遅れた分だけ、近くなる距離
めっちゃしごかれたーー。そう実感しながらも、胸の奥に焦りが込み上げる。時刻はすでに15時30分を回っていた。17時には解散すると言われていたから、このままではどう考えてもギリギリだ。汗を拭いたはずなのに、頬をまた雫が伝う。
バスに乗るために、走って移動する。というか、疲れ切った体にさらに鞭を打つようなもので、息が上がるだけで前に進んでいる気がしない。足はパンパンに張り、こんなはずじゃなかったのにと自分に悪態をつきたくなる。
というか、「女子と予定があるんですよね」と言った直後の追い込みがエグかった。なんであんな真剣になるんだろうか……。
時計を見る。次のバスまで残り3分。走って5分かかる距離なのに……どうにか、遅れていることに期待することしかできない。そう思って走っていると、バスが横を通過するのが見える。
「待ってくれー!!」
必死に叫ぶが、届くわけもなく、バスはあっさり走り去っていく。ふざけんなーーと心の中で叫んでいると、バスが先の信号で止まるのが見えた。
よしっ――。
そう思ってさらに速度を上げるが、無情にも信号はすぐ青に変わり、また遠ざかっていく。バス停で誰か降りてくれれば…と願うが、あっけなく素通りしていく。
いや、バスは少し遠回りをする。そこを間に合わせれば、そう思って必死に道を走る。そして──停車しているバスを見つけた。助かった……。肩で息をしながら俺はバスに乗車した。開いている座席に腰を下ろし呼吸を整える。
一息ついた所。震える手でスマホを取り出し、RAINを開く。一応メッセージを入れておいた方がいいよな。
「遅れるかもしれないから解散しても大丈夫」
と伝える。水分補給して、息を整える。冷静になってきて分かるのは、また汗だくじゃん!!という事だった。折角、汗拭きシートとスプレーで匂いを消した上で服を着替えたというのに、また汗をかいた形になる。さすがにバス内で拭けはしないよな。周りの乗客の様子を確認しながら苦笑するするしかなかった。
仕方なく、バスに乗って電車に乗り換える。運よく乗り換えには成功した。何とか、17時前には付けそうだなそう安堵していると。遅延のアナウンスが流れてくる。
「……マジか」
焦る気持ちを感じながら、電車内の広告に目をやる。表示される時刻は遅れた分を取り戻すこともなく進む。遅延した分、早く走ってくれればいいのになんて都合のいい考えが浮かぶが、どうしようもない。
少しでも早く出口に近い車両から降りられるよう、乗る号車を調べて移動する。できるだけ早くつけるように。そう頑張ったんだけど……到着したときにはすでに17時を回っていた。
「……もう、いないよな」
陽が落ち始め、街の景色がオレンジに染まっていく。その中で、ガラス張りの図書館だけがやけに明るく見えた。帰宅する人の波が途切れなく続いている。一応、中に入ってみる。けれど、やはり誰の姿もない。
帰ってしまったか……。
胸の奥がじんわりと寂しくなる。分かっていたことなのに、思っていた以上に堪える。――そのとき。
「あれ、連君?」
柔らかな声が耳に届く。振り返った先には望未の姿があった。俺の顔を確認すると、ふんわりとした優しい笑みを浮かべる。
「無事に到着したようで良かった」
安心したように肩を下ろして、俺の方を見つめる。つられるように、先程の間での寂しさがすっと溶けていく。
「そういえば、みんなはどこに?」
「あぁ、場所を移しているんだ。こっちだよ」
望未の後をついて進むと、まだ集中して勉強している三人の姿が見えた。机に向かう背中はどれも真剣で、その空気に押されて、俺も自然と気持ちが引き締まる。俺ももっと頑張らないとだな。
ふと、空席の方に目が行くと、ノートが開いたままになっている席がある。そこが望未の席なのだろう。
「悪い、遅くなった」
千夏と雫は俺に気付いたのか、顔を上げる。が、桜の集中力は凄く、今も机に向かって問題を解いている。コピー用紙の問題を解いているところを見るに、学校に置いてある問題集を解いているんだろう。
「連、遅い」
「悪い、ちょっと長引いた」
言うと、千夏はため息をつきながらも、表情を少し和らげた。
「まぁ、桜の集中力が続くまでやるつもりだから良いんだけどね」
みんなも桜の方を向くが気づくこともなさそうだ。
「流石に30分くらいしたら声を掛けた方がいいんじゃないか?」
