新ヒロイン?
私のことを、彼は覚えていてくれているだろうか。そんな不安を抱えながら出した手紙に、返信が届いた日のことを思い出す。小学生の頃、大好きだった人。転勤でお別れすることになったけれど、本社に戻ると聞いて、もう一度会えるかもしれない――そんな淡い期待を抱いて手紙を出した。
途中から返事を返さなくなってしまった私だから、まさか返信が来るとは思っていなかった。だからこそ、ポストに自分の名前が書かれた封筒を見つけた瞬間、信じられなくて何度も母に尋ねた。
「これ、本物だよね?」って。
部屋に戻ってからは、頬がゆるみっぱなしで――誰にも見せられないほどだった。だって、ずっと好きだった人からの手紙だったのだから。
そんな彼の隣に立ちたくてアイドル活動を始めた。ステージの世界は想像以上に眩しくて、夢のようで精一杯頑張った。もちろん下手だって否定されることも、逆に応援してるって声援ももらえた。努力しても上手くいかない日もあったけど、応援してくれる人たちの声が背中を押してくれた。
その人たちの期待を裏切りたくないと、彼への想いを断ち切ることにした。不誠実だって思ったから、ファンを大切にしたいと思ったから。その日を境に、彼への返事を書くのをやめた。
それに対して罪悪感をあったけど、久しぶりに出した手紙には彼の嬉しそうな返事だった。
(相変わらず君は優しい人だね)
中学3年生という受験に集中しないといけない時期だからこそ休止という形を考えていたけれど、本社に戻ると知って私はアイドルを辞めることを決意した。だって、私を応援してくれた人は転勤先にいないから。
もっと後悔するのかなって思ったけれど、後悔はなかった。自分の納得いくところまで、ちゃんとやりきったと思ってるから。だから、手紙を出したわけだけど。返信が返ってくるとは思っていなかったな...ふへへ。自分でも気持ち悪い笑みを浮かべている。
彼はモテるからきっともう恋人はいると思う。それでも引っ込み思案な私を変えてくれた彼に感謝を伝えたかった。それと、また仲良くできたら嬉しいなって思って一つ質問を書き添えた。
「どこ受験するの?」
「桜花麗清学園かな」
そう返信してくれて嬉しくて、胸の奥が熱くなった。私もそこを絶対に合格するって舞い上がっていた。そこからが地獄だったんだけどね...勉強だって疎かにはしていなかったけれど、偏差値が5も足りなかった。今も結構頑張って維持をしていたからこそ、半年間全部を勉強に捧げた。
両親から心配されることもあったけれど、それでも私は必死だった。学校の写真を送ってほしいと言ったら、送ってくれた、2枚写真があって、一つは友人と説明会に行った時の写真なんだろう。肩を組んで笑っている彼の姿があった。その姿が以前よりもずっとカッコよくなっていてドキドキした。
写真を複製して、お守りみたいに手帳に挟んだ。学校に持って行った時は誰かにバレるんだじゃないかって心臓の音が煩かったな。でも、勇気を貰えた。自分も頑張ろうって。だから、合格した時はものすごく嬉しかった。
今でもはっきり覚えている。泣きながら笑ったあの日のことを。――やっと、彼にまた会える。ただ、引継ぎの都合で入学は六月になった。だから今日が、私にとっての“本当の始まりの日”。
「今日から、ここが私の通う学校か...」
そう思いながら、校門の外から学校を見上げた。もう授業は始まっていて、私だけがぽつんと取り残されたような朝。先生の都合で、私は二限目から合流することになっていた。
「すごく、ドキドキする」
なんて、独り言をこぼしながら、校門をくぐる。私の方は写真を送っていない。変わった私を写真じゃなくて、直接見せたかったから。
――久しぶりに会う連君はどんな顔をするかな。驚くかな。笑ってくれるかな。連絡しなかったことを怒られるかな?少しだけ不安で、でも、あの頃より少しだけ自信のある私がいた。
今なら、彼の隣に並んでも恥ずかしくない――そんな気がする。でも、並べないってことも、ちゃんとわかってる。
彼と出会って、今年で七年目になる。きっと今の彼には、素敵な彼女がいるから、挨拶する必要があるよね。それでも、ほんの少しだけ願ってしまう。彼女がいないなら私にもチャンスってあるのかなって。
「君が、春風望未さんだっけ?」
「はい、そうです」
職員室に入って担任の先生を目の前に立つ。こちらを見つめる男性はおそらく三十代後半だろう。がっしりした体格だけど、優し気な笑みを浮かべるひとだった。第一印象は「頼れる人」だった。
「なるほど。親の転勤で遅れてきたってわけか。でも前の学校と偏差値的にはそこまで変わらないしな授業範囲は…どこまで終わってる?」
そう聞かれて、私はこれまで習ってきた内容を伝える。
「ふむ。ほとんど同じだな。ただ、数日間のブランクがあるから……。補習、という形でもいいし――そうだな、クラス委員長に教えてもらえれば十分だな」
先生はそう言って、手元の資料に何やらメモを書き込んだ。入学式からもう二ヶ月。先生がそのクラス委員長を信頼している様子は、言葉の端々から感じ取れた。「彼に任せれば大丈夫」――そう言えるほど、優秀な生徒なのだろう。
少しだけ不安だった学生生活が、その“誰か”の存在によって、ほんの少し明るく感じられた。……もしかして、彼だったりして。
そんな考えがふと頭をよぎる。妄想と言えるほどの都合がいいこと起きるはずないのにね...つい彼のことを思い浮かべる辺り、私はまだ彼のことが好きなんだろうな。
そんな思いを胸に秘めたまま、私は先生に案内されて校内を歩く。新しい廊下。新しい景色。が通りすぎるたびに、ちらりとこちらを見る視線がいくつかある。
“授業中にごめんね”という気まずさと、“これからよろしくお願いします”という少しの覚悟が、心の中で交差していた。ガラリと扉が開く。先生が颯爽と入る中で、数人は私の方に気づいたようだった。
「先生、授業の時刻はとっくに過ぎてますよ」
「いいんだ。お前らにサプライズって形にしたかったからな。今日から、一人クラスメイトが増える」
「二限目からですか?」
「悪い悪い。俺のほうが一限目から授業があってな。今日はいろいろと対応があったんだ」
「……それって先生の都合じゃ?」
教室のあちこちから軽口が飛ぶ。からかうようでいて、どこか温かい声。クラスの雰囲気は思っていたよりずっと明るくて、その空気に、私の緊張も少しずつほどけていった。
すると、誰かが軽く手を二度叩いて言った。
「……あんまり待たせるのも悪いし、転校生に入ってきてもらおうよ」
その瞬間、教室のざわめきがすっと静まっていった。誰もが自然に耳を傾ける空気――その人の言葉が持つ力に、私は思わず息をのんだ。たった二ヶ月で、クラス全体をまとめる存在。
(誰だろう?)
その声には、不思議と安心できる響きがあった。――まさか。いや、でも...考えに耽っていると担任の声が聞こえる。
「確かにそうだな。入ってきていいぞ」
教室の扉を開け、一歩踏み出そうとして視線が一点に吸い寄せられる。胸が高鳴るのを感じた。
(連...君!?)
運命なんてものがあるのかもしれない。そう思いつつ私は心の中で、そっと神様に感謝した。
「ありがとうございます」って。




