……雫、怖い
校門を抜けた瞬間から、皆の視線が集まるのを感じる。当然、俺にではない。すぐ後ろを歩く桜と望未に対してだった。
二人が並んで行動するのが珍しいからか。それとも二人並ぶと、更に可愛さを引き立てあっているからかもしれない。
改めて振り返って二人を見つめる。うん……皆の目を引くのも納得だった。
望未の方は、相変わらず一つ一つの仕草が洗練されていた。体幹がしっかりしているのだろう。軸がぶれることなく、モデルのように軽やかな動きで歩く。その上、常に浮かべている柔らかな笑みと、桜色の髪が相まって、持ち前の明るさまでも強調していた。……眩しいな。
一方の桜の方は、大分印象が変わった。以前は凛とした美しさがあったが、今は反応の端々に初々しさが滲み、可愛らしいという印象を感じる。ふとした拍子に見せる笑顔に、つい視線がいってしまう。
今も、俺の視線に気づいたらしい。理由が分からないまま、小首を傾げてこちらを見る。その仕草が妙に無防備で、庇護欲を掻き立てられる。つい、笑みを零しつつ、口を開く。
「二人の様子が気になっただけ」
そう告げると、安心したようにふっと柔らかな笑みを浮かべる。途端に、男性からは嫉妬の視線が突き刺さり、有明の方も視線を戻した。他学年ですらこの反応なのだ、クラスメイト相手なら、なおさらだろう。そう思うと、乾いた笑みを浮かべるしかなった。
まぁ、何とかするか。そんなことを考えながら教室に着くと、案の定。皆の視線が集まった。ようやく望未と一緒に登校することが許されたような中、これだ。納得できない、と言いたげな空気が肌に刺さる。
中には殺気を嚙み殺したような視線を俺に向けていた。女子の方は幾人か望未達に嫉妬した目線を向けているものもいる。有明はモテるからな……。遠くを見つめながら思う。
彼女がいると宣言しているのに、今月でもう三人から告白されたらしい。中には、
「都合のいい時だけに会うだけでもいい」
と告げる女子までいたそうだ。素直にそれは怖いと感じたし、それを語る有明の、どこか遠くを見つめる姿が今も印象に残っている。
「おはよう、みんな」
空気を換えるべく声をかけるけど、いつものように気前よく返事が返ってこない。なんでだろうね。目の前の現実から少し逃避する。そんな中でも。
『おはよう、連』
と千夏と雫が声を掛けてくれる。やっぱり持つものは友人ですよ。そうしみじみ思っていると、
「やっと桜と一緒に登校するようにしたんだ、方向一緒だからずっと疑問だったんだ」
千夏が自然にフォローを入れてくれる。この状況を見て、何かしらの建前が必要だと思ったんだろう。それに、この言い方であれば、千夏の方が前から聞いていて、やっと一緒に登校するようになったという感じになる。内心感謝しつつ、返答する。
「まぁね、桜がいた方が、望未も話しやすいと思ったから。さすがに男子二人に囲まれるのはね」
「連のそういう気遣い、嫌いじゃないよ」
そう返答してくれた。そんな会話で皆の視線も若干緩和するなか、席に着くと一枚の紙が置かれている。
なんだろうか?そう思いながら手に取ると、体育祭の競技と、それに参加する男子の一覧が書かれていた。丁寧に俺が出場する部分だけは空欄にしてくれている。
有明は一緒に登校してきたし……となると、大翔が気を回してくれたのだろう。あいつだって忙しいはずなのに。その気遣いが嬉しくて、思わず口元が緩んだ。
自分が参加する競技を改めて確認しようと、プリントに視線を落とした、その瞬間。
「これで放課後夢咲さんと話す必要がなくなるな」
……どうやら違ったらしい。少し気落ちしつつ、聞き覚えのある声に、視線を上げる。案の上、猿渡の姿が視界に入った。口元にニヤリとした笑みを浮かべる姿込みで。
よっぽど、俺と桜が話す機会をなくしたいらしい。単純に桜が好きって事ではないだろう。望未と勉強会をすると聞いた時にも、同じように異論を唱えていたし。あわよくばどちらかと付き合いたいという魂胆が透けて見えた。
そのために、今一歩リードしているように見える俺を、二人から遠ざけたいんだろうな……。変に誤解されるくらいないその思惑に乗った方がいいか?そんな考えが一瞬頭をよぎった。同時に悲しそうにする桜の姿も浮かんできて、気付けば、もう答えていた。
「女子の競技が決まる必要もあるし、調整もあるから、難しいかな」
そう建前で応えていた。正直に言えば、必要ないのかもしれない。けど、桜と過ごす時間は、俺にとって心地よかった。反応が純粋で、すぐに言ったことを信じてしまう。そんな彼女の前では、飾る必要が無くて、自然と肩の力を抜いて話せる。
俺は……この関係が好きなんだよ。うん……その時間は譲れない。何より彼の思惑に乗るのは違うと思った。
そんな俺を擁護するように、千夏が口を開く。
「ごめん、連。私達の方はまだ決まってないから。もう少しかかると思うよ」
「分かった。今週までに決めれば大丈夫だから」
そう返すと、猿渡はどこか釈然としない顔で俺を見つめていた。
「まぁ、そういうわけだから」
悔しそうにする猿渡に申し訳なくは思う。けれど、それでも引く気にはなれなかった。悔し気に唇を噛む猿渡は、俺を追い詰めるべく直球勝負に出て来た。
「……お前、夢咲さんのこと、好きなのか?」
その一言で、空気が変わる。ばっ……かお前。瞬間的に皆の視線がこちらに集まるのを感じた。声はそこまで大きくなかったけれど、近くにいた人が一斉にこちらを振り向き、皆がつられてこっちを見ていた。