「ですね。それまでは連君も問題を解いてください」
「りょーかい」
そう言って、空いている席に腰を下ろした。鞄から参考書を取り出し問題に取り組む。今回は数学の問題。計算する部分は飛ばし、考え方の構築のみを行う。これとこれはあまり理解が出来ていないな。回答を見ながら、印をつけて後で復習できるようにする。
続けるように何問か問題をこなしていると、突如として体を揺さぶられる。なんだ?そう思って顔を上げると、千夏と目が合った。彼女は指先でちょんちょんとどこかを指す。その方向には17時30分を超えた時計が表示されていた。
「悪い、完全に集中してた」
「ある意味凄いですよね」
「うん。桜並みだね」
そう言われて、桜の方を見つめると、照れくさそうにしている姿が目に入る。肩を縮めていて、目が合うとふいっと逸らされた。
「ここからだと陽も落ちるし、そろそろ帰るか?」
「そうだね...でも、途中でパンでも食べてから帰らない?」
「私は大丈夫ですよ。みなさんは?」
『私も大丈夫』
残り二人の同意も得られたことを確認する。
「今回は遅れたってこともあるし、会計は俺に持たせてほしい」
「りょーかい。まぁ、それを期待してたんだけど」
そう千夏が笑って告げるのは、桜が遠慮しないようにだろうな。前も、遠慮していたし。
「えっと……いいの?」
桜はこちらを心配するように見つめる。
「いいの、いいの。今回は心配かけた分、何か返さないと落ち着かないんだよ。逆に桜が遅れたら、奢ってもらおうかな」
「うん。その時は奢る」
冗談のつもりだったんだが、すんなりと請けいられる。
「念のために言っておくと、遅れたから奢るってのは自分ルール的な所があるから、真似をする必要はないぞ」
「そう...なんだ」
難しいなって感じで、頭を捻って考え込む。集中しているからこそ、こけないか心配だ。
「にしても、連が遅れるなんて珍しいね。どうしたの?」
「師匠に、『この後女性と会うんですよね』って言ったら、しごかれた」
「あっはは、それは災難だったね」
千夏は苦笑しながらいい、皆も釣られて笑う。
「あんまり近づくと汗臭いかもしれないから、適切な距離で」
そう言った瞬間──なぜか千夏がぐっと距離を詰めてきた。
「あー......確かにちょっと汗臭いね」
千夏が苦笑していると...
「そうですか?別にいい匂いですよ」
その声が耳に届いた瞬間、気配がすぐ近くにあることに気づく。いつの間にか桜が距離を詰めていて、俺の肩に触れそうなほどだ。
──近い。
そう感じ俺は反射的に距離を取ってしまう。自分でもわかるくらい、過敏に反応していて……少し悲しそうにする桜が目に入る。
「いや、ごめん。ほら……汗かいてるし。臭い気になるだろ?桜だって、汗かいてる時に匂い嗅がれるの、嫌だと思うし」
取り繕うように説明すると、桜は小さく首を傾げた。
「想像つかないかも」
想像してみてよ。とはいえない。
「というか、男子に気軽にやっちゃダメだぞ。勘違いする人絶対いるから!……千夏だって、相手は選ぶし」
そう告げると、桜は千夏の方を向く。千夏もこくりと頷いた。桜は、また俺を見つめてきて、
「連君も、勘違いするってことですか?」
一瞬、息が詰まったが、
「いや、俺は大丈夫」
なんとか、間を置かずに答えられる。セーフ、か...
「そうですか」
ポツリと呟く彼女に思うのは。流石に本心は言えないだろってことだった。せっかく距離が縮まってきているのに、ここで変に意識した態度を見せれば、避けられるかもしれない。それは、寂しい。
……というか、桜の方もふんわりといい匂いがしてなって、今更ながらに思って、気持ちが妙に落ち着かない。煩悩を振り払うように、軽く頭を振る。視界を開くと、心配そうにこちらを覗き込む桜の姿があった。
「ほら、遅くなるといけないし。買いにいこう」
そう先導するように前を歩く。自分で言っといて何だが、桜の顔を見ると想像以上に恥ずかしくて、今は顔を見れなかった。
気持ちが落ち着いた頃にはパン屋に着いていた。それぞれが目当ての商品をトレーに乗せる。その会計を済ませ、フードコートの席につく。それぞれが選んだ商品を食べる中、桜の方にどうしても目がいってしまった。
我ながら単純だな。そんなことを想いつつも、一口食べるたびに笑顔になる桜の姿を見え、心が満たされる。その温かさのせいだろうか。今日のパンは、いつもよりほんの少し美味しいと感じた。




