重なる姿
放課後になると、俺と桜は二人で集まって現状について話し合うことになる。校舎の外からは、部活動に励む生徒たちの掛け声が聞こえ、遠くでは吹奏楽部の音が風に乗って流れてくる。そんな音に、どこか日常を感じながら、教室までたどり着く。
空き教室に入り、席に腰を下ろすと、少し緊張した様子の桜が目に入った。不思議に思って見つめると、目が合って、すぐに逸らされた。……あれ、俺何かしたっけ?
思考を巡らせるが、思い当たる節はない。こちらまで緊張をし出す中、桜が口を開いた。
「なんか……久しぶりだよね。こうして話すの」
「そう、かな?昼食とか、普通に話していると思うし……」
素直にそう返すと、桜は少しだけ言葉を探すように視線を彷徨わせながら答える。
「まぁ、そうなんだけど……なんていうか、二人きりで話すことって、あんまりないなって」
「確かにそうだな」
桜の言う通り、二人きりになるというのは久しぶりだった。最近は誰かが必ず近くにいて、こうして向かい合う機会はほとんどなかった。
それをいうなら他のクラスメイトともそうか。有明と一緒に登校していた頃が、やけに懐かしく感じる。
「……今、他の人のこと考えていたよね?」
「……どうして分かったんだ」
少し焦った気持ちを抱きながら、桜の様子を窺う。
「分かるよ。連は分かりやすいから」
その指摘に乾いた笑みが漏れる。そんなにも分かりやすいのかな?って。……そういえば、涼花にもよく指摘されたな。
「確かに有明のことを考えていたな、二人で登校する機会が無くなったなって」
「そっか、今は望未ちゃんも一緒に登校してるんだもんね」
「そうそう。お陰で、望未もクラスに馴染みやすいんだと思う」
正直なところ、これが俺と桜の二人きりの登校だったら、いろいろ面倒なことになるのは目に見えている。だから、正直助かってはいた。
「連の、そういうところ……好きだよ」
「え?」
あまりにまっすぐな言葉に、思考が一瞬止まる。驚きのあまり、穏やかに微笑んでいる桜をじっと見つめてしまう。桜はそこで、自分の発言に気付いたのか、焦ったように手を振って、否定する。
「違うの、恋愛的な好きとかじゃなくて、人として!あくまで、人としてだから!!」
「分かってる」
そう言いつつ、必死なその表情がおかしくて、つい笑ってしまう。久しぶりに桜の素の部分が見れた気がしたから。それが、なんだか嬉しくて、微笑ましい。そう思っていると————
(……分かってない)
小さく、何かを呟いた声が聞こえた。
「ん?何か言った」
「……なんでもない」
少し拗ねたようにそう言われて、その仕草ですら可愛らしいと思ってしまう。二人きりという状況のせいか、つい視線が向いてしまった。
(……やっぱり可愛いよな)
改めて見る桜の姿はにそう思う。さらりとした黒髪に、ぱっちりとした目元。何より、以前と違ってその表情はずっと豊かになっている。そりゃ、クラスの人に睨まれるわけだ。
さらりとした黒髪に、ぱっちりとした目元。手鏡で自分の姿を確認しているようだった。
「別に何も変じゃないよ、ただ安心しただけ。最近ちょっと距離あるなって、嫌われてるかもしれないって不安だったから」
「違うの!」
焦って言い放ったのだろう。桜は少し言葉を選ぶように何かを言いたそうにしてから、続ける。
「その……友達、っていうか。雫とか、千夏とかも含めてね。初めて、自分から"ちゃんと関わりたい"って思って。そのどう接すればいいのか分かんなくて……」
手元で指を絡めながら、少し不安そうに言う。
「だから、ちょっと戸惑ってて……どう接したらいいのか、分からなくなった感じ」
「そっか」
その言葉に安堵すると同時に腑に落ちた。大人数で少し喋れなそうにしていたのも、どこで話せばいいんだろうと考えいたんだろう。確かに会話のタイミングを掴むのって難しいよな。二人同時に話して、気まずくなるのも避けたいだろうし。
そんな慎重さが桜らして、誰かをもう傷つけなくないという気持ちが伝わってくる。その不安げな姿を安心させたくて、俺は肩の力を抜いて答えた。
「初めてだと戸惑うよ。この言葉が相手を傷つけないかな?とか、皆の会話を途切れて雰囲気悪くしないかなって?」
桜がこくりと頷いて、俺の方を見る。目が合ったのを確認して、素直な気持ちを伝えた。
