の雰囲気が出来上がっています」
それを聞いた俺は周囲を見渡す。夢咲さんは相変わらず我関せずという風に本のページを捲っていた。対照的に彼女に対して、時折睨み詰めている女子生徒がいて、その子を中心にグループが形成されている分かる。
「ますます悪化しちゃったね」
そう言って松崎さんも深刻そうな表情でこちらを見つめている。引きつった笑みからもわかるように状況は最悪だった。昨日まで入学して浮かれていたクラストは思えないほど空気が重い。
「連、どうする? このままだと本当に孤立しちゃうよ」
「……すぐには動けない。それは松崎さんも感じているだろう」
「まぁ、今は熱を冷ました方がいいよね」
俺も中里さんもその発言に頷いていた。仮にこの状況で夢咲さんに話しかけようものなら、彼女からは拒絶され、彼女と対立している白峰さんからは睨まれる最悪の状況になることは明白だった。
松崎さんが唇を噛みしめる。すぐ動けないもどかしさが、彼女の中にあるのだろう。
「だから放課後、もう一度集まろう。ちゃんと話し合って、動き方を決めたい」
俺がそう言うと、ふたりは静かに頷いた。
ーーー
放課後、俺たちは空き教室に集まった。そこには中野さん、松崎さん、そして──有明に大翔も来てくれていた。
「お二人と直接話すのは初めてですよね」
そう有明が告げると二人は頷く。有明も頷いて返し、自己紹介を改めてする。
「有明和也と申します。よろしくお願いします」
「私は、松崎千夏といいますそして」
そう降られて、中里さんも返す。
「中里雫です。よろしくお願いします」
「みんな固いな、俺は西園寺大翔だ。よろしく」
「確かに固いな」
俺はそう言って笑った。そのあとお互いの好きなことについて話し合って、緊張がほぐれた頃合いで本題に入る。
「今日集まってもらったのは、夢咲さんについてなんだ」
「あ~なるほどな、クラスで浮いているから輪に入れたいってわけだ」
大翔が的を射た発言をして、皆の表情が少し固まるのがわかる。実際に対立した盤面を緩和させつつ、彼女自身とも仲良くなる必要があるという課題に皆が気づいているからだ。まぁ一番は現状で夢咲さんが謝って、クラスに歩み寄ることだが全く期待はできない。
「お話はわかりました。そのうえで蓮君に質問があります」
俺を君付けで呼ぶときは真剣な話題であると有明が自分の心情と距離を取るときの話し方だった。
「“人に優しくすること”が、必ずしも幸せに繋がるとは限りません。ましてや夢咲さんみたいに、自分で線を引いてる子にとっては、それは“過干渉”にしかならない可能性だってある。それでも仲良くするんですか?」
有明の声は、静かだったが鋭かった。
「別に、そこまで...」
と松崎さんが告げるが、有明と目があうと思わず黙ってしまった。その真剣な表情に迂闊に冗談を言えないと悟ったんだろう。そのうえで俺に再度問いかける。
「むしろ、クラスの皆が彼女に干渉しない──そんな状況を作ることも、人るの優しさなんじゃないんですか?」
確かにその選択肢もある。誰も傷つけない。理にかなった道だ。
だが──
「それでも、俺はやるよ」
俺は躊躇いなくいった。
「彼女が独りになってもいいって思ってたとしても、もし──ほんの少しでも心のどこかに“誰かに気づいてほしい”って想いがあるなら。それに気づけるのは、今ここにいる俺たちだけだ」
俺は口元に笑みを作って、明るく告げる。
「だって、そういった気持ちって自分では気づかないだろ?」
俺の発言に沈黙が落ちたあと、有明がふっと笑った。
「……いつもの連ですね」
「見慣れた連だな」
有明と大翔が二人して笑っている姿を見て、中里さんも松崎さんもついていけていなかった。
「すみません、お二人は驚いてますよね」
「正直、置いてかれているかな」
それに中里さんも頷く。
「連はいつも誰かを助けてきたんです。だから、今回もどの程度本気なのか聞きたかったんです。協力する前に」
「まぁ、連と有明のいつもの流れだからあまり気にしなくていい」
大翔が安心させるように二人に告げる。二人は少しだけ緊張感が取れたのか、力が入っていた肩を少しだけ下ろす。少し安心したのか、何かを思い出すように松崎さんが、まじまじと俺の顔を見つめる。
「鏡君、ですよね?」
「うん? そうだけど?」
「……なんか、昼間と雰囲気が全然違うっていうか。ちょっと怖いくらい真剣な雰囲気だったので」
「そうか?」
と俺が首をかしげていると、中里さんも同意するように頷く。
「……私もそう思いました」
俺は照れ笑いを浮かべながら、肩をすくめた。
「まぁ、俺も真剣になることがあるってことだな」
「そう。なんかさっきの鏡君であれば、頼りになるって感じたかな。今はその雰囲気がないけど」
そう口にした松崎さんは、肩の力が抜けたように笑った。強がっているようで、その実、緊張がようやくほぐれたのだろう。俺は少し照れながら苦笑いで返す。
「そりゃ、常に真面目モードってわけにもいかないからな」
「ギャップがすごかったです……」
と、中里さんがぽつりと漏らした。まだどこか戸惑いの残る瞳。でも、その奥にはほんの少し安心の色が宿っていた。
「ま、それが連の良いところなんだよ。軽いようで、芯がある。みんなが笑えるように振る舞うのが連ですから」
「そうだな、だから凄い奴だけど関わりたいと思える」
「それ、やめてくれ。褒められるの慣れてない」
自分よりすごい二人に褒められるというのは、なんだがむず痒い気持ちになる。そんな俺を見て、中里さんと松崎さんが笑っている姿を見て、まぁ、二人の緊張がほぐれるならそれでいいかとそう思った。
その日は、互いにできることを考えるという方針で終わった。チームとしての目的を決められただけでも実りのある時間だと感じる。まだであった数日しか過ごしていない。それでも、中里さんと松崎さんとはずっと昔から一緒だったようなそんな感覚を感じるのだった。