抑えられない気持ち
放課後になって三人だけの空間になる。ようやくゆっくり話せる時間ができたなと思う一方で、廊下の外からクラスメイトがこちらをのぞいているのが見える。そんなに心配しなくても、手を出すつもりなんてないのにな。教室では話す機会が無かった二人も、この機会に自己紹介を済ませたようだった。
望未は俺と中野さんを交互に見つめると、急に頭を下げた。
「ごめんね、つき合わせちゃって」
「謝らなくても大丈夫ですよ。私達でよければ付き合いますし」
「そうだな、部活動に入ってないから暇だし。何より望未と話す機会が欲しかったんからむしろ先生に感謝だな」
「そうですね。望未さん人気ですし」
できるだけ彼女に罪悪感を抱かせないように、笑顔で告げる。俺も雫も、本心からそう思っていた。俺たちの表情から何かを感じ取ったのか、望未は申し訳なさそうにしながらも、ゆっくりと目を細めて穏やかに微笑んだ。──そこに、ほんの少し寂しさを感じたのは気のせいだろうか。
(なるほどね...連君が彼女にするわけだ)
何かを呟いてるが離れていたせいかよく聞こえなかった。聞き返そうとしたが、その瞬間、彼女はいつもの調子に戻ったように明るく言う。
「今日と明日で全部復習できるようにするね。二人の時間を奪うのも悪いし」
「別にいいって。さっき言った通り、部活にも入ってないし時間はある。それに、助け合うのが大事だ。雫も同じように考えているじゃないか?」
「はい、クラスを巻き込む連君の方が迷惑をかけているので、これくらいは迷惑にも入らないです」
そう言う雫に、望未は戸惑ったように俺を見た。「どういうこと?」と言いたげに、俺と雫の顔を交互に見比べる。
「二か月の間に、何があったの?」
「詳しくは勉強の休憩時間にでも話しましょう」
雫がやんわりと区切るように言うと、望未もすぐに理解したようだった。“補習”というより、“友達同士の勉強会”の延長にすぎないと伝わったのだろう。それでも彼女は、どこか申し訳なさそうで、雫の優しさに触れるたびに、少しだけ罪悪感を覚えているようにも見えた。
人からの好意を受け取るのが、あまり得意ではないのかもしれない。そう感じていると、望未はハニカむように笑いながら、とんでもないことを口にした。
「でも悪いよ、付き合っている二人の仲をじゃまするのは」
──付き合ってる?
その言葉に思わず、俺は雫の方を見た。不機嫌になっていないか心配だったが、雫は小首をかしげているだけだった。何かの聞き間違いかと思い、確認する。
「付き合っているって誰が?」
「雫ちゃんと連君が?」
「いや、付き合ってないけど?」
「でも、下の名前呼び...教室でも一緒にいたし...特別って、、、え?」
完全に混乱している様子の望未を見ながら、俺は考えた。──どこでそんな勘違いが生まれたんだ?もしかすると、クラスメイトが代役を申し出た理由も“俺の彼女がクラスにいるから”だと誤解していたのかもしれない。
そう思えば、下心のある男子に向けていた、あの優しい笑みの理由にも納得がいった。苦笑いしている雫を見て、訂正はしておいたほうがいいだろうと思う。
「言っておくけど、彼女がいるどころか、人生で一回もいたことないけど...」
望未は驚いたようにこちらを見つめてくる。
「本当に?」
「うん」
「そっか...うん。そっかー」
どこか安堵したような笑みを浮かべる。その表情に、雫と俺の関係を壊さないよう気遣う、彼女らしい優しさがにじんでいた。一瞬、“アイドルの自分に惚れるかもしれない”という自信の表れなのかとも思ったが、そんな打算は感じられない。教室内でも別にアイドルであることを鼻にかけている様子もなかたしな。
嬉しそうにしていたのも束の間、彼女は何かに気づいたように、はっとした表情を見せた。
「申し訳ないんだけど、少しだけ御手洗いにいってきてもいい?」
「いいけれど」
俺が呆気に取られている間に、彼女は小さく「ごめん」と言い残して教室を飛び出していった。驚いたまま見送っていると、雫が何かを察したように静かに口を開く。
「連君、女性には準備というものがあるんです」
「……そうなんだ」
「という事で私も少し席を外しますね」
放課後、三人で始めるはずだった勉強会は、なぜか俺ひとりを残したまま始まることになってしまった。先ほどまで窓の外からこちらを覗いていた男子生徒と目が合う。ぽかんとしていた彼だったが、俺のことを鼻で笑って去っていった。