なんて返すのが正解だ。一番当たり障りない回答。俺は気になっている人はいないと前回告げている。いや、ここで、変に時間が掛かるのも怪しまれる。桜が悲しまず、それでいて追及を避けられる一言を……そう考えて、俺はふっと笑って何でもないように答える。
「俺じゃ、桜に釣り合わないだろ……それに、今は誰かを好きになる余裕なんかない。俺には目的があるから」
そう本心から返答する。涼花がこの学園に入学した時に過ごしやすい環境を作る事。その目的を忘れてはいけない。それが俺がやりたいことで、きっと過去の自分を肯定することになる。ここで恋愛に現を抜かすという行為は、これまでの生き方を否定するようなものだから。
俺は猿渡の目をじっと見つめて返す。変に動揺せずに、返せた気がした。
「そっか、ならいい」
何が良いのかは分からないが、納得したようだった。安心し一息ついたのも束の間。ふと視界に入った千夏は、俺の事を凍えるほど冷ややかな視線をこちらに向けていて、雫は殺気が漏れていた。……そっちを見れない。
桜の方は何だか気まずそうにしていて、俺も本当に気まずい。どうやら返答をミスったようだ。
……っ猿渡————。思わず声を上げて叫びたくなった。今日の放課後……どころか、休み時間ですらどうしようかという後悔が俺に押し寄せる。
そんな俺の内心など気にすることなく、雫はすっと近付いて来ると、ハイライトの消えた目で俺のことをじーーっと見つめる。
「どういう意味でいったか、聞かせてもらってもいいかな、れ・ん?」
にっこりと笑う千夏と対称に、雫は口元に笑みを浮かべ、目は笑っていない。ハッキリと怒りの感情が……いや、それを通り越した気持ちが伝わってくる。
「えっと……その……」
恐怖心から思わず口ごもってしまう。詰められると分かっていた。だからこそ、返答を考えたがこの空気を前にすると、全部がいいわけに思えてしまう。というか、何で怒っているかが俺には分かっていないので、対処の施しようがない。
顔を上げた一瞬で見えたのは、皆がこちらを見ないようにしている光景だった。周囲にいた人もどこか遠くへ行っている。さっきまでの興味のある視線がどこか懐かしい。
……知ってる。うん、詰みましたね、これ。流石に、ここですぐに返答しないのは、更に状況を悪くする。そう判断した俺は、腹を括って素直な気持ちを吐露した。恥ずかしい感情込みで。
「……いや、その……桜って、かわいいし。学校でも一番可愛いって言われるくらいで……」
言いながら、胃が痛くなってくる。
「だから、その告白なんてされないモテもしない俺とは釣り合わないというか。勉強も妹以下だし、運動は大翔に敵わない……そんな俺が反応がいちいち可愛い桜と付き合えると思う程自惚れていないっていうか……」
「それで?」
いや、今言ったことで全てですよ。これ以上何を話せばいいというだろうか。そんな戸惑う気持ちを抱いていると、雫の視線がさらに鋭くなっていく。……怖い。
「その……桜が魅力的すぎるんだよ。純粋な反応には心が癒されるし、護りたいと思う程愛らしい。かと思えば、芯の部分はしっかりとしていて、一途に物事に向き合う部分は尊敬していて。だから……つり合いが取れていないというか……」
返ってくるのは沈黙だけだった。許されたのだろうか?そう雫の方を窺う。やがて、小さく息を吐き、肩の力を抜いてため息を吐いた。
俺自身はまだ、引き続き雫の次の反応待つ。緊張からか、背中に冷や汗が伝うのを感じつつ、乾いた喉に唾を飲み込んだ。返答までの時間がやけに長く感じる。そうして、数秒経った頃だろう。雫は視線をしたにしたまま、ぽつりと呟いた。
「はぁ……まぁ連らしいというか、なんというか」
呆れた感じに、でも先程のような怒りを伴ったものは感じない。
「それって、遠回しに断っているというか拒絶に近いですからね。次やったら殺しますよ」
普通に怒ってますね。だって、雫の目がホントに目が一切笑っていないから。
「はい」
反省し俺は素直に返答した。雫は友達のことになると怖い。特に————桜に関しては。
それを、今日で嫌というほど学ばされた気がする。どこか呆れたような彼女の様子を見て、以前"本当に手のかかる弟"と言っていたことを想い出した。少し優しさも感じるその感じに、しつけられている気分になる。
少しだけ余裕が戻り、不安を抱えたまま桜の方へ視線を向ける。その表情は真っ赤に染まっており、耳まで紅く染まっていた。
俺の視線に気づくと、近くにいた千夏の後ろにスッと隠れる。はい、完全に怒ってらっしゃいますね。ほんと放課後どうしようか……そんな後悔を抱く俺に雫がポツリと呟いた。
「いっときますが、それ望未さんにもいったら傷つきますからね」
そう雫に釘をさされ。
「はい」
そう返事するしかなかった。雫は呆れたようにしつつ、千夏達の方へ戻り、解放された俺は、しばらく呆然と立ち尽くす。
「どんまいです、連君」
そう笑う表情にはどこか楽しさが混じっていた。近くにいるなら助けて欲しかったと内心思うが、自業自得なので何も言えない。俺と目が合うと、有明はふっと笑い。
「それと、さっきの質問ですが」
凄く嫌な予感がする。
「望未さんにも、同じ気持ちを抱いてるって、しっかり自白させられてましたよ」
そう言って、くすくす笑いながら去っていった。
……雫、怖い。
俺一人だけ隔離されたように、すぐ近くに誰の姿も無い。大翔が朝練から返ってくるまで、俺は一人。静かに、反省会をするのだった。




