決して消えない想い
————————ガチャッ。
「桜、おかえりー」
玄関先から母の声が聞こえて、私は顔を上げる。壁の時計を見ると、時刻は19時30分を指していた。もう、こんな時間か。そう思いながら急いで立ち上がり、台所へと移動する。
「おかえりなさい、お母さん」
声をかけると、お母さんはにっこりと笑った。どこか機嫌がよさそうで、楽しげな表情を浮かべている。温め直した料理を並べて、二人きりの晩ご飯を食べ始める。
「それにしても桜は、本当に良く笑う様になったね」
「そう……かな?」
思わず首を傾げてしまう。
「うん、前よりも断然ね。いい出会いがあったんだね」
「うん!!」
即答すると、お母さんは嬉しそうに目を細めた。その姿に、こちらまで温かくなる。けど、同時に思うのは、勉強だけじゃなくて、他のことも、もう少し頑張ってもよかったのかもしれないということ。
久しぶりに見るお母さんのこんな表情に、そんなことを思ってしまう。後悔しても仕方ないと首を振り、私は少し緊張しながら、聞く。
「ねぇ、お母さん。聞きたいことがあるんだけど……いい?」
「うん、いいわよ」
一度、息を吐いてから聞く。
「お母さんとお父さんは何がきっかけで恋人になったの?」
少し意外だったのか、お母さんは一瞬だけ目を瞬かせてから、ふっと表情を和らげた。
「そうね……」
遠くを見るように視線を上げて、懐かしむように穏やかな表情を浮かべる。
「きっかけは文化祭かな」
「文化祭か……」
やはりそういったイベントごとが仲良くなるきっかけになるんだろうか?だとしたら何があるかな?……体育祭?けど、自分が活躍している姿は正直、想像できなくて、少し気持ちが沈む。
そんな私の表情を察したのか、お母さんはふふっと笑って続けた。
「でも、最初に仲良くなったのは図書室だったかな」
「……図書室?」
「そう。たまたま二人とも、図書室で勉強してて。そこで話すようになったの」
図書室でって、あまりイメージが湧かなかった。静かだし、話したら怒られそうなのに。お母さんは笑って続ける。
「一応互いの事は認識してたの。父さんはサッカー部のエースで、私は……まあ、一応学校のマドンナ的存在だった。信じられないと思うけど」
「見たらわかるよ。お母さんは綺麗だもん」
今も薄っすらとした化粧なのに、目を惹く。これで40代というと、初めて会った人は絶対に信じないからだ。私と一緒だと信用されるけど、言わなければ姪?と勘違いされるほどだ。私のお母さんながら少し羨ましい。
「じゃあ、図書室で仲良くなって、文化祭で告白されたの?」
「ううん。実は一回、疎遠になっちゃったの」
「え……?」
「一緒に帰ってるところを見られて、色々言われてね。お互い人気もあったし、迷惑をかけないようにって。ほら、父さんはサッカー部のエースだったから」
笑いながら話すけど、その裏にあった気持ちを想像してしまう。
「……納得できない。二人とも、悪くないのに」
思わずそう言うと、お母さんはどこか嬉しそうに笑う。
「どうして笑うの?」
単純な疑問だった。あまりに嬉しそうにするから気になって聞いてしまう。
「桜の言い方がね。私の友達に、すごく似てたから」
「じゃあ……お母さんの友達も?」
「うん。ちゃんと、怒ってくれた」
「……そっか」
その一言に、胸の奥が少しだけ軽くなる。誰かが味方になってくれることが、どれほど心を救うのか。今なら分かるから。
「玲美さんとか、琴音さんとか?」
「そうそう」
「今でも仲いいもんね!」
時々会うその二人は、本当に優しい人たちだ。昔のお母さんによく似てるって褒めてくれる。私がクラスで浮いていることを知ったら、学校へ乗り込もうとして。思い出すだけで胸の奥が満たされる。
「それで……文化祭ではどうなったの!?」
「誰が投票したかも分からない劇のヒーローとヒロインに父さんと選ばれてね、そこから、自然とまた話すようになったのよ」
お母さんは楽しそうに続ける。
「帰り道に相談することも増えたけど、今回は何にも言われなかった。後になって、私たちの友達が裏で色々動いてくれてたって分かったんだけどね」
「……なんか、いいね。そういうの」
「そうね。本当に助けられた」
「じゃあ、劇が終わってから告白って感じかぁ」
少しロマンチックな光景だった。キャンプファイヤーの前とか?それとも劇が終わってその衣装のまま……なんて妄想が広がる。
「違うの、告白されたのは劇の最中だった。……父さんらしいというか、本番中に台詞を間違えて私の名前を呼んで、告白しちゃったの。それはもう驚きだったなぁ」
懐かしそうに、お母さんはうっとりと目を細める。
「周りから、名前間違えてるぞっーて、ヤジにもにたものが飛んできた。父さんもきっと恥ずかしがると思ったの。でも、その時に気づいたの、私も彼のこと、好きになってたんだって。……だから、ちょっとだけ残念だった」
————そっか、この時お母さんは恋心を自覚したんだね。
「そんな私の表情を見てたのかな、もう一度言い直した『咲、君のことが好きだ。飾らずに笑うところも、相手の事を尊重する優しさも。僕は、君の隣を、一緒に歩きたい。だから、付き合ってください』その真剣な表情に、眼差しに、私は『はいっ』って答えたの。そこから付き合ったんだ」
嬉しそうに語るお母さんに、つい嫉妬する気持ちが芽生える。
「……ずるい」
思わず零れたその言葉に、お母さんは私を優しくなでてくれる。私にも、そんな恋ができるのだろうか。
「大丈夫だよ、桜なら。きっとその子も振り向いていくれる」
「……私より、ずっと可愛い子がいても?
「うん」
「片方は元アイドルで、もう一人は私よりずっと勉強できて……それに、他にも好きな人は大勢いて」
「ちょっと待って。もしかして、アイドルを好きになったの?」
「え? 同じクラスの人だけど?」
焦ったようなお母さんの表情に、素直に答える。
「……なんか、凄い人を好きになったのね」
「うん、世界で一番凄い人」
今、胸の奥にある想いを、言葉に変換する。
「かっこよくて、運動も勉強もできて。一人浮いていた私を、クラスに溶け込ませてくれた……そんな優しい人だよ」
「そっか、凄い人なんだね」
お母さんは笑いながら、優しく微笑む。
「でも、桜なら大丈夫。その気持ちはきっと伝わるよ」
「うん。絶対に振り向かせて見せるから」
お母さんに背を押してもらって、心に小さな火が灯る。決して、消えない小さな灯が。————彼の隣に立てるように。そのために、今の私にできることをしよう。
「お母さん、また勉強に戻るね」
「うん。がんばれ桜」
「うん!!」
そうして私は、机に向かう。この時間が、いつか彼の隣へ続くと信じて。