──一人残された教室で、俺は思う。このあと、どうすればいいんだろうか。そんなことを考えながら、ゆっくりと流れる放課後の空気の中で、ひとり時間を過ごしていた。
***
連君に彼女がいなかった。そんなあり得ないほどの奇跡に遭遇している。これまで頑張ってきたことが報われたような感覚が頭の中を支配し、幸福感が全身を包み込んでいた。
私はトイレに駆け込み、急いで身支度を整える。あんまり待たせると本当に悪いし──。軽く汗ばんだ肌を気にして、手首に香水をひと吹き。
「これで大丈夫なはず…」
そう言って自分の匂いを確かめてみるけれど、それでいいのかまでは全然わからなかった。胸の高鳴りを抑えきれず、誰かに相談したいという思いが浮かぶ。頭に浮かんだのは、今日出会ったばかりの友達──葵。
何となく、彼女ならもう気づいていそうな気がした。だから、打ち明けてみようと思う。だというのに、傍にある鏡に映った自分がすぐに気になってしまう。髪型や服装に乱れはないだろうかと鏡の前に立つ。いつも気をつけているから、大きく崩れてはいない。けれど、心の動揺までは隠しきれない。
未だに信じられない気持ちを抱えたまま、念のための確認のように、連君をよく知る葵にメッセージを送った。
『連君に彼女がいなかった』
『やっぱり、勘違いしていたんだ』
『気づいていたなら、教えてよーー』
そうすれば自分の身なりにもう少し気を使うことだって出来たのに...自分でも酷い八つ当たりだとは思う。でも、でも…
『だってその方が面白そうだし、望未の為になるとおもったから』
出会ってまだ一日だけれど、彼女が私のことを思ってくれているのは伝わってくる。だから言い返せない。
『他の男子の牽制にもなるし、連の不意を突かないと負けちゃうからね』
そう言われて気づく。確かに連君を好きな子はきっと沢山いるだろうから、倍率が高そうだった。
『私の知っている範囲だと4人は狙っているし、何より夢咲さんが一番の強敵だね』
夢咲さん──その名前を聞いて、彼女の顔が浮かぶ。化粧なんてしていないのに、透き通るような肌が驚くほど綺麗で、髪はいつも真っ直ぐ整っている。特別なことをしているわけじゃないのに、清潔感と落ち着きがあって、自然と視線を集めてしまうタイプだ。
他にも羨むレベルでかわいい子達がクラスにいた。流石連君だなって思うと同時に、負けたくないって思う。だって私の方が絶対に彼のことを好きだから。
『勝てるかな?』
私は不安になりながらそういう風に聞いていると、少し返事を考えているのだろう。反応がない。
『正直に告げると分からないかな...連の反応が誰に対しても淡泊だからね。普通はもっと意識していいと思うんだけどね。救った桜ちゃんにも無反応だし』
『救ったってのはどういう?』
『それは後々説明するよ、それより勉強会に戻る』
そう告げられて自分が彼らを待たせているという事実に血の気が引いていくのを感じた。鞄を急いで持って走ろうとした先で雫ちゃんに出会う。
「少しだけお話しませんか?」
「えっ……うん」
彼女の真剣な眼差しに押され、私は頷いた。連れて行かれたのは、先ほどとは違う空き教室。静まり返った空間の中、雫ちゃんは一歩下がってから、まっすぐ私を見つめ、口を開いた。
「望未さんは、連君のこと好きですよね?」
「そんなに分かりやすかったかな」
「教室では疑念半分でした...でも、さっきの反応で確信しました」
流石に顔に出ていたんだろう。浮かれていた自覚はある。けれど、何を言われても――私は諦めるつもりなんてない。
「桜ちゃんの為に諦めてってこと?」
「違います。ただ、私はあなたに味方できないってことを伝えたかったんです。一方的に気持ちに気づいているのは少しズルいと思ったので」
「雫ちゃんは...」
「私はどちらかというと頼りになる弟って感じですかね」
その言葉に思わず笑ってします。彼女は不思議そうにしながらこちらを見つめている。だって、彼が弟だと思えるほどに、誰かに大切にされてることが嬉しかったから。
「私は絶対に負けないよ!」
精一杯の気持ちを込めて宣言する。一度はあきらめたこの気持ちがもう止まることなんて絶対にない。私は連君の隣に立つ。――それだけは、譲れない。
「やっぱり綺麗ですね」
「そう言ってくれるのは嬉しい。その武器を使っていくから」
「えぇ」
そう言い合って、二人で教室を出る。さっきまでと同じ放課後なのに、世界が輝いて見えた。