「その気持ちも分かる。でも、桜は自分のペースで進んでいけばいいって思うよ。俺や千夏達なら気にしないだろうし……むしろ、その姿がかわいいって千夏なら絶対に言う」
「……それは」
桜が、そっとこちらを窺う。
「連も?」
こちらを窺うその表情は、不安そうにする子犬そのもので、目をウルウルさせているように見える。
「……そう、だね」
「そっか」
安心したように、ぱっと笑顔が咲く。その姿を前に、恥っず!!と内心で悶える。いやいやいや、それは反則的な可愛さだよ、桜。
今も少し上機嫌な桜に、その純真さはずるいでしょと思う。俺が内心ここまで、かき乱されていることなんて、きっと気づいていないんだろうな。悔しさに似た感情を抱きながら、それでも不思議と嫌じゃなかった。
嬉しそうにする彼女に、どこか温かくなる気持ちを感じながら、同時に安堵もしていた。だから————
「桜に避けられてるわけじゃなくて、良かった」
そんな言葉が、つい自然と零れていた。その一言に、一瞬桜が俺を見つめて固まる。目が合い、ふいっと視線を逸らされる。何かを呟くように唇を動かしたが、今度は声も聞こえなない。しばらくして、少し頬を染めたまま、何かを決意したように呟く。
「そんなことしないよ、だって……」
ふいに真っすぐ見つめられる。その表情があまりに穏やかでいて、今まで見たことがないほど柔らかかった。
「連は、私を助けてくれた人だから」
言った瞬間恥ずかしくなったのか、今度は耳まで真っ赤に染まる。それでも、視線はこちらを捉えたままだった。陽の光を背負ったその姿はどこか、輝いていて、思わず綺麗だなって思った。同時に、今度は俺の方が耐えきれなくなって、視線を逸らしてしまった。
しばらく、沈黙が落ちる。窓から吹き込む風に、カーテンが小さく揺れた。アナログ時計がカチコチと音を立てて、ドアがカタカタと音を立てる。
「ふふっ……ふふふ」
桜がふいに笑い出す。
「なんだか、可笑しいね」
その穏やかに表情に、こんなにも緊張していた自分の姿に可笑しさを感じて、俺もつられて笑ってしまう。気づけば二人して、理由もなく楽しげに笑い出していた。
「……ねえ」
桜が、少し改まった声で切り出す。
「一つ、相談なんだけど」
「なに?」
「私も、朝一緒に登校してもいい?」
一瞬だけ考えてから、すぐに答える。
「もちろん、大丈夫だよ」
「一応……有明と、それから望未には連絡入れておくけど」
「うん。二人が問題なければ」
「分かった」
そんなふうに話しながら、体育祭の係や競技の情報を改めて共有する。今回は二人一緒に先生に報告してから、一緒に帰路に就いた。並んで歩く夕暮れの道が、さっきまでより、ほんの少しだけ近く感じられた。
***
久しぶりに一人になるな。それは、桜と別れた帰り道でふと思った。夕暮れが夜へと移り変わる、その曖昧な時間帯のせいか、胸の奥に小さな寂しさが滲んだ。
にしても、一つ隣の駅だって知った時の事を思い出す。初めて家に招いた日実って、実は家が近かったんのじゃないか?って指摘した時の慌てようは可愛かった。
『あの時は、その……反抗心、みたいなのがあって……ごめんなさい』
しょんぼりと俯く姿が可愛らしくて、同時に罪悪感が湧いて、慌ててこちらも謝ったんだっけ。思い出すのは、まっすぐこちらを見つめ、言葉を選びながら気持ちを伝えようとする桜の姿だ。その真摯さがどこか眩しくて、どこか昔の涼花を見ているようだった。
だからかな。自然と護りたいという気持ちが湧いてきたのは。同時に、寄り添いたいという気持ちも抱いていた。それは、かつて妹に向けていた想いとよく似ていて、思わず苦笑してしまう。
あの頃の沙耶姉も、同じ気持ちだったのだろうか。どうしてあんなにも穏やかな表情で、意地を張る俺に手を差し伸べてくれたのか、当時は分からなかった。
でも今なら、少しだけ分かる気がする。自分の弱さと向き合い、それでも前を見ようとする人の道から、障害を取り除きたい。前を見続けられるように支えたい。きっと、それだけなんだ。
少しずつ変わっていく関係に、俺は小さく笑って前を向く。さて、今日の夕飯は何だろう。家で待っている涼花のもとへ、今は少しだけ足早で向かうのだった。




